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商品説明
カネと暴力は社会をうごかしているもっとも大きな要因だ−。このふたつの要因への考察から、国家、資本主義、そして非合法権力がかつてない姿で現われる! 「国家とはなにか」で注目をあつめた新鋭による書き下ろし。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
萱野 稔人
- 略歴
- 〈萱野稔人〉1970年生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。東京大学21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究員および東京外国語大学非常勤講師。著書に「国家とはなにか」等。
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書店員レビュー
――生きていくためにはカネが必要だ。
MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店さん
――生きていくためにはカネが必要だ。
この一行から始まって、社会を動かす権力構造が図式的に描かれる。すなわち、他人から
カネを奪う(税制)機構としての国家、他人を働かせて上前をはねるシステムとしての
資本主義、そして非合法権力(アウトローやファシズム体制)である。
奪うだの、税=みかじめ料といった譬えだの、一見乱暴な言葉の頻用に驚かされるが、
“ナイーヴな発想にとどまっているかぎり、社会の仕組みを理論的に把握することはできない”
と文中にある通り、“力”の在り処と作用とをむき出しにした本書の解説はたいへんわかりやすい。
普段はマイルド且つ難解な言い回しに包まれていてお化けのように感じられる、権力というものの
輪郭が、はっきりと可視的に現れてくる。
更に、説明に用いられるフーコーやアーレントの理論が逆説的によくわかる、というオマケ(?)
つき。まさに生きた哲学の書――というか、哲学ってちゃんと生きてたんだ! と今さらながら
実感できる、秀逸な1冊。
人文担当 武良
紙の本
コッカとヤクザ
2009/04/28 07:55
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『国家とはなにか』の続編。
骨格となるロジックはシンプルだ。言葉は機能に徹し、ごてごてとした装飾は排している。かくして、質実剛健な書像(論文)がロールアウトされる。
ごてごてとした装飾を排したといったが、見かたによっては挿入されるドゥルーズ=ガタリやフーコーなどからの引用文が装飾的に思えるかもしれない。これらは文体からして「異物」だ。しかし、前作でもそうだったが、著者はこれらを自分の文章に取りこんで血肉にしてしまう。
それだけなら、すくなからずやっている人はいるだろうが、肝心なのは次のことだ。それは、著者自身だけにわかるような独りよがりのものではなく、読者にも通ずる形でなす、ということだ。
だから、おそらくは高校3年生ぐらいでも読みこなすことのできる思想書ではないだろうか。いや、少々背伸びしてでもいいから若い人にこそ読んでもらいたいと思う。
なぜ「金」でなくて「カネ」なのか。著者の説明はないが、想像するにある種の「いかがわしさ」を醸しだせるからではないか。また、新しい重要なアクターとして「ヤクザ組織」が登場することも関連していそうだ。
ふだん私たちは、このヤクザ組織と国家とはどこが違うのか、なんてことを考えたりはしない。「違うのはあたりまえでしょ」で思考は停まる。しかし、著者はあたりまえとは考えない。どこが違うかを追求する。わざわざそうするのは、国家とヤクザ組織にはとても似たところがあるからだ。それは、両者が存続し発展するための活動にかかわる。枝葉を落として単純化していうと、暴力によってカネを徴収するという活動のことである。
この似かよったところのある両者から「違い」を抽出することによって、国家の像がクリアカットに浮かびあがる。
著者の論理展開の手つきは、タイトでクレバーだ。
ヤクザ組織はアウトロー集団である。本書ではアウトローは「法の外」と定義している。法の外と国家は手を組むことがある。国家はアウトロー集団を利用することによって、逆説的だが統治のための秩序を維持しようとすることがある。この戦略は、秩序を維持するためにかかるコスト削減にも資するのだ。
戦争の民間委託にも似かよった点がある。それによって国家にかかる責任と負担は軽減できるのだが、いいことであるとはいえない。
著者の提示する国家像は、あくまで冷徹でシニカルだ。一瞬、アナーキストかリバタリアンにでもなりたい気分になるが、もちろんそれは気分だけだ。いったんは、つきはなして根底から考えてみるということが大切なのだろう。そのうえで、どう「国家」とつきあっていくか。
後半では国家と資本の関係において、ある大胆な仮説が語られる。ここはもっと論証を深める必要があると思ったが、それは今後に期待したい。