紙の本
本と読者と著者
2016/07/18 11:57
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「読書離れ」と言われて久しいが、本当に人々は「本」から離れているのか。Amazonやそれに類似するネット書店の展開で、「本を書店」で買う事から「ネットで注文」する事に変化した。読者にわからない、本屋の取り継ぎ任せという事態見えてくる。Amazonで「電子書籍セール」も行われ、電子書籍で読む層も増えてくる。「本を売る」事だけの本屋では成り立たない事も、本書で見えてくる。だが、本当に大事なのは「本と読者、著者をどう繋ぐか」だと著者は言う。本屋や出版会社も商売だが、本と読者を繋ぐ事と「読まれて初めて存在する」本の未来を考えなければいけない。
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本が売れていないのかもしれませんが、人々が眺める活字の量は減っていないのでは……本か、デバイスか、それとも……読書家は一緒に考えねば。
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永江朗、渾身の「本」論、とでも、言おうか、長く出版業界に携わってきた氏による「本」についての問題整理と考察。自ら言うように、特効薬もなければ、絶対的な解決策もないのだけれど、どういうことが問題だと言われていて、それが実際にどうなっていて、じゃあどういうことが考えられるかな、というのがコンパクトにまとめられている印象。
目新しい問題提起や、活動の提案があるとは思わないけれど、長く言われる出版業界の構造的な問題だったり、電子書籍の話、セレクトショップ型書店の話など、しっかり網羅されてる。ここから色んなところで、あーだこーだ話し合い、試してみて、という本。
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確かに本が売れない。今までのやり方が、いよいよ本当に通じなくなってきた。
この本には、本と出版業界のこれまでが、コンパクトに分かり易くまとめられている。
これまでを俯瞰して、これからを考えようとするときに、ピッタリだと思う。
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前作の紀伊國屋のはいまいちでしたが、今作はバランス良く、客観的なデータを用いて因果関係を冷静に分析しているところが良かったです。最新の話題も押さえているので、現時点で状況を整理するのには一番かと。業界人は知ってることばかりだけど、おさらい的な意味で必読ですね。
特に物流と価格の話は重要。上流から下流まで、「そういうもん」として旧弊を踏襲してきた結果、読者のニーズや「本」の変化に対応してこなかったことのツケ。
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新聞でちょろっと紹介されていて、図書館にすでに入っていたので借りてきて読んでみる。
この本のタイトルの文句にすでに著者の思うところが込められているなーと思ったが、中も「読書ばなれ」「活字ばなれ」と言われるけれども、その「中身」を腑分けしていくと、いろんなものが見えてくる、という話が、さまざまなデータも示して書かれている。感覚でなんとなくこうだろうと言われていることを必ずしもそうじゃないのだときっちり見ている。著者のことばを借りれば「「読書ばなれ」と「出版不況」のあいだにはねじれがある」(p.69)のだ。
「読書ばなれ」は起きていないが、本を読むという体験が多様化したために、新刊が売れない「出版不況」となっている面があるし、「出版不況」のおおもとは「雑誌不況」であって、出版界が景気回復をめざすなら、読書推進よりも「もっと雑誌を読もう、もっと漫画を読もう」という推進運動をしたほうがよいのではないか、と著者は指摘する。
そして、本に対する感覚がじわじわと変化してきたことを著者は、「いってみれば本は「所有」するものから「体験」するもの、あるいは「消費」するものに変わった。物体として所有するのではなく、読むことを体験し、情報として消費するのだ」(p.80)と表現する。
以前だったら、いつ品切れや絶版になるか分からないから「蔵書」しておくものだったのが、今なら読み終わったら手放せばいい。amazon、ヤフオク!あるいは日本の古本屋、スーパー源氏といった古書サイトで検索すれば、たいていの本は見つけられるからだ。
私もついつい本棚やら家の中のあちこちに本を積み上げているが、もっと気軽に手放してもいいのかも…と思うようになった。今でもそうだが、私の場合、図書館でたいがいの本は探し出して読ませてもらえる、貸してもらえると思っているし、実際に本当にいろんなものを読ませてもらい、貸してもらっている。
全国の公共図書館数は、2000年に2639館だったものが、2013年には3248館まで増えている。図書館がない自治体は今でも少なからずあるそうだが、図書館で借りるという選択肢は増えているのだ。2010年には、新刊書籍の推定販売部数を図書館の貸出冊数が抜いたという。本屋や作家、出版社が、図書館のせいで本が売れないと非難することもあるが、その前に、近所の本屋がどんどん減っていて、「歩いて行ける距離に本屋がないところに暮らす子どもたちにとって、図書館は重要な読書インフラなのだ」(p.31)という著者の指摘は真っ当だと思う。
