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「人間的完成」の物語である
2023/04/26 06:02
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説によれば、『宮本武蔵』は吉川にとってそれまでの大衆小説として面白い筋立ての作品から「文学」へと転回したターニングポイントであり、「人間的完成」の物語であるという。確かに、次々とページをめくりたくなるストーリーの面白さだけでなく、そこに描かれている登場人物たちの人間性の描き込みにも魅力があふれている。己の行為の是非に悩みながら、極める道を歩き続ける武蔵。みなしご故に持ちえた強さと、温もりを手に入れることへの怖れの間で揺れるお通。自らの弱さを認められず、悪運の元凶を他人に求めて身を持ち崩していく又八。
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ささやかな武蔵、お通、そして城太郎の一時は終え、幸せな時は続かないとばかりに再度バラバラになる3人。運命の悪戯か。江戸に向かおうとする各々達。次巻に続く序章にすぎない。
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舞台は江戸へ。
佐々木小次郎がすごい嫌な奴に描かれている。
だけど小次郎本人は嫌がらせとかじゃなくてこうするのが正しい、こうするべきだと思って行動してるわけで。
こういう人って少しかわいそうだと思った。
現実にはこんなに極端な人はそうはいないだろうけど。
20090822
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~内容(「BOOK」データベースより)~
吉岡一門との決闘を切り抜けたことは、武蔵に多大の自信とそれ以上の自省を与えた。そしてまた、大勝負の後に訪れたゆくりなき邂逅。
―それはお通であり、又八であり、お杉婆であった。その人々が、今後の武蔵の運命を微妙に織りなしてゆく。山ならば三合目を過ぎ、いま武蔵の行く木曾路、遥かな剣聖を思い、お通を案じる道中は風を孕み、四合目の急坂にかかる。
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その舞台は、
西の都から、発展途上都市---江戸へ移る。
武蔵、城太郎、お通、お杉ばば、朱美、、
又八、奈良井屋、
そしてその中に、小次郎もいた。
う~ん、この展開、美味だねぇ。
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吉岡一門との死闘の続き
武蔵・お通・城太郎の旅路
江戸での邂逅
が描かれています。
武蔵が出てくるのは前半で、後は朱美・城太郎・お杉婆達の物語です。武蔵とお通の、甘酸っぱい遣り取りはニヤニヤせずにはいられませんでしたw
又八がどうしようもなさすぎて呆れます。何をやっているんだお前は・・・。あと朱美の運命が悲惨すぎて・・・報われて欲しいです。
武蔵、お通、又八達はどうなっているのでしょうか。次巻が楽しみです。
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ここまで読んで、登場人物のキャラ設定が絶妙なんだと思う。その分史実とは異なるとこが多いだろうけど、何しろ面白い。
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『「……自分のしたことを、共々欣んでくれる者があるのは大きな張り合いというものじゃないか。――それのある者には、陳腐な道義の受け売りをしているように聞えるだろうが、こういう漂白の空にある身でも、アアいい景色だなあと感じた時のような場合、側にもどこにもそれを語る者がいないということはその一瞬、実にさびしい心地の身になるものだぞ」』p51
『人中の賑やかな中にいると、彼のたましいはなぜか独り淋しくなる。淋しい暗夜を独り行く時は、その反対に、彼の心は、いつも賑わしい。
なぜならば、そこでは、人中では心の表に現れないさまざまな実相が泛んでくるからであった。世俗のあらゆるものが冷静に考えられると共に、自分の姿までが、自分から離れて、赤の他人を見るように、冷静に観ることができた。』p239
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ストーリーを次の展開に移す為の巻だった。この巻から後編始まり、といった内容、前編までごちゃごちゃしていた登場人物(それがまたおもしろったが)が一気に整理されて、舞台は江戸へ。この巻の後半は武蔵は一切出てこなかったが、前フリはもう十分か、次巻が楽しみ。
