紙の本
読んでよかった1冊
2009/07/02 23:00
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
1Q84(ichi-kew-hachi-yon) BOOK1・2 村上春樹 新潮社
IQ84と勘違いされる方も多いのではないでしょうか。わたしは勘違いしました。知能指数が85の人物が主人公だと思っていました。(普通人の基準は100のようです。)タイトルの答えは1984年でした。
主人公は二人います。小説家志望の川奈天吾さん29歳男性とスポーツインストラクター女性青豆(あおまめ)さん1954年生まれの30歳独身、身長168cmです。ふたりのお話が交互に記述されていきます。 同作者の「海辺のカフカ」みたいと読み始めは思いました。
天吾さんには、小松さん45歳編集者とふかえりさん(深田絵理子)17歳がからんできます。青豆さんの相方(あいかた)は、同級生大塚環(たまき)さんです。
巻頭に「この世はつくりものの世界」とあります。確かに生きている今に「現実感」がないことはあります。
1926年作曲、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」というクラシック曲が鍵を握るような啓示があります。加えて「空気さなぎ」という文学作品が何かを意図する存在になるようです。
青豆さんが首都高速道路の非常階段を降りたあたりから時間・空間が変容しはじめたようです。
読み始めは、同作者の「地球のはぐれ方」という本のイメージが頭から離れなくて読みに真剣さが不足しました。なんだか笑えてくるのです。青豆さんはどうしてこんなに生き生きと話すことができるのでしょう。そして、天吾さんの生活ぶりは作者の過去の生活ぶりと重なるのだろうか。青豆さんが感じる時代の事実の変更とふかえりさんの生い立ちが「秘密」になっていきます。
1981年10月19日に過激派と警察の銃撃戦があった。人間ではない何者かに人間は、情報操作されはじめているのか。それとも青豆さんになにかがのり移ったのか。青豆さんのセックスライフは苦しい。日曜日お昼の「新婚さんいらっしゃい」を見ていると、みなさんあっけらかーんと性生活を楽しんでいらっしゃるのに小説になるとそれはとても深刻です。戎野(えびすの)先生、ふかえりの父親深田健、このふたりがボスか。あゆみさん(婦人警官)は、青豆さんを逮捕するためのおとり捜査ではないのか。わたしにとっては、月がひとつだろうが、ふたつだろうが、どうでもいい。みっつでもよっつでも気にしません。空にそれらがあればあったでいい。昔聞いた1990年という歌を思い出した。90年に娘が21歳になるという歌で、父親が娘の異性関係を心配していた。だが、90年はもうとっくに過ぎてしまった。時の流れは速いものです。
460ページのサハリンは、「地球のはぐれ方」で紹介されていた。日本的な町が残っているそうです。作者の創作のネタがわかる。作者の頭の中にあるもので、小説を構成するしかない。ふかえりは、宇宙人か、古代人か、未来人か。天吾は、嘘がばれてこれから追い込まれていくのだろう。
「空気さなぎ」からわたしは、蚕(かいこ)の繭を想像します。小学生の頃、こどもの科学だったか学習だったかの本に付録で蚕の繭が付いてきたことがあります。さなぎは、蝶になるのか蛾(ガ)になるのか、そんなことを考えながらそのときはこの本を読んでいました。でも蝶にも蛾にもならない。もっと別のものになるのです。
作者の創造力、空想力、物語の構築手法は驚嘆に値します。第19章「青豆―ドウタが目覚めたときには」から物語はクライマックスに突入します。作者が保有している知識、経験に既存の出来事を組み合わせて築いてある物語です。今もなお、老若男女に関わらず、テレビを見ない人、新聞を読まない人、携帯電話をもたない人、車をもたない人、運転しない人、そういう人はたくさんいます。それぞれの人が、自分の1984年で暮らしています。空に月が何個あってもかまわないのです。作者の筆記は自由奔放でのりにのっています。
最後の1行を読み終えたあとの感想です。これから先にまだ物語が続いていくような心地よい余韻がありました。読んでよかった1冊になりました。
紙の本
人が本当に救われるのは誰かを愛せたときなんだろう
2012/08/19 20:35
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桔梗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
10年以上も前の ほんのわずかなひとときの繋がり
何かを言葉で伝えたわけではない
一分にも満たない ただ見つめ合ってぎゅっと手を繋いだ時間
互いにその温もりをずっと大事にして その情景をずっと心の支えにして
違う道をそれぞれ苦しみながら生きてきた「青豆」と「天吾」
