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文芸誌を読んだことによる収穫のうちのひとつ。
私は、ではなく、我らは、の小説のもつ独特な剽軽さや、寂しさ。
なかなかに得難い読書になった。
ロウカ発見、
フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺、
ハーレムでの生活、
格子縞の僕たち、
征服者(コンキスタドール)の惨めさ、
大いなる不満、
包囲戦、
フランス人、
諦めて死ね、
筆写僧の嘆き、
微小生物集――若き科学者のための新種生物案内
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アンナ・カヴァンが精神的な奇想の人だとしたら、この著者の奇想はとても理知的。なので、面白いけど心の嫌なところを突いてくる鋭さには欠ける気がする。
…要するにそんなに好きじゃない。
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風変わりでアイディアにあふれた作品ばかり。毎年多数死者をだすピクニックやハーレムに連れてこられた男や一風変わったエデンの園と奇想とも言える世界だけれど、とても淡々としていて日常のような不思議さがある。「フランス人」だけはある少年の成長を描いていてごく普通の短篇なのだがとても繊細でいい。この力量がアイディアにあるれる作品を味わい深くしている。微小生物集はとても面白かった。これからも注目していきたい!
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セスフリード「大いなる不満」http://www.shinchosha.co.jp/book/590109/ 読んだ、おーもしろかった!野蛮さと洗練された知性が同居している。どの短編も冷ややかな設定で救いがないのに全体にユーモアがある。同調圧力、良識という暴力、欲望と序列、管理暴力。社会心理学の副読本のよう(つづく
知らぬ間にプロトコルが変わっていて、オペレーションは同じなのにアウトプットが致命的に違って、バレたら殺されるから平静を装うけど内心パニック、って感じかな。架空の微生物事典が特によかった。何のためにこんな話を笑、完全に作者の私的な空想遊びだ。センスあるなあ(おわり
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『そうでなければ、確かに一理はあり耳を傾けるべきかもしれないが、あんな不愉快な方法で主張をして、街角でプラカードを掲げることをやめようとせず、わたしたちの車のワイパーにチラシを挟んでいき、さも独善的で押しつけがましいと台無しだな、と言われたりする』ー『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』
不満は一つ一つは取るに足らないことの積み重ねだが、それがいつしか絡み合って解きほぐせなくなる。自分はネガティブな人間ではないと確信しているのだが、そんな絡め捕られてしまった状態から抜け出せないでいると、いつの間にか周りの人は遠ざかり、あんなにネガティブな人は見たことがないなどと陰で言い触らされる。こちらが幾ら友好的な目で見つめても、危険なものでも見るよう様な眼差しだけを残して直ぐにでも立ち去ろうとする。精神が不安定な人でも見つめるような目でこちらを遠目にみている気配が次第に辺りに立ち込め、その濃度が高くなる。例えば混み合う電車の中でぶつぶつと何か文句を言う人でも見るような空気が満ちてゆく。ジレンマを感じるのは本人だけ。
不満がもたらす精神的な状態は、不安がもたらすそれと極めて似ている。
一つ一つの不満は、不安と同じように、取るに足らないようなこととは言え、理由なきことと無視することができないところが厄介だ。その厄介さをこの本は巧みに描く。特に表題作である「大いなる不満」で描かれる理想郷に暮らす動物たちの心情を掘り下げた短篇は秀逸。大いに心を動かされると同時に人の脳の厄介さのことをしみじみと考えさせられる。詰まるところ、人間の脳が一時も休まることがないということ。それ故、たとえ理想郷に在ったとしても不安を払拭することはできず、不満を口にすることを終に止めることもできない。その原罪のような脳の機能を動物の心情を借りて巧みに描いていると思うのである。
とはいえ、ことの道理が解ってもそれで不安が解消される訳でもなく、不満がなくなる訳でもない。それ故、この本の読後感は爽快とは程遠い。もちろん、自分自身のことを棚に上げて描かれている側には属していないと白を切れるのであれば別だけれど。
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本邦初お見えのセス・フリードの11篇からなる短編集。ねじれたユーモアと奇想とあるが、乾いたウィットにとんだ印象を受けた。従者だった男がなぜかハレームに呼び出されてしまう「ハレームでの生活」と猿をカプセルに詰め込む仕事をしている「格子柄の僕たち」、エデンで生活している動物たちの内面を描いた表題作「大いなる不満」が気に入った。
ちなみに好きな作家として、イタロ・カルヴィーノ、カフカ、ボルヘス、エイミー・ベンダー、ジョージ・ソーンダーズ、スティーヴン・ミルハウザーを挙げており、妙に納得をしてしまった。
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不条理なエピソード満載の短編集。
表題『大いなる不満』の通り、この本は不満しか残らない。
