紙の本
ゲンロン戦記
2021/04/09 22:46
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者・思想家の東浩紀が代表を務める株式会社ゲンロンについて、設立の経緯から2020年までの10年間を振り返って書かれている。インタビューをもとに構成されているので、とても読みやすい。
ホモソーシャル的な「仲間」から始まったゲンロンが「仲間」であるが故にトラブルに見舞われてゆく様子は、日ごろ自分が考えている事が悉く覆されているようで、読んでいてとても怖かった。これは人間(特に男性)の生き方の本であり、哲学の実践の本であり、中小企業の経営の本であり、出版社の本でもあると思う。
紙の本
ネット社会の未来を夢見た時代の寵児によるゲンロン10年の軌跡を綴った物語です。
2021/03/02 10:11
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『存在論的、郵便的』、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』、『一般意志 2.0』、『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』などの話題作で知られる東浩紀氏の作品です。同書では、「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で人間が自由であることは可能なのかという問題意識をもとに書かれた一冊です。「観光」、「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵・味方の分断にあらがう筆者の渾身の思想の結晶でもあります。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見ながら、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開いていきます。ゲンロン10年の軌跡を綴ったスリル満点の物語です。
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タイトルからしたら言論する場をどう作るのか
と受け取れるけどゲンロンで失敗したことのクロニクル
失敗をあけすけに晒すのは素晴らしいけど題名に偽りありだと思う
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著者の等身大の苦悩が共有できる良書。30~40台をどう生きるか?についても様々な警句に満ちている。
人はいくつになっても学ぶことはあるし、いくつになっても学ばないといけない。
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身も蓋もない創業社長会社経営あるある騒動記であると同時に、哲学の実践とは何でありうるかを問う哲学書でもある。
啓蒙のために、知の観客を作る。
その姿勢には深く共感する。
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泣けた。自分と重なる。メモ→ https://twitter.com/lumciningnbdurw/status/1343422295327473665?s=21
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最近「心理的安全性」という言葉を覚えた。
「心理的安全性(psychological safety)」は1999年にエイミー・エドモンソン氏が提唱したもので、近年になってGoogleが行った調査で「心理的安全性は成功するチームの構築に最も重要なものである」と発表したことで再発見され注目を浴びている言葉だ。
著者が言うように2010年代はsnsの時代だったかもしれない。しかし徐々にわかってきたことは、snsにはまさにこの「心理的安全性」が保証できないということだ。
「心理的安全性」が保証されない環境では、人は積極的に議論を行わなくなってしまう。堅実な人物であれば、snsのような劣悪極まりない環境では発言を控えることになるだろう。
そのような環境下で生存できるのは、対話を諦めた人たちだけだ。悪い環境が悪い人を寄せ集め、心理的安全性を確保するのはより不可能に近づいていく。
政治家やその支持者たちが愚鈍のように思えるのは、愚鈍であることがその環境では最適だからだ。
東浩紀氏の「ゲンロン」そして「シラス」はそうした悪循環からの正しい逃避なのかもしれない。
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ゲンロンが、こんなにも経営危機を向かえ、そして乗り越えてきたとは知らなかった。東さんの様な優秀な人でもこんなに失敗するのなら、私も頑張ろうと純粋に読んでいて励まされました。これからも東さん、そしてゲンロンを応援していきたい。
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「訂正する力」を読んだ上での「ゲンロン戦記」。この二冊が思索編と行動編のニコイチのセットであることがあまりに感動的でした。「観光客」とか「誤配」とか著者ならではのキーワードも決して理論の意味深なメタファーなのではなくゲンロンというリアルな模索から生まれたド直球の意味であることを知りました。なので「修正」ではなく「訂正」という最近の言葉の提案も非常に実感を伴ったものであるものとして受け取れました。学生の時からスポットライトを浴びてマスコミにも良く登場し大学でのポジションも確保できそうだった論客が、それを捨ててのビジネスでの七転八倒ヒストリー。考え違い、思惑の違いに翻弄され、自分の弱さから逃げ、やがて向き合う10年間の歴史の痛々しさは、まさに戦記です。その血が流れている感じがSNS論壇とか研究室論考とかと違う、強さを持っていることに繋がっているのでしょう。この「ゲンロン戦記」の結果生まれた「訂正する力」が先日発表された新書大賞2024で第二位になったのは大納得です。こんどこそ「訂正可能性の哲学」読まなきゃ!
