紙の本
「学校」についての常識を再考する良書!
2016/05/08 09:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「学校」についての常識と思われていることに対して、社会学者による筆者が回答を試みた非常に面白く、興味深い一冊です。例えば、「なぜ、毎日学校へ通わなければならないのか?」、「なぜ、勉強しなければならないのか?」、さらには「なぜ、校則を守らなければならないのか?」など、普通ではなかなか答えずらい子どもからの質問にも社会学の視点から、また複眼的な視点から回答を探っていきます。非常にやさしい言葉使いで書かれてあるので、とても読みやすい良書です。ぜひ、一冊どうぞ!
紙の本
「学校や教育について,常識にとらわれない考え方をしてみよう」(あとがき236頁)
2009/01/08 00:47
9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1章 どうして勉強するの?
第2章 試験の秘密
第3章 校則はなぜあるの?
第4章 教科書って何だろう
第5章 隠れたカリキュラム
第6章 先生の世界
第7章 生徒の世界
第8章 学校と社会のつながり
かりやたけひこは1955年(東京都)生まれ。東大大学院(教育学修士)。ノースウェスタン大学大学院(Ph.D)。本書刊行時点では東大教育学部勤務(教授)。『階層化日本と教育危機』(第1回大仏(おさらぎ)次郎論壇賞奨励賞)など。本書は,97年9月から98年3月までの7ヶ月間に『毎日中学生新聞』に連載したものを単行本化し(講談社,98年),その7年後に文庫化したもの。文体は中学生を意識しているが,主題は万民向け。横田一(同『新聞』編集長)に“お前は中学生を研究対象にしているが,自分の研究内容を中学生に伝達できるか?”という言葉に強烈に刺激されて連載執筆に同意したらしい。研究者魂を著者が持っていることを感じさせる逸話ではある。
本書目次は面白い。勉強の必然性を解く章が問題提起の章として劈頭に来るのは判るが(教育対象の明確化),普通なら最初に扱うべき教育主体である生徒(第7章)やその介護者である教員(第6章)が真っ先に来ず,試験やら校則やら教科書など,教育手段が先に来ている。しかし,これは著者の執筆姿勢を深く反映している。つまり,「学校って何だろうという疑問からスタートして,学校や教育について,常識にとらわれない考え方をしてみよう」(あとがき236頁)という立場である。客体世界の変革主体を説く以前に,客体世界自体をまずは解明しようというスタンスである。この目次は著者がそういうことを読者に訴えようとしていると解釈できる。しかし,これは著者なりのオブラートだ。苅谷の読者であれば直観できると思うが,苅谷はここで言っている「常識」が“幻想”(苅谷『教育改革の幻想』)であることをうすうす臭わせている。常識人の常識からすれば,誰もが疑い得ないものを誰が疑うだろうか? 疑う根拠があるからこそ,「常識にとらわれない」見方(=常識からの脱却)を推奨しているのだ。常識が偏見であることを訴えているのだ。管見の限り,著者はハードデータ(教育統計)を扱える数少ない論客で,社会科学的には正統派だ。私が教育(学)関係の著作をここ十年で漁り始めて以来,彼の著作に接するたび,教育社会学者はこれまで何をしていたのかと落胆してしまう。彼に並ぶ教育学上の社会科学的正統派は彼の著作刊行以前にはいなかったのだろうか?
さて本書本旨だが,目次に見られる疑問文が問題提起となっており,著者の解決は暫定。書評子に新発見はなかった。「学校の先生というのは,全部が全部,よりすぐりの特別な人ではないと考えたほうがよいでしょう。・・・単純に数[日本人人口で言えば130人にひとり,労働力人口で言えば75人にひとり-BCKT]のうえから考えてみても,先生に何ができるのか,その限度がわかるでしょう」(167頁)といった当事者には挑発的な文言を冷静に感受できるかどうかが,よき社会人としての教員であるかどうかのリトマス試験紙となろう。
(1294字)
投稿元:
レビューを見る
「なぜ勉強するか」の話に始まり、試験、校則、教科書、隠れたカリキュラム、また先生と生徒の世界、学歴社会と学校の関係について明確な答えをあえて提示することなく、読み手に考えさせる内容で、自分自身も考えさせられた。文体もとても簡単で読もうと思えば1時間やそこらで読めるがよく噛み砕きながら読むことを薦める。
中学生のときに出会えれば学生生活もちょっとマシになったかな。
投稿元:
レビューを見る
中学校で働いていると、生徒に『先生はワックスつけてんのに、なんで俺達はダメなの?』と言われる。それに答えを返せないときに読めばいい本。ただしこの本にはいろいろな疑問が発せられてはいるが答えは書かれていない。自分なりの答えを見つけるための手がかりがのせられている。
投稿元:
レビューを見る
「なぜ勉強するか」の話に始まり、試験、校則、教科書、隠れたカリキュラム、また先生と生徒の世界、学歴社会と学校の関係について明確な答えをあえて提示することなく、読み手に考えさせる内容で、自分自身も考えさせられた。文体もとても簡単で読もうと思えば1時間やそこらで読めるがよく噛み砕きながら読むことを薦める。
中学生のときに出会えれば学生生活もちょっとマシになったかな。
投稿元:
レビューを見る
「どうして勉強するのか」、「校則はなぜあるのか」。非常に簡単そうに見えて、実は説明が難しいこれらの問題はいつも「当たり前」という答えによって社会の中で片付けられてきた。だからこそ、僕自身もただ漠然と受け入れてきた。この問題を、僕が尊敬する教育社会学者のひとり、苅谷剛彦氏が分かりやすく、かつ語り口調で、勉強することや学校に行くことを教えてくれる。僕みたいに難しくて堅苦しい本を読むことがあまり好まない人にとっても読みやすい本だと思う。その上で、この本は読者に、上記の疑問に対する前とは違った新しい視点を与えてくれるはずだ。ただこの本は「ヒント」を与えてくれるのであり、決して「答え」をくれるわけではない。それぞれが主体的にその答えを突き詰めていくことこそが重要なのであって、そこをスタート地点として教育の本質を考えていくことができればいいと思う。
タイトルを見ると一見子供向けのようだが、そんなことは全くない。高校生、大学生、社会人が読んでも非常に興味深い本だと思うので、非常にお勧め!
