紙の本
今こそ哲学
2019/08/29 14:30
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投稿者:魚太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
マルクス・ガブリエル著「なぜ世界は存在しないのか」に突入する前に、哲学の素人が準備運動としてマルクス・ガブリエルの周辺像を知る手段として、本書は有意義だろう。混沌とした閉塞感に絶望すら予感される現在の社会において、迷ったなら哲学に回帰せよというのは正攻法だ。紆余曲折を経た相対主義から、新実在論へ。哲学に不慣れな読者にも、その過程をたどる道が待ち受けている。
紙の本
哲学で警鐘を鳴らす
2020/07/22 17:51
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
プラトン・ソクラテスの時代から、現代の監視社会までを大胆に論じています。システムを維持するために行動する、日本人への鋭い警句も込められていました。
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ユニコーン
2019/03/29 10:54
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
基本的欲望の看板だらけの日本を旅しながら、渋谷のスクランブル交差点は欲望が欲望に重なり合う資本主義の心臓などと表現し、人間が社会システムを維持するための存在であることを再認識させた書。
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本書のメインは、新進気鋭の哲学者と呼ばれるマルクス・ガブリエルをNHKが「欲望の時代の哲学」というテーマで番組を作るために日本に呼び、東京・大阪・京都を回りながらインタビューをした内容を書籍化したものとなる。また、ロボット工学で有名な石黒教授との対談も採録されている。
冒頭、NHKの番組制作チームは、その際のマルクス・ガブリエルに対して、次のように語る。
「ともすれば、「机上の空論」というイメージを持たれがちな「哲学」の概念そのものを解体し、人々が自らの頭でものを考える喜びを取り戻してもらうべく、様々な場へと行脚を続け、移動しながら考え続けるその姿はさながら、知の整体師」ー 知の整体師って何? それが誉め言葉なのかどうか、少し茶化しているようにも思える。
まず全体の印象から入ると、内容は陳腐と言わざるを得ない。マルクス・ガブリエルが、学問的にどれほどの実力があるのか、彼の提示する新実在論がどれほど新規性があるのか、はわからないが、少なくともこの本からはそれを全く感じ取ることができなかった、逆に、マルクス・ガブリエル自身がここで伝えるべき深みがないことを知っており、そしてかつNHKのディレクターもそれを知りながら、「欲望の時代」というテーマに都合のよい発言をしてもらえることもあって、それをよしとするようなある種の共犯関係にあるのではないかとも思わせる。
こういうシチュエーションになると実際ますます、ガブリエルの言葉はどこか、ちょっと偉そうな保守的なおじさんの説教にも似てくる。
また大きな問題として、彼のインターネットやIT技術に対する考えの相当保守的な傾向を挙げることができる。
「僕はインターネットについて、けっして、悲観しているわけではない。ただ僕は、ソーシャル・ネットワークの存在について悲観的なんだ。それは、軍事を背景として生み出されたものの一つだと言えるから。だから、SNSについては、僕は積極的になれない」ー ここには事実誤認(インターネットは軍事利用を背景にあったかもしれないが、明らかにSNSはそうではない)と論理の飛躍(軍事利用が背景にあったから嫌だというのは論理的ではないし、民事利用に転換されて平和的に役に立っているものなどゴマンとある)がある。さらに、「僕はそれらを「告知」の道具としてのみ使っているんだ。... それを超えることについては、法律的にも禁止すべきかもしれない」と言うに至っては、本気であれば知的にも常識人としても問題がある人なのではと思われても仕方がない発言だと思う。
