紙の本
日本中どこでも起こりうる話
2020/03/22 13:22
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投稿者:タラ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
芝園団地の8割近くは中国人住民であり、古くから住む住民と中国人の間には見えない溝があり、地域の祭りなど様々なイベントを開催するなかでもなかなかその溝は埋まらない。それはなぜか。著者が実際に住んでみた中で感じた様々なモヤモヤ感を通してこれからの日本の未来が見えてくる気がした。
自分が日頃からいかに中国人、韓国人などをひとくくりにして見ているのかにも気付かされた。中国人にも様々な人がいて、ゴミを散らかしたり、マナーを守らない人をひとくくりに中国人としてしまうのは、自分と置き換えてみてもおかしいと思うが、相手のことをよく知らないということがそういう意識を生み出しているのだと思った。
彼らをもともと自分が住んでいた所に入ってきた余所者として見るのではなく、相手を知ろうとすることが大切であり、また一方で海外から新たに日本にきた人たちももとからそこにいた人を敬い、知ろうとする努力をするなど、互いの歩み寄りが不可欠だと感じた。
紙の本
これから移民社会に移り行く日本人必読の本
2019/11/27 08:04
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投稿者:チップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネットで面白おかしく書かれる「芝園団地」に実際に住んだジャーナリストの住民の視点とジャーナリストとの視点で描かれた良書。
芝園団地は家賃が特別安いわけでない。
都心よりは安いけど周辺に比べてそんなに安いわけでない。
IT系の外国人が多いという事だが、多分中国人の中でも生活レベルが比較的高い人が住んでいるのだと思う。
最初の頃はゴミ出しなどでトラブルが多かったのは事実だがゴミ出しルールを多国語で周知するなどを徹底したおかげで今はそれほどのトラブルはないそうだ。
それなのになぜ旧来から住んでいる日本人と最近住み始めた中国人との間に溝があるのか
「もやもや感」と著者が表現する感情は非常によくわかる。
これから外国人が増え、日本人は否応なく違う文化を持つ人との付き合いを考えなくてはいけなくなる。
これかの日本を生きていくために大変参考になる本だった。
中国都市部の賃金が日本とあまり変わらなくなった影響か、芝園団地にも中国人はあまり増えず他の国の外国人が増えてきているという。
「漢字」という共通文化があった中国人とはまた違った文化を持った人との付き合いを考えなくてはいかなくなった芝園団地の人々
著者には続けて住んでまた続編のリポートを期待したいと思う。
紙の本
あらゆる人々のための、われわれのための一冊です
2019/10/13 23:09
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投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
地方出身者が東京に住むようになったとき、あるいは日本人が海外で暮らす時でも、ここに書かれていることと似たようなことが起こっているのではないかと思う。すなわち、既成の集団によそ者が加わるときに起きることの諸々。そういう意味では、この本はあらゆる人々のための本である。つまり、受け入れ側、よそ者側双方の。
この本で特徴的なもう一つの点は、受け入れ側の方が、よそ者側より高齢であるということ。これは、日本各地の過疎化が進む町や村の姿とも重なるかもしれない。
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埼玉県川口市の、外国人居住者が多い「芝園団地」に住む新聞記者、大島隆氏の著書。日々団地で起こる、面白エピソードを紹介するような軽い内容…、を想像していたが中身は全然違っていた。
芝園団地には90年代頃から、中国人を中心に多くの外国人が住み始め、現在は住民の半数以上が外国人となっている。芝園団地が特に積極的に、外国人の受け入れを推進していたわけではないのだが、他地域に比べ入居の条件が比較的緩かったため、結果として大勢の中国人が集まってしまったようだ。