私は今のところに住んで十数年になるが、駅前の商店街にあった本屋は、駅前再開発で大きなビルが建ったときに、そこには入らず廃業した。駅ビル内には、全国チェーンの本屋が入った。駅の向こうに少し歩いたところにも地元の本屋がもう一軒あったが、駅ビルに新しい本屋が入ったあと、数年してその店舗は閉店してしまった。人口40万人弱の市で、電車が2線使える駅でこの状態。
昔に比べると私が本を買うことは少なくなってしまったものの、最寄り駅に本屋がないという事態になるのはいやなので、本を買うときには、なるべく駅ビ���の本屋で買っている。店頭にないときには注文も頼む。本屋が薄利多売で儲からない商売だということは知っているから(本屋の粗利は20%余り、1000円の本で220円くらい)、本の数ばかりが増えて、売上げは変わらないか減り気味という状況で、本屋を営むのは大変だろうなーと思う。
そこのところを著者は、出版社は本の値段を決めるときに本屋のことを考えているかと書く。
▼再販制のもとで、出版社が価格決定権を持つのだから、出版社には本屋が成り立つだけの利益を確保できるようにする責任がある。しかし、本の値段を決めるとき、本屋の利益について考えている出版社員はどれだけいるだろう。値段を決めるとき、多くの編集者や販売担当者は、1円でも安くしようとする傾向がある。安くすれば売れると信じている。しかし本当に安ければ売れるのだろうか。安ければ安いほど本屋の利益は減る。もちろん安くしてたくさん売れれば、本屋の利益は増える。だが1冊あたりの利益が減った分をカバーできるぐらい売れるのかどうかはわからない。(pp.186-187)
著者と、筑摩の編集者だった松田哲夫が「本の定価を倍にするだけで、出版界が抱える問題のかなりが解決する」(p.187)と盛り上がったことがあるそうだ。1000円の本が2000円になれば、本屋の粗利は倍になる。もちろん、値段が高くなる分、1000円の本のようには売れないかもしれない。だが、たとえ販売数が半減しても、定価が倍になったぶん売上額は同じで、一方で販売にかかる手間は半分になる。
新刊が売れないのをカバーしようと、出版社はつくる本の数をものすごく増やしている。年間に出る出版点数を平日の日数で割ると、1日だいたい300点が出てる計算になるという。取次からどんどん新しい本がきて、本棚に入りきらない本は、どんどん返品されていく。
本の値段を倍にしたら、買うほうは慎重になって、損をしない本だけ買うようになるかもしれない。それを見越して、出版社も企画をしぼりこみ、出版点数が減るとしたら… 本屋の店頭である本が並んでいる日数も長くなるだろう。つまり客の目に触れる機会が増える。本との出会いも増えるんじゃないか… 著者はそんな風に考えてみる。
あまりに出版点数が多いから、取次の配本パターンに頼るばかりで、洪水のように流れていく本をなんとか捌くだけの本屋… そうではなくて、本の情報をチェックし、「自分で仕入れて売る」という商いの原点に戻れ、と著者はいう。同時に、ベストセラーや話題の新刊を追いかける品揃えが、本屋をつまらなくしてるのではないかともいう。
巻末で著者は、出版不況といわれるものの原因と考えられるいくつかの点を挙げ、さらに「どこから変えるべきか、何から変えるべきか」と問いかけつつ書いている。その最後、「本」と「読者」のためにと書かれた文章がよかった。
▼本と読者にとって何がいちばん重要なのか。
いちばん重要なのは「本」だ。何が「本」かということは、とりあえず措いておいて、まずは「本」を大事にしよう。「本」が生き延びるためにどうするか。
次はその「本」を生み出す「著者」と本を読む「読者」だ。著者のいない本はない。誰も書かない本はない。本は誰かによって書かれなければならな��。だから著者が大切だ。そして誰にも読まれない本は意味がない。本は誰かに読まれてはじめてその存在の意味を持つ。ただしこの「読者」はいま存在しているとは限らない。もしかしたら、いまはいないかもしれないけれど、10年後、50年後、100年後にあらわれるかもしれない。そういうものとしての読者だ。
…(略)…出版社も書店も取次も、「本」を「読者」に手渡すためにある。
*
「本」について考えるとき気をつけなければならないのは、いまある「本」だけが「本」ではないという事実についてだ。…(略)…「本」をめぐる思考は、常に未来に開かれていなければならない。(pp.235-236)
本屋にしても図書館にしても、読者に「本」を手渡す最前線で、そこがなんやかやと切り詰められていくのはつらい。「未来の読者」を考えるという視点が、自治体にも出版社にもほしいと思う。
(12/8了)
※日本の図書館統計については、図書館協会のこのページが参考になる
http://www.jla.or.jp/library/statistics/tabid/94/Default.aspx
※国会図書館のリサーチナビには、「出版産業に関する主要統計資料」が紹介されている
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-387.php
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読書ばなれと言われる昨今、本当にそうなのか?