投稿元:
レビューを見る
小学校からのときからほとんどの時間を“学校”で過ごしてきた私たちにとって学校の中で当たり前と思われていることは果たして本当に正しいのか。この本はみんなが当たり前だと思っている事を改めて考え直しているところが読みどころだと思います。(満島)
投稿元:
レビューを見る
学校の常識を疑う。
なぜ勉強するのか。
テストはなぜ静かにして、みんな同じ時間で、他人の見ずに、名前を書いて取り組まなければならないのか。
そんなことを誰でも分かる平易な言葉で書かれている。
そして、複眼的視点で考えることを薦めている。
中学生を対象に書かれた本であるが、親や教師、塾の先生など、子供の教育に携わる人は読んだ方がよい。
投稿元:
レビューを見る
かなり内容アリ、オススメです。
ひたすら自分の考えを明確化しないところが新しいなと思いました。
実は、この教授にはアプローチを試みまして、失敗した経緯があります(笑)
投稿元:
レビューを見る
題名の通り、学校とは何なのかについて、教師や生徒など色々な切り口から考えることができる。中学生にも理解できるように書かれているため内容は深くはないが、文章が容易であるため理解し易い。学校教育を考える上での入門書としては最適であると思う。
投稿元:
レビューを見る
教育社会学者である著者が、「学校」という存在をどのように見たり考えたりしたらよいのかを、中学生にも分かるように語っている本です。世間一般の常識や先入観とは異なる「学校」への視点を、順番にていねいに提示しながらも、「回答」は決して押しつけずに読者(中学生)に考えさせています。教育社会学の知見に基づいた内容であるにもかかわらず、専門用語はほとんど登場せず、とても平易な語り口で予備知識なしに読めます。
投稿元:
レビューを見る
・3/18 随分前に買おうと思ってた本をようやく読み始める.確かどっかの書評に書かれていて気になっていたんだと思う.
・3/22 読了.xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
投稿元:
レビューを見る
(「BOOK」データベースより)
「どうして勉強しなければいけないの?」「なぜ毎日学校へ通わなければいけないの?」こうした疑問には、大人になった今でもなかなか答えづらい。他にも、「どうして校則でソックスの色まで決められてるの?」とか「教科書ってほんとに必要なの?」など、生徒たちの疑問は尽きない。これらに対する答えはひとつではない。これまで考えられてきた学校や勉強についての「常識」を複眼的に問いなおし、「学ぶことの意味」をふたたび掴みとるための基本図書。
投稿元:
レビューを見る
学校にまつわる諸制度について、社会学的に捉える入口になる本。基本的には中高生向きに書かれているらしいが、特に層は選ばないと思われる。特に著者の人の、問題解決へ向かう思考が参考になる本です。
なぜ制服があるのか。
なぜ校則があるのか。
なぜカリキュラムがあるのか。
などなど、身近な疑問を挙げつつ考察を進めています。
上記のような疑問というのは自分自身が例えば中学生だったりしたときには恐らく感じていたことだと思うのだが、10年くらい経ってしまうとそんなもんじゃね?とか思ってしまうのが怖いところです。あるいはそういう疑問を一種の悩みとして、「何故」と正面から向き合って盗んだバイクで走り出してしまうような方法をとってしまってもやはり解決しないんですよね。文字通り行く先も分からない。
筆者の方法としては「時間」と「空間」の比較が挙げられます。
時間なら、「昔はどうだったのか」。
空間なら、「外国ではどうなのか」。
こういう風に捉えると見えるものも変わってくるでしょうね。
また、何故と問うてわからないなら「どのように」とか、もっと具体的に迫れる問いに置き換える、これは実に参考になる考え方でした。
扱っている題材が「教育」であるということのクリティカルさが説得力を底上げしているという面ももちろんあると思うのですが。
投稿元:
レビューを見る
中学生に向けて,優しい語り口で書かれた一冊。するすると読めました。
当たり前に過ごしている学校生活がいかにすごいものか,その背景にどのような問題を抱えているのか…中学生が読んだらかなりハッとする内容だと思います。
また,研究者がその研究内容を,10代の子ども達に分かるように書いてほしいと編集者から打診があったそうですが,こういう試みそのものがこの本の価値でしょう。中学生達が今受けている教育のその先に,どのような考えや研究が繰り広げられているのか,彼(女)たちにとってそのようなところまで見渡せるきっかけ作りができたとしたら,大変意義深いのではないでしょうか。