紙の本
日本の未来を真剣に考えているすべての人に一読をすすめたい「冷静な診断書」-問題は製造業だけではない!
2010/02/05 11:59
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「リーマンショック」発生から1年以上たったが、製造業にとっては、その後に発生した「トヨタショック」のほうがはるかにダメージは大きかった。トヨタの売り上げが北米を中心に大幅にダウンし、とくに関連部品メーカーに与えた大ショックのことだ。今後も、円高傾向が続けば、量産型の製造業が日本で存続可能かどうか、その答えはおのずから出ることだろう。しかもまた品質問題による「第二のトヨタショック」は、日本の製造業の基盤が揺らぎ始めていることを示している。
日本の製造業の何が問題なのか、ここで一度キチンと検証しておくことが必要だ。検証は多方面からなされることが必要だが、科学技術の観点からの分析による本書は、その試みの一つである。
著者は、評論家でも、経済学者でも、ジャーナリストではない。機械設計においてもっとも重要な要素技術にかかわる「制御理論」の研究者である。この立場から、技術と科学の関係が根本的に変化した「第三の科学革命」について考察し、付加価値をつくりだす要素がハードではなくソフトウェアになった時代の技術開発について、現状の日本が抱える問題について診断を行っている。
中国やインドを初めとするアジア諸国からの追い上げが激しくなる現在、日本が「ものつくり」で生きていくためにはどこに活路を見いだすべきなのか。単なる組み立て(アセンブリー)など労働集約型産業は間違いなく日本からは消えてゆくだろう。すでに「世界の工場」となった中国は、単なる労働集約型産業から脱し、さらに高度な製造業へとシフトを始めている。
日本の製造業は、先端技術のキャッチアップではなく、先端技術分野においてブレークスルー技術を開発していかなくてはならない。そのためには、いままで世の中に存在しない、目に見えないものを見えるようにすることが必要であり、著者のいう「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」が必要である。しかしながら残念なことに、この三点セットは、これまで日本人がもっとも軽視し、しかも弱い部分である。「匠」(たくみ)や「技」(わざ)などの「暗黙知」を過度に重視し、「形式知」であるシステム思考を軽視してきたツケが回ってきたのか・・・
「ものつくり」そのものではなく、「ものつくり神話」を批判する著者の問題指摘は正しい。とはいえ、問題点の指摘と大きな方向性を示しただけに終わっているような印象もうけないではない。著者による診断では、教育そのものを抜本的に見直さない限り日本の製造業に未来はないからなのだが、教育の効果がすぐにはでないことを考えると・・・
読んで元気の出る本ではないかもしれない。しかし、冷静な現状認識をもたないかぎり真の問題解決にはつながらない。そのための診断書の一つとして、製造業だけでなく、日本の未来を真剣に考えているすべての人、とくに教育関係者には一読をすすめたい。
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無理のある議論
2009/12/20 01:31
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
あとがきに 「筆者は [...] 本書の内容のかなりの部分を占める科学史や科学論,技術史については全くの素人であり,[...] 筆者のこれらの分野における知見は,自分の研究者としての問題意識から手の届く文献を興味本位に渉猟した結果にすぎない」 とある. これを読んで 「だまされた」 とおもってしまった. この表現は謙遜ともみられるが,この本を読んでいくうちに感じていた疑問がこれでとけたともいえる.
日本人が 「理論」,「システム」,「ソフトウェア」 によわい,それが日本の工業や工学の弱点になっているというのは,たしかにそうだろう. しかし,これら 3 つをまとめて論じるのがはたしてただしいのだろうかという疑問がある. 「システム」 だけをとっても,古典的な制御理論であつかってきたようなカッチリしたシステムと,いわゆるソフト・システムとではおおきなちがいがある. トヨタの成功はソフト・システム的な方法論で日本の企業が成功してきたことのあかしだろう. 「ソフトウェア」 に関しても,著者はその数学的な性質を重視しているが,おおくのソフトウェアの生産において数学はそれほどやくだってはいない. 数学や論理にもとづくソフトウェア生産がこころみられてはきたが,成功していない.
そうしてみると,この本の論点はおおくがまとはずれだとおもえる. そうなってしまったのは,やはり 「文献を興味本位に渉猟した」 結果であるようにおもえる.
