サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

  • みんなの評価 5つ星のうち 3.9 63件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2009/07/01
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/403p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-378406-7

紙の本

太陽を曳く馬 上

著者 高村 薫 (著)

福澤彰之の息子・秋道は画家になり、赤い色面一つに行き着いて人を殺した。一方、一人の僧侶が謎の死を遂げ、合田雄一郎は21世紀の理由なき生死の淵に立つ。—人はなぜ描き、なぜ殺...

もっと見る

太陽を曳く馬 上

税込 1,980 18pt

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

紙の本
セット商品

太陽を曳く馬 セット

  • 税込価格:3,96036pt
  • 発送可能日:購入できません

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

福澤彰之の息子・秋道は画家になり、赤い色面一つに行き着いて人を殺した。一方、一人の僧侶が謎の死を遂げ、合田雄一郎は21世紀の理由なき生死の淵に立つ。—人はなぜ描き、なぜ殺すのか。9.11の夜、合田雄一郎の彷徨が始まる。【「BOOK」データベースの商品解説】

【読売文学賞小説賞(第61回)】福澤彰之の息子、秋道は画家になり、赤い色面ひとつに行き着いて人を殺した。一方、ひとりの僧侶が謎の死を遂げる。人はなぜ描き、なぜ殺すのか。9.11の夜、合田雄一郎の彷徨が始まる。『新潮』連載を加筆修正し単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

著者/著名人のレビュー

 人は宗教に何を求め...

ジュンク堂

 人は宗教に何を求めるのだろうか。かつてオウムの信者であった青年が、禅寺で修行中に交通事故に遭う。
 人はなぜ描き、なぜ殺すのだろうか。赤く塗られた部屋で、同居人と隣人を殺した青年・福澤秋道。
 時空をへだてた二つの事件に、二人の人物が関わる。当事者側は秋道の父・彰之。彰之はまた事故死した修業僧の上司でもあった。警察側はおなじみ合田雄一郎。合田は「現代の究極の闇」に惑い、苦慮する。
 『晴子情歌』『新リア王』に続く福澤家三代の物語は、本書で終巻となるが、それぞれであぶり出された「闇」に終焉が訪れる日が来るのだろうか。

みんなのレビュー63件

みんなの評価3.9

評価内訳

紙の本

『晴子情歌』は母・晴子と福澤彰之の対話であった。『新リア王』は父・榮と彰之の対話であった。そして『太陽を曳く馬』では子・秋道と彰之の対話があり、三部作の一貫して中心人物であった福澤彰之が歩んできたところの究極に見えたものがある。さらに実に巧妙な仕組みだと感心させられるのだが、あの合田雄一郎の復活であった。

2009/09/26 18:56

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

『太陽を曳く馬』が彰之の人生の集大成である以上『晴子情歌』と『新リア王』に登場した彰之を理解しその延長に位置づけるのが本来の読み方だろうと思われる。実際、『晴子情歌』『新リア王』を読んでいた時には見過ごしていた事柄が『太陽を曳く馬』のための重要な伏線として構成されていたことに気がつく。

そこで『晴子情歌』『新リア王』にある『太陽を曳く馬』との結節点のポイントを整理してみた。

晴子は青森の旧家福澤家の三男.淳三が出征する前夜に婚姻。淳三が出征中に長男・福澤榮(帝大卒、地方財閥の主、自民党の有力な政治家)の好色に一夜限りの情を通じたことから彰之を出産する(昭和21年<1946年>『晴子情歌』)彰之は私とほぼ同年代の人物であるから彼の人生の背景は理解しやすい。
彰之は東大在学中に複数の女性とつきあうが杉田初江との関係は深く、強引な別れ方をしてその後ずっとつきまとわれることになる。初江との間に秋道が誕生しているが(昭和43年9月<1968年>『晴子情歌』)彰之がその事実を知るのは昭和51年<1976年>のことであった(『晴子情歌』)。(彰之は母晴子に初江と同様の官能を覚える屈折した自分に気づいている。また彰之は「福沢榮・晴子・彰之の相関=彰之・初江・秋道の相関」として不穏な血の相似性を予感しているところがあると私には思われる。)
(欲望の人であった福澤榮の血を引いた彰之はその世俗をたって、煩悩からの解放のために仏門に入ったのだと私は思うのだが………)
以下『新リア王』
1983年、金沢大乗寺で修行中の彰之を初江が探し当てる。初江は結婚しており、夫の板橋の実家で秋道とともに暮らしていた。この間、10代の秋道はたえまない粗暴行為で矯正施設、教護施設での生活を繰り返している。また彰之は板橋の実家を訪ねており、そこで秋道が義父より虐待を受けていたこと聞く。
1983年、故郷青森の普門庵の仮住職に就き初江の共同生活が始まる。
1983年、教護院の秋道(15歳)は都内で傷害事件をおこし、逮捕される。少年院へ。
1986年7月、 初江、失踪する
1986年10月、彰之は秋道と養子縁組する。
1986年11月から、秋道、普門庵で共同生活。暴走族仲間のたまり場、シンナー、暴力沙汰の日々。
「一言で申せば反社会のために生まれてきた生き物でしょうか、小学生のとき学校で飼っているウサギの耳を切り取ったそうで、親の目にも実に若々しい顔をした悪鬼のようです」
そして彰之は秋道が絵をかくことに夢中になっていることに気づく。
1987年12月、東京北沢署の合田という若い刑事から、杉田初江が餓死したと連絡がある。そして秋道は当地で傷害事件にかかわり、失踪する。