この人のIT技術に関する知識自体もどこか偏っていて、「コンピューターは根本的なところ、論理の構造を明らかにするチューリングという哲学者によって発明され、構想されたものなのだ」と言う。それが、その前後に何らかの説明があり、ここに置かれるべき正当性があるのであれば、よいのだが、どうでは全くない。洞窟のイデアを持ち出して、「プラトンはシネマという概念を発明しただけじゃなくて、インターネットも発明したといえる。 ...プラトンはそれを「イデア」と言った。それがインターネットの由来だ」と言うに至ると、もう哲学に��いてよくわかっていない人を煙に巻こうと考えているだけなんじゃないかと思われても仕方がないのではと思う。これでは、読者との間の信頼関係を取り結びようもないし、どうやら著者にその意思もないようだ。
だから、石黒教授と対談をしても、どこか噛み合わない。そんな中で、意識の理論でジュリオ・トノーニの統合情報理論やアラン・チューリングを持ち出して、コンピューターの意識の話をするのだからちぐはぐな会話になる。
全体として、マルクス・ガブリエルは、おそらくは道徳を救うという前提において、一定の結論ありきで論理を組み立てている。
「「子どもを拷問すべきではない」といったような絶対的な道徳的事実があるということを直ちに証明する。だがもし一つの道徳的事実があるとすれば - 今提示したけれども - 絶対的な道徳的事実が存在するということと、道徳的相対主義は正しくないということがわかる」 - これらは「絶対的」というほどのものではない。そもそも、それが道徳として許される社会は想像可能だし、実際に嬰児を殺す選択が親に許されている社会も実在している。「子どもを拷問するな。最低な両親でなければ、親を尊べ。嫌なヤツじゃなければ、隣人にはよくしろ。多くの事実がある、明らかな道徳的事実が。今提示したとても単純なものたちだ。人を殺すな。だから、これらの道徳的事実がある」- いずれも「絶対的」などと言えないだろう。そもそも彼自身が提示したものでもそれなりのあやふや条件(嫌なヤツでなければ、など)が付いている。それを安易に絶対的に道徳的だなどと言わないことが哲学という名では許されている規範だと思っていたのだが。
ホロコーストは事実としてあったし、ポル・ポト政権の虐殺も事実としてあった。ソ連の強制収容所は事実としてあったものだし、ルワンダの部族虐殺も事実としてあった。パプアニューギニアの食人は事実としてあったし、ブラジルのヤノマミは事実嬰児を殺している。過去、日本でも合戦で敵の捕虜は殺されたし、他人の責任を取って切腹して自害を強制されたこともあった。世界でも過去、中国でもエジプトでもおそらく多くの人が供犠として死を強制された。少なくとも道徳的事実は絶対的ではなく、歴史的なものであり、社会的なものであることは疑いないものだ。しかし、ガブリエルはどうやらそうは考えていないらしい。ゲイや障害者の権利を本来持っていたものであり、古代の人はその「事実」を知らなかっただけだという。不変の倫理があり、哲学はそれを発見していくものだと考えているらしい。先の例でいうと昔の人や未開の島では倫理がわかっていなかっただけだと言いたいらしい。
もはや、もしこの本と『なぜ世界は存在しないのか』に書かれていることがおよそすべてなのであれば、ここにあるものは単に、説教臭い道徳に対して、頭のよい学者がヨーロッパの哲学を一通り勉強して都合よく当てはめただけのものなのではないかと思える。
そして、東京、大阪、京都を周り、勝手に思い付きのように語る日本に関する評価も、少しも面白いところを感じなかった。東京は「美しい人」だけが生き残っていく街だとか、前後の文脈を含めても何を言い出しているのか意図が取れない。「これも言い過ぎではないと思うけれども、僕が提示するアンソロジーは「ハイデガー + 日本的思考」、あるいは、ハイデガーからヨーロッパ中心主義的要素をなくしたものに近い、と言えるかもしれない」と無防備に言うが、言い過ぎという表現の話ではないのかと思う。渋谷のスクランブル交差点を見て大仰に「僕の哲学の中で「意味の領域」と呼ばれるものに合致している」と言うにあたっては言説の安売りというべきか、テレビを前にして受けを狙ったサービス精神なのか、いずれにせよ意味がまったくわからない。
「世界は存在しない」という根源的で、また論理に徹した考えから主張をしているのであるから、こういう場においてももう少しは原理的な観点からの発言をしてほしい。例えば、「もしヒトラーと僕が互いの言葉に耳を貸すとしたら、僕は話す言葉を選ぶだろう。そして合意点を見つけることもできると思う。彼に「ユダヤ人を虐殺すべきではない」と理解してもらうこともできると思うんだ」と言った時点であるべき慎重さを完全に失っている。ガブリエルは、科学的自然主義による相対化に実際的な異議を唱えて、今の社会を世間的に受け入れられる形の道徳を哲学的な意味づけを振りかけて提示することに徹しているのではないのだろうか。そして、それが「良い」ことだとおそらくは認識しているように見える。
