爽やかな読後感の残る小説
2023/03/30 19:38
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の大伯父(祖母の兄)秋吉少将の生涯を追った伝記小説。海軍軍人でありながら戦闘には生涯加わらず、海図作成や天文観測をし、経験なクリスチャンであったが、信仰と戦争との葛藤や親族の世話等に心労の多い生涯であった。ただその誠実な一生は清々しく、一族からは福永武彦や池澤夏樹が出た。池澤夏樹も理科系出身で信仰ある人だけに、叙述は平易ではあるがしみじみとした味わいがあり爽やかな読後感の残る小説である。
戦前・戦中・戦後の時代を生きた人たち
2023/05/07 09:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公だけでなく、この激動の時代をどう生き、考え、日々過ごしてきたのか。当時の人たちにとっては、これが普通の時代だったのか。激動を激動と思っていたのか。今から見れば大変な激変の世の中だったと思うが、当事者たちは自分たちが置かれた時代しか良くも悪くも享受出来ないのだから。
メチャクチャに入り組んだ人間関係にこれでいいのかな、と思いつつ読ませていただきました。
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新聞連載にて読んだ。
自分が全く関心のない分野だったのに、秋吉に寄り添った読書をしたのがとても意外だった。キリスト者でもあり軍人でもある秋吉。矛盾を抱えたまま生きる姿を描くのは難しいと思うのだが、作者の力量か。
人間としての深みを描くのに成功している。
また親友のMが魅力的。彼のような人物はいたに違いないと思うし、そういう人物が潰されていくのもまたこの時代だと思う。
読書の幅を広げてくれた良書である。
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すごい小説!
初めて読んだのは、「マシアス・ギリの失脚」。
文庫化され、すぐに読み、感動。
以来、芥川賞受賞の「スティル・ライフ」に遡り、大好きな作家さんだった。
最近は、ちょっと・・・遠ざかっていたけれど。
ああ、でも、久しぶりに、好きだった池澤ワールドに浸れた。
作者の大伯父にあたる、実在の海軍少将・秋吉利雄の生涯をたどる。
それはつまり、日本の近代史を語ることにもなり
読み応えがあった。
著者が「とんでもなく手間がかかった」と言っているが、
読む方も、「とんでもなく手間がかかった」。
海軍、天文学、そしてキリスト教が三つ巴の如く
襲ってくるのだから、こちらも心して読まねばならぬではないか!
さて、池澤氏が「とんでもなく手間がかかった」というのは
最後の章でわかる。
内容を一族に確認しつつ執筆したらしい。
これだけの資料に埋もれながら、そこまで!
そりゃ、手間がかかる。
当初、池澤氏と秋吉の関係を深く知らずに、読み始めたのだが・・・
義弟の「福永末次郎」と、その長男武彦が揃って、秋吉家に来たとき・・・
「福永・・・武彦・・・福永武彦!」ああ。やっと気づいた。
池澤氏の父上ではないか。ということは、秋吉は大伯父か。
その後、武彦の長男・夏樹が誕生の場面では涙が止まらなかった。
どんな想いで、池澤氏は、己の誕生を描いたのだろう。
たしか、成長するまで、福永が父上だとご存じなかったのでは無かったか?