ずっと重なることのなかったふたりの人生が
1Q84年 何かに引き寄せられるかのように近づいていく
現実の1984年と異なり ずれて存在するかのようなもうひとつの世界
1Q84年
その不思議な世界では 空にふたつの月が浮かんでいる
多分その世界の底 ずっとずっと深い底には 青豆の想いが沈んでる
長い時間をかけて澱のように溜まった青豆の強い想いが 作り出した世界のように思える
冷静な判断力と強い意志 鍛え上げられた身体をもつ クールな青豆
天吾を救うためなら自分は消えてしまってもかまわないと思う
会えなくてもいい 幸せでいてくれたらと願う その気持ちは嘘じゃない
でも会いたい 一瞬でもいいから触れたい その気持ちも嘘じゃない
ずっと昔のことを未だに覚えていて しかも会いたいなんて
そんなのは重いしうっとうしい 天吾だって気味が悪いに決まってる
相手が望んでいないであろうことは 自分もやはりどうしても願うことができずに
重みをひとりですべてを抱え込む青豆の姿が痛々しい
同じ空 同じ月を 同じ時間に見上げ
同じことを思う
それなのにすれちがってしまうふたり
ふたつめの月は誰にでも見えるものではない
同じもうひとつの月を見る目をもつひとというのは とても大事な存在なのに
結局1Q84年でふたりの道が交わることはないんだろうか…
『一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえその人と一緒になることができなくても』
相手がどう思ってるかはあまり関係なくて
自分の想いが一方通行な勘違いであっても
そして幸せにはなれなくても
それだけ好きになれた人がいるってこと自体に救われる気がするのかもしれない
紙の本
ずいぶん社会と繋がっている村上春樹
2009/07/28 05:52
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:simplegg - この投稿者のレビュー一覧を見る
話題作,読み始めました.何とか1晩でBOOK 1を読み終えましたが,正直厚かったです.明日からは平日が始まるので,BOOK 2は我慢しようと考えいますが,どうなるやら.
僕自身は,村上春樹を大学1,2年のとき,ほぼ読み漁ったのだが(少なくとも有名どころは)リアルタイムで新刊を読むのは初めてかもしれない.僕にとっては,村上春樹はリアルタイムの人じゃない.ちょっとした古典といったほうがいい.
さて,BOOK 1は話の途中であるので,印象だけを記すことにする.
YO-SHIさんが言ってたように,“村上春樹ファンには肌になじむ感じの物語”である.特に,少々回りくどい言い回しや,独特だけれども的を得た比喩の使い方は,とても馴染みが深い.久しぶりに読んだだけに,心地よいものである.
一方,内容については,随分,社会性を帯びた作品だなとの印象を持った.昔読んだ作品については,もう記憶が曖昧だし,僕の勘違いかもしれないけれども….初期の作品には,少なくとも,常識的であるけども,社会とは切り離された主人公がいて,それゆえの爽やかさがあったように思う.これについては,ジョージ・オーウェルの「1984年」(僕が生まれた年でもある)を意識した作品であるというところがきいてきているのか,それとも程度の問題かもしれない.
2年半ほど前に,ジョージ・オーウェルを読んだときの感想は,今では薄れているのだけれども,僕なりに,“人間をコントロールできるのか”というところを問題としていたらしい.
一方,この“1Q84”は,人間の洗脳というよりは,自明なものとして人それぞれが持つ歴史や記憶の不確定さに焦点を当てているように見える.本書で語られる“記憶の非対称性”や“記憶の相対性”と言ったことからそう思った.感覚としては,オーウェルの反対側から世界を眺めた感じ.
色々,書いてしまったが,全てBOOK 1を読んでの印象です.どこに着地点があるのは,登場人物たちも,僕自身も見えていません.それについては,BOOK2を読んだ後に書くことにします.
最後に付け加えるとすれば,本書は読みやすいです.ストーリーがわかりやすいサスペンス仕立てになっていて,ぐんぐん読んでしまいます.そういう意味で,「ねじまき鳥」や「世界の終わり」とは一線を画すでしょう.
紙の本
久々の新作
2009/06/02 00:46
25人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りせ - この投稿者のレビュー一覧を見る
前の作品「ねじまき鳥クロニクル」「アフターダーク」は、著者が自分の世界に入り込んでしまっていて読みにくかった。
しかしこの作品はまだ途中までしか読んでいないが、少し違うと思う。
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この世界はさっきまであった世界なんだろうか?
