紙の本
『ウクライナにいたら戦争が始まった』
2022/08/22 19:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2022年1月
単身赴任している父のもとで短期留学するため、母、妹とウクライナにやって来た高校2年生の瀬里琉唯(せり るい)
キエフ近郊のブチャに住み、現地校と日本語補習授業校への通学も軌道に乗ってきた2月、ウクライナとロシアが一触即発に
帰国を急ぐ家族だったが……
〈ほんの一秒のできごとだった。空に稲光のごとく閃光が走った。落雷も同然の轟音が耳をつんざく。赤煉瓦の家の屋根が吹き飛ぶ瞬間を、わたしはまのあたりにした。〉
《日本の高校生・琉唯の凄絶な体験を描く「実録的」小説》──帯のコピー
〈状況と日時、各事態の発生場所に関し、現在までの情報を可能な限り網羅し、また帰国者の証言などを併せ、できるかぎり正確を期した。瀬里琉唯(17)という女子高生の視点で綴られているが、私たち日本人の誰にでも、突然起こりうる問題としてお読み頂ければ幸いである。〉──扉のことば
2022年8月に緊急出版、戦争の現実を知るために
紙の本
このお話はフィクションである
2022/10/04 15:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
このお話はフィクションである、でも、私がその立場なら。ロシアとウクライナの関係が相当悪化していることは知っていた、コロナの影響で飛行機が十分に飛んでいないことは知っている、でも、まさか、まさか、こんなことが、なのである
紙の本
フィクションであって欲しい
2022/11/27 08:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yino - この投稿者のレビュー一覧を見る
海外単身赴任中の父のもとを訪ねるも、ロシアの侵攻が始まり、単調な生活が一気に地獄に。連日のニュースでは、死者数や戦争犯罪の有無など、数字でしか報道されないが、現地の恐ろしさをきちんと想像することも必要だと感じた。
投稿元:
レビューを見る
今なお続く、ロシアの侵略。慣れてはいけない、目を逸らしてはいけない。
国境を陸で接してしない日本では、すぐには考えられないかもしれない。それでもこの作品は、ウクライナをすぐ身近にまで引き寄せてくる。断続的にミサイルが発射されている。それにも慣れてしまっている自分。どこかで大丈夫だと高を括っている自分。突然始まる戦争の日々の恐ろしさも然ることながら、自分の感覚にも恐ろしさを覚える。もちろん、情報の恐ろしさも。
そして、日本が戦争をしていた頃からまだ100年だって経っていないということを思い知らされた。どうしてこのような凄惨なことができる思考が、人間の中には組み込まれているのだろう。それを抑えられないのだろう。周りを巻き込むのだろう。
フィクションですと書いてはあるが、これは箝口令を敷いている状況に対する皮肉と受けとった。フィクションと敢えて書いてあるからこそ、本当にこういうことが起きているのだと。逆説的に肯定しているのだと。さらに取材した相手を守ることにもなっているのかなとなんとなく感じた。
投稿元:
レビューを見る
途中までは、戦争に巻き込まれる感じはあまりなかったのに、途中からめちゃくちゃ巻き込まれていた…。
コロナ禍で帰国がなかなかできず、さらに突然住んでいる街が侵略されて、地獄すぎる。
外国人(日本人)だったからまだ助かったものの、ウクライナ人の捕虜はどうなってしまったんだろう。
つらすぎる。
どこまでが本当なのかわからないけど、怖すぎた。
助かった日本人達が友達にもネットにも経験したことを話さないようにと箝口令が敷かれているのだとしたら、この本はどうやって取材して書いたんだろう?