その記憶が正しいとすれば、なおさら・・・だ。
週刊誌的な興味はさておき・・・
秋吉の生き方は、胸に迫る。
キリスト教信者でありながら、海軍軍人。
自分なりに説明をつけ、職務にいそしんだのに・・・敗戦。
公職追放。
途中、タイトルの『また会う日まで』の意味もわかる。
勘の良い人なら、表紙絵からもわかるのかもしれない。
(わたしは鈍かった)
江田島の兵学校、海軍軍人、水交社、艦隊、山本五十六に、鈴木貫太郎・・・
気になるワードが次々に出てくる。
本は付箋でいっぱいになっているのに、心は物語の世界から離れない。
「調べました」感がなく、あくまでも物語の中で読ませる。
さすがだ。
確か、池澤氏だったと思うが、「いつまでも読み続けられるから長編が好きだ」と
おっしゃっていた。
(なるほど石牟礼道子を高く評価するのはそれもあるのか、と納得したのは
ずっと後のこと。)
久しぶりに池澤・長編を堪能した。
ああ。でも哀しいかな。
図書館の本ゆえ、返却期限が迫り・・・
後半は、少々飛ばし読み気味。
絶対に、これは自分の本で、ゆっくり読みたい。
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クリスチャンで天文学者で、海軍少将だった秋吉利雄。池澤夏樹の父である福永武彦の伯父。軍人ではあるが、艦隊勤務ではなく、天測によって航路を知り航海暦を策定するのが主たる任務。タイトルはクリスチャンにはなじみのある聖歌の一節。聖公会は日本では少数派のクリスチャンの中でも、さらに少数派。七百ページを超える大部の小説で、クリスチャンのありようを語り尽くす作品は、日本文学の中でも稀有なこと。ミッションスクールの外国人宣教師が、戦時中の日本を語った文章はいくつも存在しているが、戦前、戦中、軍隊にあって、天文学者という合理を極め用とした人が、聖書で日常を語る人など、これまでなかった。この作品をキリスト教文学と呼ぶのがふさわしいかどうかわからぬが、遠藤周作の『沈黙』と並ぶ重要な作品だと思う。
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池澤夏樹さんの大伯父・秋吉利雄さんの生涯を描いた作品。秋吉さんは海軍軍人、天文学者、キリスト教徒として明治~終戦まで生き、決して戦争に賛成ではないが、海洋地図製作などを通じて一翼は担う状況だった。あの太平洋戦争は誰が見ても間違いで、多くの人が敗戦がほぼ決まった状況の中でも無駄に命を落とした。海軍少将まで出世し海外のこともよく知っており冷静な判断ができる秋吉さんのような人たちが、どのような行動に出れば戦争を回避または早く終わらせることができたのだろうかと思う。特別な地位もなく海外も知らない当時の多くの国民にはできることは限られていただろう。主流のように見えてもおかしいなと感じることがあれば声を上げることができて、軌道修正される世の中になっていくといいなと思った。
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海軍少将、天文学者、そして敬虔な聖公会のクリスチャンとして人生を全うした秋吉利雄という人の一生を描いた長大な伝記小説。兵学校を卒業し、海軍に入軍したが、その学究的な性格から東大に天文学の学びのため、留学し、海軍水路部に入り、天文学の知識を航海に生かす働きに従事する。1934年1月、ミクロネシアのローソップ島での皆既日食の観測を経験。若い日には妻チヨ、そして妹・トヨを産後に失うという悲劇、妹トヨが長男・武彦を孕み、その後・福永末次郎と結婚する場面は実に数奇な場面。作家・福永武彦の誕生秘話だ。後妻ヨ子(よね)との間に産まれた子どもたちがクリスチャンとして成長していく姿も麗しい。讃美歌を歌い、歌詞を想う場面が度々登場するだけでなく。信仰的な会話の場面が頻出し、利雄と親戚一族の熱心な信仰ぶりが感じられた。非戦主義の考えを持ちつつ、戦争の時期を乗り越えたのは、多くの苦労があったと思う。福永武彦が晩年、洗礼を受けたと聞いているので、このような背景は興味深かった。海軍兵学校の同期、加来止男とMとの語らいも場面も戦争の背景を語るのに上手い挿入である。利雄の語りで物語は進み、1947年の利雄の最期の場面は利雄とチヨの長女・洋子が語り手として、「また会う日まで」「主よみもとに近づかん」が歌われたことを語るという感動的なラストだった。またローソップ島での現地民は宣教師を通して信仰を持っており。「また会う日まで」を歌って別れを惜しむ場面も感動的だった。
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数ヶ月前に著者の講演をきいて,この本の準備中であることを知った.(朝日新聞に連載されていることはしらなかった).自ら「史伝」を書いていると言ったので興味をもち読もうと思った次第.
手元に届いた本は700ページ超.なかなかの厚さ.ただし,文章は改行が必要以上に多くて,厚さほどの圧迫感はない.
