紙の本
乳幼児の発達能力の奥深さ
2001/09/05 16:45
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投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょっと前だったら、こんな本を手にとることはなかっただろう。言語学や行動科学に全く関心がなかったわけじゃないけど、金を払ってまで本を買うほどじゃなかった。ところが、二年ほど前に娘が生まれたせいで、事態は一変した。それ以来本屋に行くと、乳幼児とか成長とか発達とか保育とかいったタイトルが付いた本に、無意識に目が行ってしまうのだ。そのおかげで色々な本との出会いがあった。
乳幼児の機嫌を取るとき、僕らは本を読み聞かせたり童謡を歌ったりする。おかげで僕も随分絵本を買ったし、そのうち何冊かは暗記したし、むかし歌った童謡も数十年ぶりに思い出した。娘を肩車しながら童謡を歌って散歩してると、すれ違った人は一瞬ぎょっとして、それから娘を発見してほっとするっていう、面白い体験もできた。でも、どうして僕らは(おそらく無意識に)こんなことをするんだろうか。この本の著者の正高さんはそんな疑問から出発して、乳幼児は身体で言葉を習得し、親の読み聞かせや歌唱はそれを助けてるって結論に達した。つまり、乳幼児はメロディとして言葉を認識し、そこから単語を切り出し、笑ったり手足を動かしたりしながら発声の練習をし、指さしなどの行動をしながら単語と指示対象の関係を定めたり、発話の状況を理解したりする。言葉の習得は身体的な行為なのだ。
この本には二つのメリットがある。第一、僕らにもわかる疑問(読み聞かせや歌唱の意味)から出発して、有効な実験の方法を編み出しながら、これまでの通説を修正したこと。正高さんは〈音と言語は別物〉から、〈喃語と言葉の習得とは無関係〉、〈喃語が発音できるようになってから音を認識する〉、そして何よりも〈言葉の習得は理性的で主知的なもので、身体的なものじゃない〉まで、次々と通説を打破する。こうして、乳幼児が言葉を習得するプロセスは、僕らが想像してるものとはかなり違うってことが、説得的に説明される。
第二、童謡を歌ったり本を読み聞かせたりすることには賛否両論があるけど、それには一定の意義があるって科学的に説明したこと。一時流行った「科学的教育法」では、「伝統的な子どもにうたい、話して聞かせる育児法は、思いのほか評価が低い」(はじめに)。その一方で、伝統的な育児法を周囲から強制されて参ってしまう若い親のケースとか、胎教と称して胎児に親の声を聞かせる装置や胎児に好ましいらしい音楽のCDを販売するのが一大ビジネスになってるとか、何となく奇妙な現象もみられる。でも、この本を読むと、どちらも極端だってことがわかる。伝統的な育児法は、大きな意味はあるけど、絶対的なものじゃない。乳幼児にはあらかじめ言葉を習得する能力がプログラミングされてるんだから。
僕らが無意識に従ってる育児のルールには、乳幼児にとって合理性がある。乳幼児と親の間には、言葉の習得をめぐる正のフィードバックがある。こういった点をはっきり説明するこの本は、僕にはとても面白かった。もちろん不満がないわけじゃない。たとえば、第二章の終りには、日本人が乳幼児に対して赤ちゃん言葉(助詞の省略、擬音語や擬態語の利用)を多用するのは、日本語には助詞があって、乳幼児が単語を切り出しにくいからじゃないかって仮説がある。僕も娘に対して(まさに無意識に)赤ちゃん言葉を多用してるので、この仮説はとても面白かった。でも、その証明はされてないし、擬音語や擬態語の多用って現象には当てはまりにくい。こういった点も、これから研究が進展してくんだろう。もっとも研究が進展した頃には娘も大きくなって、僕もこのテーマに無関心かもしれないけど。[小田中直樹]
紙の本
子どもが言葉をどのように習得するのかを解説した画期的な書!