戦場の描写や、戦争の話は、祖母から聞いたり、戦争体験者から聞く昔の話だったのが、現代に起きていることだと思うと、本当に怖いと思った。
「ブチャ」とググると破壊された街の写真が出てきて現実なんだ…と思った。
投稿元:
レビューを見る
この小説はフィクションですが、私たち日本人の誰にでも、突然起こり得る問題としてお読みいただければ幸いであると序文に記されています。
物語は瀬里琉唯(るい)という17歳の女子高生の視点で綴られています。
琉唯は6歳の時2歳の妹梨央奈、父母と共に福島県南相馬市で東日本大震災の津波を経験しています。
電力会社の父の勤めるウクライナに2022年2月に母と梨央奈と共に行くことになります。
世界は、コロナ禍に見舞われています。
そしてウクライナが侵略されてレベル4の避難勧告が出ますが、梨央奈がコロナ陽性の疑いで飛行機に乗れません。
空港に立ち入れず自宅待機になります。
戦争が始まります。
梨央奈が外へ出て行ったので、琉唯は後を追います。
すると平穏だったはずの住宅街の路上をニュースで観たような迷彩柄の兵士の群れが前進してきます。
助けてくれた親切な人の家の中のクローゼットに隠れていましたが、そこから二人は複数の遺体を目の当たりにします。
足元に血まみれの死体が転がっています。
戦争の恐ろしさがダイレクトに伝わってきました。
私だったら兵士を見ただけで、震えあがり動けなくなるだろうと思いました。
(以下本文より)
震災と同じだった。
いつでも起こりうることだ。
戦争は過去になっていない。
ずっと地上のどこかでつづいている。
小さかったころは津波。
コロナ禍。
いまはここにいる。
(以上本文より)
後半のすさまじい描写に恐怖映画を観ているのではないかと思いました。
そして父母との再会。
父母の目の前で兵士に乱暴されそうになる姉妹。
ネットにつながっていないスマホでメールに手紙を書いている人々のところは読むのがつらかったです。
外国人は助けてもらえる可能性はあっても地元民はどうなるのかと思いました。
それが、戦争ということなのですね。
ウクライナから避難する日本人はみな箝口令を敷いているというのは驚きでした。
でも、この本によってより近い真実を知ることができました。
投稿元:
レビューを見る
本書は、ロシアのウクライナ侵攻に巻き込まれた家族について、日時・事態の状況や発生場所等、厳正を期して、女子高生・瑠唯(るい)の視点で綴った「実録的」小説です。
瑠唯は、高2の3学期のみ(妹も中1で同行)私費留学し、電力会社勤務の父の単身赴任先ウクライナへ、母・妹と共に渡航します。
夫婦喧嘩、コロナ、ウクライナ侵攻が、国外退避(帰国)を遅らせて、壮絶な体験をすることになります。民間人を標的とした砲弾や銃撃、殺傷等の生生しい描写は、情報網羅と帰国者証言等により、限りなく事実なのだとすると、極めて恐ろしくおぞましい人災なのだと思い知らされます。(国外退避時は箝口令が敷かれたそうですが…)
このウクライナ侵攻が未だ終息せず、どう帰着するのか不明な中、本書のもつ意味・意義は、読み手に「関心を持つこと」「情報を精査し真実を知ること」「自分事として考えること」等、大きな課題の提示なのかと思います。
特に、終盤で瑠唯を通して語らせた「戦争は震災と同じで、いつでも起こりうること。日本では戦後77年と言われても、戦争は過去になっていない。ずっと地上のどこかで続いている。」ということを、私たちは肝に銘ずる必要がありそうです。
投稿元:
レビューを見る
リアルタイムで進行中の、現実の“戦争”を基に描いたドキュメンタリータッチの小説。
6歳のときに東日本大震災を、高校入学直前にコロナ禍に襲われた琉唯は、ウクライナに単身赴任中の父親と過ごすため、母と妹と一緒に日本を出た。滞在1ヶ月ほどでロシア軍の侵攻に遭遇した一家は……。
あまりにも理不尽な仕打ちに目を覆いたくなる。『ダイ・ハード』並に運の悪い琉唯だが、現実の世界では反撃に転ずるはずもない。生死の境目にいるのに、コロナ感染を怖がってマスクをつけるのは、やはり日本人だからか。自分だったらという想像は、虚しかった。
琉唯の一人称(わたし)で話は進むが、突然三人称視点に変わる箇所がいくつかあって気になった。
投稿元:
レビューを見る
これがREALなのかどうか現地にいないのでどうか分からないけれど、とてもREALに感じて息苦しくなった。紛争地域の当事者になるって、こういうことなんだろうと思った。どこまでの取材でノンフィクションとフィクションの境目がとても気になる。
