紙の本
教養とは・・・、ひとつの答え
2022/02/13 09:49
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
『書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して「本当にそうなのか」と疑い、反証するなかで、自分の考えを作っていくというか知的プロセスでもあるのだ』確かにそうだ。疑ってしまって、他の人の作品を読んで確認するということが増えてきた。
最初は、小説を読むことが多かったけれど、次第にノンフィクションから社会科学や自然科学の本を読むことが増えた。私は、ファンタジーよりも事実のほうが好きなようだ。
『自分にとって読むべき本、読む必要のない本を判断することが教養』
ショウペンハウエルが言ったように多読は必要ないといったが、多読しないと判断する”教養”は身につかない。すると、読む必要にない本もある程度、読む必要があるということになる。
私は、その”教養”を獲得する過程にある。そう思いたい。
紙の本
タイトルのインパクト
2016/05/31 00:10
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投稿者:yujiyuji - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルはインパクトあるけれど、中身は特に斬新な事が書かれているわけでもなく、参考程度にはなりますが、これをそのまま実践する必要性は感じませんでした。
紙の本
久々に・・・
2016/05/04 21:43
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに期待して購入したため多少がっかりだが、いくつか読みたい本を探せたことが収穫。国語教育の目的は「良書を読ませることを通じた人間形成」、ということで。
紙の本
実践する読書術
2019/05/23 15:13
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投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本の読み方について、あるテーマについて対立する立場にあるような2冊を中心的に取り上げつつ、著者自身が実践を示す。この本の組み方からしてそうだが、ある本を批判的に読むためには、読者もその本以外の蓄積が必要になるのだろうと感じた。ブックガイドとしても有益
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瀧本哲史氏の著書で読んだのは、これが3冊目。タイトルが気になって買った本。読んでよかった。比較対象であげられている本の片方しか読んだことがないパターンが多かった。今まで、あるテーマの知識を増やすために複数の本を読むことはあったが、本同士を戦わせて読むという考えはなかった。
自分も将来こんな本が書きたいと思った。
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なるほど、この本にはそういう読み方があったのか!と目からうろこが出ました。
着眼点が面白くて、知っている本でも新しい読み方を提示してくれました。
読みやすいけれど読みごたえがある。
古典的作品から、漫画まで、多岐にわたるジャンルの本同志を「戦わせる」ことで、その本のもつ性質がよく見えてくる。
全部をつぶさに読んだわけではないけれど、批判の仕方、本の読み方、そしてその分野での新しさの追究の仕方についてヒントがちりばめられています。
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ある分野の理解を深めたいときには、その分野で“権威”とされている本を何度も読めば足りるのではなく、その分野の両極の考え方を知る必要があるというのを最近思っていたが、本書を読んでその認識を強化した。
この人は『タッチ』を論じさせても面白い。
しかし読みやすい文章を書くよなー。
個々の本の紹介も参考になった。
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連載中から追いかけてたけど、1番このシリーズが未知なことの割合が高く興味深かったように思う。いつもの冒頭のこのままではもうダメです煽りもなく、手っ取り早く本題に入ってたし。これどうなの、格闘する価値もないやつでは、と思うものもなくもないけど、とりあえずいくつか読んで見るつもりでおる。
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<目次>
はじめに
第1章 心をつかむ
第2章 組織論
第3章 グローバリゼーション
第4章 時間管理術
第5章 どこに住むか
第6章 才能
第7章 大勢の考えを変える(マーケティング)
第8章 未来
第9章 正義
第10章 教養小説~大人になるということ
第11章 国語教育の文学
第12章 児童文学
<内容>
毎回2冊の本を対比させながらその本の魅力を語る。各章の最後にその分野のブックガイドが付く。なかなか面白い企画でした。多くの本を読んでいないと書けない本でしょう。『1984年』はかつて読みましたが、何が何だかわからなかったのですが、著者の読み方を読むと、再読したくなりました。
