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アランさんのレビュー一覧

投稿者:アラン

37 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本「空気」の研究

2008/03/03 20:58

KYと非難するわが国に危うさ

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 初出1978年の本である。
 日本は「空気と水の相互的呪縛から脱却できないで」いると言う。空気の例として、戦艦大和出撃の話をあげる。海軍のエリートたちは、理屈では無傷で沖縄に到達できないと知りながら、当時の軍の「空気」によって出撃させざるをえなくなった。敗戦を迎え、いずれ現実という名の「水」がさされるが、戦前は天皇が絶対者だったのが、戦後は平和憲法が絶対者になるという形で、結局何も変わらない結果になると言う。なぜこうなるのかというと、江戸時代は儒教的倫理体系が人々を律していたが、明治以後、西洋の合理的といわれる部分のみ輸入し、それ以外の部分は受け入れず、「西洋かぶれ」と忌避した。しかし西洋はキリスト教的伝統と合理的思想は一体だったので、合理的思想のみを分けて輸入するのは無理だった。かたや儒教的倫理体系も崩れ、非合理的な部分は「空気と水」という形に変わって社会を支配しているのだ。どうすれば脱却できるのか?著者は「あらゆる拘束を自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけである」という。
 阿部謹也氏の「「世間」とは何か」で描かれているようなことを、数十年前に思想的に分析できていると感じた。
 本書に書かれている“現代の実例”は、数十年前の出来事だが、今でも同じようなことをあげるのは容易で、枚挙にいとまないであろう。さらに、「KY」などと言って、「空気が読めない」ことを公然と非難する風潮に、危うさを感じるのは、私だけではあるまい。
 私や、本HPをご覧の諸賢にできるとしては、世間の動きにとらわれず、幅広いジャンルの本を読み、自由に思索を深めるということだろうか。

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紙の本ノモンハンの夏

2006/01/03 23:08

情けない悲劇を克明に描くドキュメンタリー

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1939年に勃発したノモンハン事件、すなわち満洲・モンゴル国境で日ソ軍が激突し、日本軍の一個師団が壊滅するに至った激闘を克明に描くドキュメンタリーである。ヒトラー・スターリンや日本の政府上層部の動きを背景として描きつつ、関東軍参謀が情勢を過度に楽観視し(というかほとんど状況調査をせず)、かついい加減な作戦をたて、そして東京の参謀本部は毅然とした態度を全くとらず、関東軍の暴走を許し、結果として無数の将兵の命が失われるに至った悲劇が、余すところなく描かれている。非常に読みごたえがある反面、軍エリートのあまりにも情けない対応がリアルに描写されていて、読むに耐えない思いで一杯になった。著者も怒りにおさえきれないようで、その思いが文面からひしひしと伝わってくる。戦後60年、日本の過ちの原因を探るためには、必読の書であると思う。

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紙の本コーランを知っていますか

2006/01/08 23:44

苦心のあとがうかがえるが、なじみのないコーランに親しみを覚えられる一冊

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者はこれまでギリシア神話、アラビアンナイト、旧約・新約聖書、シェイクスピア等の古典を平易に読み砕いた解読本を著してきたが、ついに時節にかなった一冊が出版されたと言えるだろう。
これまでの解読本は、主なトピックを取り上げ、著者得意のユーモアで料理し、読者の興味をそそるというスタイルであった。ところが今回は趣を異にする。「アラーは血沸き肉躍るストーリーの開陳にはあまり関心がないらしく、出来事の断片を語っている印象が拭いきれない」とあるように、コーランの中にある話のストーリーはそっけないもののようである。またこれも著者が繰り返し述べているように、「コーランが詩的であり、音楽であり、翻訳では会得できない部分を相当に含んでいる」ため、日本語でその魅力をあますことなく伝えるのは、かなり難しいのであろう。著者も今回は苦心したことがうかがえるが、イスラムの歴史、旧約聖書との対比、サウジアラビア旅行記等を織り込み、全編通じ、知的好奇心が刺激される内容となっている。
あえて2点苦言を呈すると、まず雑誌での連載を文庫にしたからなのか、やたらと同じ内容の記述が繰り返され、くどいと感じること、もう1点は何点か誤字があったことである。しかしコーランという一般の日本人にはなじみがないものを、親しみをもてるようにするという試みは成功していると思う。

