紙の本
アフリカ文学を数多く訳してきた経歴を持つと同時に詩人でもある訳者の日本語は練達で、大変読みやすい。
2010/11/05 22:46
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
1960年代のナイジェリア。そこに暮らすエリート数学教師のオボニデ、その妻オランナ、その双子の姉妹カイネネ、カイネネの白人の恋人で作家志望のリチャード、そしてオボニデのもとへやってきた奉公少年ウグウ。彼ら5人は内戦の中で生まれたビアフラ共和国の“半分のぼった黄色い太陽”の国旗のもと、時代に翻弄されていく。
朝日、読売、毎日、産経の各紙書評欄で取り上げられるほど話題となった、ナイジェリア出身の女性作家が書いた小説です。
上下二段組みの上に500ページになんなんとする大部の著ですが全く臆することなく読むことができます。
内戦はオボニデら主人公たちの玄関先に突然やってくるわけではありません。
それはまずラジオの電波に乗ってやってくるのですが、つまりそれほど自分たちの生活とは縁遠いところで発生した事件としてまず伝わってくる程度です。内戦の危機感はまだ他人事のように切迫感はありません。
むしろオボニデとオランナ、カイネネとリチャードという二組の男女の、まさに男と女の事件のほうが彼らにとっては日々の火急の用事なのです。戦争に比べれば些細に見えるこの事件は、当事者たちにとっては身を引きちぎられる痛みなのです。
しかし内戦は容赦なくひたひたとゆっくり、確実に彼らの生活に忍び寄ってきて、やがて彼らの男と女の事件を蹴散らす勢いを帯びてきます。
「ウグウは頭痛がした。なにもかも、すごいスピードで動いていた。彼は自分の人生を生きていなかった。人生が彼をのっとっていた。」(416頁)
戦争の初期に人々が自国の勝利を薄弱な根拠に基づいて無邪気に確信していながら、気がついたときには踏ん張りどころを優に過ぎてしまって後戻りのきかない状態へと突っ走っている。戦争がその初期に見せるそんな巧妙さ、そして後期に人々を翻弄する制御不能さ加減をこの小説はじっくり時間をかけて巧みに描いていくのです。
自分たちが始めたわけでもない戦争が、自分たちを当事者として断罪し切り裂いていく。その理不尽さを静かに訴える、大変優れた小説です。
紙の本
力強い人生の物語
2024/02/21 16:56
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投稿者:もそ - この投稿者のレビュー一覧を見る
内戦時代のナイジェリアの話、なんて聞いたら読む気がしないだろう。
だがここには、ひとりの女性の凄まじい生き様がある。
戦争とか差別とか、そういう大枠を取っ払うと、
人生に次々に襲い掛かる困難や苦しみに立ち向かっていく物語が浮かび上がってくる。
主人公はずば抜けた素質、才能、エネルギーを持っているわけではない。
平凡なお嬢様なのだ。
その彼女が様々な経験をくぐりぬけていく中で、大きく変わっていく。
そこにこの物語の醍醐味がある。
紙の本
小説家としての力量を示す
2023/12/27 15:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
ビアフラ戦争を背景としたナイジェリアを舞台とした小説であるが、予備知識がなくとも堪能することができる。アディーチェの小説家としての力量を示す作品であろう。
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3人の視点から語られる、愛であり、一族の歴史であり、戦争であり、貧困、搾取、あらゆるものが大きな流れの中に組み込まれている。言葉も的確で、風景が広がるような感じがあった。
ことさらに、ビアフラ戦争を非難している訳ではないが、世界中で起きている戦争も大なり小なりこのような図式であることが、本当によく分かる。そして、何より大切なことは、生き延びることだ。
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少し早いですが、今年一番の読み応えある作品だったかも、です。2段組みで、厚みもあり、体力を消耗するようなどっしりとした読後感。
1967年ナイジェリアで起こった内戦、ビアフラ戦争を背景に姉妹、家族、男女の愛憎といった普遍的ともいえる人間ドラマを肉厚に描いた作品です。
アフリカといえば、サバンナや野生動物、陽気な人々、といったあまりにステレオタイプな見方をしてしまいがちで恥ずかしいばかりですが、この本を通じ、アフリカ大陸の数え切れないほどの民族や文化のうねり、また、列強による支配や戦争を経て、未だにその影響をひきずり内戦や政情不安が絶えないことを改めて知ることができました。
この戦争については、ナイジェリア本国でも未だに多く語られていないということで、若い作者の勇気と努力、才能に頭が下がる思いです。