当初はゴミ出しのルールをめぐりトラブルもあったそうだが、中国語の注意書きを張るなどして、現在はトラブルも無いらしい。しかし団地に住む古参住人の中には、中国人が住む事に対し否定的な意見を持つ人も多く、大島氏はこの状況を、トランプ政権が助長する移民排斥や人種差別問題と重ね合わせている。自治会が中心となり、イベントなどで住民同士の交流を図っているのだが、なかなか難しい問題のようだ。
いま日本では高齢化や人工減少が急速に進んでおり、減少する労働力を補う手段の一つとして、外国人の受け入れは増やさざるを得ない。最近は自分の住む田舎町にも外国人を見かける事が多く、芝園団地が現在直面している問題というのは、これから近い将来に日本全体が経験する問題なのだと思う。
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「もやもや感」
・「自分たちの提供物(税金や労働)によって成り立っているサービスに、外部の人間が『ただ乗り』をしている」という意識(p.62)
・外国人住民が過半数となり、自分たちが少数派になったことに対する、日本人住民の思い(p.63)
・「自分たちの場所だったのに脇に追いやられる」という反発と、不安(p.70)
・「本来私たちのためのものなのに、『彼ら』がただ乗りしている」という不満
◆訪日ラボ(2020.4.3):増える中国人、日本が直面「多文化共生」は可能なのか?「儀礼的無関心」とは:芝園団地のケースから考える https://honichi.com/news/2020/04/03/chinseatshibazono/
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日本の行く末の縮図な様相の、シェアが中国人優位となった団地内の人間関係と、住む人たちの想いと。
芝園団地の現状と課題は、世界がまさに直面し、日本がこれから本格的に直面しようとする課題であり、どう向き合えばよいのか、その答えと試みが参考となりました。
P165 中国人の思い
・日本人と比べれば、中国人住民の方が
「もっと交流を深めたい」と思っている人は多い。
・日本人ともっと話したいと、日本語教室にやってくる
中国人住民もいる。
一方で、多くの中国人にとって芝園団地を選んだ理由は
・中国人コミュニティがあるから。
共生→日本人住民と外国人住民が交流する団地にしたい人達
共存→お互いが静かにトラブルなく暮らせれば
特に交流が無くてもかまわないと思う人達
共存と、共生と、どちらを目指すのか?
お互いうまく住み分けをしていく共存、
共存と比べると相互の関係や協力というニュアンスのある共生。
P186 芝園団地の現状と課題
・トランプ大統領の誕生
・欧州における反移民政党の伸長
は、ポピュリストたちは、
彼らの都合の良いように不安感を掻き立て、
その感情をフラストレーションに変化させ、
移民の人々をスケープゴートにして
利用した結果であった。
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著者の体験から掘り起こした埼玉の村社会の様子がとてもわかりやすく読みやすかった。何より◯◯人という括りが相手を知ることでしか、その垣根を払えない。聞いた気になったり、知った気になる、違うコミニティーを理解しようとする気持ちが大切なんだよね。
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自分の考えや仮説に沿った情報だけを集めてしまうことを、心理学で「確証バイアス」と言う。「見たい現実」だけを見てしまうことだ。外国人住民が増えたことによる摩擦も、交流に取り組む住民の姿も、どちらも芝園団地の一つの現実ではある。だが、一つの現実だけで描き出す姿が、真実とは限らない。(p.47)
学生を除けば、多くの日本人住民は特に声をかけるわけでもない。日本人住民からすれば、顔見知りではないからということかもしれないが、初めて顔を出した中国人住民が「歓迎されていない」と居心地の悪さを感じたとしても不思議ではない。結局、顔を出すのは一度きりになってしまう。私には、日本人の側が、「見えない壁」をつくっているように感じた。(p.100)
池谷さんがなぜ、「トランプの言葉を広場で叫びたい」とまで言うようになったのか。何か一つのことがきっかけというわけではないという。「この団地は楽しい場所だった。おもしろいことが一年中あった。そういう中に違うものがポンと入ってきた。その瞬間みんな、同じように思ったんじゃないの。じわーっとくる違和感というか…」
その「違和感」が積もっていき、ある時点で中国人住民に対する気持ちが変わってしまったのだという。「バーンと消えたんですよ。ある瞬間に、心から消えてしまったんです」(p.107)