2016/07/02 09:19
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、子どもがどのように言葉を習得していくのかを、私たちの経験から解き明かそうとする画期的な書です。赤ちゃんは、歌を聞かせたりするととても喜びます。これは歌によって、またメロディーによって言葉を習得しているのです。このように、歌やメロディーは言葉の習得に大きな影響を与えるものなのです。では、「行く」と「来る」の違いはどうやって習得するのでしょうか。これについては、ぜひ、本書をお読みください。
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忘れられた大事業
2002/04/03 23:17
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「少し長いあとがき」に出てくる音楽の起源をめぐる仮説が面白い。子どもにとって言語の習得とは、身体全体を巻き込んでなされる営みなのだが、いったん自由にあやつれるようになると、ことばを用いることは理性的かつ主知的な営みであるとみなされてしまう。ヒトはロゴスを所有する動物である、というわけだ。
《だが、「ことばを持った動物」たるヒトは、「テキストとしての言語を所有する動物」にはとうていなりきれないのだと私は思う。ゆえに、身体性を表面的には消し去ることに成功したとしても、決して抑圧することはできないのだろう。ただ、形を変えて、姿を現すだけなのではないか。そして、それこそ音楽というものの本質ではないかと、私には思えるのだ。それゆえ、およそ音楽は、歩行のリズム・和声・韻律・手の動き(舞踊)といった、ことばの習得に重要な役割を果たすにもかかわらず、言語がテキスト化するなかで排除された要素によって構成されているのではないだろうか?》(176-177頁)
《古典としてのテキストこそが、「正しい」言語とみなされていた時代を例にとると、当時は「語り」としてのことばが音楽の主たる要素であった。韻律や声調を、メロディーとして効果的にデフォルメするなかで、演じ手が他者にいかに感銘深く話して聞かせることができるかによって、音楽の良し悪しは評価された。(略)アーノンクール風に表現すれば、ここ一五○?二○○年あまり、先進国地域での音楽は、「語り」中心の姿勢から離脱し、「響き」の注目へと一貫して傾斜を強めてきたのだが、それは言語のとらえ方が変わってきたこと[philologyからlinguisticsへ:引用者註]と表裏一体をなしているのだ。》(179-181頁)
このあたりの面白さを堪能するためには、本書を最初から丁寧に読むことが必要だ。言語の習得が子どもにとってどれほどの大事業である(あった)ことか、そして大人はいかに「常識」にとらわれてそれを見てきた(忘却していた)ことか、目から鱗の鮮烈な読書体験を味わうことができるだろう(それから、実験科学のすごさも)。
本書を読んで、思ったこと。一つは、ここに叙述されているプロセスを、脳科学の最近の知見(たとえばミラー・ニューロンの発見など)でもって理論的かつシステマティックに叙述した書物をぜひ読みたいと思ったこと。いま一つは、最近感銘を受けた二冊の本、清水哲郎著『パウロの言語哲学』と山内志朗著『天使の記号学』と響き会うところが多々あるのではないか、子どもの言語習得のプロセスが西欧のロゴスやキリスト教神学の歴史とかなり重なり合うのではないかということ。
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実証的な姿勢に貫かれた本
2001/09/11 15:18
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投稿者:斎藤環 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひとはことばをどのようにして学びとるのか。これは精神医学、とりわけ精神分析にとっても重大な関心事だ。これまでフロイトやラカンらによって、エディプス期とか去勢とかといった、抽象的な議論がかわされてきた。しかし正高さんは、それらとはおよそかけ離れた方向から、恐ろしく説得力のある言語獲得の過程を描き出してみせる。それは単なる概念の操作などではなく、リズムや動作、身振りといった身体感覚に深く根ざした過程にほかならないというのだ。
たとえば赤ちゃんに歌を歌ってきかせることが、いかにことばの学習に役立っているか。「指さし」というシンプルな行為が成立するには、どれほど複雑な概念操作が必要になるか。無限にあるはずの対象の属性から、ひとつだけを抽出することがなぜ可能になるのか。とりわけ「行く」と「来る」の正確な表現が、身体運動という「からだ的思考」の獲得を前提としており、相手の身になって考える能力にも関連づけられるということが実験を通じて明らかにされる過程は、実に刺激的だ。音楽とはテキストとしての言語から排除された身体性によって構成されている、という詩的な仮説も、これほど実証的な姿勢に貫かれた本文の末尾に添えられると、なにかリアルな発見のように思われてくる。(斎藤環/精神科医 2001.5.22)
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このほんのすごいところはこどものげんごがくとくをりずむというしんたいせいからとらえているてんです。
……と書くと、非常に読むのが難しくなります。
言語表現がそれは音声であれ文字であれ、基本的にはリズムに基づいたものであることを明らかにしていきます。
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やっと読み終えました・・・。最初の頃は、なかなか良いペースで進んでいたんだけれど、途中でかなりペースダウン。だって難しいんだもん・・・。やっぱりことばの獲得についてって難しい、、、色んなところに話しが派生していくから、もちろん、ことばに限ったことではないけれど。。。今更ながらにこんなにワーキングメモリについてよく分かったものはなかった・・・。あぁ、私は○年間何していたのやら・・・。
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[ 内容 ]
人は幼い子どもを育てるとき、うたを口ずさんであやしたり、大げさな赤ちゃん言葉で話しかけたりする。
その無意識の行動こそ、実は子どもがことばを覚えるおおきな助けとなっているのだ。
赤ちゃんはなぜモーツァルトが好きか?