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多様性が失われていく斜陽のローマを描く

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本シリーズも本巻を含め、いよいよ2巻を残すのみとなった。誠に寂しい限りである。本巻は、大帝と呼ばれたコンスタンティヌスの死直後から、これまた大帝と呼ばれたテオドシウスが死し、帝国が東西に分裂するまでを描いている。題名のとおり、キリスト教が帝国のヘゲモニーを握り、ローマ発展を支えていた寛容の精神が失われていく様が描かれている。本巻では、“背教者”ユリアヌスが歴史の流れ(?)に抗してギリシア・ローマ古来の神への信仰を復活させようとしたのを除けば、一貫して他の皇帝たちはキリスト教を保護・優遇し、テオドシウス帝の治世でついにキリスト教がローマ帝国の国教となるに至った。
 著者はキリスト教を大変嫌っているようである。あるいは多様性を愛し排他性を嫌っていると言った方が正確かもしれない。正直言って本巻の最初の1/3は、文章に力がこもっておらず、著者も手を抜いているかと思ったが、ユリアヌス帝の章になると、文章がとても活き活きしてきて、引き込まれていった。キリスト教中興の祖とでも言える司教アンブロシウスの章についても、ローマのよさが失われていくことが鮮やかに描かれているという点で、これまた文章に引き込まれていく。そして最終巻で蛮族に帝国が乗っ取られることが暗示されている。次巻を早く読みたくて待ち遠しい一方、最終巻となるのは大変残念であり、すこぶる複雑な心境である。

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紙の本瀬島竜三 参謀の昭和史

2005/12/06 22:32

瀬島氏を通じ昭和史を語る

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 瀬島龍三氏は、大本営参謀、シベリア抑留生活を経て、伊藤忠の会長まで昇りつめ、その後第2臨調の委員を務めた。本書には、各立場・場面ごとのエピソード、及び諸資料証言を駆使しての新事実(あるいは著者の推理)が数多く描かれている。敗戦時にソ連と停戦協定を結んだ際、日本兵たちがシベリアに連行されることを認めた疑いがあること。大本営参謀時代、「台湾沖航空戦に日本軍が大勝したとの報は誤り」と警告する電報を握りつぶしたため、レイテ決戦の大敗を招いたという疑いがあること。伊藤忠時代、航空機納入に関して防衛庁との黒い関係があること、等が述べられている。一方、ネガティブ面を取りあげているだけでない。スパイ説については明確に否定している。著者自身述べているとおり、瀬島氏は「歴史的事実を正直に正確に語らない」こともあり、上記のことが事実かどうかは、今後の歴史の審判を待つしかないだろう。しかし、「瀬島氏の存在をより深く、理解していけば、昭和史そのものを知ることができる」と著者は述べているが、敗戦から中曽根行革までの昭和史を駆け抜けた瀬島氏は、「昭和史を知る」題材としてまさに適任であると思った。

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紙の本昭和の動乱 上

2006/09/28 22:46

日本からシナ・アメリカ・欧州の動向までを幅広くかつコンパクトに描く

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

外交の第一線にあった著者が、満洲事変から日本の降伏までを記している。日本だけでなく、シナ、アメリカ、欧州の動向も含めて詳細かつ幅広く、それでいてコンパクトにまとめられており、読みやすく問題意識も深まる一冊である。
日本が敗戦に至った原因がいくつか述べられている。「日本の指導者が、世界の基本的政治情勢に迂遠であった」「作戦上内外における統帥上の不統一があった」「政治上、経済上及び心理上、その他万般のことにおいて、冷静なる科学的の検討に欠如していた」等々である。他書でも語られていることだが、外交の第一線にあった著者が述べるだけに、大変迫力がある。「政府機関に統一がなく、軍部は干渉を恣にし、政党には外交の理解がなく、世論に健全な支持がないため、幣原外交はある限度より以上に少しも前進しない」という文を読むと、誠に情けない限りである。一方で現在の日本にこういう批判があてはまらないか、まったくもって自信がない。
一方、ソ連の動きについても、少なくないページを割いている。「コミンテルンの政策は、日本のソ連に対する力を減殺せんがために、日支の衝突を誘起し、日本の北進を展開して南進せしめ、更に日米の戦争に導くことにあった。この目的にために、支那における共産分子は勿論のこと、日本を初め欧米における第五列的共産勢力は、最も有効に働いた」「ソ連革命後に至って、ソ連は外蒙古一帯を占領して、タンヌツバ(Tannu Tuva)を外蒙古のニ独立国を建てて、事実上、これをソヴィエットの組織に入れてしまった」といったものである。著者がソ連検事団の要求で東京裁判の被告に追加されたこともあり、もしかすると割り引いて読ないといけないのかもしれないが、私には私情の入った文章には読めなかった。また、本書では語られていないが、ソ連は8月15日以降も満洲・樺太に攻め込んでいる。従来、日本は侵略国家であるとか、いやアメリカの方が悪いとかいうことが議論されていると思うが、実はソ連が最も食わせ物なのではないか。単なる私の知識不足かもしれないが、ソ連のやってきたことがもっと深く議論されてもよいと感じた。