この書評の最初に、ガブリエルとNHK制作チームは共犯関係にあるのではと書いたが、むろんNHK制作チームもそのことを意識している。制作統括の丸山さんが担当した終章において、「今回の政策チームは、「ガブリエル教」の信者ではない」ということと「「新実在論」を無批判に信じているわけではない」と前置きする。また、ガブリエル本人に「哲学界のロックスター」とラベル付けし、ガブリエルも「ゲームに乗る戦略も必要だ」と返している。その中で西田幾多郎の『善の研究』を持ち出したのは、彼の真摯さにも思える。「「欲望の時代」の柔らかな戦い方」と題されたこの終章は、制作チームにとっても、書かれなくてはならなかったものなのだ。ガブリエルは、どうもこの世界の中で消費されてしまいそうな様子なのだが、それも含めて柔らかな戦略なのだろうか。そうであればハードな振りをするのは止めてもらいたいのだけれども。
補足をすると、辛い評価をしているが、マルクス・ガブリエル自身の思想について否定をしているわけではない。なぜなら、それを判断できるだけの体系的な思想の説明がこの本にはないからだ。
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『なぜ世界は存在しないのか 』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062586703
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2019年の1冊目。ポストモダンとして、政治経済の分野でネオリベラリズムを作り出し、現在の世界に重大な影響を与えている相対主義と社会構成主義、これらに異議を唱える新実在主義。人がどうすべきかということに関する道徳的事実を含めて、事実は存在して、それらは普遍的である。そして、それはすべての人に開かれている。人類には、地域的な文化の違いはあっても、深い違いはない。
AIの進化は、この新実在論が正しいことを明らかにするのだろうか。いくつかの分野で議論されている倫理の問題、この新実在論はどのような影響を与えるのだろうか。
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マルクス・ガブリエルのこともNHKの番組のことも不案内だったので、マルクス・ガブリエルの世界観に馴染む前に読み終わってしまった。この本を読むには、前提となる情報が必要だと感じた。
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丸山俊一「マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する」読了。ラッシュアワーに整然としている日本人の集団を観て、システムが人を制御していると、つまり、すでに映画のマトリクスのような状態にあると解釈しその世界からの脱却を勧める。彼の新実在論は十分把握できなかったが、それがどのような経緯で生じた哲学かを知り、哲学も時代背景にかなり影響を受けるのがわかってかなり興味深かった。考える事の大切さを再認識できたと思う。
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マルクス・ガブリエルの考える新実在論が非常にやさしく語られています。それはひとえに編集者である丸山さんのおかげと思いますが。
哲学界のロックスターという虚像を楽しみながら演じているガブリエルの姿には驚かされました。世界とこんなに仲良しの哲学者はあまり見たことがありません(世界なんてものは存在しない、とガブリエルは言うでしょうが…)。道徳的な事実は絶対的に存在するという話など、ワクワクしながら読みました。要するにとても面白いし、なんだかわかった気になれる本ではあるのですが、あくまでも表面的に、という言葉に着きます。ものすごくうがった言い方をするならば、哲学者すらジャンクフードのように消費する時代になったと言えるのかも知れません。
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【文章】
読み辛い
【ハマり】
★★★・・
【共感度】
★★★・・
【気付き】
★★★・・
敗戦国の日本とドイツ、ドイツはアメリカ化をやめたが、日本はアメリカ化を進めている。
コンピュータサイエンスの根源は哲学。
実存主義:自分の人生以外に、自分の人生に意味を与えるものは何一つない。
人は存在が先にあって、その意味は後付けされる。
