0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨宮司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ワタリガラスの話に惹かれ、アラスカからカムチャツカまで、その物語を追いかける紀行文である。カムチャツカで星野は熊に襲われて亡くなることになるのだが、青写真は見えていたらしく、巻末近くには書かれずに終わった原稿の執筆メモが載せられている。もちろん、星野の文章がワタリガラスのみで終わるわけがなく、ホームグラウンドだったアラスカを始めとする土地土地の、豊かな自然や先住民の文化が写真を交えて執筆されている。返す返すも、あんな形で亡くなったのが惜しい。
投稿元:
レビューを見る
【未完に終わった紀行文が、没後二十年を経て待望の文庫化】太古より語り継がれてきたワタリガラスの神話を求め、アラスカからアジアへ――目に見えない「価値」を追い求めた星野の旅の記録。
投稿元:
レビューを見る
星野さんが彼の人生最後に辿った軌跡はワタリガラスに導かれ、ユーラシア大陸からアメリカ大陸へとモンゴリアンの旅を遡るものだった。
その旅はまっとうされることなく終わってしまったのだけれど、最後の日々に彼が見聞きし、感じたことはかけがえのない確信だったのだと思う。
そして、彼の写真に対する思いに突き動かされた。普段の文章の中ではあまり語られることのなかった写真を撮るという行為だけど、シベリアでの最後の日々に書き記したメモの中では躍動感を持って綴られていた。それは彼自身の感覚とダイレクトにつながっている。だからこそあんな写真が撮れるのだ。
星野さんが亡くなられた後、ボブサムが追悼の祈りを込めて語ったと言うワタリガラスの物語には日本語訳はなかったけれど、言葉を超えたスピリットがひしひしと伝わってきた。
投稿元:
レビューを見る
静かなちからが、文章の彼方此方に満ちている。
それは私たちが日々あくせくと、自分と、自分の文明の世界で暮らしているばかりでは触れられないものに違いない。そしておそらく、大半の人々が、そのちからが精神に補填されないために、荒み、知らないうちに力尽きてしまうのだろう、と思う。
以前とある小説で、「ちゃんと生活をしてきた人間のにおい」という表現を見かけた。「生々しさ」や「死」の隠されていない時代から生きていた、伝統工芸を生業とするすてきなおじいさんを指したことばだったが、自然に生かされてともにあるという暮らしは、その「ちゃんとした生活」のさらに奥で、人間が、ほんとうは絶対に無視できないちからと関わりあっているのだろう。
それは、ある種の、意識レヴェルのチューニングであるかもしれない。子どものようになり、敬意を持っておじいさんおばあさんから昔話を聞くように。貴重な薬草を採るために身を清め、意識を森の段階までもっていくように、である。
この世界を日本語に届けてくれた星野道夫氏に感謝と――本を読んだだけの私には、氏がまだどこかにいる気がしてしまうのだが――哀悼の念を捧げたい。
投稿元:
レビューを見る
モンゴロイド(日本人かもしれない)が、カムチャッカ半島からアメリカ大陸へと移動するという壮大なロマンを感じる。
ワタリガラスが作った世界観も興味を引くし、大自然の中だからこそスピリチュアルな体験も現実味を帯びる。
池澤夏樹があとがきで生きた星野道夫を浮き上がらせる。
投稿元:
レビューを見る
3月から4月にかけて公私ともにイベント続きで、読書の時間をまともに取ることができず、心が乾いてざらついたような感覚に陥った。こんな時に効くのはこの人の本しかないだろう、ということで手にした星野道夫のエッセイ。
大自然のように広い心と優しい文章、そして美しい写真に包み込まれて、心のざらつきが消えて潤いが戻ってきた。この本の中で「深い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、不思議な心の安定が得られるのはなぜだろう」という一節があるが、今のワタシに言わせれば「星野道夫の文章に触れると何か大きく温かいものに優しく抱かれているような、不思議な心の安定が得られるのはなぜだろう」ということになる。
本書は、雑誌『家庭画報』への連載を中心にまとめたものなのだが、その連載中に星野はヒグマに襲われ、帰らぬ人となった。池澤夏樹が寄稿した巻末の文章が、重く胸に迫る。(実は、ワタシは池澤夏樹の文章はあまり好みではないのだけれど、この寄稿文は名文だと思う。)
投稿元:
レビューを見る
かなり以前にも星野道夫さんの著作(「魔法のことば」)は読んだことがあるので、久しぶりになりますね。
