紙の本
8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が設定されたプロセスを詳細に追った読み応え十分の一冊です!
2020/04/19 09:38
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、私たちにお馴染みの8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について書かれた貴重な一冊です。現在では、TVなどで毎年8月15日に戦没者への通追悼を込めて黙祷が行われるので、よく知られるようになりましたが、実は、この日が制定されたのは、1982年4月13日と歴史は浅いのです。では、どうしてこの日が設定されるようになったのでしょうか?同書は、その編成プロセスを様々な記録や文献から解き明かした貴重で、興味深い書なのです。同書の内容構成は、「序章 メディアが創った<終戦>の記憶」、「第1章 降伏記念日から終戦記念日へ―断絶を演出する新聞報道」、「第2章 玉音放送の古層―戦前と戦後をつなぐお盆ラジオ」、「第3章 自明な記憶から曖昧な歴史へ―歴史教科書のメディア学」、「おわりにかえて―戦後世代の<終戦記念日>を!」、「補論1 8月15日の民意」、「補論2 <8・15革命>再考」、「補論3 <九月ジャーナリズム>を提唱する」となっており、読み応え十分です。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
何故終戦が8月15日が選ばれたのかということを、日本人として、しっかりと知っておく責任がると感じました。
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私が心に留めておきたいと思ったのは、「九・二敗戦」ではなく「八・十五終戦」が記念日に選ばれたのは、日本人は戦争に負けたという事実から目を背けたということを意味していること。私たち日本人は自分では気づいていないが、私たちは戦争の被害者であるという意識の方が加害者として特にアジア諸国に対して行ってきた事実を認めることよりも強いのだと思います。近隣諸国から本当に友好国として認めてもらうためには、この国民意識の大変換が必要なのでしょう。でも、右派の人たちはこの歴史認識を自虐史観と言うのでしょうね。
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先日、佐藤 卓己 氏 による「増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学」を読み終えました。
8月15日が「終戦記念日」とされていることに、私は何の疑問も感じていなかったのですが、著者の疑問はそこから始まっています。
確かに「8月15日」はいわゆる天皇による玉音放送があった日ではありますが、日本がポツダム宣言を受諾したのは「8月14日」、アメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上で対連合国降伏文書に調印したのは「9月2日」ですから、この記念日にいう「終戦」の意味を一体何に求めるのかが、著者にとっての大きな関心事となったのでした。
著者は、当時の新聞(写真)・ラジオ・教科書等を徹底検証することにより、メディアが「8月15日終戦記念日」という人々の「記憶創造」に果たした役割を明らかにしていきます。
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終戦の日は8/15だと今日まで疑わずに思い込んできた錯覚に驚いた。そもそも1963年に初めて「戦没者追悼式」が行われるまで、この日は重要視されていなかったかのようだ、ポツダム宣言受諾を決定し、相手国へ通告、終戦の詔書を発した8/14、軍に停戦命令を出した8/16、ミズーリ号での降伏調印の9/2、そして何故か9/3など、といろいろな終戦日の考え方があり、それぞれにその日にしたいという口実がある!中国の抗日勝利記念日は9/3だが、これがスターリンを踏襲した中ソ蜜月時代の残滓であるとは可笑しい!8/15がここまで定着してきたのは降伏の現実を否認したい保守派・8.15民主革命を掲げる進歩派に共通した思惑の微妙な一致という背景があったという説明は興味深い。日本では8/15の玉音放送を聴く民衆の写真が多く掲げられているが、それらが実は他の日の写真、またやらせだったという。私たちにとっては、放送を聴いて項垂れる人々の姿があまりにも強烈に印象に残っているが、これは10周年の頃からのマスコミ報道によるものだったという。8/15が記憶を国民が共有する文化的記念日として定着していることは間違いない。
著者は執拗に終戦の日付に拘るが、著者自身が書いているようにこれが天皇制の本質に関わることであるが故である。著者は8/15と9/2の分離を解く、即ちお盆と重なるが故の内向きの死没者向けの儀式を行う「追悼の日」と国際的に戦争が終結した「平和記念の日」。確かに近隣国との摩擦はここらあたりの混線にあるのかも。