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  3. はりゅうみぃさんのレビュー一覧

はりゅうみぃさんのレビュー一覧

投稿者:はりゅうみぃ

41 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本打ちのめされるようなすごい本

2009/05/23 16:05

筆者が遺した、魂の道標

26人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読書が趣味だと普段から公言しておきながら、実は「読書」について熟考した事はほとんどない。
「本」を「読む」という行為が人生においてどういう意味を持つのか、一つの答えをくれたのが筆者の絶筆を収めた本書・「打ちのめされるようなすごい本」だ。

筆者の米原万理さんは2006年にご逝去されたが、本書は彼女がご健康である頃から最期の最期まで書きつづった闘病記録までその生涯のほぼすべての書評を納めている。
本書が書評集として大傑作であるのは言わずもがなであるが、ここには彼女自身・筆者の人格形成の根本も刻み込まれている。

多岐多彩に渡る本の分野、時に圧巻、時に洒脱味を交えた冴えた文体に胸震わせて読み進めるのであるが、それと同時にこの豊かな才能がもうこの世にない事に何とも言えない虚無感を感じる。
この奇跡の集成、知識の宝庫を一瞬にして無にしてしまう「死」の恐ろしさ。本書が見事であればある程失くした至宝に寂寥の念を禁じえないし、何より「生」を燃やす事の意味を考えてしまうのだ。

彼女は読んだ本を「書く」ことにより、本の存在もご自分の存在も永遠のものとした。
今生きている私たちがこうして彼女の遺産を分けてもらえるのは、精一杯生を生きた人からのギフトだがそれは結果論で、筆者は私たちに贈り物をするために書いていたわけではない。
おそらく彼女は仕事ではなくとも書く事をやめなかったと思う。なぜなら凄まじい闘病記から感じる生への執着はそのまま、読み続けたい、書き続けたい、と願う筆者唯一の祈りの表れだからだ。


それではこうして形に残さなければ「読む」事は無駄になるのだろうか?
どうせ失ってしまうものならば初めから増やす努力などしないほうがラク?

確かに読んでも読まなくても生は終わる。感じても感じなくても死は等しく訪れる。がせっかく人として生を得たのなら他の生物にはない「知」というものにこだわって生きてみたいと思うのだ。
「知」を得る手段は様々で、例えば経験から得た教訓だとか、己をとことん突き詰める悟りのようなものもあるだろう。
そして筆者は「書く」事を選び、私は「読む」事を選んだ。

だから読む。死ぬまで読む。
死ぬまで書いた筆者のように。



「打ちのめされるようなすごい本」とは、すなわち本書の事である。

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紙の本

紙の本八朔の雪

2009/11/10 15:54

「人」も「食」も一期一会。その時その時を大事にしたい。大事でいたい。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

天の采配 という言葉がある。

人はすべて各々が大事な役目を与えてられてこの世に生を受ける。
例え生まれてすぐ儚くなってしまった乳飲み子でも必ず託された使命がある。
そう信じずにはいられない、これはそういう小説だ。

僅か十代で自身だけを頼りに生きていく。
現代の男性でも難しい、苦難に満ちた生き様をはるか江戸時代にやってのけた少女がいる。

親も友も故郷も、手にする愛がすべてこぼれていく宿命。
この時代、何も持たない薄幸の少女が辿る道はそう多くはない。しかし少女は、まるで辛い宿命と引き換えに天が与えてくれたかのような、彼女にしか持ちえない才能と美徳によって、たった1人で真の苦界とも言える世の中を健気に真摯に進んでゆく。


天が彼女に与えた才能。
それは創意と工夫に喜びを見出せる心である。
彼女は「食」という、最も単純で、でも人の心にも体にもとても大切な役目を果たす行為にその心を見い出した。
人の持つ欲・本能の中で「食」だけは、絶対に自己完結が出来ない。豪華な食事だろうが苦い草の根だろうが、人は必ず「食べ物」という異物を体の中に融け込ませなければ生命維持が出来ない。
1日3回、1年で千回を超える栄養摂取のための単純作業の繰り返しだ。
そして少女は祈る。
どんなものを食べても「一回の食事」、ならばどうかその「一回」が体だけでなく心にも融け込み満たすようなものでありますように、と。
折れて、腐って、投げてもおかしくないほどの困難にぶち当たっても、彼女が決して諦めないのは単なる負けん気だけではないのだ。