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いかに理想を実現することが難しいか、そして崇高な理想の実現があまりにどうしようもない人間の弱さや愚かさによって挫折する現実を、ゲンロンという具体例によってまざまざと知らしめる本です。
そして、日本の大半の知識人に足りていないのは、まさにこういった人間の弱さを直視することではないかと思います。
本書で東浩紀は、ゲンロンの10年を振り返り《同じ 10 年間、とりわけこの5年間ほど、日本のリベラル知識人が活動を大きくする=スケールすることばかり考え、足下の観客=支持者を失っていったことに対する、ぼくなりの返答でもありました》と記しています。
リツイート数やPV数で手軽に"成果"が出る時代だからこそ、本質的に現実を変革していくために何が必要なのか――。この10年間、東浩紀が身を削って手にした教訓を無駄にしてはいけないと思います。
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p21 とりわけ問題なのは、SNSが普及するとともに、言論においても文化においても、しっかりとした主張の上で地道に読者や支持者を増やしていくよりも、いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って炎上させるほうが賢く有効だという風潮になっていったことです
p32 会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません
もっとも重要なのは、「なにか新しいことを表現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかり追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかも知れません
p54 原子力災害の本質はそもそも物理的=身体的(フィジカルな被害と心理的な問題の区別がつきにくいことにあるからです
ぼくは、この区別がつかないということを扱うためには、物理的な除染が必要であると同時に、心理的な除染も必要ではないかと考えました
p62 「やっていけそうだ」と思うことと、現実に実現することは全く違う。やるべきことを発見するというのは、ほかの選択肢を積極的に切り捨てることである。30代のぼくは、たんにそれが怖くてできなかった、臆病だったんです。だから、「望めばなんにでもなれる自分」を守るため、なにもかもできるふりをして選択肢を捨てずにいた、とても幼稚な話です
p73 炎上なんてどうでもいい 問題は資金繰りであって、そっちのほうがよほどリアル
p79 ファイルはたしかにデジタルでクラウドにおいてもいい。けれども、それだけでは社員は仕事の存在をわすれてしまうのです。契約書や経理書類を紙に印刷し、目に見えるものとして棚に並べるのは、仕事があることを思い出させ続けるためだと思います。
p82 僕が仕事を任せるということの意味をわかっていなかったことにある。仕事を任せるためには、現場でいちどそれを経験しておかないといけない。そうでないと、なにを任せているのかもよくわからないまま、ただ任せるだけになってしまうからです。それはほんとうに任せているのではない。単純に見たくないものを見ないようにしているだけであり、面倒なことから目を逸らしているだけなんです。
任せることと目をそらすことは根本的にちがう
p91 コミュニケーションでは誤配が大事
p103 HDMIケーブルには泣かされた 規格が繊細
p164 ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実は常にズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地にいったり被害者に会ったりしたら、ぜんぜん違う印象をうけた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感でありつづけることです
言葉から想像したものは経験で裏切られる けれど経験したあとだとたしかに事前に言われて��たとおりだったとわかる
p164 ばくたちは言葉でコミュニケーションするしかない。言葉で説得し、後世に伝えるほかはなんだけれど、同時にそれでは大切なことは伝わらない。その限界をわかっていないと、無駄な「論争」ばかりすることになる。これは現代的な問題であるとともに、哲学の起源にもあった問題で、ソクラテスは、言葉を記録すると真理はかえって伝わらないと考えたので、本を書かなかった。にもかかわらず、そんな彼も、結局は反対派の言いがかりのような告発を受け、死刑を宣告されました