手足をばたつかせることと喋れるようになることの関係は?
「行く」と「来る」の使い分けはどうやって身につく?
など身近な話から、子どもが何を手がかりにことばを身につけるかを解き明かす。
[ 目次 ]
第1章 赤ちゃんはなぜ歌が好きか
第2章 記憶することのはじまり
第3章 発声はリズムにのって
第4章 「指さし」ができるようになる理由
第5章 ことばの意味はどのように把握されるのか
第6章 子どもはことばをからだで覚える
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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外国語を習得するとき、テキストを見ているだけでは、決して話せるようにならない理由がわかる本。英語のリスニングが身につかない人は、読んでみるといい。
音の協和音・不協和音の認識など、感覚をフルに使ってことばを習得していく仕組みを、人は遺伝的に備えている。完全な人工知能の実現という視点に立つと、人間の感覚器官をも模倣しなければ、人間の思考と同じような仕組みを持つ思考には至らないと思った。
どちらかと言うと、むしろ人間の思考を目指す必要はなく、コンピュータサイエンスは、コンピュータオリジナルの思考様式をプログラムしていけばいいのではないかと思った。
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幼児期に人間はいったいどのようなプロセスで言語を習得していくのか知りたくて積読してみました。内容はズバリ僕が知りたかったことについて書かれていることがわかりました。とても参考になることが書かれているようなので、通しで読んでみることにしました。
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(2013.11.15読了)(2004.11.23購入)
テーマは興味深いのですが、文字で読んで理解するのはしんどい。きっと実験で使用した歌を聞いたり、実験風景を撮影したものを見せてもらいながら説明を聞くならかなりわかりやすいものになるように思います。
自分の子どもたちが生まれ育ったのが、30年ぐらい前で、その子どもたちが現在育児中です。孫たちをそばで観察する機会はなかなかないのですが、本を読みながら時々聞こえてくる成長状態を本と比較してみたいと思います。
自分の子どもたちが言葉をしゃべり始める前段階では、言葉の抑揚をまねたような音を発していた記憶があります。この本でも同様の指摘があるように思います。
また、言葉を発したときは、よく呼ばれた自分の名前の頭の部分に使われていた音だった気がします。
【目次】
はじめに
第一章 赤ちゃんはなぜ歌が好きか
第二章 記憶することのはじまり
第三章 発声はリズムにのって
第四章 「指さし」ができるようになる理由
第五章 ことばの意味はどのように把握されるのか
第六章 子どもはことばをからだで覚える
少し長いあとがき
参考文献
●胎児の聴力(2頁)
受精後四カ月を過ぎると、母体のなかの胎児に聴力が発達することが、今日では明らかとなっている。超音波診断装置で彼らの心臓の動きをモニターしつつ、一定以上の強さの音を聞かせてみる。すると、心拍が一時的に増加することがわかる。
●語彙を切り出す(34頁)
欧米の言語のように、ひとつひとつ語を分けて書く習慣を持たない分、日本語のほうが語彙を切り出すむずかしさ(中略)。日本へ来た留学生は、このような困難に直面することとなる。
●メロディー(57頁)
赤ちゃんはまず最初に、言葉を一種の音楽として知覚する(中略)。発話のメロディー的側面に注目し、その特徴を手がかりに記憶し、ついで音素の組み合わせとしての語彙の記憶へと移行していくらしいのだ。
●分節化(60頁)
子どもは言語を覚えるためには、耳にした情報をみずからの力で分節化しなくてはならない。