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若干分析が抽象的だが、問題の深刻さを印象づける手法は見事

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

安定した社会が「リスク化」「二極化」によって不安定になり、「希望」に格差が生じ、不登校・凶悪犯罪の増加等、様々な問題が引き起こされる。これに対し、「自己責任強調」「懐古主義」いずれでも解決できないと指摘する。努力したらそれだけ報われることが実感できる仕組みづくり、過大な期待をクールダウンさせる職業力カウンセリング、コミュニケーション能力向上支援、そして成人した者に600万円支給する制度などということも提案する。
「職業世界」「家族生活」「教育」の3つの視点から分析していく手法は見事であり、見事すぎて読んでいて気分が暗くなっていくにもかかわらず、本にぐんぐん引き込まれていった。一方で、分析内容は抽象的な嫌いがある。例えば、「近年は、結婚した夫婦でも子どもの数が落ちているという結果がでている」という記述があるが、根拠がはっきりしない。文藝春秋12月号の「少子高齢化大論争」では「2002年の数字ですが、結婚してから15〜19年経った夫婦の平均出生児数は2.33人で、72年とほとんど変わらない水準を保っています」とある。著者が「子どもの数が落ちている」と言うのは、2003年以降の数の話をしているのか、若い夫婦の取り上げて言っているのか、明確にならないと信頼性に欠けてしまう。ただし、データを羅列して一般の読者にとって読みづらくなることを避け、文章力とストーリーの明快さにより、問題の深刻さを読者に印象付けることが、この本の趣旨にかなっていると思うので、特に問題ではないということを強調しておきたい。

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石原莞爾の生涯を縦糸にし、昭和史を国内外の広い視野で描く

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

石原莞爾の生涯を詳細に描くとともに、日露戦争から敗戦までの道のりを、日本の政治・軍事・経済はもちろん、欧米・中国の動向もあわせて詳細に描く。日本が侵略国家と一方的に断罪するのでもなく、逆にアメリカに手玉に取られた被害者と言うのでもなく、国内外情勢を踏まえ、リアリスティックに史実を追う。
批判の対象は多岐に及ぶ。「無定見に日支事変を拡大した陸海軍と、軍に対抗するどころか拡大を煽った新聞を中心とした世論、そして世論に率先して迎合した近衛を中心とする政治家たちの無責任な姿勢」を批判する。一方、本書の主人公である石原についても、「現実世界で何ほどかの事を実現しようとするならば、どのような相手をも説得するという気構えがなければ、何もなしえないだろう」と述べる。国家の責任ある地位にある者がこのようではいけないだろう。(ちなみに、私自身が現在の社会生活の中でこういった批判を免れるかというと、甚だ心もとない。そのことは棚にあげている。)
半藤一利氏の「昭和史」は、私は名著と思うが、残念ながら「日本」の「政治」についてしか触れられておらず、単に日本の一部の政治家・軍人とマスコミが悪かったという分析しかできていない。情勢は、日本国内の諸勢力の動向や諸外国の思惑等が、複雑な関数となって動いていたのであり、単純に戦争を避けることを主張し続ければ事足りたということではなかろう。また、日本も諸外国もそれぞれ責任があるはずである。本書は、そういった視野で書かれている点で評価したい。
そして、極東軍事裁判を「笑うためには、日本人自身が、自らの道義によって、その過去を顧み、誤りを糺し、罪を濯ぎ、再び過失を犯さないように努めなければなるまい」と述べる。本書はこの問題意識で書かれていることがひしひしと伝わってくる。愚かな戦争を再びしないためにはどうすればよいか考えるうえで、本書は好著であると考える。
なお、石原の生涯に焦点をあてているので当然だが、開戦も含め日米戦争についての記述は薄いことを付記しておく。

