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紙の本
スミスのこだわりを味わってみる
2009/01/25 22:33
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古典とは人に読まれていないものをいう、などという言い方もどこかにはあったろうか。経済学の中でアダム・スミスの著作はまさしく、その読まれていない「古典」の一つであったと過言ではないだろう。しかも、市場を表現する際に必ずと言っていいほど、著作の「神の見えざる手」が参照されているのに、である。
意外にもアダムスミスの主著は、『国富論』と『道徳感情論』の二つだけである。その二つを一括して扱った日本語概説書は、昨年の『アダム・スミス』(中公新書)が初めてではないだろうか。ひじょうに明快にまとめられており、てっとりばやく中身をつかみたい方(もしくは古典の予習復習)にはこちらをオススメする。
アダム・スミスをまともに紹介するのは、現在では、経済学というよりも思想史の分野かもしれない。そこでは、人によっては「彼は市場や分業について議論をしただけではなく、道徳感情論で道徳の問題をあつかっていたのでもある」と訳知り顔で紹介されることもある。ところが、この『道徳感情論』は「道徳も扱ってます」といった程度の本ではない。
試みに、ある章のタイトルを見てみよう。
「第5部第1編 美しさとみにくさについてのわれわれの諸見解にたいする、慣習と流行の影響について」それで、続く第2編が「道徳的諸感情にたいする、慣習と流行について」となる。
書名に「感情」がついていることからもわかるように、本書は、「〜すべき」の単なる道徳論議ではない。道徳的感情、さらにはその背景にある感情一般について広く論じているのである。ほとんど心理学である。本書に「経済と道徳」についての、性急な解答を期待する人には肩すかしをくらうであろうし、迂遠さを感じてしまうかもしれない。しかし、近年において、心理学や脳科学、そして経済学(行動経済学や神経経済学)さらにはロボット工学でも、感情の問題が重要になっていることを踏まえれば、本書の先見性が理解できるだろう。
ただ実際には、現在の学術書などの叙述スタイルも構成も異なるので、読みづらいところがあるかもしれない(訳文については別の問題として)。むしろ、ヒトの感情へのスミスの非常なこだわりそのものを感じながら気軽に手に取られたい。概論は先の新書にゆずるとして、まずはこの不思議なくらいなまでのこだわりを味わう、というのも古典を読む楽しみではないだろうか。
紙の本
自由競争の前提
2005/01/28 15:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まさぴゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
アダムスミスといえば「経済学の父」と呼ばれますが、実際には彼は最後まで「道徳哲学の教授」でした。そもそもいまでいう「経済」という、世界観はこの頃にはまだありませんでした。彼の「諸国民の富」という経済学の古典は、彼の人間観と社会観が描かれているこの著作を土台にして抜きには、一切語れません。大学の授業では社会思想史に分類されてしまいますが、本当は経済原論の授業の前提として、どういう社会制度設計を意図してアダムスミスが世界を描こうとしたのかを説明しないと、大きな勘違いが起きそうな気がします。
とりわけ経済学の功利選考をするプレイヤーが、実は共感可能性によって「全体と相手にとって究極の損になる」ような極端な選択は取らない存在であるという仮定は、非常に興味深く感じました。この著作で重要だと僕が思うのは「神の見えざる手」が成立する「前提の社会環境」が変化したら成立しなくなるとスミスが発想している点です。ここからは制度派経済学や社会工学の発想につながりますよね。つまり「神の見えざる手」という「自由競争による最適化」が成立する社会環境の要件は何かということです。もっと言い換えると、共感可能性を持った人間が再生産されない社会、共感可能性が社会的に共有されない社会では、神の見えざる手は働かないといっているに等しいからです。外部環境は変わります。変わるものを安定させるには、教育や規制なしには、自由競争は崩壊すると考えているも同じだからです。そういう意味では、名著といわれる古典原典に遡らないとなかなか、本質のイメージに近接できないものなのだなと思い知らされた著作でした。
近現代の社会思想は、あまりに社会が複雑になりすぎたために社会の全領域をスコープに収めたダイナミックな発想が出来ず法学、経済学、社会学、人類学、宗教学などなどにタコツボ化してなかなか「全体像がどうなっているのか」が見えにくくなっています。そういう意味でスミスのような古典は、コンパクトに社会すべてを対象領域にしており、議論のベースとしては最高でした。読んでいただければ「そもそも我々の住む社会の全体像がどうなっているか」という非常に大きなスコープで描かれていてスミスの知性の幅広さに驚かされます。古典が故に読みにくかったりしますが、時の流れを乗り切ったものは、乗りきっただけの力があるものだと思います。なんちゃって読書人の僕の読み方が正しいかはわからないですが、とりあえず少しめんどくさくても、古典に議論を戻したり読み直すことは、スピードの速い代わりに中身が断片的な現代に必要な行為ではないかと思いました。
ただし文体の訳出方法自体もある種のマインドコントロールなので、逐語訳や文語体の小難しい訳もあれば、山形浩生さんの「クルーグマン教授の経済入門」(ポールクルーグマン著)の訳出のような、わかりやすい意訳も必要ではないかと思います。英文で読んだ時との落差がありすぎる。英文のほうが簡単というのは少しヘンです(苦笑)。大衆教育の一般化に平行して、日本教育はエリート教育が完全に形骸化しています。であれば、旧制高校時代のウルトラモチヴェーションの高いエリート(内発性が高いという意味で)がいない現代には「教え方」や「伝え方」はもっと考えられて練られてしかるべき気がする。
紙の本
一般的に経済学者として知られているアダムスミス。
2009/06/15 21:32
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
一般的に経済学者として知られているアダムスミス。
実は専門は道徳哲学。
彼の最初の著書がこの「道徳感情論」です。ちなみに彼のいちばん有名な著書は「国富論」。
本書は人々がもっている感情の交流が社会の中で、どのような役割を担っているかを考察したものです。
最初に出てくるのが、「同感」。
自分と観察者の間で交わされる感情です。
この一対一の同感が社会規範につながっていく過程を細かな観察をもとに描いていきます。
さらに人間にとっての幸せにも言及しています。
著者はそれを「財産への道」と「徳への道」と表現しています。
どちらの道を行くべきか。
答えはありません。
それぞれの選択にゆだねられています。
しかし、この二つの道は二者択一ではなく、同時に追求できるとも言っています。
日本語訳が少々難しいのが難点ですが、思考を深めるにはよい一冊。
龍.
http://ameblo.jp/12484/