それとは別に、登場人物たちの人間ドラマがまた迫力満点でおもしろかったです。特に双子の娘オランナとカイネネの生き様、田舎出の新米ハウスボーイ、ウグウの成長に目が離せませんでした。
また、かたや裕福で、イギリスへ留学をしたりといったインテリ層と、茅葺き土壁の家で育ち、呪術や祈祷師の存在する暮らしをしている貧しい人々との対比が興味深かったです。戦争下の暮らしは悲惨で残酷ですが、世界中のあらゆる戦争で同じようなことが繰り返されている訳で、やるせない思いです。朝出かけていった家族がいなくなってしまう恐ろしさに今更ながら戦慄を覚えました。
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冬休みに読むのを楽しみにしてた本。お腹の膨れた子どもたちのイメージを世界に流通させた1960年代のビアフラ戦争を背景に、2組のカップルとひとりの少年の、約10年にわたる関係を描く。
ウグウがやがて綴ることになる本のタイトル「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」が示すように、作家は、戦争を引き起こし支えた、国際社会の植民地主義と人種主義、民族ナショナリズム、権力者の腐敗、虐殺の対象となったイボ人の側にもあった疑心や差別、暴力に対する鋭い批判と怒りを抱いているが、それは慎重に抑制されて、5人の間の愛憎に焦点をあてた繊細な物語を支える力強い基盤となっている。
5人の中でもっとも魅力的な人物は、皮肉さと大胆さをあわせもった、オランナの双子の姉、カイネネだろう。中産階級の裕福な生活を崩壊させた残虐な戦争の下で、バラバラになった人々をふたたび結びあわせた彼女が突然姿を消したとき、ゆたかな性愛描写で彩られたカップルたちの物語が、それを超える愛と痛みを語っていたことに気づき、深い感動につつまれる。
(ちょっと文句)しかし、いくら作家が歴史的背景より小説の中身の方が大事と言ってるからって、もうすこし中身のある解説書けなかったものか。必要な注もつけてないし、なんか怠慢っぽい。
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1960年代のナイジェリア内乱を舞台にした作品。
恥ずかしながらナイジェリアのことをほとんど知らないまま読んだけど、主人公のひとり・ウグウはまさに何も知らない田舎育ちの少年で、彼の目を通して語られる描写ですんなりと作品に入っていける。
作中で白人は黒人を差別しているけど、黒人も白人を差別しており、黒人の中でもまた民族差別がある。民族差別こそが内乱の一因。
戦争が進むにつれ、リベラルなインテリだったはずのウグウの主人・オデニボでさえ差別的な発言をする場面があり、衝撃だったが、長引く戦争で登場人物たちの精神状態が少しずつ少しずつおかしくなっていくのがよくわかった。
日本の戦争文学を読んでもいつも思うことだけど、戦争が激化して、空襲と飢えで追いつめられ、次々と死んでいく民間人たちの描写がただ辛い。
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物語の語り手の三人もバランスがよい。みんななにかしらの意味で「観察者」だよね。特に序盤はそれぞれアフリカハイクラスの、アフリカ庶民の、アフリカ社会の、観察者と行った具合に。だから前提が理解しやすい。中盤からはどんどん当事者になっていって、彼らの行く末が気になった。途中ちょっとダレたけど。
アフリカとして一般に語られがちな貧困や紛争は数ある要素の一つだと語る小説。それでも一般に語られる要素の重さも感じられる小説。面白かったです。
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赤、黒、緑の3色の真ん中に半分のぼった黄色い太陽の図柄。
これは、1967-70年に存在したビアフラ共和国の国旗である。
あるクーデターから端を発し、イボ人に対する虐殺などが度々起こった結果、イボ人は結束して、「ビアフラ」として、ナイジェリアからの独立を宣言した。
しかし、彼らの持つ石油を連邦政府が手放すわけはなく、戦争へと突入していく。
この1960年代前半〜後半にかけての物語が3人の視点で語られる。
田舎から、スッカという大学町にハウスボーイとしてやってきた少年、ウグウ。
彼のご主人、オデニボは若き数学者で、毎週末には同僚たちが彼の家に集まりサロンのようになる。
オデニボの恋人、オランナ。
彼女は、ナイジェリア最大の都市ラゴスの裕福な家庭で生まれ育ち、ロンドン留学の時にオデニボと出会う。カイネネという双子の姉を持つが、いつからか2人の間には溝ができている。
そして、カイネネの恋人、リチャード。
彼は、イギリス人だがイボ=ウクウ美術に憧れて、ここへやってきて、カイネネに一目惚れをする。
序盤は、理想に燃える若き学者たちの様子や、オランナやカイネネなど富裕層の優雅な生活、そして、それに驚くウグウの様子などを楽しく読んでいた。文化は全く違うけど、「小さいおうち」を思い出すなぁなんて、思っていた。