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マンガや児童文学までも理路整然と分析してしまうところは面白い。
ハリーポッターにイギリスの伝統や価値観を見出すあたりは、知識の高さが伺えます。
知識量が多いと、本の印象や受け取り方も変わるんでしょうね。
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別にどんな読み方をしたって構わないけど、読書って楽しい。もし意見と意見がぶつかりあうのなら、そしてそれを観戦し、自分の思考を推し進めることができるなら、もっと楽しい。
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こういう本の読み方もあるんだなぁと読み進めていたが、確かに本の内容に突っ込みつつ読んでたわ、私も。
本のラインナップも「やはりこれが来るか」という定番と「へーこんな本あるのか」という組み合わせで楽しい。
ただ、そもそもこのような読書を為すためには、基礎体力というかある程度の読書量が必要なんじゃなかろうかと思う。
最低でも年100冊超える人じゃないとこういう読書方法は難しいんじゃないかな。今の時代そういう読み手って居るのかな。
本を読むことを仕事ととしている。あるいは必要があって本から情報を得なければならない人くらいじゃないのかな。
趣味レベルの読書だと、年100冊を超える人は少ない気がする。
いや、そもそも読んだ母数が少ないなら、本を読み比べての格闘技はできないから、たくさんの本を読む方向けなんだろうけど、そんな人ってそんなにいるの? ニッチ層を狙うのかと驚いた。
私が知らないだけで、本を読む人自体は減っているけれど、読む人はたくさん読むというように二極化しているのかもしれない。だといいなぁ。
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読書とは、単に受動的に読む行為ではなく、「本当にそうなのか」と著者の考えを反証し、自分の考えを作っていくという知的プロセスである。
同じテーマについて異なるアプローチから書かれている2冊の本を軸に「格闘」していくという視点は、他の書評(本)にはあまり見られないものであり、参考になる。
各章末にもブックガイドがあり、読書の幅を広げてくれる。
本を読んで、「ただ読んだだけ」で終わらせないこともまた重要。
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書物や引用物を読む際には、データや文脈や時代背景を確認することが重要であることを説いた本。「自分の頭で考えて読書しましょう。」というメッセージ。また瀧本先生は、文学作品の抽象化に長けていること、インプットされている知識量が膨大であることを再認識した。
興味を惹いたのは、「正義」について。そもそも格差是正が是であるという前提などを疑っている。
・正義について
正義論(ロールズ)
組織を作る際、ヒトは自分の地位が有利になるよう仕組みを作るものである。しかし、「無知のベール(自分がどの立場になるか不明な状況)」の下では、「最悪のシナリオになった際に、最大の利潤を得られる仕組み(最悪の展開でも、まあ悪くないかと思える状況)」を選択する傾向にある。(ゲーム理論における「マキシミン原理」)
かくして、利己的な判断が全体で見ると利他的な組織(相手の気持ちを慮るという感情論でなく、自分の利潤を確保する勘定論なのに良い組織)が完成するはずであるという架空の設定における話。
→批判としては、前提としてなぜ国家を作る前提にあるのか。無知のベールおよびマキシミン原理が発動することに蓋然性があるのか。
アナーキー・国家・ユートピア(ノージック)
国家を成立させるにあたり、自己の利潤を最大化させる「万人の万人に対する闘争」状態ではないことを前提に、ヒト同士が自分の身を保証するための保証協会を作り始めるという仮説。これは「維持費は加入者数に比例しない上に、多くの人が入っている方が信頼度が増す」という規模のビジネスとなるため、大手が中小を食う&ユーザーが大手に乗り換えるため、いずれは1つの協会に統一される。そして、この協会によって守られていること以外は個人の自由であるというユートピアが完成するという話。アナーキーは無政府国家、ユートピアは桃源郷の意。
→個人の理性を信頼し、国家から取り返した正義を個人に託した型。前者の正義論は、仕組みを構成員の一致で決める方式なのに対し、後者は構成員に保証協会の選択権が生じるため、現実的であるという意見がある。
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さらっと読み終わったものの、なかなか難しいことが書いてある。内容が理解できないという訳ではなく、実践するのが難しい。と言っても、そんな特別なことではなく、読書を漫然とするのではなく、一文一文に対して批判するつもりで読みましょうといったこと。
ただ、筆写並みに批判できるかと言えばなかなかそうもいかない。やはり、ある程度の読書量があって初めてそういう読み方ができるのではないかと思う。人それぞれ際はあるものの臨界点を突破するだけの読書量が必要だと感じた。
さらに、どのジャンルをどうカテゴライズするかといった図式が、自分の中でMECEになっていないと、本書のような対立形式で読む・表現することはできないだろう。