一つの場所に、お互いうまく住み分けをしていく「共存」も一つの選択肢ではある。互いに迷惑をかけない最低限のルールを守って静かに暮らせればそれでいい。お互い生活も文化も違うのだから無理に交流する必要はないという考え方だ。
一方の「共生」は、共存に比べると相互の関係や協力というニュアンスがある、「一緒に生きる」という意味の言葉だ。生物学では、異なる二つの生物が同じ場所に住み、一方あるいは双方が利益を受ける形で、密接な結びつきを持ちながら生きることを指す。芝園団地でいえば、日本人住民と外国人住民が交流し、協力しながら同じ団地住民として暮らすのが共生のイメージだ。(p.166)
ここに住んでいると、なぜ米国でトランプ大統領が誕生したのか、なぜ欧州で反移民政党が伸長しているかが「見えてしまう」のだ。(中略)そうした「普通の団地」でも、外国人が急増して環境が変わっていけば、もともと住んでいた人々の間には、外国人住民に対する漠然とした不安や警戒感が芽生えていく。
私は団地に住みながら、「多数派のもやもや感」とでも呼ぶべき感情のことを考えてきた。このまま放置すれば、米国や欧州で起きたことと同じように、大きな排外主義的なうねりに「持っていかれる」のではないかという思いが消えなかったからだ。(pp.184-185)
(グッドマン)「文化の問題とは、違いをどう理解すべきか、そうした違いとどう折り合いをつけていくかでしょう。子あれはパワー・ダイナミクスほどには難しい課題ではありません。一方でパワーの問題とは、ここは誰の団地なのか、誰の土地なのか、誰の国なのかといったものです。それは『特権』につながるものです」(p.204)
(グッドマン)「私だったら、団地の交流イベントには来ないけど���れほど極端な意見を持っているわけでもない、中間的な人たちと一対一で接することから始めます。何が不安なのか、どんな気持ちなのか、話を聞くのです。次に、自分が知っている日本人と中国人を招待して、お茶でもするのもいいかもしれません」(p.207)
「郷にいれば郷に従え」という言葉で気になるのは、「同化」という意味合いや、そもそも社会の一員として受け入れることに否定的な意義が見え隠れする時があることだ。
異なる文化を持つ人々とも同じ社会の一員として共生することと、一方的に自分たちの文化に従うことを求める「同化」は異なる。もちろん、外国人も守らなければならないルールがあるのは当然だ。だが、「郷にいれば…」という意識が前に出すぎると、文化的な多様性が社会の強みや楽しさではなく排除すべき対象になりかねない。(pp.210-211)
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もう都市の若者はこない
中国都市部との賃金格差が少なくなっている
ビザはとりやすい IT技術者 技術・人文知識・国際業務という在留資格 かつては技術と人文知識・国際業務で技人国
社会心理学 接触仮説 偏見は相手の集団の無知から生まれるものだから、集団同士の接触が増えれば、偏見もなくなる
移民に対して、移民独自恩文化を保ち続けるよりも、ホスト社会に同化するのをもとめることが同化主義
移民が自分たちの文化を保ち続けることを認め、多様性を尊重するのが多文化主義
異なる文化間の交流や社会の結びつき、共通性を重視するのがインターカルチャリズム
団地の商店街の大半が中国系の店になったことをさみしく思う古参住民に対しては、心情的に、「その気持も無理はないか」と思う。一方では、「ここは私達の団地だ」という意識が「日本人と外国人」と分ける発想に繋がり、ステレオタイプや偏見につながることも少なくない
多数派の感情の根底には、ステレオタイプと恐怖という要因があると指摘した
多数派が「我々の文化やアイデンティティ、伝統が失われる」というとき、それは正確には何を意味するのか、聞いてみるのです。あなたが失うことを恐れているのは、正確には何なのか?私は多くの人々と、このやりとりをしてきました。そうすると、「我々の文化がうしなわれてしまう」というのは真実ではないことに気づきます。すべてを失うわけではないのです。
日本社会の特質(和、集団主義、均一性)は、多様性と相性が悪いのではないかということだ。日本の中核的な価値が多様性と衝突するのであれば、多様性を尊重した共生社会を造ること自体が、難しいということになってしまう
多数派の不安に対処するためには、多数は=受け入れる側自信の意識も変わっていかなければならない
多数派の特権意識
カナダで、新たにやってきた移民の定住を支援する取り組みを取材したことがあった
これは文化の問題であるとともに、パワー(力、権力)の問題でもある
人間はパワーを失う時、自分たちが脅かされていると感じる
