紙の本
丁寧に書いているが手軽に読める
2017/02/03 12:50
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投稿者:ルイージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史的なことから現在の実際の状況含め、丁寧に追われていて読み応えあるが、新書なのでサックリ手軽に読めて、好感もてました。
紙の本
愛される障害者でいる必要
2019/08/29 23:03
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投稿者:Lily - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある程度は「愛される障害者」でいる必要があると私は考えます。エピソード8には、未婚の状態で産んだ5歳の娘がいる軽度知的障害の女性が登場します。彼女の娘の世話を押し付けられていて、経済的かつ精神的な負担を負わされている彼女の姉に同情します。確かに知的障害が「不幸の磁石」として働いてしまったかもしれませんが、全てを仕方がないとは言えないと思います。「恋愛ができない」「セックスの相手がいない」「恋人がいない」「出会いが無い」といったファーストステップで悩んでいる人だけではなく、「恋愛は長続きしない」「セカンドヴァージンから抜け出せない」「セックスレスをなかなか解消できない」という悩みがある人もたくさんいることを知りました。しかも、後者の悩みは前者以上に相談しにくいことも知りました。ただ、後者のような悩みは、障害者だけが悩む内容ではないし、前者には贅沢な悩みに思えて同情できないでしょう。性生活に関して、女性側のピル服用による避妊をしているそうです。家庭内のごみ処理がうまくできていないことが何らかの異常発生のサインだという内容が勉強になりました。エピソードによっては、やや読みにくいと感じました。
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母親が射精介助、男女は40cmの距離で……周囲が自立させない障害者の性タブー
今年3月、「週刊新潮」(新潮社)がスクープした乙武洋匡氏の不倫騒動は、世間の耳目を引き付けるニュースとなった。昨今の「不倫ブーム」に乗って注目された側面もあるが、少なくない人々が「障害者」と「セックス」との「意外な」結びつきに驚いたことだろう。
一般社団法人ホワイトハンズ代表・坂爪真吾氏の著書『セックスと障害者』(イースト新書)は、そんな「障害者の性」に対する誤解や偏見を解きほぐしていく一冊だ。「障害者のある人も障害の無い人と同じように、毎日の生活の中で恋愛やセックス、結婚や出産、育児の問題にぶつかり、時には笑いながら、時には悩みながら、それぞれの現実に向き合っています」と、坂爪氏が語る障害者の性の現実とは、一体どのようなものなのだろうか?
平成25年度版の障害者白書によれば、全国の障害者の数はおよそ741万人。うち、身体障害者のある人の数は357万人を数えている。しかし、障害者に対して「純粋」「かわいそう」「性的弱者」というイメージを持つ人は多く、乙武氏の不倫は必要以上にセンセーショナルなものとして受け取られた。だが、言うまでもなく障害者も人間であり、乙武氏に限らず、ほとんどすべての障害者が性的な欲求を持っている。
本書で紹介されている筋ジストロフィー症を患う孝典さん(仮名)は、小学校2年生から自慰行為を開始し、初めて射精に至ったのは小学校5年生の頃。小学校6年生から車椅子生活となった彼は、床に性器を擦り付ける、いわゆる「床オナ」に勤しんでいた。だが、筋ジストロフィー症が進行するに従って、徐々に自力で自慰をすることが困難になる。彼は、母親にズボンと下着を脱がしてもらいながら自慰の介助を手伝ってもらったこともあるが、思春期の性欲が高まる時期の大半を、ひたすら我慢と夢精によって耐え忍ばなければならなかったという。
障害者に対しては、障害がない人よりも、はるかに高い「性の壁」が屹立している。
その背景のひとつとして坂爪氏が注目するのが、障害者にとって最も頼りとなる「母親」という存在だ。子どもをケアするために、身体的、精神的にもさまざまな支援を行う母親と子どもとの間には心理的に密着した関係が生じやすい。障害のある子どもの母親の中には、「自分だけの大切な宝物」として溺愛し、坂爪氏によれば「自分以外の誰かに欲望を抱く性的な存在であること、自分以外の誰かから欲望を抱かれる性的な存在になることを認められない人」もいるという。そんな、母親による過度な愛着は、障害を持った子どもを性的な情報から遠ざけ、彼らの性欲に蓋をしてしまう。さらに、母親の愛情がプライベートな時間や空間を奪ってしまうことによって、障害を持った子ども自身の性的な自立や社会的な自立が妨げられてしまうのだ。
また、社会の中にホワイトハンズのような障害者の性に向き合う第三者の組織がないことも、母親が自立を阻む壁になってしまう原因のひとつ。孝典さんのケースでは、母親による自慰の介助は数回にとどまったが、母親が子どもの自慰行為を継続的に手伝うこ��は珍しくない。母親が性の介助をせざるを得ない状況は、障害者自身の自立を阻むだけでなく、重い精神的な負担として、双方を苦しめることとなってしまうのだ。
