投稿元:
レビューを見る
沢木さんが書いたものには、いつもいつの間にか引き込まれる。何故だろう。
理由は幾つもあるのだろうが、ひとつはっきりしているのはリアリティーというか、自ら歩き自ら出会った人や事物に対する物凄く深い洞察に裏打ちされていることだ。
実は私は沢木さんのエッセイ集を読むのはこれが初めてだ。沢木さんの出世作である『テロルの決算』に打ちのめされて以来、『一瞬の夏』『檀』『凍』『無名』とルポルタージュと虚構のスタイルを仮装したノンフィクション作品を30年以上読み継いできて、先ごろ『流星ひとつ』に行き着いて、ひとつ腑に落ちたことがある。それは、事実を書く時の「事実と私」の関係、書く対象に自分がどう関わるかという難題にトコトンこだわりつづけ悩みつづけた沢木さんが結局行きついたのは、やっぱりデビュー作で既に確立してしまった私小説ならぬ私ルポルタージュの手法であると言うことだ。文芸評論家なわけじゃない私などが言うのはおこがましいですが、客観を装った嘘くさい文体を完全否定して対象に自ら積極的に関って行くことで対象を描くという、映像の世界でなら自分撮りのような文体は日本文学史を画期する金字塔だと大袈裟に言ってしまいたいくらい凄いと思う。
だから、『流星ひとつ』では、一時代のスターであり今日のスターの実母であり、不幸にしてニュースになる亡くなり方をした藤圭子という普遍的な対象を描くのに、対象と自分とのこれ以上シンプルで純な関係はないと思えるインタビューという型式を通じて表現した。表現したという言い方は正確でない。30年間封印していたこのインタビューを、今改めて世に問うたのだ。
『ポーカー・フェース』が面白いのは、やはりリアルな「相手と私」が手応えのある物語として読むものに伝わってくるからだろう。例えば「メリーとメアリー」では、ブラッド・メリーというありふれたカクテルを俎上に世界史、日本文学史、日米文化論の豊富な話のタネを鏤めた一編なのだが、この一編がキラリと光るのは、先輩作家でるある吉行淳之介が酒場で語ってくれた女の下着の脱ぎ方の話しであったり、飛行機の中で聞いたキャビン・アテンダントが何気に話したひとことだったりする。そのひと言は、村上春樹と沢木耕太郎の思わぬ接点でもあるのだ。
それは、当時の大スターで普遍的存在の藤圭子が、その何年か前パリの空港の搭乗口で知らないうちに沢木と出会っていたエピソードを聞かされて、
「あ」
「あの時」
と、思い出した瞬間と同じなのだ。インタビューはそれをきっかけにグイグイと相手の深部にわけ入って行く。その瞬間こそが沢木作品の真骨頂で、その瞬間に書かれる対象と沢木が合体し、更にそれがこちら側で読んでいる私たちの中にもストンと落ちて来るのだ。
ところでこの一冊、私が読んだきっかけはamazonの「貴方へのオススメ」だった。沢木さんのルポルタージュ本を何冊も買ったり一冊はレビューも書いている私だが、他の作家のエッセイ集はやはり多数amazondでの注文履歴があるもののエッセイ集に限っては沢木さんのものはまだ一冊も読んでいなかった。そんな状況をすっかりデータから解析して「アナタが次に読むべき一冊はコレですよ」と、教えてくれたわけである。
あくまでもリアルな相手との関わりが真骨頂である沢木さんの本を、バーチャルな存在たるamazonさんのご親切で教えていただいたというのは現代の皮肉な現実かもしれない。
だからという訳ではないが、この一冊は行きつけの書店で買った。WEBでは注文しなかった。
時々、ひとことふたこと言葉を交わすレジのお姉さんが、
「この表紙もいいですね」
と、カバーをかけながら言った。
「ん。でしょ」
私には、ああいい買い物をしたという確かな手応えがあった。
投稿元:
レビューを見る
やっぱり上手いなぁ、と思う。バーで友人と話しているときのように、ある話がまた別のある話につながり、それが全くの自然で何がきっかけで今この話してるんだっけ?というくらい軽やかに流れていく。さすがの貫禄、筆力。チェーン・スモーキングとバーボン・ストリート、もう10年も前に読んだ本だけど、再読してみよう。
投稿元:
レビューを見る
以前は普通に沢木さんの文章を読んでいたけれど、いま、改めて読むと、その表現の的確さに驚かされる。端的に分かりやすく、そしてかつカッコいい。こんな文章を書ける人間になりたいものだ。
沢木さんのエッセイは久しぶりに読んだので、あまりにストレート物言いや経験の豊富さにのめりこんだ。