それは売上の減ったことの単なる言い訳であり、売上だけからは見えてこない側面もある。
売上に反映されない、古書や図書館。
読書ばなれについて議論するときそれらの存在を無視するべきではない。
アマゾン、ヤフオクの出現により本は「所有」するものから「体験」あるいは「消費」するものになった。
物体として所有するのではなく、読むことを体験し、情報として消費するのだ。(P80)
というように、読者の本に対する価値観は変わってきている。
本書では、本の販売システム、本屋の現状など様々な問題が浮き彫りにされている。
他の小売りにはない取次という独特のシステムは本当に必要なのだろうか?消費者である読者にとっては必要のないもののように感じる。
売上を上げたいのであれば、売り方を変える必要がある。著者の提案は、消費者目線でこれからの本屋の可能性を感じさせる。
最終的には尻すぼみに感じてしまったが、全体としてためになったし有意義な一冊だった。
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本の現在地はどこだ!
活字離れ? 本屋の減少? 電子書籍の躍進?
それらをこの本を読んで見極めましょう。
そして本のみ未来を一緒に考えましょう。
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本好きの人達が、日本の本を取り巻く基礎的状況を知り、今後も本を愛していける世界が続くために、どうかかわっていくべきかを考えさせてくれる。
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本が売れていない理由について、そして、今後の本のあり方について、丁寧に考察した1冊だと思います。
「読書離れが起こっているわけではない」というあたりの説明は、「なるほど」と思いました。
ブックオフやアマゾンの台頭は、読者の利便性を考えると、ある種、当然の流れだったんでしょうね。
ただ、今後の本のあり方への提案については、疑問も残りました。
とはいえ、本を作る側、売る側にとっては、示唆に富んだ、良い本だと思います。
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町の本屋がどんどん閉店している。その一方でアマゾンやブックオフは伸びている。コンビニの雑誌売り場だって、いつも立ち読みしている人がいる。本が売れない、活字離れが進んでいる、って本当だろうか?
画一的な分析をやめ、違う角度から出版界をとらえ直し、本の可能性を提案して見せてくれる。
納得の理論展開で興味深い?。
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要点をかっちり押さえたいい本
即効性のある対策はないけれど
賃貸の物件で和書を取次ぎから仕入れて
売っているだけでは成り立たない
100 コンビニの棚の取り合い
106 既刊本はブックオフのほうが品揃えいい
134 本屋は返品すれば済むから廃業容易
140 土地・建物が自社物件の本屋でないと苦しい
※書店の家賃は売上高の10%くらい。販売のマージンは22%くらい、p144
146 外商(大学教授とか)教科書販売(薄利)で儲ける
149 洋書で儲ける。和書は低マージン
160 和本、めくったときに音を立てない。邦楽の舞台にイイ
174 書店員35歳限界説。元同級生らの賃金と比較して動揺する
233 本屋の新規開業、保証人3人、保証金=3カ月分の売上?条件が厳しすぎるので、本好きは
小さくても営業の成り立つ古書店開業で代替することも。
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最寄駅付近から書店が消えて20年余り。隣の駅まで行けば、メガストアの支店はあるが、普通の書店は姿を消している。店頭で新刊を買うことは多いが、新古書店も愛用しているし、ネットでもたまに買う。図書館も利用する。今のスタンスを多分私は変えないだろうと、この本を読んで改めて思った。
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「本が売れない」という嘆きも、もはや枕詞のようになってしまっているけれど、これは「実際のところ、それは何故なのか?」を、シビアに考察したもの。町の本屋が消えていく一方で、個性的な本屋が脚光を浴びたり、図書館が注目されたり、本や書店をめぐる状況は揺れ動いている。その全体を俯瞰する視点に、説得力がある。