天は弱さと強さという、相反する2つの美徳も少女に与えている。
無力に涙する弱さと、それに屈しない強さ。
温かいものに焦がれる気持ちと、大切なものを守りたい想い。
少女の弱さと強さに焦がれるように、彼女の周りには人が集まる。彼らは彼女に生きがいを教え、生きがいは彼女を苦難へも堕とす。しかし苦難に膝折れながらもまた立ちあがるのは、手を差し伸べてくれる人がいるからだ。

そうやって繰り返し繰り返し、人を、心を、ゆっくりしっかり結んでいって、懸命に生きて、気がつけば少女の周りには失くしたと思った愛があふれている。
父ができ、母ができ、友がいて故郷がある。
少女は決して1人ではなく、彼女もまた娘として、友として、食を通じて大きな愛をあまたに与える奇跡の存在として、天が采配したこの世のひとコマだったのだ。



暗雲の中、力の限り進んだ先に待っているのは澄んだ蒼天。
そこには燦然と輝く旭日がある。


私も見たい。蒼い空を。眩しい旭日を。


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紙の本

紙の本白い薔薇の淵まで

2009/06/06 03:05

焦りにも似た感動。目をそむけてはいけない人を恋う業。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は第14回(2001年)山本周五郎賞受賞作品だが、本を閉じた今、この作品を選んでくれた選考委員の皆様に1人1人握手して回りたくてたまらない。
この本の存在を教えてくれた事に対するお礼ともう1つ、筆者に命を与えてくれたことに対しての感謝を伝えたくて。

本書はジャン・ジュネの再来と言われる新進気鋭の女流作家「塁」と、普通のOL「わたし」との激しい同性間の愛の記録だ。
この作品は多分に筆者の姿が自己投影されている。筆者は同性愛者であることを公言しており、そのカミングアウトに伴う社会的制裁とも言える偏見の中を1人戦ってきた女性だ。
彼女の自分に対する嫌悪、肯定、孤独、思慕などがある時は「塁」、ある時は「わたし」となって本書の中で激しく渦巻く。

もともと恋愛感情には生殖行為という欲望が潜んでおり、これはすべての生物が持つ子孫繁栄のための犯しがたい本能であるが、同性愛はその本能に真っ向から立ち向かう、ある意味人間でなければ成しえない恋愛の形と思う。(繁殖期にあぶれたオス同士の疑似行為もあるがそれとはもちろん違う)
もちろん同性愛をもろ手を挙げて賛成しているわけではない。肉体交渉込みで同性を恋愛対象としてしまう気持ちはやはり私にはわからないし、身内から同性愛者だと告白されたらきっとショックで取り乱してしまうと思う。場合によっては、もっとよく考えろとひどくなじるかもしれない。

しかし本書はそういった感情を通り越し、もっと根源の部分を揺り動かす。
それは恋に溺れて命を削るのではなく、命を削ることこそが恋愛だと言われているような深い業だ。
相手が異性でも同性でも、ここまで妥協も計算も許さない真摯な恋愛を本当にしたことがあるのか?と付きつけられている気がするのだ。
異性だの同性だのと区別することが本当に必要なのか。子孫を成せる愛でなければ「是」と言えないのか。ならば初めから身体的に不妊である男女の恋愛は意味ないものなのか。はっきり答えられるものがいれば教えてくれ、と筆者は作品を通じて私たちに問いかけているように思えてならない。

そしておそらく誰もこの問いに答えられない。考え始めたら今の自分が揺らぐからだ。
この本を読んで焦燥にも似た感動を覚えるのは、そのせいだ。


筆者はまさしく命を削って作品を書いている。「塁」のようにはならないと、歯を食いしばって一生懸命自分を叱咤しながら。そして、自分でもわからない、でも誰にも答えてもらえないこの問いを投げかけ続けるうちに命尽きてしまいそうだ。
だから本書に、というか筆者に賞を与えてくれた方々に感謝する。
この賞は彼女に生きる希望を与えたはずだ。これほど意義のある賞があるだろうか。私にはできなかった、筆者に答える一つの形。
おこがましいが委員の方々に握手して回りたい。