「青豆」と「天吾」
2本の糸が細く伸びる。
一瞬交わったような気がして、それは全く交わっていなかったり、
何のつながりもないような2人。
でもどこかがつながっている。
今日の夜、もしかして、月は2つあるのだろうか?
淡々と進む物語。でもぐいと引きこまれる物語。
臭い言い方をすれば、ページをめくる手が止まらなかった。
Book2への序章。
たしかにこれは読む価値はあり!!
'09.06.03読始
'09.06.05読了
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1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
天吾と青豆という2人の人物の視点から交互に物語が展開していくのだが、天吾が執筆に関わった「空気さなぎ」という1つの小説をきっかけに別々の視点で語られていた2つの物語がリンクしていく。
発想力、物語のスピード感、人物描写のどれも優れていてとても満足できた。
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まだ発売してないけど忘れぬようにメモ。
「IQ」ではなく「1Q」なのがミソ?
(数字タイトルだと「1973年のピンボール」を思い出す)
タイトルから内容が全然想像できないのが何とも悔しい。
解っているのは作品のポイントが『恐怖』ということ。
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【その1】文学界の大スターの5年ぶりだとかの新作が、まだ発売もされていないのに2巻合わせて48万部の予約だというので話題騒然です。
そういえば、2月15日のイスラエルでのエレサレム賞授賞式での批判的なスピーチも彼らしいと評判でしたね。文句があるなら、わざわざ出向いて行かずに、受賞なんか断ればいいのに。
一応人並みに、エッセイも含めて全ての作品を読んできていますが、一度も気にいるとか・感動するとか・琴線に触れるとか・すばらしいとか・なかなかの物語だとか・ちょっとしたフレーズが気が利いているとか、少しも思ったり感じたことのない私は、ただ唖然とするだけです。この人ほど世間の評判と乖離した興醒めな小説を書く人を他に知りません。
ノーベル賞がほしくて、様々な各国語に翻訳してもらいまくっている彼は、どうして自分より先に大江健三郎が取ったのか、悔しくて仕方ないと地団太踏んでいるのですが、2000回を祝ってもらった森光子が、若いころ思っていたことですが、といって一つ川柳でもと披露したものに、あいつより上手いはずだが何故売れぬ、というものがありましたが、上手いし売れているのに何故受賞出来ないの?というところでしょうか。
きっと、手から水が漏れっぱなしなのに気づいてないんだわ。
アラカンの村上春樹、そろそろ読み応えのある一冊を書けたかな? という三秋の思いで、一応私も予約しました。
【その2】(6月3日記入)
5月29日発売から6日が経過。ウハウハの78万部だとか、よく知らない人が2巻だけを買っていったとか、内容を告知しなかったのは何も購買意欲を刺激・脅迫・喚起するための販売戦略なんかではなく、『海辺のカフカ』の時に読者から何も知らせず発行してほしかったという声が多かったので今回はそうしたとか、今まで小説など読んだことがない人が・ましてや村上冬樹じゃなかった春樹なんか聞いたこともないという人が買っていったとか、ああ、めくるめく迷宮の彼方、すでに文学を超えた社会現象・事件の領域に突入しています。
例によって単純明快な構成・文章・起承転結なので、どんどんスラスラ読めること読めること、もう2回目を読了したのですが、感想なんか阿呆らしくて悔しくて、何も書きたくありません。またぞろSEXカルト教団とかが出てきたりして辟易してしまいました。
ベストセラーの王道でしょうが、週末の6月5日か来週初めには、大量に売れた反動でブックオフなどへは大量の読み捨て処分売却本が出回ることでしょう。
この感想へのコメント
1.anokeno (2009/05/27)
もう買った人がいるのかと驚きました。読んだらまた感想を書いてくださいね
2.薔薇★魑魅魍魎 (2009/06/03)
せっかくのご来店まことに有難うございます。
もう少し落ち着いたら、きっともっと綺麗さっぱり表わせると思いますが、今は極度の虚脱感と悔恨の念で身体が蜃気楼のような状態で、自分が自分でないようなのです。ごめんなさいね。
3.maugham (2009/06/10)
私もエルサレム賞は、ああいう批判をするくらいなら、受賞辞退の方がよほど、作家として誠実な態度ではないかと思いました。��かし、実を言うと、私は、村上春樹なる作家の作品を一度も読んだことがないのです。「積ん読棚」にはあるんですが。薔薇★魑魅魍魎さんのコメントを拝見すると、またして読む機会が遠のきそうです(笑)。
4.薔薇★魑魅魍魎 (2009/06/11)
申し訳ありません、そんなこと言わずぜひ。私のせいで村上文学の貴重な読者が一人減ったりしては面目ないですわ。読んでも得るものがないけれど読まずにいられない・何かあるはずと強迫観念に駆られて幾年月、きっと最後まで裏切られ続けるのでしょうね、幸薄い私・・・
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3回目になります。
1回目はもちろん出版された時。
2回目はBOOK3が出るということで、その前に復習のつもりで。
そして、今回が一番、ゆったりと落ち着いて読めたのは読めたけど、新たな疑問がわいてきて、ぐるぐると迷路になっている・・。(*^_^*)
初読時には、とにかく天吾のやった“不正”が露見するのでは?と怖くて、怖くて、天吾本人はそれ以上に大切なことがある、と落ち着いているようなのに私ばっかりがあたふたしていたような気がして可笑しいです。
で、今回、改めて、青豆と天吾の世界って、クロスしているのか、別物なのか、の疑問がふつふつと…。天吾の世界には月は1つしかない、ということで、青豆だけが別ワールドに行ってしまったんだ、と思ってたんだけど、「あけぼの」の銃撃戦は青豆にとって(そして私たち読者にとっても)なかった歴史なのに、天吾の住む場には確かにあったこと、ってどういうことなの??