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紙の本陸軍省軍務局と日米開戦

2006/05/07 22:45

陸軍省が和平への道を探った2ヶ月を描く迫真のドキュメント

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東条内閣成立から対米英開戦に至る2ヵ月間、陸軍の政治的中枢である軍務局軍務課の石井秋穂らが中心となって和平への道を探り、そして挫折するまでを描く迫真のドキュメントである。東条は組閣にあたり天皇から「広く深く国策を再検討せよ」と指示され、律儀に守ろうとする。石井は、政府大本営連絡会議の資料原案作成を指示されるが、あからさまに和平を示す文言を表に出す訳にはいかないので、遠回しな文言を織り込むといった涙ぐましい努力をする。しかし連絡会議の出席者たちは「国策決定の機関に列しているとの自覚はもっていたが、その実、自らの集団の利害の代弁者としての訓練しかもっていなかった」のだ。いかにも官僚体質であるが、まるで私の勤めている会社のようだと思い、笑い飛ばすことはとてもできなかった。石井たちの努力空しく、結局流されるように開戦へと突き進んでしまった。著者はあとがきで「あの段階での開戦自体は歴史的には不可避であったと私には思えてならない」と述べるが、本書を読む限り、残念ながら認めざるをえない。とは言え、私はもっと研鑽を積み、どうすればこの戦争を避けられたのか考えていきたいと思った。

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中華と塞外という概念を超え、唐からモンゴルまでの激動の時代を描く

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

唐時代の安史の乱からモンゴル帝国が中国本土を失陥するまでの激動の600年を、中華思想(及びそれと対をなす夷狄という概念)から自由な著者が、ユーラシア全体の視点で描く。
大王朝のイメージが強い唐は、建国初期を除くと、実は分立化して勢力を失っており、当時東アジアはウイグルとトゥプトの二強時代だったと言う。西尾幹二氏は『国民の歴史』の中で「唐の滅亡は、東アジア世界の全域をゆるがす大事件でした。・・・中国大陸にはもうこのあと二度と古代文明と同じ輝きをみせる国は立ち現れない。」と述べるが、著者からすれば、唐は建国初期を除き、決して大帝国ではなかったのである。西尾氏は中華思想を批判するものの、図らずも著者の言うところの「王朝史観」に立ってしまっているのかもしれない。
また、北宋の時代と呼ばれる時期も、実は北宋、キタイ帝国(契丹、遼ともいう)、西夏の三国鼎立時代であり、キタイの力が最も強かったと言う。「夷を以って夷を制すとは、中華国家伝統の智慧だとよくいわれるが、そもそも唐朝そのものが鮮卑、拓跋出身の紛れもない夷なのであった。・・・この時代の中華とアジア東方は、他種族いり乱れたボーダーレスな世界なのであった。」と述べるように、大変動と流動化の時代が続いていたのである。そしてモンゴル帝国が、諸勢力の智慧、経験、ノウハウをすべて呑み込み、ユーラシアの大部分を支配するに至るという流れにつながっており、モンゴルの急成長の背景をとても分かりやすく説明している。
著者はキタイ帝国がお気に入りのようで、かなり詳しく記述しているが、私はさらにキタイのことを知りたくなった。ただし、李存勗がキタイの耶律阿保機に対し、違約であると責めたのを、それまで李存勗が一方的に助けられていたことをもって、「自己中心の身勝手な男」と断じているのは、筆が滑りすぎである。ご愛嬌とは思うが。
それにしても「中華と塞外などという区別は、多分に後世の人間がつくりだしたイメージにすぎない」などという文章を読むと、誠に目から鱗が落ちる思いである。さらに、「率直にいって、日本の中国史家よりも中華人民共和国や台湾の学者のほうが、中国ないし中華という歴史体をはじめから多元的構成と割り切ってみている。」というから大変驚きである。自らの視野を広げる必要性を痛感した。中国史・世界史に少しでも興味がある方は、ぜひともお読み頂きたい一冊である。