主人公は著者の縁者であり,海軍の水路部で海軍少将にまでなった秋吉利雄.その生涯を描く.のちに2番目の妻が指摘するように,彼には3つの顔があって,それは軍人,天文学者,クリスチャンである.クリスチャンの家庭に育ち大正三年に海軍兵学校を卒業し,のちに東大に学び,皆既日食の観測隊を率いる.そういう生涯が淡々と事実に即して綴られる.このあたりが著者が「史伝」と読んだ所以であろう.
「史伝」と「歴史小説」の違いはよくわからないが,森鴎外の「渋江抽斎」は明らかに普通の小説ではない.著者が森鴎外を意識して「史伝」と呼んだのは確かだけれど,この本はもっと普通である.退屈に思う人もいるだろうが,こうやって,一つ一つの事跡を丁寧に辿り,細かな情報も遺漏なく書いていくこと,あるいはそれを読んでいくことは,作者にとっても読者にとっても時間に余裕があれば楽しい作業である.
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朝日新聞掲載時に読んでいたが、途切れ途切れだったので、まとまったら読みたいなと思っていた。大作だったが、平易な文章でもあり、なんとか読み切った。
主人公の秋吉利雄は筆者の大伯父のようだが、海軍少将(海路部)で天文学者でキリスト教徒。太平洋戦争時、アメリカやキリスト教と深く結びついていながら、軍に籍を置き、大きな破綻なく過ごせたのは驚きだ。
戦前から開戦、戦時中の生活、人々の反応や意識などが詳細に書かれていて、人の命も含めて、危うい時代であることがわかる。そこで、何を考え、何を選び、生きていたのか。
と同時に、一人の人の人生が描かれ、その背景の時代が描かれているものの、全体の物語としては大きな起伏があるではなく、文章が淡々と進むこともあり、人によっては単調だと感じるかもしれない。
読了後よりも、後に振り返って、しみじみと噛み締めるように思い返しそうな気もする。
友人の加来止男(かくとめお)が空母「飛龍」の艦長としてミッドウェーで戦死したのは軍人の性と言えば言えるが、もう一人の友人M(最後まで名前が明かされない)が戦後に殺されるには、複雑な時代の背景があったことかと察せられるが、あまりにも惜しいことだったと思う。Mの書いた歴史書が書かれていれば、きっと後世の学びになったはずだし、だからこそ、それが阻止されたのかもしれないが…。
何を見て、何を考え、何を書き残したいと願っていたのか、読みたかった。
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海軍軍人、天文学者、キリスト教徒でった筆者の大伯父(祖母の兄)の一生涯、戦争に翻弄されつつ信念を貫き通した人生を描く感動作。
全く前知識泣く読み実在の人物を描いた小説であったことを途中で知る。海軍兵学校では、ミッドウェーで空母飛龍艦長として戦死した加来止男と同期だった秋吉利雄。妻や子、当時の死亡率の高さには驚かされる。キリスト教徒として肉親の受け入れる、時に迷いつつも。
朝日新聞に連載されたという大作。Mという友人の語る戦局があまりにも後世からの視点になっているところが気にはなるものの(少年Hのように)、それを差し引いても感動する作品でした。
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新聞連載の大作。少し前の『ワカタケル』を思い出させる単行本の文量だ。
著者池澤夏樹の大伯父・秋吉利雄の生涯を透し、近代日本の歩んだ歴史を描き出す、一市民の大河小説。
歴史の大まかな流れは日本人なら誰もがよく知る大正~昭和史、その大きな流れの中で、海軍軍人でありキリスト教信者、そして天文学者という、一見相容れない側面を持つ主人公の人生、ヒトトナリを、いかに矛盾なく描き通すかが見せどころ。
主人公利雄は、当然のことながら、キリスト教の信仰と軍人としての責務(戦争としての殺人行為)を、個人の中で、矛盾を抱え葛藤しつつ、人生を全うしていく。
史実の中に、個人の生の存在を描き出す筆致は、30余年ものキャリアを積んだ著者をして成せるところだろう。主人公やその家族の他、登場人物の多くは実名だ。そのそれぞれに人生があり、物語がある。個々の物語、storyが、大きな束となって、歴史、historyを紡いでいく流れに、なんとも言えない感銘を覚える。