また、障害者に対する性教育がタブー視されていることも、社会における「障害者の性」を象徴しているだろう。現在でも「男女が話をするときには40cmは距離を開けなさい」と指導する特別支援学校があるように、学校や福祉の現場では「障害者と性」は黙殺され、放置されてきた。特別支援学校の中で、定期的に性教育を行っている学校は全体のわずか3割。性教育はおろか、男女として触れ合う機会もないまま、多くの障害者が学校から社会へと出て行くのだ。
日本福祉大学社会福祉学部の木全和巳教授は、模擬カップルによる恋愛のロールプレイングや自慰のマナーや月経、出産といった身体のつくりなど、障害者に対して積極的な性教育を行っている人物。木全氏は、障害者の性教育がタブー視されている現状に対して「たった一度の人生の中で、かけがえのない存在として、人生の主人公として、お互い尊敬し合いながら生きていくために、生と性の学びは欠かせません。学ばせてもらえないこと自体が人権侵害だと私は思います」と、憤りを隠さない。
では、いったいどうして障害者の性は、ここまで抑圧されなければならないのだろうか? そこには、障害者を取り巻く人々の「善意」が存在しているという。
彼らは、障害児に対して、性について知ることなく、ただ周囲から「愛される障害者」に育ってほしいと願っている。性的な欲望を見せず、従順で、他人に迷惑をかけない存在としての障害者は、多くの人に愛されやすくなるだろう。しかし、そんな障害者像は、木全氏によれば「都合のいい障害者」に過ぎない。意志を剥奪され、人間として当たり前の性欲すらも表に出さない「都合のいい障害者」ではなく、多くの困難やトラブルに見まわれ、誰かを傷つけたり、自分が傷きながら、性や恋愛に向き合っていく「愛する障害者」となること。それが本当の意味でのノーマライゼーションを実現するのだ。
日本のみならず、世界中で、障害者の性に対する支援は立ち遅れている。しかし、人間らしく生きていくためには性という問題は避けて通れず、障害者の性的な自立を奪うことは、恋愛、出産など、社会の中で人間として当たり前に生活していく権利を奪っていくことにほかならない。社会のタブーを打ち破り、「障害者と性」が当たり前に認められる世の中となること。そのためには、障害者に対する社会のまなざしこそを、変えていかなければならないのではないか。
その意味で、乙武氏の不倫騒動から学ぶことは少なくない。
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「障害者の性」という概念を持ち出した途端に「非障害者の性」が立ち現れる。そこに違いはあるのだろうか。障害とは個人の能力を制限するモノである。しかし、それだけだ。障害者はその点以外では非障害者と変わらない。それどころか二つのグループの間に明確な境などなく、個人が障害者であるのは言葉の定義によるものでしかない。障害自体がそれを制限する場合を除いて、二つの性を分けるものだって存在しない。本書の豊富なエピソードを読んでいると、「障害者の性」は不当に当事者から奪われているからこそ存在する概念だという気がしてくる。性の本質を考える起点となる一冊。
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障害者の性について、最近、乙武さんの問題でも盛り上がっているけど、ひとりひとり違うから、なかなか難しいのかなと感じる。女性の障害者の性についての記載が少なかったように感じたが、女性にも性欲があるのに、なぜだろう?障害者であること以前に、女性の性欲についてはタブー視されがちだと思う。障害者女性の性についての続編が出たら是非読んでみたい!女性にとっての性欲は、セックスとかオナニーとかが全てではないと思う。手をつないだり、ハグしたり、キスしたり。そういう欲求から始まっていくのではないか?障害者女性のそういった欲求に応えられるような社会的な仕組みをつくるのは可能なのだろうか?考え始めるとなかなか難しいけど、考えさせられるきっかけになる一冊でした。
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すいすい読めるし、いろいろなことに言及はしているが、当事者ゆえの臨場感がないし、ひとつひとつの結論づけがありきたりで薄っぺらく、読後に何も残らない。背徳感とかそういったものはおもしろさという意味ではプラスになるが、当たり前のものとして書かれすぎていて、おもしろさがまるでなかった。総花的。出すことが目的ならそれでいいのだけど。
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障害者のセックスや恋愛の視点を身体障害者だけでなく知的障害、精神障害、LGBTや親兄弟のなど様々な視点で書かれている。
インパクトのある題名だが障害者も生だけでなく性を考え、自由恋愛できる社会を目指し、障害者も周りから「愛される」存在でなく、他人を「愛する」存在になることを選択できる社会にする。
自立生活よりも恋愛の方が楽しいものね。
アモーレ!