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紙の本

紙の本横道世之介 正

2010/05/16 14:16

忘れてよい事。忘れてはならない事。選びながら進む、「人」という生き方。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あの時、あんなに輝いていた時間が、いつのまにか光を失う。

あの時、あんなに大事だった人が、いつのまにかくゆり霞む。

あの時、あんなに胸を打った想いも、今や記憶の隅である。



「横道世之介」
一度聞いたら毎度うっかりフルネームで呼んでしまいそうな彼と、僅かに自分の青春を交差させた人々が、二十数年を経てふとその時を思い出す。
あいつといて確かに楽しかったのに…。
こんなに印象的な名前を彼らはすぐに思いだせない。それほど、時は流れていたのだった。


若い時は、手にしよう、つかもうと、前だけを見据えて求めつづけ、今は、手につかんだものを大切にしたいと思う。近い将来は、遺していく大切なものに後ろ髪をひかれつつも、天に召されるのだろう。
誰もがこうやって己の人生を進んでいき、共に歩むと心に決めた伴侶でさえ、各々の人生が重なりつづけるわけではない。
前だけを見つめ続けた青春の時に、わずかに交差する友情。愛情。すべて覚えていられやしない。それがあたりまえだ。


「忘れる」ことは、人が人として生きていくために必要な行為である。
体験・思考・それらをすべて覚えていたら、人の肉体も精神も数年で壊れてしまう。
激しい怒りを和らげ、苦い後悔を許し、過ぎた過去から煌めく想いだけをすくいだす。あたりまえに「忘れる」から出来ることだ。
たくさんの想い。たくさんの忘却。
だから、今、人は野生動物よりも長く生きられる。


人の心を救い、戒め、律するよすがともなる「忘れる」ということ。
だからこそ、忘れ去ってはいけないことがこの世にはある。

作者は、だから、この小説を書いた。書かなければいけないと思った。
これは作者が綴った感謝と警告と誓約の書だ。


過ごした時を忘れてもいい。伝えられなかった想いを忘れてもいい。
でも忘れたままにはしない。必ず思い出し、名前を呼ぶ。たとえ、ほんの時々心でつぶやくだけだとしても。




私にとっての世之介、きっともう出会っている。

まだ、間に合う。心でつぶやくだけでなく、彼に、彼女に会いに行こう。
貴方に会えてよかったって、伝えに行こう。


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紙の本

紙の本中島千波さくら図鑑

2010/03/26 19:25

絶えて桜のなかりせば…

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

櫻 さくら 桜。


桜の前では人は詩人になると思う。

無残なほど飾り気のない冬の姿の前で、
我が世の春と咲き誇る姿の前で、
望んで生を終えるかのように花弁を散らす姿の前で。

心騒いで、それでも見つめ、想いをうたわずにいられない力が桜にはある。


この画集の桜は全国にある銘木と歌われる様々な桜を、中島千波氏が丁寧に写生し美しい日本画に仕上げたものである。 
「さくら図鑑」と題名にうたわれる通り、岐阜・京都・奈良・福島…と日本中の桜の銘木が実に50本以上、氏のコメントと共に収録されている。どの作品も完成図とスケッチ(下絵)を合わせて載せてくれているので、氏が樹をどのように写し、紙に映していったのかが手に取るように分かり、絵を観る人にも描く人にも興味深い内容になっている。

時に数メートルに及ぶ屏風の隅々まで一本の桜が画面を覆い尽くす。が、よく見れば一枚一枚の花弁はすべて画伯の手になる手描き、なんと、スタンプのような簡素に図案化された小さな一輪一輪を本物の桜と同じように一本の木に降るように咲かせていくのだ。
完成図を見た後で知らされる事実と、その気の遠くなるような作業に思わず言葉をなくす。