不条理に感じる物語というか、著者は不条理小説を書きたくて書いたんだろうな、と感じさせてくる不条理さがあって、物語に夢中になるというよりは不条理小説を書くための技法マニュアルが物語的手法をとっているという不条理さがあり、不条理な物語における不条理さとはこの類の不条理さであって、他の不条理が不条理であるためには別の不条理的視点を以って不条理であることを不条理にも定義付けた上で核心的不条理さに対して不条理な姿勢で接近するという不条理な必要性があり、従って弁証法的不条理によってのみ不条理の存在を不条理にも確認するという不条理さよりは、不条理である事を不条理にも納得したうえで不条理を以って不条理を超越する不条理こそが真に核心的不条理である不条理な所以を、不条理の不条理による不条理のための不条理小説として不条理に体験させるべく不条理不条理したこれぞ不条理という不条理を不条理に書こうとしたんだな、と読書が勘付いてしまう不条理な不満がある。
つまり、面白くない。
白々しい一人称が延々と続き、無味乾燥で色彩がない。
限界まで薄めたカルピスのように味気なく、それでいて濁っている不愉快さ。
読んでいるうちにだんだんと集中力が散漫になり、やがて本が手許から離れる、又は就眠する。
眠るための本としては最適。
狙った不条理は不条理と言えないんだな、と勉強になった。
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風刺っぽい短編集。
『ロウカ発見』『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』『格子縞の僕たち』が良かった方。
私の場合、後半の短編では読むのが苦痛になってきた。短編なのに楽しめないので集中しにくくなった。早く読み終えたいのになかなか進まない感じ。半分ほどでおなかいっぱい、もういらないという感じ。
好みが分かれるだろう。
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「ユーモアと奇想が爆発するデビュー短篇集」とのことで難解なのかと構えてましたがとても読みやすかった(ボルヘスは苦手でもこれは大丈夫)。シュールな可笑しさと悲哀や諦めに満ちた作品。被験者の記録に一喜一憂して妄想と行動を逞しくする自分たちを省察する「ロウカ発見」、毎年原因不明の死者が続出するのに半ば楽しみを装って毎年参加してしまうピクニックを描いた「フロスト・マウンテン・ピクニック」が特に好き。(モホモホ・ノーペイントってなんなんでしょう)
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猿をカプセルに入れる仕事、虐殺されるのを知っているのに毎年参加したくなるピクニック。不条理でブラックな短編集。
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すごくすごくいい。盛り上がる系ではないので、読了後しばらくたってからああもう一度読みたいなと思うほどに。
いろいろの短編の中で「諦めて死ね」が最高にいい。タイトルからしてぶっちぎりにいい。
あとは大いなる不満、フロストマウンテン、など。微生物のやつは飽きる。あのこじゃれた皮肉系科学雑誌風については、ライトで軽く書いた方が面白い。
彼の書き方(あるいは訳文)は軽やかで、骨のようで、静か。みちていく不穏な。良くないこと(≠悪いこと)が起るのだろうという予感が、澱のように溜っていく、どうしようもなく、そのいざいざと不安感と緊張感の高まりが、たまらない。そしてこれらは暴発もせず、ただ満ちてく。だけ。
不消化というより、未消化の結末は、後味が悪いというより、これに決着つけちゃったら逆にこっちが消化不良だわ、って感じもする。
この、ひたひたと侵食するような、予感の書き方がすごく好み。フロストマウンテンは社会派味をいれちゃってて、ロウカはストーリーになっている。侵略者は最初なんじゃこれで流し読みしていたけれど、読み返して、そのどうしようもない無力さがあとからわかった。
お気に入りの「諦めて死ね」は描線少なめの新聞雑誌とかでよく見るほっそいペン画とかのイメージ。「大いなる不満」は、匂いたつような、むせ返るような、熱で溶けるような原色画。
諦めて死ねについてはあまりに良すぎてノートに写したぐらいに好き。熱狂的に好きと言うよりは、頭の片隅から離れがたい。使いもしないのに、引出しの一番上に入っている。
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1983年生まれのアメリカ人作家による短編集。
全11編が収められており、どの作品にも、滑稽さ、悲惨さ、愚劣さなどにまみれた人間世界の縮図が垣間見られるように思える。
太古の昔に既に亡くなっている人間のミイラに翻弄される現代人を滑稽に描いた「ロウカ発見」、抜け出そうとしても抜け出すことが出来ず、結局同じこと(あるいは前よりも酷い状況)を行ってしまう「フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺」、どんなに頑張っても悲惨な境遇から抜け出すことは不可能だと諦めているような「格子縞の僕たち」、ジョージ・オーウェルの「象を撃つ」を思い起こさせる「征服者の惨めさ」、無邪気ゆえに背負ってしまったトラウマに怯える「フランス人」、イタロ・カルヴィーノ風な法螺話にまとめられた「微小生物集-若き科学者のための新種生物案内」等々。
翻訳されている作品がまだ本書だけみたいなのだが、次の翻訳作品が出版されたら、是非読んでみたいと思わせてくれる内容だった。
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非常に惹き付けられるタイトルだとは思うが、タイトルからしみでるユーモアと、この作品の持ってるユーモアは何か種類違う気がする。原題の「フラストレーション」がとてもしっくりきてると思う。
扱っている内容(奇想)や皮肉な感じ、世の中とうまくシンクロしない感じ、自分が好きになりそうな雰囲気。だがしかし、大竹守さんの切り絵の表紙でなかったら、手に取ったかどうか。
世の中に対する嗅覚はすぐれてる気がするし、玄人受けすると思うが、純粋に「本読むの楽しい」と言う気持ちからは共鳴しない、小手先器用感が何だか受け付けない。
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映像が浮かぶ不条理劇。面白い!