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吉岡一門との闘争のはて十代の少年に手をかけたという悪夢を振り払う一方、やっと道連れになったお通女史とまさかの痴話喧嘩の武さん。又八アンドお杉婆や小次郎、朱美に城太に半瓦の親分と、新旧登場人物入り乱れてのチューチュートレイン状態。まだ未開の地という江戸の描写が面白かった第五巻。そして物語は大団円へ。
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又八のための助言や、剣術でなく剣道を志すことを悟る姿を通して、武蔵の人格に益々惚れ込む。自分のためでなく人のために何故剣を使わないのかー石田母記の言葉がすごく心に響いた巻。誰のために頑張るのか。自分のためだけであれば勿体無い。人のために力をつけるのだ。
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相変わらず又八にはイライラするけど、一番人間味があって、気持ちが分かるのも又八なんだよなー。小次郎のキャラクターがあまり掴めない。この巻の最初の方はちょっとホッとするところもあり、良かった。
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「志賀寺の上人でさえ、同じ血をもっていた。法然の弟子親鸞も、同じ煩みを持っていた。古来、事を成す人間ほど、生きる力の強い人間ほど、同時に、この生まれながら負って来る苦しみも強く大きい。」
「『ああ、富士山か』
武蔵は少年のように驚異の声を放った。絵に見ていた富士、胸に描いていた富士を、眼のあたりに見たのは、今が生れて初めてなのだった。
しかも寝起きの唐突に、それを自分と同じ高さに見出して、対い合ったのであるから、彼はしばらくわれを忘れ、ただ、
『――ああ』
というため息を胸の中に曳いて、瞬ぎもせず眺め入っていた。
何を感じたのであろうか、そのうちに武蔵の面には涙の玉が転びはしっている。拭こうともしないで、その顔は朝の陽に灼かれて涙のすじまで紅く光って見えた。
――人間の小ささ!
武蔵は衝たれたのである。。広大な宇宙の下にある小なる自己が悲しくなったのであった。
(中略)
畢竟、人間は人間の限度にしか生きられない。自然の悠久は真似ようとて真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の上にある。それ以下のものが人間なのだ。武蔵は、富士と対等に立っていることが恐くなった。
(中略)
――ばか、なぜ人間が小さい。
と、いう声がした。
――人間の眼に映って初めて自然は偉大なのである。人間の心に通じ得て初めて神の存在はあるのだ。だから、人間こそは、最も巨きな顕現と行動をする。――しかも生きたる霊物ではないか。
――おまえという人間と、神、また宇宙というものとは、決して遠くない。お前のさしている三尺の刀を通してすら届きうるほど近くにあるのだ。いや、そんな差別のあるうちはまだだめで、達人、名人の域にも遠い者といわなければなるまい。」
「――剣術。
それではいけないのだ。
――剣道。
飽くまで剣は、道でなければならない。謙信や政宗が唱えた士道には、多分に、軍律的なものがある。自分は、それを、人間的な内容に、深く、高く、突き極めてゆこう。小なる一個の人間というものがどうすれば、その声明を託す自然と融合調和して、天地の宇宙大と共に呼吸し、安心と立命の境地へ達し得るか、得ないか。行ける所まで行ってみよう。その完成を志して行こう。剣を『道』とよぶところまで、この一身に、徹してみることだ。」
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宮本武蔵第5段。 相変わらず興味深い、人と人の出会いと別れ。それぞれの人生の道が交錯していく様は、現実よりも妙か。 同じ人としての人生を生きながら、前に進む者と落ちる者。前者は自身の人生を生き、後者は他人の人生を生きようとする。人の言葉に感動し、決意をするも、また別の人間の言葉に感化され、すぐに心変わりをする。この浅さも人間らしさか。物語に出る人物に憤り、落胆する。いいように翻弄される読者。これを書けるも筆者の力か。 それにしても合歓、いい言葉だなぁ。 「合い歓ぶと書いて、合歓と訓むんですの」
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長編も半分も過ぎると、登場人物もだんだんと役どころが固まりすぎて、筆者も動かしどころが難しくなってくるのか段々と扱いが雑になってきているような… 又八はただのろくでなしだし、城太郎と伊織がかぶるし、いろいろとツッコミどころがある。ただ武蔵が野武士から農民を率いて村を守る戦闘描写は、7人の侍の殺陣を思い起こして身震いがした。いろいろ物語のなかに緩急をつけてリズムを作っているのはさすが。