密になり、疎になりながら、空間を覆い尽くす圧巻の桜。
息苦しいほど描き込まれたそれは力強い生命力を持ちながら、深い幽玄・静謐も伝えてくる。


こうやって、激しさと静けさという真逆とも思える感性を同時に追求できるのは「日本画」の特徴の様に思う。
本来「絵画(え)」とは描いてこそ生まれる存在だが、日本画の魅力とは「描かないこと」でもある様に思うのだ。描きこまれた画題(桜)と共に、描かれなかった部分=余白に意味を見出す絵画とでも言えばいいのだろうか。

氏が描いた銘木は、すべてが風光明美な地にたっているわけではない。背景に民家が入ったり根元に柵や看板が立っていたりもする。実際に氏はスケッチではそこまで描かれるし、花や枝も詳細緻密に描き取ってある。
が、完成された桜花図は簡素な花が無数に咲き誇る桜1本だ。

画に興す時心の中で自然と取捨選択する、と氏は本作で書いている。心にかなうものを無意識に選び取っているようだと。
つまり、現実を精巧に写し取りながら描くのは桜の本質、目に写らないものなのである。
無いものに存在を見、存在するものを無しとする、ここに在ってここに無い桜。
氏はそんな桜を描き続けている。


分かった気がする。
あの日の桜。あの場所の風。あの人の姿。確かに在って、もう無い時。

桜を前に心騒ぐのは、目の前にある桜と心の桜が違うからだ。
開く桜を追いかけてしまうのは、心の桜と共に在る風景をもっと見たいからだ。
想いをうたいたいのは、画に残したいのは、今在る桜を新たな心の桜とするためだ。




きっと今日も、氏は桜を描いているだろう。

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紙の本

ウザがられると分かっていても「今日なに食べたい?と」と家族に問うのは、主婦の愛。答え通りのメニューにならないのも、主婦の愛。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

よしながふみと三浦しをんは腐女子の希望。

と、時々思う。
高まる胸のトキメキを、「腐る」という身も蓋もない表現で語られてしまう可哀想な日陰者を、陽の光のもとに押し出してくれた立役者とでも言おうか。(悔しくも上手い表現ではある)
「まほろ駅前~」が直木賞だとか、「大奥」が映画化だとかのビッグニュースが飛び込むた度に、「どーよ!腐り脳だからこそ生み出せた傑作だゾ、わたくしどもはこの魅力をもっと前から知っていたのですよ、へへん♪」と意味不明に鼻高々だ。←ジルベールが誰かを即答できる「女子」ならこの気持ち分かっていただけるはず(笑)
確かな力はジャンルの壁など軽々超えるってことなんだな~と思うのである。

                 
希望の星☆よしながふみが描くマンガは手強い。
ストーリーが難解だとか、凡人に理解しがたいセンス(電波系)などという意味ではなくて、読み手に楽をさせてくれないという意味の強さを持っている。

テンポがいいのに、セリフが少ない。セリフが少ないのに、キャラが濃い。
短編なのに、絵コマ(絵だけのコマ)が多い。絵コマが多いのに、ストーリーが複雑。

マンガ好きの持つ習性=そのマンガに潜むすべてを味わいたいと思う欲を巧みに刺激されるというか、結局読み手は、コメディなのかシリアスなのか、ロマンスなのかサスペンスなのかどう転ぶか分からない緊張感に震えつつ、右脳と左脳をフル回転させることになる。

小説の行間を読むように、コマ絵の意味を読みとっていく。
詩歌を解釈するように、セリフを咀嚼していく。

こうしてサクサク読める類いのラブストーリーが、極上の書物と同じ引き出しにしっかりと納められる。
描かないことで伝えられることがあることを知っているマンガ(家)は、強いのだ。



作者は本作タイトルで、「きのう何食べた?」と気さくに問いかけてくる。
たわいないおしゃべりのつかみとして、日常生活でもよく耳にするフレーズだが、実はこの問い、案外重い。問うた相手が必ずしも明るく答えて下さるわけではないからだ。
理由はいろいろ考えられる。すぐには思い出せないのかもしれないし、答えたくないのかもしれない。ひょっとしたら食べていないかもしれないし、食べられない事情だってあるのかも。明るく答えてくれる時だって、それが真実とも限らない。相手に気を使われまいと明るくごまかす場合だってある。そしてそういった場合、発覚後に楽しい結果は待っていない。