良い文章を読むと、良い文章が書ける気がする。やっぱりすごい人なんだなぁ。
投稿元:
レビューを見る
もう十年以上前「チェーン・スモーキング」、「バーボン・ストリート」を読んでいたのだが、久しぶりに沢木さんのエッセイを読んだ。
いろいろな体験をしている沢木さんだけあって、さすがに話題は豊富。ただ、話があちらこちらに飛ぶ印象があり、腰の座らない読後感・・・。
一章をもう少し短くして、焦点をわかりやすくした文章の方が自分の好み。
☆4個
投稿元:
レビューを見る
タイ旅行のお供に。
ひとつひとつの話がちょうどよい長さで、よくまとまっているので非常に読みやすい。
旅行に持っていくのみぴったりの本である。
投稿元:
レビューを見る
表紙で思わず買ってしまった一冊。失敗したなあ、私はエッセイが好きではない。内容もあまり来るものではなかった。いつか昔の作品を読んでみたいが、いつになるかなあ。
投稿元:
レビューを見る
沢木耕太郎による、『バーボン・ストリート』(1984年、第1回講談社エッセイ賞受賞作)、『チェーン・スモーキング』(1990年)に次ぐ、2011年発表のエッセイ集。2014年文庫化。
複数のエピソードの間を魔法の絨毯で飛んでいるような、さり気なくも絶妙かつ緻密な構成は、相変わらずである。
沢木氏はあとがきで、「『チェーン・スモーキング』を書き終えたとき、このようなスタイルのエッセイ集はもう出せないだろうと思った。「話のタネ」の入っている箱を逆さにしてポンポンとはたいてしまったような感じがしていたからだ。しかし、気がつくと、空っぽになってしまったはずのその箱に、友人や知人に向かってつい酒場で話したくなるような「話のタネ」が、いつの間にかずいぶん溜まっていた。」と書いているが、沢木氏の好奇心、感性であれば、いずれまたその箱は一杯になり、次作も出してくれることだろうと期待してしまう。
(2014年5月了)
投稿元:
レビューを見る
エッセイの達人の本。「初体験」について書かれている、と裏書きにあったので、わくわくして読んだら、思ってたのと違った。情けない。それでも面白い。
投稿元:
レビューを見る
普段は全くと言って良いほどエッセイ手を出すことは無いのですが、昔から沢木さんの文章が大好きで、例外的に手を出してしまいます。
特に何か特徴のある文章ではないのですが、リズム感が合うのか、読み始めると電車を乗り過ごしそうになるほど没頭します。
しかし。。。。
何かこの作品は印象に残らない。どうも話が横道にそれ過ぎて、趣旨がぼんやりしてしまった様です。沢木さんらしいバランス感は感じられるのですが。
投稿元:
レビューを見る
バーボンストリート、チェーンスモーキングに続く、同種のエッセイ集。流れるような話の運び方は本当にさすがだと思う。高峰秀子とのエピソードなどは、人間的な魅力のなすものなのだろう。人間力の極みだ。前2作よりだいぶ最近のことになるので、それはそれで楽しめた。
投稿元:
レビューを見る
山野井泰史のことが書かれていると知って、すかさず読んだ。私の大好きな高峰秀子のことも書いてあったのはめっけ物だった。高峰のエッセイは半分ほど読んでいるが、30年ほど前なので記憶が薄れている。清々(せいせい)ときっぱりした小気味いい文章を絶賛する人は多い。
https://sessendo.blogspot.com/2021/03/blog-post_31.html
投稿元:
レビューを見る
代田の古本屋で発見。
沢木耕太郎は深夜特急しか読んだことはなく、エッセイは初めて。
男性の作家の文章はやっぱり好きだけど、エッセイを書くとなると人生で経験してきた話が元になるからか、やっぱり年齢を重ねた人の経験談、良い意味でおじさん臭がするものが多いんだよな。話題とか。
若い男性の作家でエッセイが面白い人って誰かいるのか、探してみたい。
一番印象的だったのは、ダントツで
“「いままでの人生で、大事なことというのは男と女のどちらに教えてもらいましたか」"
これは面白かった。
投稿元:
レビューを見る
「沢木耕太郎」のエッセイ集『ポーカー・フェース』を読みました。
『凍』、『流星ひとつ』に続き、「沢木耕太郎」作品です。
-----story-------------
極上の、芳醇。
『バーボン・ストリート』『チェーン・スモーキング』に連なる必読の傑作エッセイ集!