●クーイング(64頁)
生後六週間から八週間たって、泣き声以外の音声を発しはじめるようになる。おっぱいもたっぷりもらった、おむつもぬれていない、非常に気分のくつろいだときに、「アー」とか「クー」とか響く、リラックスした声が出はじめる。
このクーイングが、赤ちゃんの出すもっとも最初の前言語的音声なのだ
●声をたてて笑う(70頁)
声をたてて笑うという行動が出現するには、およそ四カ月の間待つ必要がある
☆関連図書(既読)
「子育て 小児科医の助言」山内逸郎著、岩波新書、1989.03.20
「0歳児がことばを獲得するとき」正高信男著、中公新書、1993.06.25
「ベビーサイン」リンダ・アクレドロ・スーザン・グッドウィン著・たきざわあき編訳、径書房、2001.03.03
(2013年11月21日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
人は幼い子どもを育てるとき、うたを口ずさんであやしたり、大げさな赤ちゃん言葉で話しかけたりする。その無意識の行��こそ、実は子どもがことばを覚えるおおきな助けとなっているのだ。赤ちゃんはなぜモーツァルトが好きか?手足をばたつかせることと喋れるようになることの関係は?「行く」と「来る」の使い分けはどうやって身につく?など身近な話から、子どもが何を手がかりにことばを身につけるかを解き明かす。
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前著『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書)と同じく、動物行動学の観点から、子どもの言語習得の実態に迫る試みです。
乳児のリズムに対する選好や、発話にともなう身体の動きに注目することで、言語を習得する前の子どもがどのようにして、彼らに話しかける大人とのコミュニケーションをおこない、言語を習得していくのかを明らかにしています。
また、子どもに生得的にそなわっている指差しの行動が、周囲の大人たちに指示行為として受け取られることで、指示という社会的行動が習得されていくという説が提出されており、たいへん興味深く読みました。著者はここで、「指さしを社会的にあえて誤解することで、行動の文化的借用が起こったのではないだろうか」と述べており、また「ありあわせの形式」の機能を転化する「やっつけ仕事」とも言われています。ここには文化的・社会的な行為と行動学的な自然的基礎との関係について、多くのことを考えさせる内容が含まれているように思います。
もう一つ興味深いのは、日本語の「行く」と「来る」という言葉の使い分けを学習する過程の研究を通じて、「心の理論」の習得と身体の動きとの間に密接な関係があることを明らかにしている箇所です。このことも、身体を動かすことによる視点の移動と、他者の視点の取得との関係について、多くのことを示唆しているような気がします。
著者の一般向けに書かれた本には、疑似科学と批判されるものもありますが、少なくとも本書に関しては、動物行動学から人間の文化的・社会的な振舞いへの不用意な侵犯は見られず、それどころか自然的な制約と文化的・社会的な制度との関係について考えさせる実験結果が多く示されており、有益な本ではないかと思います。
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『0歳児がことばを獲得するとき』は読んでいて、その続編のような書。
ことばが、ことばのみで発達するのではなく、からだのありようとともに変化している様子が様々な研究の紹介とともに説明されている。また、他の動物との比較による探求も面白かった。
ややわかりにくい箇所もあったけども、やはり「ことば」や「発達」って神秘に満ちている。
身体性とことばのリンク
そして
生得的なものと、生後の他者との関わりで獲得するもの
子供が世界をどう認識するのか?
