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カネと暴力という二つの要素をどのように操ることで、国家による支配が行なわれてきた&行なわれているかを根本から考えさせてくれる。特に「暴力への権利」という表現を用いて、国家がアウトローな人々を操縦したり資本主義を裏付けてきた過程は非常に興味深かった。フーコーやカール・シュミットを引用しつつ、彼らの考えを筆者なりに分かりやすく説明してくれている点も有難い。
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被害者の身内が加害者を殺すのは違法なのに、なぜ国家が加害者を殺すことが合法なのか。
言い換えよう。死刑という「合法」な殺人は果たして「正当」なのか。この問題を突き詰めると、国家は暴力を独占していることがわかる。
なぜ戦場だと殺人を行ったのに罰の代わりにカネを与えられるのか。国家から委託された民間軍事企業が行った殺人にも関わらず、なぜそれが「合法」なのか。この問題を突き詰めると、国家は暴力だけにとどまらず「暴力への権利」をも独占していることがわかる。
正当性は合法性の根拠にはなりえない、これはインパクトのある論理的事実だ。合法だからといったって、許されない行い、許してはならない行いはたくさんある。実社会を見てみれば一目瞭然だ。素知らぬ顔してウソぶいてる社会に噛み付いてやろう
あと紙厚が厚すぎるゾ、そんな所で分厚さをかせごうとしないで欲しい。
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[ 内容 ]
社会を動かす二つの力=カネと暴力への考察から国家、資本主義、そして非合法権力がかつてない姿で現われる。
『国家とはなにか』で注目の新鋭によるいまもっとも必要でリアルな書き下ろし。
[ 目次 ]
第1章 カネを吸いあげる二つの回路(カネを手に入れる四つの方法;二つの“権利”―暴力とカネ)
第2章 国家と暴力について(国家とヤクザ組織の同一性と差異;国家はなぜ合法的な暴力を独占できるのか ほか)
第3章 法的暴力のオモテとウラ(法と例外;非公式暴力の活用 ほか)
第4章 カネと暴力の系譜学(所有の起源;資本主義の成立と所有の変容 ほか)
[ POP ]
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[ 参考となる書評 ]
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かつての支配層がブルジョワジーとして姿を変えて旨みを吸っている。暴力をもって下層から搾取し、利用する為に国家を作り、法を都合よく作り変えて支配を続ける。
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国家、社会のなりたちを、暴力への権利、富への権利という二つの権利から紐解いていく。
ドゥルーズ=ガタリ、フーコーらを引用しつつ、なぜ国家だけが暴力への権利を持つのか、それが何を可能にし、どんな風に社会を作り上げてきたのか、比較的平易で順序だったわかりやすい文章で綴る。
大学で講義に来てくれていたのに、もっとちゃんと聞けばよかった。
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国家と資本という、現代に生きる人にとっては当たり前のシステムが「強制的、合法的にカネを吸い上げる回路である」という、なかなかショッキングな定義から始まる。論調は過激にも取れるが、論そのものは明快。
2章では、国家とヤクザの類似性について触れられている。一見すると両極端のようだが、カネを支払うことで暴力やトラブルの解決を期待できること、暴力を背景にカネの聴衆が強制的になされること、他の暴力を違法なものとして取り締まることなど、実は似ている点もあるということが分かる。
終盤では「暴力」からはやや離れた点として、資本主義が深化していくと「カネ無しで営まれていたことが、カネで買うサービスとして商品化される」ため、「カネを介さない相互行為の幅が狭まっていく」という論が提示される。
ここに来て、日本社会がかつてと異なり、子どもや老人の世話をコミュニティでしなくなったという社会問題の原因が明らかになる。子どもの世話は幼稚園や保育園や学童、老人の世話は介護福祉系の「商売」が成立したので、今の日本には互助のシステムがあまりない。翻って、そういった「商売」がまだ導入されていない途上国などでは、弱者の世話をみんながする、というコミュニティが機能している。なぜ、日本よりも途上国のほうが子どもや老人が幸せそうなのだろう、という自分の長年の疑問が一つ、解消された感があり、ここだけでも読む価値はあった。
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国家だけが暴力を独占的、合法的、実効的に占有できる。それには根拠があるわけでなく、実効的に占有できるものが国家となる。所有は暴力を背景に国家が認めることで成立する。
例えば日本の武家政権のなりたちや御恩と奉公を知っていれば事例として容易に理解はできるが、哲学・思想として説明されるのは面白かった。