・・・ただ、天吾にはかなり曖昧な記憶、ということになってるのが不穏というか、ますます、わからない、というか。(*^_^*)
私は、BOOK3まで読んでしまっているのだから、今後彼らがどうやって巡り合うのかわかっているのだけど、あれれ??私って勘違いしてた??と。
春樹さんが、謎をパズルが当てはまるようにすっくりと解明しないのはいつものことだから、物語の途中でピースをあっちにやったり、こっちに戻したりしても意味ないよね、と思いつつ、でも、こんな風に何回読んでも楽しめるところがまた、村上春樹の魅力だなぁ、と思います。
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おすすめ度が☆5つなのは、読んでもらうしかないからです。
個人的には人生の中で見逃せないキーワードがいくつか出て来て
重要な異世界に踏み込む気持で読み進めました。
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世界観は相変わらず理解できるようでできない魅力があり、純粋に引き込まれるものがあった。
個人的に、村上春樹の作品は読んでて笑ってしまうような表現や人物のセリフが好きなのだが、
今回の作品は容量の割にそういったものが少なく、どこか坦々としたものを感じてしまった。
だからこそ読みやすさという点では一級品で、すばらしく完成された作品だと思う。
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話題になっていたので、初めて村上春樹の作品を読んでみた。
スポーツインストラクターであると同時に暗殺者としての顔を持つ青豆の物語と、
予備校教師で小説家を志す天吾をの物語を交互に1章づつ描く形。
読んでいて思ったことは、何でもかんでも性に繋げるということ。
何でもない文章でもその帰結には性に関する言葉が用いられていて、正直あまり気分がよくなかった。
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読む前に想像していた感じと違い、抽象的で意味がつかみにくい小説ではなくて、かなりはっきりとした筋があって、その示唆しているところも明示的な小説だと思った。読んでいて、文章がとても気持ちよかった。
この作品については、おそらく、この先多くの研究家や有識者と呼ばれる人たちによって、解体されて無数の批評が加えられることになるのだろうけれど、そういう分析的な観点をまったく無しにしたとしても、単純に、読みやすくて面白い話しだと思う。
ジョージ・オーウェルの小説で描かれた1984年とは異なり、現実の1984年には「ビッグ・ブラザー」のようなわかりやすいアイコンは登場しなかった。しかし、それと対をなすような形で「リトル・ピープル」という存在が、はっきりとは見えにくい形で人々の間には潜んでいる。この「1Q84」というタイトルが示す本当の意味は、物語のだいぶ後になって明らかになってくる。
青豆という、女性の主人公のキャラクターは結構すごいと思った。顔をしかめると極端に人相が変わるとか、人体の筋肉への徹底的なこだわりとか。そのエキセントリックさには、何箇所か笑った。
それとは対照的に、男性の主人公には、多少風変わりなところはあったとしても、根本にはちゃんとした生活の雰囲気があるというところが、なんだかホッとする。この、まったく無関係に見える二人の人生が、少しずつ少しずつ重なっていくところがいい。
物語の中に、もう一つの物語が登場して、「文章を書く」ということが一つのテーマになっているというのは面白かった。
「人が文章を書いている時、文章を書いているのは誰なのか?」ということは、とても興味深いテーマだったし、それをさらに一般的な概念へと広げて「自分の人生を生きていると思っている時、そのように生かしているのは誰なのか?」という問題提起には、ものすごく強烈なインパクトがあった。
サイエンス・フィクションのような現実離れした場面もいろいろとあるけれど、その乖離の度合いというのは、人類の口承や神話が民族を超えて共通に持つ、無意識の領域が紡ぐ物語と同じ程度の、現実からのズレなんじゃないかと思った。
こういう普遍性を、日常生活の出来事に溶かし込むように、感覚的にスッと入りやすい形で表現出来るというのは、本当にすごいことだと思う。
彼女の半分はとびっきりクールに死者の首筋を押さえ続けている。しかし彼女のあと半分はひどく怯えている。何もかも放り出して、すぐにでもこの部屋から逃げ出してしまいたいと思っている。私はここにいるが、同時にここにいない。私は同時に二つの場所にいる。アインシュタインの定理には反しているが、しかたない。それが殺人者の禅なのだ。(p.74)