そこに少しづつ少しづつ、戦争の影が忍び寄る。最初は誰も気づかない。でも。気づいたら後戻りが出来ないところにいる。追い詰められた人々は、大義を無理に信じることに逃げたり、仲間であるはずの人を信じられなくなったりする。
戦争は人を変える。でも、変わるか変わらないかはその人次第だと、カイネネは言う。
オランナとカイネネがまた姉妹に戻れた日々がうれしかった。
「あまりに許せないことがあると、小さなことは忘れてしまうという言葉は辛辣だったけど。
カイネネが好きだ。
彼女の言葉にはいつもハッとさせられる。
祈るような気持ちで読み終えた。
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ナイジェリア1960年代の話。
60年代前半と後半で分けて話は進む。
壊れてしまった幸せな日々を思い出すような構成になっていて、読んでいて胸がヒリヒリする。
翻訳本は苦手な人にも一気に読める作品だと思う。
引用P.137
カイネネ「愛が他のものの入る余地を残さないとあなたが考えるなら、それは間違いよ。何かを愛しながら、それを見下すことも可能なんだから。」
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図書館で。
久々に本の力、というか読書の楽しさや面白さを実感させてくれた本。すごいなあ、本って、読書って。何がきっかけで借りてきたかは覚えてませんが読んでよかった。
お話は1960年のナイジェリア内乱もしくはビアフラ独立戦争直前から終わるまでのお話。ビアフラの子供という、飢餓に苦しむ子供の写真は見たことがあったしその地で飢餓に苦しむ人々が居た事は知っては居たけれども内戦で救援物資も封じ込められた為の飢餓だったとは。恥ずかしながら初めて知りました。
沢山の民族と文化と歴史がある人々が暮らしていて一枚岩になるわけもないよなぁ。話す言葉も違うんだもん。でも外国人は黒人というだけで我々を全部同じ民族だと思って居るという作中の言葉に自分もそう思って居たな、と反省しました。(まあ反対に他の国の人々はアジア人の区別はつかなそうですが。かく言う自分もあまり自信ないけど…)
日本とはまるで違う国のお話で文化も歴史も言葉も違うのに人間の悩みや人間関係の問題はこうも普遍的なモノなのか、という事が当たり前の事なんだけれども面白かったです。どこの国のどんな人でも似たような事やってるんだろうな、程度の差こそあれ、という事を知っていれば、皆自分と同じヒトなんだ、と理解すれば虐殺や暴動など出来ないと思うのになぁ。そう言う意味で教育は大事。そして共感力を養うためにも読書って大事だなぁと改めてしみじみ思いました。
そして戦争はイヤだ。町や家や物が焼かれ、人が殺され、子供たちは兵隊に取られ、女性が被害にあう。そんな状況と病気や飢えに苦しむ自分の姿を想像すれば戦争なんて絶対にしてはいけないと思うはずなのに。そしてそんな思いを誰に対してだって体験させてはいけないと思うはずなのに。
この頃世界情勢がキナ臭いので嫌だなぁ、戦争はイヤだな、と思いながら読み終えました。物凄い読み応えのある一冊でした。
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多分この作家は遠からずノーベル文学賞受賞するんじゃないかな。英語で書いているなら、ブッカー賞も…
オデニボが崩れてゆく様が痛ましい。どこの国でもいざとなると女は強い。カイネネを失っても、オランナはオランナだろう。リチャードはどうだろう。ナイジェリアに残るのか。結局本を書き上げることはできないだろう。恐らく作家になるのはウドウ。ウグウが加害者となった経験が、彼が作家となる糧になるのだろうか。
欧米人のジャーナリスト、いかにもだな。
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ビアフラ戦争、飢餓の代名詞となった戦争を今まで知らなかったし、ナイジェリアへの心理的距離を縮めてくれた一冊。こんな巨大で繊細な作品を20代で執筆したなんて、すごい。ウグウもオランナも、リチャードもカイネネもすき。オデニボはちょっと苦手…。戦争が人を変えてしまう。どこでもどの時代でも。「何かが首のまわりに」を再読すると、まったく違う風景が見えそうだ。
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まるで目の前にアフリカナイジェリアの暮らしがあるような生き生きとしたストーリーテリングの果てにたどり着く、圧倒的な戦争の虚しさと喪失感よ。
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「アフリカ」と大雑把に語ることの無意味さを改めて反省。自らの無知と偏見をいくつも自覚させられ、非常に勉強になった。