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これからの日本の進むべき道を問う一冊

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の深い知識と軽妙な語り口で、1945年以降の昭和史を分かりやすくまとめている。1945年までが対象であった前作に勝るとも劣らない好著である。
これからの日本を「ひたすら世界平和のために献身する国際協調的な非軍事国家」でいくのか、「平和主義の不決断と惰弱を清算して、責任ある主体」となり「普通の国」になるのかは、「若い皆さん方の大仕事」と著者は終章で問いかける。誠に重い課題である。
当然だが東京裁判に関しても一章を割いている。アメリカは、昭和天皇を訴追しない方針であり、陸軍の軍政方面を中心に罪を問うストーリーを組み立てており、結果そのとおりの判決となったことが描かれている。東条英機の証言内容が天皇の責任があることを示す恐れが出てきた際、キーナン首席検事がうまく東条を誘導したことや、裁判が終結し天皇の責任が問われないことが確定した後、キーナンは若槻礼次郎らに慰労されたことが記されている。こういう背景があるので、真面目に言えば、事後法で裁いたとか、論理の通っていない判決ということになるし、著者流に不真面目に言えば単なる「茶番」ということになる。東京裁判は法律問題である一方、むしろ政治の問題であることを痛感した。このあたり保坂正康氏の「昭和史七つの謎」と同じ論理展開であるが、あわせて読むと理解が深まる。
この他にも、日本国憲法、朝鮮戦争、日米安保等、様々なトピックが分かりやすく記されている。これからの日本の進むべき道を考える上で、必読の書と言えるだろう。

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紙の本ソ連が満洲に侵攻した夏

2006/01/07 22:40

日本上層部の無能、及びソ連の横暴を描く

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 敗戦直前に、突如ソ連が満洲に侵攻し、8月15日以降も攻撃の手を緩めず、兵士・一般市民に対してを問わず略奪・暴行の限りを尽くし、無数の日本人をシベリアに連れ去り抑留するに至ったドキュメンタリーである。国際法に無知な私はよく理解できないが、9月2日までは日ソ間で有効な停戦協定が結ばれておらず、それまでのソ連の行為は合法である面もあったようである。日本の指導者層がこういったことに無知で、さらに国際情勢を理解しておらず、ソ連が侵攻してくる可能性を予想できなかったばかりか、当のソ連に何ヶ月も和平交渉を依頼するというトンチンカンなことをしていて、適切な対応が取れなかったこと、また関東軍上層部は、あろうことか住民を見捨て自分たちだけが撤退したことが情けないほど見事に描かれており、私は激しい怒りを覚えたし、著者の文章も怒りを隠せない様子であった。
 著者は、「国際法に無知、というより無視、国際情勢にたいする理解の浅薄さ、先見性や想像力の欠如、外交交渉のつたなさ、それが今日のわれわれにそのままつながっているのではないかと、それを危惧する」と、怒りをぶつけるとともに、現在も日本は同じ過ちを繰り返していないかと警告を発する。しかし私自身はそれにもまして、ソ連の卑劣な行為に激しい怒りを覚えた。「古代ならいざ知らず、世界戦史上、満洲でソ連が行ったようなことをした戦勝国はない。連合諸国もまさかそこまでは・・・と予測のつかないことであった。」と述べられている。
 戦後数十年が経過し、やっとこういう本が読めるようになったということなのだろうか。日本人として必読の書であると思う。

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紙の本昭和史七つの謎

2005/12/20 22:42

膨大な調査に基づく、大胆な推察

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 膨大な調査量と豊かな洞察力に基づき、書名どおり昭和史の7つの謎を解き明かしていく。ここではそのうち、「第5話 なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?」を取り上げたい。要約を試みる。東京裁判は復習であり、人身御供をつくらねばならないが、天皇の責任は問わないことにしている。すると、大本営の責任は問えない。一方、海軍は三国同盟締結に消極的であった。結局陸軍軍人が犠牲となった。天皇の責任が問われる可能性が出てきたときに、かの検事団長キーナンが慌てる様子が描かれており、興味深かった。結局茶番だったわけである。
 ところで、「なぜに東京裁判史観といわなければ気がすまないのだろうという感がしてくるほど拙劣な論理を振り回していると思う」と「東京裁判史観」を一刀両断にしているが、その根拠が分からず、理解に苦しんだ。しかし、この点については著者の他の書を読み進めれば分かるだろうと、自分を納得させた。
 東京裁判については、勝者の判断を敗者に押し付けているとか、事後法であるといったかなり正当で有力な批判がある。しかし本書は、悪く言えば開き直って、よく言えば大所高所から、超越したところで論を展開していると言えるだろう。東京裁判に関する記述を含め、7つの話すべてについて、昭和史に関する新たな視座を提供してくれると思う。