言葉を話すことの仕組みを考えると、時間は未来から過去へ向かっている。
「ghost in the shell」ではなくて、「"Geist" in the shell」の方がしっくりくる。
人間である事の最低限の条件は、人間である事の意味を考えること。
システムがある程度の複雑さに達した時、意識が生まれるのかもしれない。
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2019.03 企画はとてもおもしろかった。もう少し理論事態を突っ込むと良いのでは?哲学はやはりおもしろいけど難しい。
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哲学と言われるとハードルが高くなるので、頭の体操と捉える。当たり前だと認識していた物事を、本当に当たり前なのか?と疑う行為はとてもしんどい。普段いかに頭を使っていないか。深く思考する。たまには必要。
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興味深い発言は多いが、会話文であり、ポスト構造主義やデリダへの理解がないと理解は難しい。
そんな中ではマトリックスのたとえはなるほどと思った。
虚構の中の自分とか、動物を強調するとか、なんとなく東浩紀を連想した。
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うーん。日本を見て回りながら語った一章と石黒教授と対談してる三章は、予備知識なしに読むと理解に苦しむ部分が多々。一章は発言してる文脈とか、言葉を補わないとわからんよね。三章の方はいわゆる一般的な意味で使われてないように思われる述語があって面食らう。技術について機能主義的見方をするというのは理解できるけど、そこからなんで解釈主義って言葉が出てくるんだ?
そう考えると何というか新書としての役目を果たしてるのが二章だけだなと。ただそれも触りの部分をさらっと語ってるだけなので、ガブリエルの考え方の中心がちょっと見えにくいのが残念。認識論の文脈でいえば、真か偽かではなく確率的な認識論が標準になって久しいが、そこら辺についてどう考えてるのかは気になる。倫理は相対的ではないと言っても、その土台になる認識が確率論的な現実なのだから。
あと、読んでて一番感じたのが、日本とかドイツとかお国柄的なのを説明に持ってくるやり方って、いまだに説得力のある方法なのかねぇ。正直、理論モデルの1つとして何が見えてくるのかを期待するのはわかるけど、それを前提に何かを語るのは行き過ぎに思える。この本とは関係ないが、ドイツと日本の話でいうと、トッドの家父長制とかの議論も端から怪しくしか思えない。
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マルクス・ガブリエル
欲望の時代を哲学する
海外の哲学の巨匠が説明した、これからの時代に哲学が必要な理由を説明した。
日本の考え方は根本的に海外(とくにドイツ)とは異なっており、あるものへの概念イメージも異なる。
そして、日本人は、存在しないものを存在するとし、海外の人は存在しないものは存在しないとする。
そのような考え方が今後必要と説明した本?
そして、日本は、海外の人の考え方と根本的に違う部分があるから日本なりの
価値の発揮の仕方があるよということをのべているのだと思う。
これは一読ではきつい。
3章
ロボットどうなっていくか
・日本と外の比較
そもそも、各言葉に対するコンセプトが違う。
存在
海外は目に見えるもの
日本は目に見えないもの
英語の先生が会社にくる
Qどうやって言語を学ぶのか
英語を学ぶには英語で学ぶ
英語を日本語に翻訳しない。意味が違う。
日本の文脈依存。暗黙の了解
日本の文脈が理解できない。難しい。
人間の定義 195
・日本人とドイツの道徳
お互いを
日本人は他人を意識する。なんで?
・意味の領域
・何がいいたかったの?
ー哲学っておもしろいもの?
ー哲学はテクノロジーの時代に必要?
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20190422〜0516 NHKの欲望の時代シリーズの書籍化。マルクス・ガブリエル氏はなかなか魅力的な人物だと思う。SNSは伝達の道具としてのみ使用されるべきだと氏は説く。インターネットは決して民主的なツールではないとも。実際、中国ではSNSは監視されているしねwwでも、もうSNSなしでは現代社会を普通に生きていくのは難しいだろうな…