古くからの書店が閉店する日、たくさんの人がやってきて名残を惜しむ。あなたたちが普段から利用していれば営業は続いていたはずだ、と著者はいう。なぜ行かなくなったのか?そこに欲しい本がないからだ。なぜないのか? 取次の配本の問題、コンビニなどの異業種の参入、不況による雑誌の衰退などなど、要因は複雑に絡まり合っていて、一筋縄ではいかない。このあたりの分析が整理されていて、非常にわかりやすかった。
間違いなく言えるのは、「読書離れ」なんてウソだということ。著者の提示するデータはそれをはっきり示しているし、実感としてもそう思う。出版業界はそれを「犯人」にしたいだろうけど。「ごく一部のベストセラーしか売れない」というのもよく言われるが、それってつまり「面白いのを読みたい」人は多いということだよね。現状のように膨大な本が出版されていれば、何を読んでいいかわからない人は、世間の評判に頼るのも当然だ。
よく思うのだが、本好きっていつも「どこかにもっともっと面白い、自分のために書かれたような本があるのでは」という切ない願いと、「それに出会うことはないのだろう」といううっすらとしたあきらめを、心のどこかに抱いているのではなかろうか。もし、そういう本に出会えるとしたら、それはやはりアマゾンの検索画面上ではなく、古い「本屋さん」の棚だろうと妄想するのだ。
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本が売れない、読書離れだ、悪いのはテレビだゲームだネットだいや図書館だ!などと叫ばれつづけてひさしい。
それは本当にそうなのか、イメージだけで悪者探しをするのではなくきちんと考えてみましょう、という本。
おもしろかった。電子本きらいとかいっててもしょうがないじゃん、などの現実的な視点が良い。
本屋は構造的にもうからない商売でありつづけているから、余裕のない多くの本屋は「売れる本」しか置かない(置けない)。
でも売れるはずの本(「話題の新刊」と「ベストセラー」)しか置いていない本屋には、私の欲しい本がない。
無責任な客の立場でいうと、「売れる本」しか売ってない本屋は出会いがないからつまんないんだ。
店の個性がないなら愛着もわかないし、そんならどこで買ったって同じだ。
わざわざ書店にいかないで目当ての本だけアマゾンでかうわ。
これは『NO!ヘイト』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4907239106の「ヘイト本を売る本屋」と通じる。
だから、「ものを仕入れて売るという商売の原点にもどれ」ってところが一番すっと納得できた。
これを読むと、「売れないから悪いんだ」「いい本を出さない出版社が悪いんだ」などと不平をたれながしながらヘイト本をおく本屋が「貧すれば鈍する」を体現しているように見えてくる。
でも、本屋なんていうもうからない商売をしてるのは本を大事にする人たちだから、なんとか続けて行こうとあがく姿には頭が下がる。
コーヒーや雑貨を売って利益を確保するという話に、そういえばちかごろ本だけじゃない本屋をよくみかけるけれど、オシャレ本屋にはそんな理由があったのかと初めて気づいた。
いっそ本を売るのをやめちゃえば利益が増えそうなものなのに、それでも本を売ってくれる。
この人たちがちゃんと食っていけるしくみをつくるために、本を受け取るだけの側も状況を知らなきゃいけない。
・次々に新刊をだす自転車操業のような現状。
でもこれは今に始まった話じゃない。石井桃子さんが50年くらい前に「最近は工業のように本を作っている。そうしないと本屋も作家も成り立たないけれどそれではいっさついっさつが大事にできなくなる」と書いていた。
『家と庭と犬と猫』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4309021883
・『ミクロの森』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4806714593に、シカの頭数が増えて食害が問題になっているけれど、「増える前」というのはシカが乱獲されて減っていた時代のことで、それならむしろ今が正常ではないか、という話があった。
「昔と比べて本が売れない」というのは、これとおんなじなのかも。
戦前は識字率が低かったはずだし戦後は貧しかった。読める人・買える人の絶対数・も比率もすごく高かったバブル時代を基準に減ったと考えるのがそもそも間違っているんじゃないか。
・図書館のせいで本が売れない、という作家への反論として、本屋がない地域もあるんだよ!と書いてあった。で、『復興の書店』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4093798346を思い出した。
「ほんの森いいたて」は、図書館も本屋もない飯館村の村営書店だった。
公営本屋って選択もありなのかも。