投稿元:
レビューを見る
題名を見て、題名のとおりに『ウクライナにいたら戦争が始まった』という経験をした方の手記なのかと思った。が、そうではない。『ウクライナにいたら戦争が始まった』という経験をする人達の物語、小説である。小説ではあるが、読んでいて「何方かの御経験を参照して?」という程度に思える面も在った。
物語は高校生と中学生の姉妹が母親と飛行機で旅をしているような場面から起こる。高校生の姉である琉唯(るい)が中心視点人物ということになる。
琉唯の一家は福島県在住である。琉唯は6歳の頃に<東日本大震災>を経験している。妹の梨央奈(りおな)は当時2歳で、余り細かいことは覚えていない他方、後から色々な事を学んで知る結果になっているという。
一家はウクライナを目指していた。姉妹の父親は、電力会社の社員で、震災や原発に関する展示を行うという仕事でウクライナに赴任していた。その父親の所へ行って、姉妹は“短期留学”という体裁で3ヶ月間程ウクライナに滞在するという計画であった。
長いフライトを経て、冬のウクライナに辿り着き、琉唯達のウクライナ滞在の暮らしが始まる。東部での不穏なニュースが伝わる他方、キエフや住むことになるブチャは平穏だった。
そういう中、ウクライナに滞在中の一部の国の人達が帰国勧告というようなことになり始め、色々とやっていた中で「戦争?」という事態に至ってしまう。
感染症の問題で、少し不自由な学校生活を過ごしているという一面も在る、国外の諸事情に明るいのでもない「普通の女子高生」が、ウクライナの“情況”に巻き込まれて行くこととなる。
それと並行し、琉唯の両親は何やら「訳アリ」な様子であり、そういう辺りの話しも交る。
何やら「実は酷く特殊??」なのかもしれない“日本”というような様子が、一見すると平穏なようでいて、実は不穏な情況を孕んだウクライナでの暮らしという様子を介して少し鮮明になっているような、そういう気がした物語であった。
外国の諸事情が「漫画やアニメ?」という程度の「“日本”の普通な高校生」が、戦争というような日常から離れた様子に巻き込まれて行くというような様が、なかなかにリアルに描写されている。
結局「戦争が始まった」という辺り迄の物語なのだが、何か「その後…」というような物語が登場するのであれば、それを凄く読んでみたいというような気もした。
何れにしても「軍事侵攻によって惹起する混乱」というような「とりあえず“非日常”」なことに、時には思いを巡らせるべきなのかもしれない。そんな場合、本書は材料になるような気がする。
投稿元:
レビューを見る
このような侵略戦争が21世紀になっても勃発するという事実を自分の事として考えることから、国防の議論が始まるのかな。
この戦争が今後どのようになっていくのか、気をつけて見ていくことにしたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
当たり前の日常が破壊されるのは、本当に一瞬だと感じた。特に印象に残っているのが、血みどろの死体の脇に飲みかけのミルクや食べかけのクッキーが残されているシーン。決して軍の施設などではない。主人公が隠れていたのはごく普通の家庭で、そこには当たり前の暮らしがあった。無差別な住民への攻撃はあまりにも残酷だ。
震災と同じだった。いつでも起こりうることだ。戦争は過去になっていない。ずっと地上のどこかでつづいている。(P180より)
この本は、ウクライナを遠く離れた国だと思って傍観している私たちに向けて書かれている。
私はこの本のタイトルを見てノンフィクションだと勘違いした。でも読み終わった今、これはフィクションという形でしかなし得なかったと考えている。
「誰もが当事者になり得るのだ」と。
「これは現実なのだ」と。
そう訴えかけることができるのは、フィクションの持つ強みではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
またさっきの叩くような騒音が鳴り響いた。男性のフードをかぶった頭部が、いきなり破裂した。文字どおり弾け飛んだ。フードが変形して潰れ、褐色に濁った液体がぶちまけられた。男性の身体は進行方向につんのめった。頭部があったあたりから、斜めに噴出する液体は、鮮血だとわかった。わたしは自分の悲鳴を耳にした。(135p)