「数学というのは水の流れのようなものなんだ。水が高いところから低いところに向かって最短距離で流れるのと同じで、数字の流れもひとつしかない。じっと見ていると、その道筋は自ずから見えてくる。君はただじっと見ているだけでいいんだ。意識を集中して目をこらしていれば、向こうから全部明らかにしてくれる。そんなに親切に僕を扱ってくれるのは、この広い世界に数学のほかにはない。」(p.89)
何であれ、目の前に自分が所有するものが溜まっていくことが彼女には苦痛だった。どこかの店で何かを買うたびに罪悪感を感じた。こんなものは本当は必要ないんだと思う。クローゼットの中の小奇麗な衣服や靴を見ると胸が痛み、息苦しくなった。そのような自由で豊かな光景は、逆説的にではあるけれど、何も与えられなかった不自由で貧しい子供時代を、青豆に思い出させた。(p.329)
「あなたは間違いなく正しいことをしました。しかしそれは無償の行為であってはなりません。何故ならあなたは天使でもなく、神様でもないからです。あなたの行動が純粋な気持ちから出たことはよくわかっています。だからお金なんてもらいたくないという心情も理解できます。しかし混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなものを抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持ちを、気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎ止めておく必要があります。」(p.330)
「メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ。」(p.344)
「そして王国がやってくる」と青豆は小さく口に出して言った。
「待ちきれない」とどこかで誰かが言った。(p.353)
「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ。僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている。その二つは密接に絡みあっている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる。」(p.459)
爪を見ていると、自分という存在がほんの束の間の、危ういものでしかないという思いが強くなった。爪のかたちひとつとっても、自分で決めたものではない。誰かが勝手に決めて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。好むと好まざるとにかかわらず。いったい誰が私の爪のかたちをこんな風にしようと決めたのだろう。(p.484)
人は脳の拡大によって、時間性という観念を獲得できたわけだが、同時に、それを変更調整していく方法をも身につけたのだ。人は時間を休みなく消費しながら、それと並行して、意識によって調整を受けた時間を休みなく再生産していく。並大抵の作業ではない。脳が身体の総エネルギーの40パーセントを消費すると言われるのも無理はない。(p.491)
ディッケンズのロンドンを照らす月。そこを徘徊するインセインな人々とルナティックな人々。彼らは似たような帽子をかぶり、似たような髭をはやしている。どこで違いを見分ければいいのだろう?(p.554)
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青豆と天吾の二つの物語が奏でる“シンフォニエッタ”は、村上春樹がデビューから常に小説で問いかけているテーマ―我々の居る世界に対するちょっとした違和感―を、珍しく真正面から詳らかにしようとしている。現在だけではなく過去までも書き換えて「そうではない(なかった)何か」を、恋愛とハードボイルドというオーソドックスで陳腐とも思える手法で描いている。総合小説を目指す春樹らしいといえばそれまでなのだが、やはり魅かれる。ちょっとした違和感が音叉のように現実世界と乖離していく様は、さすがとしか言いようがない。
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まだ 物語は始まったばかりで。「Q]が何を指すのか。交互に語られる物語がどういうつながりを持っていたのかが分かっただけで。いや、詳しくは書くまい。しかし驚いたのは、村上春樹氏が60歳だってこと。私の中では、J'Sバーで鼠と一緒に浮遊する絶望をすって孤独を吐き出す大学生だったり、双子の女の子と一緒に忍び込んだゴルフ場でそこかしこに落ちている暗い未来の白いボールを拾ったり、中国への井戸をもぐっていたりしている「若者」のはずなのに…