歴史は、けっして個々人の人生とは切り離されているものではないのだ。
海軍の水路部に所属し、天文学者としての知見をいかんなく発揮し、海図を描く主人公の姿が尊い。
「星天と向き合っていると自分が一つの点になる。万象は絶対不動と思われる。
不動だからそれを基準に自分の位置、大洋にあっては艦の位置を知ることができる。
私は点になった自分が好きだった。わたしもまた星である。」
生涯、自分の立ち位置を、不動の星の位置を頼りに見定め、ブレることなく生き抜いた。天に召されるまで、何度か繰り返されるタイトルの「また会う日まで」は、主人公秋吉利雄の最大の業績とも言える、1934年のローソップ島における日食観測、その時、島を離れる際に島民が歌ってくれた讃美歌のこと。
人生は、多くの人との出会いと別れを繰り返し紡がれていく。主の元で、また出会えると信じ、自分に正直に生きた利雄は、別れのたびに「また会う日まで」を胸中でリフレインしていたことだろう。
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(借.新宿区立図書館)
「また会う日まで」と言っても尾崎紀世彦ではなく讃美歌。
著者の大伯父にあたる人の伝記的小説。明治期から昭和戦中期、そしてわずかな戦後期にかけての生涯を700ページ余りという長篇で描いたもの。もとは朝日新聞朝刊の連載。
分厚い本で読みでがありそうだったが、意外に早く2日ほどで読んでしまった。(海軍)水路部所属の応用天文学者であり軍人(少将まで昇進)、ただキリスト者でもあるという矛盾も描かれている。私は天文関係ということで読んだのだが、当時の天測による位置天文学的なものが良く書かれているようだ。あとはこの一家の大河ドラマ的な流れの中で病気で死ぬことが多かったこと、幼児や出産時などの死亡が結構多いことがわかる。主人公自身も戦後すぐの混乱期に医療が十分でなく命を落とすことになる(自殺ではないが、友を失った結果の失意の影響ともいえるかも)。キリスト教(聖公会)については何とも言えないが、そういう生き方もあるのだろう。
いずれにせよ見事な大河小説といえるだろう。
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こういう、家族の一代記ものはもともと好きで読み応えもあった。
軍人として、天文学者として、そしてキリスト教信仰者として信仰との矛盾に悩みながらも生きる主人公とその妻たち(先妻の死亡後に再婚)が魅力的だった。特に2番目の妻のヨ子(ヨネ)さんが魅力的だった。
終戦後、彼女が夫に向かって言う
ヨ子「でも終わりました。次は勝てばいいのですよ。平和のための戦に」
利雄「そんなものがあるか」
ヨ子「平和と繁栄の日本を造ってかつての敵を見返す」
軍人だった利雄がヨ子と再婚したのはよかったなと感じた。彼女によって短い戦後の人生ではあったけど利雄は救われたのではないかと思った。
靖国神社の扱いについてここはいまだ難しいところだと思うけれど、利雄の言うように「(山本五十六元帥の魂が)郷里長岡に帰られたとわたしは思いたい。戦争はもう終わったのだからもう軍人たちを束ねておくことはない。それぞれ生まれた土地に戻ればいいのだ」には共感。祀られながら縛り付けられていないかという部分もあるので。亡くなったことを美化するのではなく、国のために夢途上で亡くなられた方の鎮魂の場ではないだろうかと感じた。二度とそういう犠牲を国が個人に強いることの無いよう、戒めとする場ではないか。
妹トヨの告白
「あの時、わたしは本当に聞いたのでしょうか、愛をもって死を補えという天使の言葉を。(略)それでも、今この時の苦しみが癒やされるならば、わたしはこの身を捧げよう。」については、違う方法はなかったのか。末次郎(後に事情を理解して夫となる)や生まれてくる子ども(武彦)に背負わせるものは大きくなかったか。献身とは少し違うように感じた。
また「信じることは観測に依らない。観測を必要としないのが信仰である。
証拠はわたしの心のなかにある。」何を信仰していても証拠ではない、信仰する心こそが勁さと感じた。