累計55万部。
「初体験」から書き起こし、靴磨きの老人と鮨屋の主人の手がもたらす感懐へと導かれる『男派と女派』、銀座の酒場のエピソードがやがてカクテルの逸話へと姿を変える『マリーとメアリー』……波から波へと移るように、小路をふっと曲がるように、意外な場所へと運ばれるめくるめく語りの芳醇に酔う13篇。
『バーボン・ストリート』『チェーン・スモーキング』に続く傑作エッセイ集。
-----------------------
珠玉の作品『バーボン・ストリート』、『チェーン・スモーキング』の流れをくむエッセイ集らしいです… この2作品を読んだのは8年くらい前だし、出版時期も『バーボン・ストリート』が1984年(昭和59年)、『チェーン・スモーキング』が1990年(平成2年)、本作品が2011年(平成23年)と前2作品とは大きく異なるのですが、共通して言えるのは読んでいるうちに、どんどん引き込まれていくということ、、、
ひとつのエッセイの中で、彼方此方と複数のエピソードを行ったり来たりしつつ、それらのエピソードが複数の糸でつながり、しっかりオチを着ける展開… そんな、さり気なく絶妙で緻密な構成が愉しめることと、私の理想とする部分と価値観が近く、共感できることが多いのが好感を持てる要因なのかな と思います。
■男派と女派
■どこかでだれかが
■悟りの構造
■マリーとメアリー
■なりすます
■恐怖の報酬
■春にはならない
■ブーメランのように
■ゆびきりげんまん
■挽歌、ひとつ
■言葉もあだに
■アンラッキー・ブルース
■沖ゆく船を見送って
■あとがき
■文庫版のための「あとがき」
■解説 長友啓典
『男派と女派』は、新橋駅まで50年以上も靴磨きをしている老女の節くれだった男のような太い指が鮮烈な印象を残すエッセイ… エッセイの中で「沢木耕太郎」が何でも人に訊いちゃう性格だということがさりげなく紹介してありましたが、これが類まれなインタビュアーとしての巧さにつながっているのかもしれませんね。
『どこかでだれかが』の自分に似た人の話題から展開する"幸・不幸シーソー説"は、以前、私も考えたことがあっただけに、他にも同じことを考える人がいるんだ… と不思議な気持ちにさせるエッセイでした、、、
「伊集院光」のエッセイから引用された、サラリーマン失踪の原因について父親が「会社の駅を乗り越して、ふと外を見たら、ものすごく良い天気だった… くらいのものだろう」と語るシーンについては、思いっ切り共感してしまいました… 人が失踪するきっかけなんて、そんなことなんだと思います。
『悟りの構造』は、久しぶりに「J・D・サリンジャー」や「ジュール・ヴェルヌ」の作品を読み���い気分にさせられるエッセイでした… そして、「宇宙意思の会」の教義、
「世の中におきるすべてのこと、
森羅万象、たとえば男が浮気をするのも、
呑んだくれるのも、博奕ですってんてんになるのも、
これはすべて宇宙の意思である」
には共感できる男性が多いでしょうね。
『マリーとメアリー』では、カクテルのブラディ・マリーに関する蘊蓄を知ることができました… イギリス国教会の関係者を大量に処刑したイングランドの「メアリー一世」から来ているんですね。
『なりすます』は、まだ少年だった「井上ひさし」が1947年(昭和22年)に地元の山形県米沢市で「井伏鱒二」を見たが、実は偽者だったというエピソードから、意図的なものから、勘違いまでの"なりすまし"について語られた面白いエッセイ… 他人の勘違いを訂正するのも面倒で、ついつい"なりすます"ってこと、ありますよね。
