紙の本
う~ん 乗り切れない
2016/02/14 16:25
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
評価がけっこう高い本ですが、読み始めた時から、読み終わるときまで、その世界に入っていけませんでした。芥川賞ってこれくらいなのかな?と思ってしまいました。
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死んでいない者たちがある秋の日に、通夜で集まった。その数子ども、孫、ひ孫たち30人あまり。その死んでいない者たちを語り手のポジションで、ふわふわと定まらない視点で語るものがいる。それが死んでいる者なのだろう。実に不安定なのであちこち混同する。それを楽しめる者とそうでない者でこの作品の評価は分かれるのだろう。
文体としては難しくないので読みやすい。淡々と綴られている。けれども、その語り手があまりにも曖昧ながために物語の神髄が行方不明になってしまっている、難しかった。
全体の空気感はとても好きです。
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親戚が亡くなったとのことで、お通夜と告別式に参加する。
よく知ってる親戚も、あまり知らない親戚も、みんな集まってる。
あの人がどう、この人がどう。というウワサ話を聞き、会わなかった歳月の長さを知る。
で、「ここだけでひとつ話が書けるんじゃないか?」と思う・・・
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芥川賞受賞作。
→https://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12133412227.html
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不思議な事だが、この本は字面を追って読んではいけない。ふうわとした概念を肌で感じる作品なのだ。
なぜ、字面を追ってはいけないかというと、理解できないからだ。
なぜ理解できないかというと登場人物がとても多いからだ。
なぜ登場人物が多いかというと祖父の葬儀に親戚一同が集まり、そのひとりひとりが登場するからだ。
字面だけで家系図を頭の中に作りながら読み進めるのは至難の技だ。
だから死んだ祖父になりきり、少しばかり幽体離脱した状態で、『死んでいない者』達を俯瞰して観察している様を感じながら140ページと少しをめくっていけば良いのだ。
第154回芥川賞受賞作。
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人は死んだらどうなるのか―。
こんな問いは人間が持つ疑問のうち、もっとも純粋で、難解で、普遍的なものだろう。どんなに偉い人でも、どんなに不幸せな人でも、生とその裏返しの死を等しく持って生まれてくる。
ある「おじいちゃん」の死を囲むごく普通の人たちが、「生きることと死ぬこと」を通してつながっている。その視点の軽やかさは、言葉のキュビズムのようだとも思われる。
子、孫、ひ孫・・・それぞれが身内の死というある種のイベントを機に、考え、思い出していることが、それぞれ本音なのか本当なのか非常に曖昧に書かれているけれど、それがまたもやもやとして、そのもやもやが「お通夜の夜」のなんとも言えない雰囲気(一族の連帯感というかつながってる感なのかな)を表現し得ていた。
「死んでいない者」というタイトルも好き。
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人柄も年も多様なそれぞれの人物が死を思うにあたってめぐる思索の描写が生き生きとしていて面白く、人間に対する愛を感じる。
これほどのものを個人がかけるのはやっぱりすごいと思う。
人々はなんだかどこかでつながっているし、
いろいろなことがさらりと美之の録音機器に記されているように、取るに足らないようなことばかりだけどすべてはどこかに記録されていくし、
思い出はあいまいなものだけど、ふっと思い出させる可能性を信じている。
そのなかでおじいちゃんの死が見え隠れしている。
その美しさとあたたかさが好きである。
登場人物が多いのもあって、お酒でも飲みながらゆっくり、一気に読み切りたかった。
レビューが低いけど、確かに手放しにお勧めできるようなものではないかもしれない。
タイトルはうーん…変に掛詞するとしらけるのでストレートなもののほうが好きかも。
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亡くなった曾祖父(一応あえて主人公を誰かと特定すれば、「知花」ということか?彼女から見れば曾祖父)の葬儀に参列するために集まった一族の通夜の夜の物語。
まさしく「死んでいない者」たちの物語。
親戚なんてものは、いわゆる冠婚葬祭関係でしかなかなか集まる機会が無くて。
この物語もそんな場面の人々の思いが絶妙に描かれている。
いったい誰が誰の子で、この従妹の親は誰なのか。
今一はっきりしないが、何となく話は合わせられる。
実は私自身も妻の実家で同じような思いを抱く事が多々ある。
妻の実家は結構な田舎で親戚も多い。
それもかなりな割合で近所に住んでいる。
おまけに義父母は血縁関係はないのだが、元の名字が同じときている。
その結果両方の親戚筋のほとんどが同じ名字で、私にするれば顔も似ていたりする。
そんな中 私自身も誰と誰が親子でこの子は誰の孫?