食は健康に直結する。でも健康とは肉体面の問題とは限らない。そして齢いを重ねるほど、悩みと健康は深くかかわる。
つまり大人になるほど、よく眠れた?とか、好きな人いる?とか、(本能絡みの)ストレートな問いは、相応の覚悟をもって問わねばならなくなるのである。そして作者はそのことをよく分かっている。
それでも「きのう何食べた?」と明るく問うのは、問う相手=読者に「OO食べたよ、美味しかった♪」と楽しく答えてほしいから、そしてそのために考えてほしいことがあるからだ。

コンビニ弁当が美味しいと思える時がある。手料理が味気なく思える時がある。
食事を美味しいと思うのはなぜなのか。どうして楽しく食事を摂ってほしいのか。
無意識と紙一重の日常を、愛情を、時々でいいから意識して、感謝して生きていこう、生きていきたい。

共働き主婦が泣いて喜ぶ、時短で、手軽で、美味しいおばんさいレシピをふんだんに盛り込みながら、主婦が男=ゲイカップル(それも不惑超えの熟年カップル)を主役に据える、一見キワもの設定を選んだ裏には、きっとそんな願いが込められている。



このミネストローネの作り方、私と手順が違うけどこっちの方が合理的だな~とか、きのこの美味しい季節だからこのパスタ作ってみようかな~とか、あれこれ考えながら、シロさんとケンジのほのぼの夫婦生活?を楽しく読んで、あららもうこんな時間だと、席を立つ。

財布とエコバックを持って出掛ける途中、家族にメールする。



「ママです。
 今日、なに食べたい?」


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紙の本

紙の本天地明察

2010/06/24 16:52

いつの間にか、未来は、夢見るものから託すものへと変わりつつある。それもまた良し、託せるものを見つめよう。託せる人を慈しもう。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

雨露を含んで、煌めきを増す新緑が美しい。
萌えぐ若さが輝き光るのは、植物も人も同じである。


30代前半のライトノベル作家が描く時代小説。
親しみやすい表現と鮮やかな展開で、天地の理(ことわり)を追いながら、人の理をも同時に描く、作者渾身の意欲作が本作「天地明察」だ。

天に星なければ星の図は成されず、地に人なければ星の図は必要とされない。
人に生なければ学を極められず、生に縁なければ学を伝えられない。
若さは未熟ではなく可能性、齢を重ねる事は縁を重ねる事。
作者は江戸時代の暦学者・渋川春海の生涯を通じて、このメッセージを痛快に明快にうたう。


例えば北斗七星。
星を繋げて柄杓を描くが、実際の星々は隣接などしていない。100光年から1000光年まで隔たりあう星が柄杓の形を成すのはあくまで見かけ、この地球に生きる人だけが見る事の出来る奇跡の図だ。
本作で春海を取り巻く魅力的なあまたの登場人物たちは、それぞれが人の世の綺羅星といえる。春海だけが、そこに縁(えにし)の糸を繋いで、この世に「北斗」を成せるのである。
彼の遺したもっとも偉大な功績は、偉業を達成し歴史に名を残したこと(だけ)ではなく、人の縁の糸を見つめ、繋ぎ続けたことだと作者は伝える。

行間から滲む情を慈しむような、先達作家の描く時代小説とは明らかにタイプが違い、それを「若さゆえ」と穿つ気持ちも、正直なくはない。
が、本作の魅力はその「若さ」にこそあるのだ。
セリフだけで個性が区別できるほどしっかり書きわけられた、いわゆるキャラ立ちした登場人物、画像が浮かぶかのようなメリハリの利いたシーン展開など、随所に感じるのは作者の「演出眼」だ。作者はアニメやマンガなど、画(映像)や場面を常に意識して作話する、脚本家タイプの方なのだとよくわかる。
この表現感覚こそが、画や音などで感覚を補足されながら、作品を理解する事に慣れている読者層に最も有効なファクターなのである。

作者がご存じでなければ、伝えたいと思う。
この本を読んで、これから何にでもなれる事が嬉しいと言った中学生がいたこと。
数学の授業がちょっと楽しみになったと語った高校生がいたこと。