自分たちと違うルールや価値観で行きているひとがいるということは、実際に異文化と接した経験がないと、簡単には考えが及ばないものだ
すると自分たちのるーるを相手に伝えるというプロセスを飛ばして、なぜルールを守らないんだと反応してしまうことがある
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外国人の人口が増える中、日本でも「多文化共生」を目指そうとする声があがる。しかし、そもそも「多文化共生」は人々から求められているのか、またいかにそれが険しい道のりであるかということが、象徴的に描かれている。
下記はメモ。
「共生」と「共存」の違い、また後者を望む住民を否定することは出来ないということ。
外国人:日本人という単純な構図で分けられないこと。そもそも、世代も職業も異なる両者を、無理やり交わらせる点に、かなり無理がある。
「中国人」という大きい主語で語られることの多さ。
多数派で支配的だった人々が、少数派だった人々の割合が増えて来ると、「侵略されている」と感じてしまう。相手が自分と同様の義務を果たし、権利を持っていたとしても、自分たちに従うべきだと思ってしまう。
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この団地、中国人が多数住んでいることで有名だそうだが、初期のゴミ捨てなんかのトラブルをうまく解決し、学生ボランティアらによる交流活動も盛んだったりで色んなグローバルナンチャラ的な賞をもらうほどになった。著者は新聞記者として実際にこの団地に住み、自治会活動にも参加しながら、住民だからこその目線で等身大の団地の姿を描く。
それは必ずしも理想の共生社会とかではなく、それぞれ(特に日本人側)のモヤモヤが鬱積しお互い距離を取り合う2分割されたコミュニティだったりする。理想論だけでは片付かない旧住民側の本音は突き詰めれば「この団地は自分たちのもの」という団地愛なのだが、それが一転して排外的にもなりかねない、微妙な空気をはらんでいる。
「それは差別だ」的な正論で押しても解決にはならない、旧住民が守りたい本当の価値とは何かを辛抱強く探り続けることが大切だというインター・カルチュラリズムに立つ社会学者の言葉が印象に残る。
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誰でも心の中に小さなトランプを抱えている…というのは、トランプ大統領が当選した時にメキシコ人記者が書いていた文章の一部。たしか、メキシコ人が「bad hombre」と言われて公然と大統領の敵意を受ける相手となっていた頃だが、一方でメキシコ国内では他の中米諸国からの移民を排斥しようという動きもあることを批判した内容だった気がする。この本の筆者も、自分の家族が米国でアジア系マイノリティーとして生きていくことについて考える際、マイノリティーとしての立場から訴えるのではない。自分がマジョリティーである日本の中で、まずは日本人の心の中にある「小さなトランプ」に向き合っている。すごいなあ。
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おもしろっ。芝園団地、私も住んでみたいが収入が足りない。
マイノリティが増えることで何かを脅かされているように感じる、ってのがすごくわかった。
ときどき地位のある中年男性と話してると(この人は私に何かを奪われると感じているのでは?)と不思議な気持ちになることがあるんだわ。私はそんなつもり全然ないんだけど。
その人はたまたま貰えるケーキが多かったのだな。
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外国からの移住者が住民の半数以上を占める芝園団地で、昔からのお祭り、餅つき大会などのイベントを通じて異文化人との共生にスポットを充てた作品。
これからグローバル社会になっていくことが決まっているので、自分事として将来を考えられる作品。
ノンフィクションドキュメンタリー映画にして公開しても良いくらいの内容がある本。
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蕨に近いURが所有する芝園団地。
かつては、中堅サラリーマンが我が家を構える場所だったが、今や、単身高齢者が主体。そこに若い中国人IT技術者が多数住むようになり、コムユニティーが激変。その中で、住民同士の対立が生じ、外野が色々口を出し、自治会が融和を画策し、近年では、中国人よりベトナム人がの増加が目立つ、というグローバリズムの中の日本の縮図を描く。