『恐怖の報酬』は、「沢木耕太郎」が蛇恐怖症だという意外性に驚き、先日読了した『凍』の取材過程で「山野井夫妻」とヒマラヤへ行ったエピソードが印象に残るエッセイでした… ヤクザが指を落す痛いエピソードは、ちょっと苦手です。
『春にはならない』は、ホントらしいウソの話と、ウソのようなホントの話について語られたエッセイ、、、
ホントに、ホントらしいウソの話って、困りますよね… 尾鰭が付いて、話が作られていくしね。
『ブーメランのように』は、「団塊の世代」という言葉を気持ち悪いと感じる「沢木耕太郎」が、そこから、世代でひとくくりにされることを好まず、集団に所属することを嫌い、一匹狼としてやっていきたいということを宣言することが印象的なエッセイ、、、
エッセイで紹介される「沢木耕太郎」が翻訳した「トニー・パーカー」のノンフィクション作品『殺人者たちの午後』を読んでみたくなりました… 殺人を犯した12人の男女へのインタビューをノンフィクションとしてまとめた作品だそうです。
『ゆびきりげんまん』では、「沢木耕太郎」のスポーツ・ノンフィクション作品である『敗れざる者たち』、『王の闇』でのエピグラフが、著名人のイニシャルをちょっとだけ変えて、勝手に手を入れた文章だということを知りました、、、
「アーネスト(Ernest)・ヘミングウェイ」が「A・ヘミングウェイ」なっていたり、「ミゲル・デ・セルバンテス」が「B・セルバンテス」になっていたり… こんなところに遊び心が織り込まれているなんて。
『挽歌、ひとつ』は、「沢木耕太郎」の「高峰秀子」や「尾崎豊」との交流が印象的なエッセイ… 「高峰秀子」との間柄は、彼女のエッセイでも語られていますよね。
『言葉もあだに』は、『明日のジョー』や「宮崎駿」アニメの話題まで出てきて、「沢木耕太郎」の知識の幅広さを感じさせるエッセイでした… マンガやアニメも見てるんだなぁ。
『アンラッキー・ブルース』は、何が不幸で、何が幸運なのか… 考えさせられるエッセイでした。
『沖ゆく船を見送って』は、うーん、賭博には興味がないので、バカラ���話題には付いていけなかったなぁ… 本作品の中で、唯一、流して読んだエッセイでした。
新しい発見もあったし、共感できる内容も多かったので、あっという間に愉しく読めました。
投稿元:
レビューを見る
沢木さんの短編エッセイ集。過度に気取らず、さりとて平凡でなく。旅先や仕事、家の近くの公園で会った人、著名な人との関わりなど、人生における様々な小さな出来事から、話を膨らませるのは素晴らしい才能。旅先で読むにはちょうど良い内容と分量。
投稿元:
レビューを見る
改めて読み返してみると、沢木耕太郎の感心が「嘘」に向いているのではないかとも読める。「何か」以外、本当の存在以外のものに自分自身や自分が作り上げるものを似せようとする試み。それは沢木がノンフィクションという原理的に「嘘」を許されない世界に生きており、その流儀をきっちり守り通してきたプロフェッショナルだからこそかもしれない(邪推なのはわかっている)。今回の読書でも沢木ならではの「嘘」のような体験を知ることができ、そこから確かにさまざまな文章が引き出されるマジックを堪能できた。この人はプロだ、と安心感をもらう