p259 いまの日本人に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととは全く異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提の上で、彼らのみたいものをどう変えるか、それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。
啓蒙というのは、ほんとうは観客を作る作業です。それはおれの趣味じゃないから、と第一印象で弾いていたひとを、こっちの見方や考え方に搦手で粘り強く引きずり込んでいくような作業です。それは人々を信者とアンチには分けていてはけっしてできません。
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言葉は現実の一部しか切り取れない。残りの空間は想像で埋められていてそこに先入観が宿り、常に現実とずれる。言葉の限界を認識しないと無駄な論争に終止する。
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哲学者・東浩紀の経営者としての苦悩を描きながら人と関わる事の楽しさや発見、辛さが描かれたこれはある意味東浩紀のゲンロンとは別ラインの哲学書だと思った。
頭のいい人は何をやっても上手く運べると思っていた自分には、東浩紀の弱さも垣間みる事が出来、益々東ファンになった。
年齢は約一回り違うが、東が40の時にゲンロンを立ち上げ新しい道を歩み始め、様々なトラブルに巻き込まれ、何度も諦めかけながらも、再び立ち上がる姿に、今40になって新しい部署で働き始め挫けそうになる自分に勇気を貰った。
これはタイトルの通り、戦記モノであり、ビジネス書籍でもあり、生きる知恵を与えてくれる哲学書でもある。
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知のプラットフォーム構築を目指し2010 年に創業された株式会社ゲンロンでの 10 年間に及ぶ創業者・東の失敗、反省、成長の記録。以下メモ。
・会社の本体は事務
・新しいことを実現するためには本質的でないことが本質であり、本質ばかり追求すると新しいことは実現できない。
・ファイルをクラウドに置くと仕事の存在を忘れる。印刷・ファイルングして棚に並べるのは仕事があることを思い出させ続けるため。
・経営するためには金の流れを身体的に把握する必要がある。
・仕事をひとに任せるためには完全に理解しているものを任せる。やりたくないことを押し付けると手痛いしっぺ返しを食らう。
・誤配はイノベーション、クリエーションの源。思いもかけぬ人や物にであう偶然こそが誤配であり、オンラインで削ぎ落とされてしまう無駄。オフラインの重要性。
・ひとが「見たいもの」を変える、欲望の変形が啓蒙であり、誤配。
・言葉は現実の一部しか切り取れない。残りの空間は想像で埋められていてそこに先入観が宿り、常に現実とずれる。言葉の限界を認識しないと無駄な論争に終止する。
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経営のありのままの経験を書いてくれてみにしみて理解できた。経営に関する教訓として素直に受け止めたい。
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ゲンロン創業から十年たった今までの苦悩と苦闘の経営体験を「戦記」という形で語り下ろした本。
すべての経験を語りつくしたというわけではないだろうと思うので(そんなことをしようとしたら新書本には収まらないだろう)、読む人によっては物足りなさを感じるかもしれないだろうが、起業10年たった東氏の率直な失敗の告白と、それでも続けて来たゲンロンこれからの展望に対する思いは余すことなく書かれているのではなかろうかと思いつつ読了しました。
僕はもともと東氏がオタク評論をしていた過去も知らなかったし、東氏の現在の活動を知ったのは4年前にTwitterを始めてからなので、信者ではないし、友の会には入ったけど観客としても今は割と距離をとっています。でも東氏の活動は意味があると思うし、本書の終わりの方に書かれていた「右派でも左派でもない中途半端性」「だからこそできる啓蒙」「失敗ぐらいしか後世に伝えられるものはない」という言葉はその通りだと思います。
これからも僕はゆるく東浩紀の読者であり続けると思うし、ゲンロン・シラスには東氏と関係なく面白いコンテンツがあることは知っているので、ここに関してもゆるく観客していこうと思います。(2021/01/17記)