2022年1月、 17歳の瀬里琉唯は、高2の3学期を丸々ウクライナに短期留学することになった。妹と母親と共に、父親の住むキーウ郊外のブチャという町に住み始める。父親は戦争の危険性は楽観視していた。
‥‥ブチャという町の名前を知った時に、何か引っかかったのだけど、そのまま読み進めていった。
最初のページに、「状況と日時、各事態の発生場所に関し、現在までの情報を可能な限り網羅し、また帰国者の証言などを併せ、できるだけ正確を期した」とあり、日本人ウクライナ人併せて17人の名前が記されている。そういう意味では疑似ノンフィクションではある。
とは言っても、本書の半分以上は、瀬里家族の初めてのウクライナ訪問、離婚危機にある家族の状況、避難勧告が出て空港に向かうも妹にコロナ陽性が出てブチャに舞い戻り、という比較的小説的かつ「取材した事実は全て描写に活かしました」という文章が続いて少し退屈していた。
〈冒頭の書写し〉135pで、4人家族のウクライナ「体験」は、突然転調する。
ーーそうか、このように戦争は突然のように始まるのか。よりによって瀬里の父親は、「田舎町で平和なところだ」と思って住んでいたけど、1番最悪なところに居を構えていたわけだ。現在(いま)では「ブチャの虐殺」と呼ばれている、戦争開始期の何百人かの民間人が無差別に殺された悲劇の場所だった。
私は8月に、高見順「敗戦日記」を読みながら「みんなこれを読んだらウクライナのことを想起するだろう」と書いた。訂正しなければならない。やはり現代の戦争は、特に大陸の戦争は、その技術、規模、スピード、共に全然違う。戦中日記を梃子にして想像してはいけない。瀬里家族のように、開戦後数日、テレビニュース遮断、インターネット遮断の中で家に閉じこもっていたら、町が完全にロシア軍に包囲されていても、全く気がつかない。「なんとか、遠くの戦争をやり過ごせば、あとは我々は外国人だから脱出できるだろう」と楽観的に思っていたとしても、まぁおかしくはない。
瀬里琉偉の「地獄めぐり」は、ひとりの少女が体験するにしては、あまりにも悲惨でかつスピーディーに場面転換して、ちょっと詰め込み過ぎとは思った。ひとりの体験にせずに数人の体験にさせれはよかったのに、とは思ったが、小説の構成上仕方なかったのかもしれない。
今年2月に起きたことを、8月に刊行した著者の努力には敬意を表したい。もちろん、完全に事実ではない。また、実際にウクライナに行ってもないのに、見てきたように書くことの「限界」もあるのに違いない。
それでも、我々はテレビニュースでは伝わらない、「今ここにある戦争」を想像する梃子を、本書を読んで身につけると思う。繰り返すが、現実はかなりな悲劇だったようだ。(この時の)���シア兵はやる時には殺る。子どもであろうと容赦なく殺すし、ミサイルを飛ばしてくるし、中には公然とレイプもする。
まことさんのレビューで本書を紐解くことを決めた。ありがとうございました。
投稿元:
レビューを見る
電力会社員で、ウクライナに単身赴任している父と3か月を過ごすため、高校2年生の瀬里琉唯は母・妹とともに現地を訪れ、ブチャにある父の借家での生活を始める。
見知らぬ国で不安を抱え、両親も絶えず口論する状況の中、ロシアによる侵攻が近いというニュースが流れる。 一家は慌ただしく帰国の準備をして空港に着くが、妹が新型コロナ陽性の疑いがあるとされ、追い出される。家へ引き返した一家は、帰国の方法を探るが、ついに非常事態宣言が発令され、遠くから爆音や震動も伝わり、緊張と不安が高まる。
そして、家の外に出ていた妹と彼女を追いかけた琉唯が突然の爆撃に巻き込まれる。そこから先は、ブチャの大量虐殺がこんなものだったのだろうと推測される悲惨なシーンが連続して描かれる。
女子高生の視点から、ロシアによる残虐な侵略と、ウクライナの悲惨な実態を生々しく実録的に伝えようという小説。
これまで読んだ松岡氏の小説は感動的などんでん返しが印象に残っているが、この作品はそれらとは明らかに違っていた。
琉唯と妹が何度もこれまでかと思われる危機を乗りきっていく様子はドラマチック。だが、それよりも、平和な日本で、なかなか実感がわかない非人道的な侵略戦争について少しでも考えさせる機会を提供しようと、できるだけ現地の様子を忠実にわかりやすく表現したい著者の意図が強く伝わった。
投稿元:
レビューを見る
高校事変シリーズの著者ということもあり、戦闘シーンの迫力は流石。決定的に違うのはノンフィクションであり少女に戦闘力がない事。この家族は大雨降って地固まるとなったのか、気になる。