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「(障害者の)性」という生々しい部分に焦点を当てているだけ、家族や兄弟が抱く特有の葛藤や悩みが、学校場面等で抱くそれよりもさらに深く、本質的だなと感じた。
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ホワイトハンズという障がい者への性的介助サービスを行う団体の代表である著者が、障がい者と性の問題について様々な角度から実態と問題点を書いた一冊。
障がい者の性について、教育・犯罪・家族・マイノリティー・歴史・恋愛・結婚など様々な視点から書かれており、非常に勉強になりました。
そのなかでも障がい者の子供の話は印象に残りました。
また、性という人間において最もデリケートで、かつ誰もが持つものについて、障がい者において性とはどのように扱われてきたのか知ることができました。
そして、障がい者の性の問題を解決するために著者が行うホワイトハンズをはじめとした様々な支援団体があることやその活動内容から実態と様々な問題があることも知りました。
刺激的なタイトルの本書ですが、内容は非常に考えさせられるものが多く、障がい者同士の相互理解が乏しいなど今までの自分の認識が大きくズレていると感じるところも多くありました。
バリアフリーやLGBTについての理解は以前に比べると広がってはいますが、まだまだ偏見や無知な部分が多く、障がい者にとって自立することのできる生きやすさが感じられないところはあると思いました。
そして、本書の著者が行うホワイトハンズという障がい者の性的支援を行う団体を通じて障がい者の人間としての尊厳的な部分に触れ、そこから支援される立場ではなく自立するためにどのようにしていくべきかを深く考えさせられました。
障がい者にとって利他的な精神を持つために、ひとりひとりが社会的な問題として捉えていくことが大切であること。そこから自分にできることを行い、結果を積み重ねていくことが健常者との性についてのズレを解消し、自立するための道筋を照らしてくれるのでは無いかと本書を読んで強く感じました。
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これはやはり先生の専門に近いので意欲的でよみごたえがある。なるほどそうなっているのか、いろいろ難しいな、みたいな。
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障害者の性、というのはイメージ出来ない人が多いようだ。「純粋な天使」や「かわいそうな性的弱者」という画一的なイメージがあるが、障害者だって性欲もあれば浮気もする。ただそのチャンスがすくなかったり、自慰が自分で出来なかったりと、いくらかの課題がある。
その課題に手を差し伸べる射精介助サービス等を行う著者の団体の活動などを通じた、障害者の性の話。
結局のところ、障害者であってもなくても、その本質は変わらず、利己的な部分もあれば利他もある。セックスにかぎらず、純粋でかわいそうな、というイメージを脱することが出来なければ、所詮は斥力が働いてしまうのではないだろうか。
愛される障がい者から愛する障がい者へ、という章がある。これも決してセックスの話ばかりではない。ノーマライゼーションのためには、受け身だけでは不十分、ということだ。
ただ、行政のサービスなどをうまく利用すればするほど、かえってそこから遠ざかる可能性もある。このパラダイムを乗り越えてこそ、であるが、社会は意地悪だからなあ〜。LGBTで障害者、という場合はますます大変のようだ。
だが、こういう本を読んでいつも思うのは、では僕はなんの障害もマイナーな性的志向も持っていないのか? その線はどこで引かれるのか、ということだ。どこかでいっぺんに色が変わるわけではないと思う。
こういう風に思い出すと社会が息苦しい。その息苦しさを、常時、そしてずっと深く感じている人がいるということだ。そうしてわかったような気になっても何もしないから、また別の息苦しさを覚える。でも愛されるよりは愛したいね。すごいヒントや発見があるわけではなかったが、いくつかの短いフレーズが心に残った本だった。
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VICEで動画を見て、拝読。
障害者に持っている偏見が少しは解消された。
誰しもが性欲を持っており、それをどうマネッジするのかはよく考えないといけないポイントである。
一人一人違うという前提で一緒にその人の結論を積み重ねていく。正解というゴールはない。
障害者の親と兄弟問題。
結婚を周りが盛大に祝うと長続きする
→障害者から学ぶ健常者のありよう。