様々なことを学べた。
また『0歳児がことばを獲得するとき』と通しで読み直してみたい。
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【内容(「BOOK」データベースより)
人は幼い子どもを育てるとき、うたを口ずさんであやしたり、大げさな赤ちゃん言葉で話しかけたりする。その無意識の行動こそ、実は子どもがことばを覚えるおおきな助けとなっているのだ。赤ちゃんはなぜモーツァルトが好きか?手足をばたつかせることと喋れるようになることの関係は?「行く」と「来る」の使い分けはどうやって身につく?など身近な話から、子どもが何を手がかりにことばを身につけるかを解き明かす。
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【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
正高/信男
1954年(昭和29年)、大阪に生まれる。1978年、大阪大学人間科学部卒業。83年、同大学院人間科学研究科博士課程修了、学術博士。アメリカ国立衛生研究所(NIH)客員研究員、ドイツ・マックスプランク精神医学研究所研究員、京都大学霊長類研究所助手、東京大学理学部人類学教室助手を経て、現在、京都大学霊長類研究所助教授。専攻、比較行動学。著書『ことばの誕生―行動学からみた言語起源論』(紀伊国屋書店、1991年)。『ニホンザルの心を探る』(朝日選書、1992年)。『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書、1993年)。『なぜ、人間は蛇が嫌いか』(光文社、1994年)。『ヒトはなぜ子育てに悩むのか』(講談社現代新書、1995年)。『赤ちゃん誕生の科学』(PHP新書、1997年)。『いじめを許す心理』(岩波書店、1998年)。『育児と日本人』(岩波書店、1999年)。『老いはこうしてつくられる』(中公新書、2000年)ほか
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【目次】
第1章 赤ちゃんはなぜ歌が好きか
第2章 記憶することのはじまり
第3章 発声はリズムにのって
第4章 「指さし」ができるようになる理由
第5章 ことばの意味はどのように把握されるのか
第6章 子どもはことばをからだで覚える
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我が家の3歳児。次から次からいろんな言葉を覚える。どんどん文章で話すのがうまくなる。小泉さんも田中真紀子さん(タナマキコサンと言うが)も名前と顔が一致する。似顔絵で少々ゆがんだ顔でも分かってしまう。何をもってそう認識するのだろう。広告を見て、字が読めるわけでもないのに、ただの箱をティッシュペーパーと言う。家にあるものと形が違っても、コップはコップと分かる。リンゴとナシは皮をむいてしまうと区別がつかない。畑にできているなすびやトマトと、食卓にあるなすび、トマトが同じということは分かっているようす。テーブルに出てくるお椀に入った液体はすべてみそ汁と言ってしまう。明日とあさってと金曜日はなぜか知っている。でも日時の感覚はまだない。昨日のこともずっと前のことも同じような話し方をする。近所の女の子はみんなお姉ちゃんになってしまう。年下であろうとも。(そう言えば、名前を知らない年下の子を呼ぶ呼び名が見あたらない。)1字の言葉には苦戦している。「日があたって暑いね」→「ヒガがあたると暑いね」。「血が流れてる」→「チガが流れてる」。「毛がついてるよ」→「ケガがついてるよ」。なかなか着替えようとしない子どもに、しかり調子で「早く着替えなさい。お父さんは気が短いんだからね!」「お父さん、毛が短いの?」これにはまいった。しかる気が失せた。分かってて、はぐらかすために言ったのなら天才だけど。子どもたちはどうやって言葉を身につけていくんだろう。だらだら流れる文章の中からどうやって1つ1つの単語を認識するのか。特に日本語には助詞や助動詞があって難しいのだろう。「毛が」を「ケガ」と間違えるように。「~してあげる」「~してくれる」の区別は難しいようだ。「行く」と「来る」なども。もっともこのあたりは小学校に入ってからもあやしい子どもはいるようだ。相手の立場に立って考えないといけない言葉の習得には時間がかかるそうだ。本書では、数多くの実験例を題材に、子どもたちがいかに言葉を身につけていくかが語られている。何しろ調べられていないことがまだまだあって、これからのさらなる研究が期待される。同じ著者の本はこれで5冊目だけど、いつものことながら実験内容が難しい。でも、テーマは本当に興味深い。やっと歩き始めた我が家の1歳児はこれから言葉を覚えていく。まだ、バーとかブーとか言うだけ。でも、ケケケと笑うようにはなった。本書の内容を参考にしながら、どんなふうに成長していくかを見つめていきたい。
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2001年刊行。子供の言語習得と身体行動との関連性や身体行動の重要性、言語習得過程における記憶(特に短期記憶やワーキングメモリー)の意義、言語習得過程にまつわる背景情報との切り分けの重要性、言語の習得、さらには「心の理論」の習得過程における身体行動の意義等、言葉を獲得するのが極めて微妙なバランスの上に成立していることを丁寧に叙述。健常児のみならず、音声言語習得に困難を来たしている発達障害児等においても、有益な視座が得られ、障害特性の理解の助けになると思われる。もっと早い時期に読んでおくべきであった。
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修論の引用文献?参考文献に入れときましたよ!
注釈)平成30年12月11日産経新聞掲載です
新試験の国語問題で出されたそうです。
よくあることですが、筆者の正高氏は読んで回答に達し
なかったそうです。一箇所だけ切り取るとおかしな解釈が
まかり通るんでしょうね。怖いものです。