的な状態を結婚してそろそろ30年近くが経つが、続けている。
人の死に直面して色々と考えさせられ、色んな記憶が思い起され、
でも、また明日からはいつもの日常を繰返す自分がいる。
たくさんの人が登場して、それこそ関係性がよく分からなくなってきたので途中で、思わず家系図を作ってしまった。
それにしても、この家系の未成年はよく酒を飲む。
今の時代 そこだけがちょっと違和感がある。
芥川賞にありがちな、どろどろした性を描いた作品ではないのは「良」だ。
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あまりの登場人物の多さに家系図を書いてしまった。
関係性がごちゃごちゃになりそうになったけど当事者たちもそう感じているのが面白かったし、一人一人はそれぞれはっきりとした個性があって楽しく読めた。
お葬式の悲しさはあったけど日常の部分も多く書かれていたから悲しいだけになってなくて面白かった。
出てこなくて気になってる人がいるけどその人も死んでるからいないのかな。
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芥川賞に滝口、本谷氏 第154回、直木賞は67歳 青山氏
2016/1/20付日本経済新聞 朝刊
第154回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が19日、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞は滝口悠生氏(33)の「死んでいない者」(文学界12月号)と本谷有希子氏(36)の「異類婚姻譚(たん)」(群像11月号)に、直木賞は青山文平氏(67)の「つまをめとらば」(文芸春秋刊)に決まった。
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死んでいない者 滝口悠生著 生者と死者のささやかな相違
2016/3/6付日本経済新聞 朝刊
冠婚葬祭は日常生活のなかでとくに異常なことではなく、誰しもが経験する出来事である。しかし祝い事であれ葬式であれ、そこに集った人間は、その時間のただ中でつねにある特別な瞬間であるとの意識を持つ。
この作品は秋のある日に大往生を遂げた男の親族たちが通夜に集う話であるが、子供や孫、さらにひ孫たち三十人あまりがそれぞれの思いや記憶を交差させる不可思議な時空を描いている。
「人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。」
故人を囲むその時空にぽっかりと雲のように浮かんでいる「死」の影。死の悲しみに沈む者にも、未(いま)だ死ということの意味をよく実感できない幼い子のなかにも、近くのまた遠くの親戚筋にも、「死」は形の定かではないイメージとして茫漠(ぼうばく)たる広がりをもって、そこに出現する。
故人に関わるいくつもの視点が、複雑に入り組むように語られており、読者は誰がどう回想しているのかわからなくなる。各人の生活や記憶が、とりわけその細部がさして重要ではない日常や物の断片がモザイクのように組み合わされている。そこに居る者だけでなく、五年前から行方不明になっている男の存在も、葬儀という非日常の時間のなかへと呼び戻される。その男は、生きているのか死んでいるのか。
「夜空ならわれわれすべての頭の上に常にあり、たとえば私が死んだら、誰かの頭の上の空をのぼってどこまでもいける、なんていうのはきっと間違っている。そんなことを言う者は結局、生きていた頃と同じように、地上から月とか星とか雲とかばかり見上げてしまう。」
死の影の下に集った親類たちは、自分もまたそれぞれの生活が奇妙なまでに希薄な、実質を欠いた幻影のように感じられてくる。そのとき生きている者は、ただ「死んでいない者」に過(す)ぎないのではないかという恐ろしい直観が閃(ひらめ)く。その予感は、夜空を切り裂くような雷光となって、そこに集う老若男女の頭上に響き渡る。天上と地上の区別もなくなり、日常と非常の境も消える。生者と死者を離別させているものが、ほんの小さな違いであり、ささやかな目に見えぬ亀裂であることに慄然とさせられる。われわれはその光景を五年前に、あの東日本大震災によって実は経験しているのではないのか。