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何故日本は現代社会における「目に見えない産業」に遅れを取っているのかについて、第二の科学革命、第三の科学革命などの「科学革命」に対して、日本という国と人々がどの様に接してきたのかを、鉄砲伝来の時代から現代にまで紐解く。
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序章 日本型ものつくりの限界
第1章 先端技術を生み出した二つの科学革命
第2章 太平洋戦争もうひとつの敗因
第3章 システム思考が根付かない戦後日本
第4章 しのびよる「ものつくり敗戦」
終章 「匠の呪縛」からの脱却―コトつくりへ
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○前半が小難しい話、後半から一気に盛り上がる
正直なところ、序章から第二章まではこの本を読む上で、著者の考える答えを共有するための“前提条件”を知ることに費やされている。正直なところ、この退屈な前半で辟易として積み本化してしまおうとも感じたものの、その後の四章〜終章は中々面白い。
このため、前半に飽きてしまったら4章から読んでみるのも面白いかもしれないが、知識の前提条件が欠落しているため、結果として1章などは読む必要がある。ただ、「読み解くために知る必要性」を感じているのであれば、読解力も上がるのではないだろうか。
○全体を見て
幾つか気になる部分がある*1ものの、著者の考える「現在の弱み」、「必要な能力」という部分については、私が感じている現実問題と合致している。今一度何を強みにすることで競争力を高めることが出来るのか、それを考えるのに読んでみると面白い一冊かもしれません。
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・科学史、技術史に関する技術が面白い
・日本が生き残るには「技」「匠」信仰を超えなければならない
・労働集約型社会を継続していては賃金が高騰した日本は国際競争を勝ち抜くことはできない
・システム化に対応するための方法がよく分からん。やはり教育から見直すしかないのか
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・理論が重視されない日本の工学研究
→現在は理論も重視されているのでは?しかし,自分に対して当てはめてみた場合それが出来ているか疑問.
・日本技術の原型は労働集約型
→労働集約型技術はもはや成立しない
・第3の科学革命
-機械からシステムへのシフト
-技術の対象は見えるものから見えないものへ移る
・普遍性への感度が低い
-行ったことの過程等の見えないものの見える化が必要
・技術は未知を内部に取り込みつつ発展する.未知(不確かさ)が無害になったときそれが技術として成り立つ
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日本の製造業の技術=労働集約型=暗黙知(匠の技)に頼る「日本型ものづくり」への警鐘には共感できるものの、対策として普遍性の追求=システム化とのロジックが展開されるが、それでものづくりの競争力が確保できるのか不明。
解決(脱却)策が、著者所属団体の方向性を肯定している?自論はなに?さっぱりしなかった。
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(S)
国ごとの「技術」のとらえ方を、科学と技術の関係や第二次世界大戦での戦略などから読み解いた本。
なかなか一言では書けない内容が書かれていて、読み応えがある。
科学技術、という言葉をなんの気なしに使っていたが、この本を読んでその浅はかさに気付かされた。科学と技術は、全然別のものだし、科学技術という物事の捉え方には日本人らしさが出ている。
本書では”科学と技術が「結婚」した”という表現が出てくるが、それが個人的にはツボにはまった。
技術で飯を食べている技術者は、こういった本を絶対に読んだほうが良い。
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日本の製造業の駄目なところを突くために書かれた本なのかな?その辺はイマイチ定かではないが、科学と技術の生い立ち、日本の関わり方、日本は当初から労働集約型であったこと、故にシステム思考が根付かないといった部分は納得。但し、だからこれから日本の製造業は駄目になる、という後半の部分は批判が抽象的なものにすぎず、ぴんと来ない。第二次大戦の日本軍のアナロジーを戦後の民間産業(ベタでいうと自動車とか)にそのまま当てはめてしまっていいのか、という疑問も残る。
モノ作りマンセーは駄目だよ、という批判は正しく、批判本も雨後の竹の子のようにあるのだが、本書もそうだが、批判のための批判になっているケースも多くその場合実証性には乏しい。
自分の専門の話だからか、3DCADに関する記述も疑問に思った。筆者は「各ユーザーが自前主義をとり、CADのベースとなる基盤ソフトウェアを共同で開発する努力をしなかったことである」と断じているが、元々日本のCADは金型業界向けのCAM/CADでありあちらのような統合的なプラットフォームはなかった。DassaaultやAuto Deskとはそもそも生い立ちが違う。それにあちらでも共同開発なんてうまくいった試しがないし、プラットフォームは以前として各社各様、ばらばらである。