「母性は職業意欲より強い」という箇所は利雄の実感かもしれないが極度に母性を美化するのはなぁと思った。結果としてヨ子は利雄や゙家族を働きながら支えていくのだけれど。
また、Mと加来の友情もよかった。特に加来の殉職について
「加来は死を選んだ。軍人の人生には、戦場で死ぬということが初めから織り込まれている(略)敗軍の将として国に帰る屈辱よりはここで自分の人生を閉じるという方を選んだ。するべきことはした、と自分に言ったのだろう。その判断は部下たちによっても共有されたのだろう。潔いと人は言うだろう。しかし加来がそこまでに積み上げてきた能力と体験を日本は失った。」という箇所について、戦争によって死を美化してはいけない。犠牲を強いられたこと、その人自身を失わせたこと、そういう状況に追い込んだ当時の軍部の暴走こそ憎むべきではないかと思った。
また、加来の俳句から始まる
『「つはものの 疲れ犒う(ねぎらう) 月夜哉」
(略)戦争はよいことではない。言うまでもなく世界は平和であるのが望ましい。しかし人は、富と領土と覇権を求めて争う。あるいはそれを奪われないようにと言って戦う。
(略)戦争は避けられない。だから、戦いにな��た時に負けないように普段から不斷の努力で防備を固める。それが軍というものだ。軍は盾であると同時に矛でもある。守るのではなく攻めるものにも使える。そして攻めているのではなく守っているのだというのにも使える。』というてころは信仰者であり、軍人でもある利雄の辛さ、苦しさも裏に感じた。
ここは
「主は日本人とアメリカ人を区別されない。ただ、どんな形にせよ戦争が終わることを望んでおられる。どんな平和でも戦争よりはいい」という形で利雄なりの解釈をしているようにも思える。
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新聞の連載小説として読んだ。ある男性の人生が淡々と描かれており長編なので、単行本として読んだら早々に読むことを諦めていたかもしれない。海軍軍人であり天文学者、クリスチャンと言った、ある意味矛盾した肩書を持っている人物が主人公であり、若き日の昭和天皇や日野原重明さんと会話する場面は印象的だった。
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いやはや、長い。p. 723 片手で持つには重すぎ、持ち歩くにも辞書レベル以上。よく読んだ、という満足感が、内容よりも濃くの星の数に出そう…
史実に基づき、池澤夏樹の大伯父、秋吉利雄の生涯を語る。軍人であり、科学者、クリスチャンの父より、聖公会の使徒。長崎の鎮西学院から海軍兵学校を経て、艦隊を体験した後、大日本帝国海軍の水路部に所属。東大の天文学を学び直し、天測暦を用いて潮汐表や海図の作成に励む。
学徒の加来止男、Mとの親交。
ハンモックナンバー16 (卒業時の成績順)
キリスト教に救いを求めつつも戦時下に大切な妻、子ども、友人や多くの軍人を亡くす。
聖路加病院の20代の日野原先生や、山本五十六との会話、天皇陛下の終戦の放送原文、また、真珠湾攻撃、アインシュタイン… 井の頭線や九品仏、築地など変わらない東京の地名が歴史を身近に感じさせる。教科書以上の話が面白い。
とにかく細かい。当時の原文や聖書の話など…それらが果てしない…
聖路加という病院の名は福音書を書いた聖者に由来する。その方は医者であったと伝えられるから病院の名にふさわしい p. 30
白地に赤で日輪と十六本の光条を描いた軍艦旗
疎にまばらに、開く 疎開 p.502
立教高等女学校に水路部の井の頭分室が開設
創業者の名にある「寅」の字にちなんで「虎印計算器」と名付けられ、やがて日本製は品質が信用できないという風評に対抗すべく「タイガー」と名を替えたと聞いている。舶来と思わせたのだ p.516
信仰は人のふるまいを制限するのではなく解放するのだ p.521
進駐軍、進んできて駐在する軍、米軍や占領軍より日本側の敗北感の色が薄められる p.602
太公望/ 呂尚、文王の祖父である「太公」が長らく待ち「 望 のぞ 」んでいた周の中国統一を実現する人という意味。「釣り好きの人」の代名詞これは釣りをしていた太公望呂尚が文王に見いだされたという故事にもとづく
明眸めいぼう/ 美しい人 白皙はくせき/ 色白