(文芸春秋・1300円)
たきぐち・ゆうしょう 82年東京都生まれ。作家。著書に『愛と人生』(野間文芸新人賞)など。本作で第154回芥川賞。
《評》文芸評論家
富岡 幸一郎
記念写真に納まる(右から)芥川賞に決まった滝口氏と本谷氏、直木賞の青山氏(19日、東京都千代田区)
記念写真に納まる(右から)芥川賞に決まった滝口氏と本谷氏、直木賞の青山氏(19日、東京都千代田区)
2月下旬に都内で贈呈式が開かれ、受賞者には正賞の時計と副賞100万円が贈られる。
滝口氏は東京都生まれ。2015年「愛と人生」で野間文芸新人賞を受賞。「死んでいない者」は通夜に集まる親戚間の会話が視点を変えながら展開する。芥川賞選考委員の奥泉光氏は「人物像がくっきりと描かれ、独特の語りの世界を高く評価した」。記者会見で滝口氏は「小説はどういう風にも語れるもの。語りの融通無碍(むげ)な力を信じて書いた」と話した。
本谷氏は石川県生まれ。劇作家として鶴屋南北戯曲賞、岸田国士戯曲賞を受賞。14年、小説「自分を好きになる方法」で三島由紀夫賞を受けた。
「異類婚姻譚」は軽妙で毒気のあるユーモアを交え、夫婦の不思議さをファンタジー風につづる。奥泉氏は「説話の構造を現代小説のなかに生かし、夫婦の不気味な関係を巧みに描いた」と評価。会見で本谷氏は「書き続けることは作家にとって大切な資質。それが自分にあるかこれから試される」と述べた。
青山氏は横浜市出身。11年、時代小説「白樫の樹の下で」で松本清張賞を受けた。「つまをめとらば」は江戸時代の武家の男たちを主人公にした短編集。自立した道を歩む女たちの姿を通して、男たちの惑いや弱さに光を当て、直木賞選考委員の宮城谷昌光氏は「知的でユーモア、爽快感がある」と評した。
直木賞史上2番目の高齢での受賞となる青山氏は「年齢は関係ない。書いていくかぎり、もっとよい作品を書いていきたい」と力を込めた。
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読むのに苦労。意味が分からず置いてけぼり。
ただ、「義理を感じる」は感覚的にわかる。
死んで居ないと死んではいないをかけてるのかな?
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人がたくさん出てきすぎて最初は入り込めなかった。でも誰でもありながら誰でもない語りが全てを俯瞰しながら進める文章が、読んでるうちに自分を、たゆたいながら皆の生を見つめているような視点に連れていってくれて新感覚だった。
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この本を読んだ評論家が賞を渡そうと思ったのなら、私のアタマのナカのとりとめのない思考のグダグダは、ヘンじゃないんだと思えました。
手を動かして仕事を進めながら、あれ?いつの間にこんなに仕事こなしたんだろう?今まで、何考えてたっけ?と自分でびっくりすることがあって、そんなときはこの本みたいに途切れなく脳が勝手に文章を書いているような感じなのです。
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芥川賞受賞作。
登場人物が多くて読んでるうちに誰が誰だか、この人とこの人はどんな関係かわからなくなる。
お通夜での何気ない会話が故人に感謝をしているのか、寂しさをまぎらわしているのか。
会話とわかりやすい感じはないけど、題材が目を背けたいものなので、ハッキリしていないのがなんだかありがたかった。
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http://tacbook.hatenablog.com/entry/2016/02/17/202136