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これまでの「知的怠慢」を批判し、新たな視座を提供

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 保阪正康氏は著書『あの戦争は何だったのか』の前書きで、「侵略の歴史を前提にしろ」「自虐史観で語るな」といった感情論だけで見ず、歴史をきちんと確認せよ、といった趣旨のことを述べている。私はまさにそのとおりだと思った。
本書の副題は「戦後日本の知的怠慢を断ず」とあり、帯には「・・・不毛な議論に終止符を打つ」とあった。そして本書を読み出すと、「戦争責任」の語の定義を明確にすべく、「開戦責任」「経過責任」「終戦責任」等と分類していく。本書を読み始めた時、これで責任論はすべてカタがつくかと思ったが、しかし当然ながら、そうはならなかった。(それができれば、そんな楽なことはないが。。。)
A級戦犯が終戦責任の一種である敗戦責任(結果責任)を回避したかどうかについて、東条英機、重光葵、廣田弘毅が責任を受け入れる旨明言していたことを示す。A級戦犯は決して敗戦責任を回避しようとはしていなかったことを説こうとしていると思われる。しかし、その3人以外の態度が分からないので、A級戦犯全体がどうなのかということは分からなかった。
木村久夫上等兵が絞首刑になった不当な裁判について、ページを割いて論じている。この裁判が不当であること、そしてそれ以外のBC級戦犯を裁く裁判の妥当性にも疑問符がつくことは間違いない。しかし木村上等兵の件は、確かに彼は無実だろうが、日本人の誰かがひどいことをしたのには変わりがない。戦争責任論がA級戦犯だけではないことを改めて実感させることに大きな意味はあるが、責任論にとって適切なテーマであるかについては、疑問が残った。
また、こういったことを論ずるうえでは、当然ではあるが一次資料にきっちりあたるべきという指摘をする。そしてマスコミ・評論家・政治家等が、単純ミスを含め、歴史事実を誤って述べていることを随所で指摘している。然るべき立場にある方は、当然きっちりと事実を踏まえて発言すべきであると思う。但し、著者の指摘の仕方に少し嫌味がない訳ではない。
「終止符を打つ」には至っていないが、事実を踏まえて、「知的怠慢」にならず、きっちりした議論をしていくために、様々な視座を提供していることは間違いないと思うし、私自身にとっては大変勉強になった一冊であった。

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世界帝国への道をコンパクトにダイナミックに描く

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

現在、日経新聞には堺屋太一氏の小説「世界を創った男 チンギスハン」が連載されている。堺屋氏は文藝春秋06年3月号で「(フビライハンの時代から数十年間の)モンゴル帝国こそ無限の世界帝国であり、歴史上、現代の米国に最も近い姿だった」と述べる。著者は、モンゴルの興隆によって「世界と世界史は、このとき初めて、それとしてまとまった姿で眺められる一つの全体像をもった。」と言う。本書は、チンギスカンがモンゴルウルス(ウルス=国の意)を興し、後継者たちがユーラシア大陸を席捲し、まさに世界帝国になっていくさまが、生き生きとコンパクトにまとめられている。帝国の成長は一直線ではなく、中央アジアの動向、ジュチウルス(一般に言うキプチャクハン国)、フレグウルス(同イルハン国)といった同族たちのダイナミックな駆け引きが繰り広げられるのだが、分かりやすくまとめられている。上下巻であるものの、長さを感じさせず、一気に読み進めることができる。
また、日本・朝鮮・中国・中東・ヨーロッパと、まさに世界に影響を与えたことがよく分かる。その中でも、著者がいわゆる中華思想から自由であることは、歴史を世界規模で見せることに役立つ。「(大都の失陥によって)中国史では元朝滅亡と言う。そして、少なくとも中国本土では、明朝が揺るぎなく確立したかのように言われがちである。だが、それは中国伝統の王朝史観の産物にすぎない。・・・これ以後およそ20年間、北の大元ウルス(=いわゆる元朝)と南の大明政権とは、華北を間において拮抗状態となった。」といった記述がそこかしこにあり、誠に分かりやすい。だからこそだが、明朝との興亡や清朝との関わりといった、モンゴルが中国本土を失って以降の記述があまりにあっさりしているのが誠に残念でならない。続編を是非とも読みたいと思う。

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