どんな傑作でも、読む人がいなければ、存在しないのと同じことだ。
先細り必至の時代小説の読者層と、ただ今全盛期のコミック・ライトノベルの読者層を結びつけた、本書の功績は計り知れない。



ではこの作品は、若い世代や、時代小説に縁のない読者層にとってだけ有意義なのかと言えば、これがまたとんでもない。
むしろそれ以外、時代小説もそこそこ嗜む、不惑・天命といった世代こそが読まねばならない作品なのではないかと思っている。

先の学生達のような、未来に光を見い出せる世代が、春海の生き様に心震わせたように、作者自身も春海の生き方に憧れを、もっといえば、彼の様にこれからも生きていくというご自身の誓いを、この作品に込めたように私には感じる。

が、いくら春海でも、「綺羅星」なければ「北斗」は紡げない。
今生きている若い世代が、未来に希望を見るのか、諦念を見るのか、それは先達である大人次第だとこの作品は遠巻きに伝えている。
青いだの甘いだのと言う前に、己の後をついてくる人間はいるのか、誰かにとっての綺羅星になり得ているか、歩んだ我が道を振り返ってみろと言われているに等しいのである。
作者が今作を時代小説にした理由、なんだか見えてくるではないか。

なんとも重く、熱く、面白いラブレターを、作者は書いてくれたものである。



本書は今年度の本屋大賞を受賞された。(おめでとうございます)
世代・性別関係なく、多くの読者が手に取るだろう。
先の学生のように、本書で志学を実感し、中には、第二、第三と、春海や関の後進が育つのかもしれない。
娯楽に娯楽以上の志を見出す。これも明察。書の力。

そして我々壮年世代は、彼らの布石となるために、己の成せることを精一杯見つめ、精進していかねばならない。





さて、私。
作者のような綺羅めく才能もなく、気力も体力も下り坂。
が、次世代に本書を紹介することぐらいは出来そうか。


あの学生たちの、キラキラした眼。
ここにも、地上の星。



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紙の本

紙の本おとぎの国の科学

2009/07/01 20:42

科学のクオリア 物語のクオリア

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は「パラサイト・イブ」「BRAIN VALLEY」などのベストセラーを著したホラー・SF作家であり、またミトコンドリア研究で大学で教鞭もとった科学者でもある瀬名秀明氏の初のエッセイ集となっている。

科学者として論文を書き、小説家として物語を書く筆者が考える「書く」行為とはなんなのか。
それを受け取る私たちの「読む」行為はどのような意味を持つのか。
文理どちらにも身を置き、書き続けた筆者にしか伝えられない想いがここにある。


科学で物事を説明する時、そこにあるのは事実と客観性だ。
もっとも分かりやすいのは「死」の解釈か。
科学で「死」を論ずれば、生体反応の停止・蘇生の不可能な状態などと定義される数字と脳で理解する「死」だ。
これが物語・文学だと「生きる屍」などのように主観的な「死」も含まれる。「心」という、数字で表せず目にも映らない象徴的なものに支配される「死」である。
ゆえに科学と文学は「対(つい)」・相反するものとして長年語られてきた。「理系」「文系」で進路を分けるのはその最たるものだろう。

でもそうではない、そうではないのだ。

科学には文学が必要で、文学にも科学が必要なのだ。
ミトコンドリア研究のエキスパートだった瀬名氏がミトコンドリアを題材にした小説を書いた。これはいったいどういう事か。論文で表現できない「心」を小説にしたからだ。
そして「心」だけではこの傑作は生まれない。科学を真摯に、謙虚に研究し瞠目してきたからこそ到達する結果だった。
では、文系作家が書く恋愛小説や時代小説などに科学はどう関係するのかと言えば答えは簡単。読むのは「人」だという事である。

目や耳や、時に手を使って人は言葉を脳に取り込む。これは単なる生理的反応、この行為自体に感情や心は存在しない。
言葉は脳で処理されて、初めて心に響く。

「バカ」「アホ」と書いた落書きから 人は世の無常を読みとれる。
「色即是空 空即是色」と書いた経典に唾吐くことだってできる。
「読む」とは肉体の恩恵とそこから生まれる精神の共鳴が合わさって初めて成り立つ、科学的正確性と文学的主観性の複合のなせる技なのだ。