年月にこだわったのはストーリーが登場人物の記憶をやたらに遡り、なかなかついていけないためであり、全体に時の重さが一つのテーマになっているからだ。

そして『太陽を曳く馬』は2001年の秋から始まる。すでに彰之は55歳ということか。

冒頭、思いもかけなかった人物、合田雄一郎が登場する。そして私の知っている刑事・合田雄一郎とはまるで別人に変貌していることに驚かされた。知っているといっても『レディ・ジョーカー』『マークスの山』『照柿』だけ。1959年(昭和34年)生まれであるからここでは42歳の働き盛りであるはずだ。『レディ・ジョーカー』『マークスの山』では警察小説のジャンルにあるいわゆる敏腕刑事であって、これが『照柿』では彼のプライバシー(別れた元妻・貴代子への断ちがたい思いと事件当事者である女との恋愛など)が深いかかわりをみせ、いささか変わったとの印象ではあった。最初の第一節、永劫寺別院を舞台にした末永和哉の事故死(?)の捜査に関連して弁護士から話を聞くシーンなのだが、新宿の高層ビルから彼が見る風景のなんと暗澹たること、ただならぬ陰鬱と倦怠、死をイメージする眩暈と滑落感はいったい何なのだと。わからないということは退屈なスタートなのだ。ところが読み返した時に、ここには彼の今ある彼のすべてが凝縮されている、忘れがたい冒頭なのだと気づかされる。(正直この作品は難解である。しかし、二度読みする価値は充分にある)

全編、まるで独白かのように正確に合田雄一郎の視線で物語は綴られている。この作品は合田雄一郎自身の憂鬱に重きを置いた物語でもあるのだ。彰之が執着する餓死した初江と重なるように雄一郎には貴代子が存在して、その貴代子がこの年の9月11日、世界貿易センタービル崩落の犠牲になっている。また10月には死刑囚である彰之の子・秋道の絞首刑が執行されたばかりなのだ。栄劫寺別院事件の宗教的不可解にのめりこみながら共通ななにかを感じた彼は関わりのあった秋道事件の不可解を追想する。

この世界の根本にある精妙な真理に近づこうとする彰之は、それが言葉では語れないものだとわかっている宗教者の無言にいて、なお現実の混沌に立ち尽くしたままである。おそらくここからは前進することのない彼の人生の到達点である。
事件の真実に近づこうとする雄一郎は溢れあまる言葉でそこを語るのであるが、裁判に至るプロセスでそれが歪められるという冷酷な現実から一歩も進めない。そしてその諦観が彼にとって刑事人生の到達点であった。さらに彼は「自らの死」を甘美に予感しているところさえ見える。
秋道と和哉、ふたりの若い命は死の淵でなにを見たのか。言葉、言葉、言葉と「言葉の奔流」に圧倒されながらこの謎に読者は挑戦することになる。それもこの作品の重要なテーマではある。
そして彰之と雄一郎、このふたりの長い長い人生のラストに著者の深い思索の結晶をみる。『太陽を曳く馬』は三部作の完成というより高村文学の一つの到達点を示す記念碑的作品となるのだろう。


参考
レディ・ジョーカー
マークスの山
晴子情歌
新リア王上
新リア王下

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

下巻で展開される「宗教とは」をめぐる対話を期待して

2010/03/16 03:52

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本作『太陽を曳く馬』は、『晴子情歌 』、『新リア王 』に続く三部作の第三作目です。
『晴子情歌』、『新リア王』はいずれも読んでいないのですが、『太陽を曳く馬』には『レディ・ジョーカー 』や『マークスの山 』の主要人物である合田雄一郎刑事が登場し、高村薫女史がオウム真理教を受けての宗教的対決のようなことを描いているということとあって、9・11テロよりもオウム真理教の一連の事件にショックを受けて、未だにどのように整理していいかわからず、そのことを引きずっている僕は、とにもかくにも『太陽を曳く馬』を手に取った。

<感想>
『太陽を曳く馬』(上)の物語の構成
本書『太陽を曳く馬』は、通常の警察小説のように、犯人を追う刑事、対するその捜査網から逃れようとする犯人という描写は、全くといっていいほどありません。
なぜなら、一つの事件である殺人事件の犯人・福澤秋道はすでに捕まって死刑が確定されており、もう一つの事件である死刑囚(これは、前期の殺人事件で死刑が確定した加害者の)の父・福澤彰之が主宰する禅寺・永劫寺の施錠を問われる事件の当該者である僧侶たちは、逃げも隠れもしていないから。