こちらは、未完に終わった雑誌の連載に日誌を加えて一冊の本に作り上げられたものです。
私とは全く違った世界に生きた星野さんの思考や行動に触れると、その瞬間だけでしかないのが情けないのですが、大いに励起されるものがありますね。
投稿元:
レビューを見る
星野道夫さんのファインダー越しのアラスカは、自然の厳しさと人の優しさと先人たちの想いにあふれていた。人類学ではなく神話の旅。ワタリガラスの伝説を追ってたどり着いたのはシベリアだった。そこはアラスカと同じように厳しい寒さとつましくも心豊かに生きる人々の姿があった。未踏の地と思われるようなアラスカの原野には人々の物語が満ちていると語る星野さん。アラスカの地に住まう人々を敬い、出会いに感謝し、忘れられていく文化や民話を拾う一方でカメラを持ち、異民族として彼らと接する姿はトリックスターのようでもある。
投稿元:
レビューを見る
まだ途中までしか読めていないのだけれど、本当に心の奥底にまで言葉が響いてくる。何故だろう?星野さんの言葉には、太古の空気感とか、苔むした森の霧とか、氷の上で生きるものたちの息づかいとかが、含まれているように感じる。仕事や人間関係で疲れ切った私にも、まだこんな風に感じられる部分があったんだ、と思えるくらい、感性にじんわり染み込んでくる。写真のよさは言うまでもない。これだけ言葉を連ねても、この本の良さは全く伝えきれない。きっと何度も読み返して救われると思う。
投稿元:
レビューを見る
【いちぶん】
その話を聞きながら、目に見えるものに価値を置く社会と、見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、より根源的であるように。
(p.54)
投稿元:
レビューを見る
アラスカ世界に散らばるワタリガラスの神話を追って、魂は太古の時代へと遡ってゆく。彼らエスキモーやインディアンのルーツは、ベリンジアを渡ってきたモンゴロイドと言われているが、旅の途中、海岸線に住む一派は異国から漂流したアジア人がルーツだという伝承に出会う。その中にはアイヌや和人も混じっていたかもしれない。ワタリガラスを追い、シベリアに渡った直後にこの手記は途絶えている。星野さんは熊が好きだったらしい。アイヌの伝説には、熊に殺された人間は、熊の結婚相手として神の国に貰われるという言い伝えがあるそうだ。
投稿元:
レビューを見る
20210629
シンプルで飾らない言葉と写真。
だけれども愛と感動を感じられるストレートな表現。
お酒を飲みながら縁側でゆっくり読みたい本。
正直本の内容の全てがわかった訳では無いけれど、事実としてワタリガラスの伝説を広い地域の人が信じていて、けれども時代と共に何万年と続いていたストーリーが消えてしまっている。
これを否定的に捉えるのではない。けれど失われる前にどうにかして遺しておきたいと思い彼は旅をしたのだろう。
星野道夫が亡くなって25年。私が生まれるより前だ。まだまだ撮りたい写真、書きたい言葉、知りたい世界があったのだろう。彼の言葉はまだ新鮮で新しい。
投稿元:
レビューを見る
物語は原住民のアサバスカン族やハイダ族の先住民が、伝承しきた「ワタリガラスの神話」をテーマとしています。
ワタリガラスの伝説を追うというとても興味深いテーマですが、事故によりこの世を去ったことで完成されぬままそのテーマは終わりを迎えました。
古くから現地に住む民族であるインディアンのシャーマン的人物・ボブとの出会いにから、インディアンの精神世界に急速に引き込まれていく様子がとても印象的な一冊です。アラスカの自然美から、もっと深いところへ旅を続けたことで生まれた一冊です。
ボブとの出会いのシーンは、文章でありながら本当に音が止まったかのような世界が拡がり、精神世界の深いところを旅している感覚を味わえます。
この本の完成形を読みたかった。
投稿元:
レビューを見る
目に見えるものに価値を置く社会と、目に見えないものに価値を置くことが「できる」社会の違いを、僕は思った。
星野さんの綴る文章と少しの写真で、遠い海の向こうの大自然とそこで生命を紡いできた人たちの生活を覗き見することができる。
ずっと手元に置いておきたい本のひとつ。
投稿元:
レビューを見る
すごく良い本だった
自分がどこかにワープして浮いてるような感覚になる
遠く遠くに飛ばされるというか
いかに自分のいまの生活が、機械的で整然としていて、生命というものから離れていて、人間として鈍くなっているかを感じた
土地に関すること歴史的な部分の補足情報はあまりなかったので、理解が追いつかないなという部分もあったけど