科学だけで「読む」行為を定義づけるのではない。文学だけで「読む」行為に溺れるのでもない。
ここでも文理は切り離される必要がないのだ。



本書には何度か「クオリア」という用語が出てくる。
これは、例えば「林檎」と聞いた時、まざまざと浮かぶ「林檎」の赤色、つやつやと水滴をはじく表面の質感、食べた時の満足感など脳裏に浮かぶ一連の感覚の事であり、この概念の導入こそがコンピューターに心を持たせるための最重要課題とも言われているそうだ。

私たちにとって機知と示唆に満ちたこのエッセイは、筆者にとっても自分探しであるという。
ならばこのエッセイで筆者のその目が映す物は何だろう。その脳が処理し「心」としていくのはどんな事だろう。
その過程を俯瞰的に眺め続ける読者は、ある意味神の立場かもしれない。

生めよ、増えよ、地に満ちよと願った神の慈の心を持って、願わくばその目に映るもの、心となるものが光あふれるものであるようにと祈る。
この祈りの気持ちこそ、この本の「クオリア」ではないだろうか。

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紙の本

名作が起こす、色褪せない感動という名の奇跡。すべての読書家に贈られた、この上ない贈り物。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「大好きな作品は?」と問われたら、すぐさま答えられない。
たくさんありすぎて即答が出来かねるからだ。

では「大好きな作家は?」と問われたら。不思議なことにこちらは迷わない。「稲見一良さん」と澱みなく即答できる。
この方の描く世界が、今も昔も、多分これからもずっと、もうどうしようもなく好きである。


私が惹かれてやまない氏の作品の特徴は、ずばり「動物」である。
ご本人の趣味が「(射撃)狩猟」だっただけに動物の生態描写は息を飲むリアルさ、この方の右に置ける邦人動物作家(?)は、かの椋鳩十氏ぐらいしか思い浮かばない。←寡聞なだけか

狩りという名の下で生物の命をやりとりする人だからこそ、一層真摯に見つめ(観察し)てきた動物(野性・ペットを問わず)への愛情と賞賛と、たぶん懺悔の心。
そこを根底とした人と動物とのドラマ。
奇跡は間違いなく待っているだろうと、ページを開く前からワクワクする。

そして、今作の「セント・メリーのリボン」は、
<ハードボイルドの厳しさと感傷を底流にした、闘争の話をかこう>
とおっしゃっていた稲見氏の志がもっとも力強く貫かれている傑作と思う。



狩りの途中でいなくなった猟犬を探す「猟犬探偵」の竜門 卓。←名前からしてハードボイルド(笑)
※そんなピンポイントな探しモノ稼業で食べていけるのだろうかという素朴な疑問がまず浮かぶが、浮かんだ時点でもうこの作品の虜だったりする。続編「猟犬探偵」もこの後、読もう。

「ハードボイルド」な「探偵」で連想できる、ちょっとワイルドでクールないい男という人間像はイメージ通りの竜門だが、その生き方は、「猟」「厳しさ」「闘争」といった怖い字面の単語から想像される暴力と殺戮にまみれた「ハードボイルド」とは全く違う。
寡黙にすっと立ち上がり、相棒(犬)にソファー譲っちゃいます、みたいなハートウォームなご仁なのである。


今作「セント・メリーのリボン」では、探すのは「猟犬」ではなく「盲導犬」だ。専門外のことながら「例外」として引受けている。(実はこの依頼以外も例外だらけで、本当はタイトル「動物探偵」が正解だったかもしれない。そんなとこも大好きだ♪好きってそういうことだ。)
山野を彷徨う猟犬を探すぐらいだから、彼が持つ「犬」の生態とサバイバルに関しての知識は半端なく、「相棒」(決して「愛犬」とは呼ばない)ジョーと共にほんの僅かな痕跡からターゲットに切迫していく様は、幾度読んでも新鮮にワクワクする。