禅寺の施錠を問われる事件というのは、禅寺と契約を交わして入信した末永和哉という修行僧(てんかん持ちである)が、周囲の注意を振り払って、禅寺・永劫寺から飛び出し、交通事故死した事件をその末永和哉の両親が永劫寺の管理不行届きだと刑事告訴した事件のことを指す。

本書『太陽を曳く馬』の物語は、まず刑事告訴された交通事故のその告訴状が冒頭を飾ります。
そして、合田雄一郎刑事が告訴された当該の禅寺・永劫寺の主宰者である福澤彰之に会い、福澤彰之の名目上の息子・福澤秋道が、98年に起こした同棲中の女性とその嬰児を含む三人のを殺害した凄惨な事件の公判記録を読むところから、ゆっくりと物語は進む。

よってこの『太陽を曳く馬』は、
・福澤秋道が起こした殺人事件の公判記録
・獄中にいるその福澤秋道へ宛てた名目上の父・福澤彰之の殺人事件のアパートに福澤秋道が描いていた抽象絵画のようなものをめぐる非常に観念的な手紙
・実際に合田雄一郎刑事が傍聴した福澤秋道の殺人事件の公判の様子
で構成されており、そして「第三章 桜坂へ」へと物語が進行すると、やっと禅寺・永劫寺のサンガにに勤める修行僧らへの聴取が始まる。
この聴取での修行僧らの受答えも、禅僧らしくとても観念的、哲学的で難しいです。

高村薫女史が書く文章は硬質でありますが、この『太陽を曳く馬』はフランス現代思想もちりばめられ、内容も観念的で難しく読む人を選ぶでしょう。

『太陽を曳く馬』の題名を意味するもは
題名の「太陽を曳く馬」とは、バイキングの太古の祖先がスカンジナビアの海岸に刻んだ岩絵の、有名な図形の一つで、四つ足のような蛇のような図形。
この図形のカラーコピー1枚が、福澤秋道が同居人の女性らを殺害したアパートの部屋に埋もれていた。

この『太陽を曳く馬』上巻は、NHKの「週刊ブックレビュー」で高村薫女史が語ったことを参考にすると「音が邪魔だから」絵筆が進まなくなり、、カッとなって音がする“頭”を金鎚で殴ったという動機不明で意志薄弱の福澤秋道の事件とその福澤秋道が描いていた一般人には理解不能な絵を、なんとかして言語化し、我々、一般人にも理解可能な形として提出しようとする試みである。

公判で弁護士や検事らの証人尋問で執拗に福澤秋道に、絵の事を尋ねるくだりは、抽象絵画の内容を理解できない、意味を解きほぐすことができない僕は、モダンジャズからフリージャズに移行した時期のマイルス・デイヴィスの電子音楽のことを思いこさせた。
また、主人公の一人である合田雄一郎刑事を“おまえ”と呼ぶ語り手は一体どこにいるのだろうかと気になった。

僕は下巻で繰り広げられるという、書評で池澤夏樹氏 に“深い”と言わしめた「宗教とは?」とのような根源的な対話を期待しつつ上巻のページを閉じた。

僕のブログ記事より。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

現代版カラマーゾフ

2016/11/25 22:11

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つよし - この投稿者のレビュー一覧を見る

久しぶりに夢中になって、それこそ没我の境地で読んだ。上巻は犯罪小説、下巻は宗教小説のテイストで、これはもう高村薫版の『カラマーゾフの兄弟』というべきだろう。実にゴツゴツとして噛みごたえのある作品だ。何よりもサンガと呼ばれる禅宗の修行道場の雰囲気が活き活きと伝わってくる。下巻の宗教対話は、カラマーゾフの大審問官のような難解さと重厚さで、これは一回読んだだけでは理解できないだろう。いやはや、『晴子情歌』からもう一度読まねば。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

福澤彰之シリーズと合田雄一郎シリーズの合体

2020/08/03 19:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る

「晴子情歌」から始まる福澤彰之シリーズと合田雄一郎シリーズがここで合体する。それ自体には意味がないと思うが、「新リア王」から続いている宗教というテーマはここでも引き継がれている。しかも時代はオウム真理教事件やアメリカの同時多発テロの後だ。上巻の最後に衝撃的な事実が明かされる。下巻でどう展開していくのか楽しみだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2009/07/29 23:05

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2010/01/10 22:21

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/10/17 05:03

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/10/13 17:14

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/08/23 18:54

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/09/11 07:38

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/09/16 05:31

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/10/22 21:09

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/10/31 00:28

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/04 17:45

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2011/10/16 21:46

投稿元:ブクログ

レビューを見る

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。