ロウカ
7000年前のミイラ。ロウカの発見でラボが活気をおびたのに、別の発見で空気が変わる。
フロストマウンテンピクニック
楽しいはずのピクニックで繰り広げられる惨劇。楽しくないのに、楽しんでるふりをする人々。
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あなたは絶対認知症にならないと、太鼓判を押してくれた人がいた。そんなこと解るものかと思ったが、最近海馬の底の方がモヤモヤしてきた。なにかを取り出そうとしても、おもちゃ箱のように雑多なものが見えるだけでなかなかな影が捕まえられない。”絶対”ほどあてにならないものは無いと思い当たる始末。その中に気になっていたこの本のかけらを見つけた、そうしたらずるずると付いてきたものがある。アメリカ文学最先端、セス・フリード。クレストブックスで面白かった「遁走状態」訳者の柴田元幸と言う名前。
この本に納められている話が奇怪だとしたら、それは人間そのものの奇怪さの反 映なのだーー柴田元幸
ねじれたユーモアと奇想が爆発する鮮烈なデビュー短編集。
と紹介されている、実に見事なずれ感覚と溢れるような言葉の構築物と言うか、目にするものが一度脳に達した後、はきだすように書かれた文章が面白おかしく、ねじれたり変形して、刺激的で忘れられない読後感を残す。そして、読み終えた後は現実の平凡な日常の中ですっかり忘れてしまうような話だった。
11編の目次から
ロウカ発見
7千年前のミイラ(ロウカ)が発見されて科学者たちは狂喜乱舞、しかし二体目が発見され・・・
フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺(プッシュカート賞)
ピクニックは恒例の行事で、みんなして山のふもとに出かけるが、そこで必ず襲撃されて、死者や重軽傷者が出る。だが子供は楽しみにし、大人もワクワクする、もう今更やめることが出来ない。集団の不思議な心理。
ハーレムでの生活
王さまの美女たちの中に醜男が一人選ばれて加わった。呼び出しを畏れながら待っている間に、女性に関する美意識や新鮮だった欲望が次第に変化していく。
格子縞の僕たち
僕たちは火山に投げ込む猿をカプセルにつめる仕事をしていたが、猿に近親感を覚えてしまった。ついに猿が叛乱を起こす。
征服者のみじめさ
穏やかな生活を夢見てはいるが、隙を見せると部下に馬鹿にされる、進むしかない。黄金を盗り女を犯し人格は分裂していく。
大いなる不満
エデンの園の動物たちは襲うことも襲われることもない安寧と平安の中で、次第に膨らんでくる本能の黒い影を感じ始める
包囲戦
長い間敵に包囲され、町は崩れ、環境は劣悪で荒れ果てている。どうしたらいいか考えることはあるが、まだ完全に征服されたわけでないと思う。
だが起きてしまった事は仕方がないとも思っている。
フランス人
主役に選ばれた僕は図らずも頑張ってしまった。
諦めて死ね
父さんは生まれる前に死んだ、母さんは誘拐されて行方不明、様々な犯罪や凄惨な死に様や、自殺や、ありえないような事故の歴史を持つ血筋に生まれついた僕。
筆写僧の嘆き
「ベオウルフ」の写本作りをする僧たちは、修道士が演じる「ベオウルフの戦い」を見て書き留めることになるが、それぞれ違った記述になっていく。
微小生物(プッシュカート賞)
微小生物を観察し魅入られてしま���。名前をつけた固体はそれの持つ特性は奇妙でまた美しく、微小なせいで詳細が解明できなかったものたちも不思議な世界を見せてくれる。
「ケッセル」の寿命は一億分の四秒なので生まれたかと思うと死んでいるその生涯を見たものがない
「ミートライト」は対になって誕生する。細い巻きひげでつながっていて空に舞い上がり、切り離されると痙攣し身もだえし元に戻ろうとするそれが更に遠くに離されることになる。
「パートレット」は存在が肉眼では見えない、存在反応もない、だがパートレットに 発見され認識されている。確認するには地上の存在が持つ特徴一つでも確認されればパートレットは存在するということである。
など発見されて名づけられた極微小な生物の特徴を正確な言葉でありえない現状をしっかりと表現している。
中でも「観察の原理」
遥か遠方の惑星が実在するばしょであり、諸君が踏みしめている大地と同じく現実のものであるとは考えにくいのと同様に、微小生物の多くを実在の生物だと考えることはしばしば困難である。望遠鏡を通して見る惑星と同様、顕微鏡越しに見える微小生物は、物というより物のイメージであると見なされがちである。どちらの器具も物体を近くに見せたり大きくしたりといった、ひどく初歩的なやり方で現実を操作するにすぎないが、それでも我々は自分が見ているものは虚偽なのだと思い込んでしまう。
これは最高に面白い一編。