細かい話だがこういうディテールがいい加減だと、他の論旨もどうにも信用できなくなってしまう。少なくとも割り引いて読んだほうがいいと判断してしまう。
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入試に数学の無い大学があるのは日本くらいだというのは前にどこかで読んでいたのですが、数学科のある大学が75しかないという話は驚きました。文系支配の国だけのことはあります。アメリカでは総合大学に工学部がないというのも出てきたので、数学科の無い大学についての総称を新たに考案すればよい気がします。
システム科学は昔、ニューサイエンスブームの頃の本の中身の1つだったはずなので、そういう分野が、極端に遅れているとも限らないと思うのですが、軽視されているというのはあるのでしょう。なぜ、軽視されているのか? についての理由についての分析が当事者ということもあってか、弱い気がします。メディアなのか官僚なのか、そのあたりには違いないのでしょうが、残念ながら、ごまめの歯軋り状態と区別がつきません。
しかし、長期的に見れば、対策は明らかな気がします。文系を含めて大学入試で数学を必須にするだけで十分な気がします。
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産業の中心は道具から機械へ、そして機械から人間も含めたシステムへと移ってきたという。その過程で職人芸やその上にたった人間関係を重んじる日本の「ものつくり神話」は限界にきているという。
著者は従来の「ものつくり」を脱却して日本が弱点とする「理論」、「システム」、「ソフトウェア」を強化した「知の統合」が急務であると主張しています。ただし、それが本当かどうかは私にはわかりません。
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最近、「ものつくり神話」というか、日本の生きる道は「ものつくり」にしかないという議論の危うさについて問題意識を持つようになっていたのだが、その辺にうまく切り込んでいて納得させられることが多かった。
太平洋戦争の敗因は兵器の量ではなく質だった。心理的に受け入れがたいかもしれないがそれが事実であったのだろう。『日本「半導体」敗戦』で日本の半導体産業が落ちいたイノベーションのジレンマと同じ理屈だ。局所最適に陥り、技術のメガトレンドに取り残されてしまった。大艦巨砲という攻撃力のスペック重視で、空母と協調作戦が困難だった戦艦大和、名人芸によりギリギリのバランスで作られたため、拡張性に乏しかったゼロ戦。。。
「戦争を始めた責任」と「戦争に負けた責任」の分離、特に後者に関する議論は目新しかった。後者にはアカデミアの責任もあるはずだ。欧米ではうまくいった総力戦への科学動員がなぜ日本ではうまくいかなかったのか。例えば、(ドイツでは一定の成果を上げていた)人口石油の開発にどれほどのエネルギーを費やし、失敗したか。
そんなことを考えると、単純にアメリカはDARPAなどの資金提供が豊富でうらやましいよねと言ってられないのではないか?
しかし、いつまで経っても明るい兆しが見えない日本の情勢のせいか知らないが、最近、現状を第二次世界大戦の敗戦と比較するような言論をよく目にするなぁ。
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正直言って理系の内容全開なところは分からなかった。
ざっくりと思い浮かんだのは、前に読んでやっぱり内容よくわからなかった『無駄学』みたいな領域の学問だろうかってことくらい。あー薄っぺらい。
それでも問題意識は、実際働いてる中でいま感じているものと近い。
日本経済の原動力となった「ものつくり」の原点は、「匠」や「技」に代表される労働集約型技術であるが、もはやそれだけでは、「理論」、「システム」、「ソフトウェア」に代表される資本集約型の現代の技術には太刀打ちできなくなっている。
やっぱりそうなのかねー。
『計算機産業の育成には、様々なレベルで通産省が関わった。(中略)通産省は口を出したし金も出したが、その影響力は結局たいしたものではなかった。』
あー切ない。。。。
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主張は分かるが、納得するまではいかない。
システム=プロセスアプローチ的
ものつくり
日本→機関車型
欧米→新幹線型
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「日本=ものづくり」を盲目的に信じている楽観論を否定した内容。
一度読んでみてください。
製造業にかかわっている人は、読んでみると考えさせられるところはあるはず。
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http://twilog.org/tweets.cgi?id=Okocha_Makocha&word=ものつくり敗戦