そして、捜査が進むにつれ明らかになる切ない事情。悪人など誰もいなくても、事件は起こってしまうのだった。

イブの朝、神戸のトアロードに舞い降りたのは、白い雪と赤いリボンに彩られた奇跡の贈り物。
奇跡もまた、起きるのではなく、起こすものだと胸に染み入る。




この本のサブテーマは、「男の贈り物」だという。

余命半年と宣告されてから、小説を書き始めた稲見氏。
遺された数冊の尊い贈り物、出会えた奇跡。


ご冥福と惜情と感謝の祈りを捧げながら、今年のクリスマスもこの本を読む。
読まずに終われない。



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紙の本

紙の本船に乗れ! 3 合奏協奏曲

2011/03/20 11:02

精一杯船を進める。いつか着く港で私を待ってくれてる人に、笑顔で迎えてもらえるように。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日の大震災で、ご被害・ご影響を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
真心をこめて、この本を通じて、震災に寄せた想いを書きます。

                  *

恐ろしかった。心配だった。悲しかった。不安だった。
時がたつほど甚大になる被害状況に、ニュースを見るのが怖かった。
でも真実が知りたくて、見続けた。


震源地からかなり離れたところに住む私は、ありがたくも変わらずの日常を送れている。
定時に仕事に出かけられるし、節電対象区域でもなく、ガスや水道にも不自由ない。欲しい本だって、買えるし、読める。
同じ日本であれほど恐ろしいことが起きて、辛い思いに耐えている方が今この時もたくさんいるのに、私のこの幸せはどうだろう。

そう思うと、当り前の日常が心苦しくて、ましてや生活を楽しむことなんて不謹慎だと感じてしまう。
音楽など聴いていいのだろうか、絵など描いてる場合ではない、こんな時に本に感動するなんて…と思う気持ちを止められない。
本当に辛いのは被災された皆様なのに、こうして安全なところから悶々するだけの自分もほとほと嫌だし、どんどん心が沈んでいく。
結果、耳は音を拾わず、瞳は色を映さず、本を手にしてもページをめくれなかった。
ずっと、辛かった。


あれから1週間が過ぎて、やっとわかったことがある。
安全なところにいる申し訳なさや心苦しさ、重い状況を憂える気持ちは、心あれば感じて当たり前なのだ。でも、だからといって日々を、生活を、笑うことを、楽しむことを封印するなんて、誰も望んではいないはず。
被害を受けていないからこそ、私はこれまで通りの日常を楽しまねばならなかった。

だから、再び本を開き、読んで感じた心を記す。
あの時の私を今の私が抱きしめて、私にできるやり方で、私にとっての真実=想いを伝えていく。

                   *

震災後初めて読む本をこの作品に決めたのは、表紙イラストがかわいかったからという実にたわいない理由だったが、びっくりするほど面白かった。引き込まれた。
悟の乗る船の辿り着く先が知りたくて、1から3まで一気に読んだ。

「音楽を聴いている人は、その音楽に大いに参加している。」

本書で、作者はこう語る。
奏者と聴衆があって、初めて音は「音楽」となると言いたいのだろう。
同様に、本を読んでいる人も、絵画を眺める人も、全部合わせてその作品は成るといえる。

「芸術」とは、そこに込めた想いを伝えたい人と、込められた想いを受け取りたい人、そのどちらにも必要とされて生まれたものと思う。(私はマンガやお笑いも芸術=人が想いをこめて創ったものだと考えてます) 
生まれた歌や絵やお話が、時代や世代を超えて伝承されてきたのは、人にはどんな時にもそれらが必要だったからだ。
時に知恵として。時に娯楽として。時に慰めとして。
生きるため。祈るため。


被害を受けた皆様を見舞う心と復旧への祈念を忘れずに、私はこれからも日々を過ごしていこう。
普段通りに、笑って、感じて、時に泣いて、精一杯船を進めよう。
いつか港に着いた時、笑顔で碇を下ろせるように。


そして1日も早く、1人でも多くの方が、読書や音楽の喜びをその手に取り戻されることを、ずっとずっと祈っていく。



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紙の本

紙の本ジョーカー・ゲーム

2011/08/07 03:35

切り札にするか、ババにするか。それは使う者の裁量次第。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

スパイと娼婦は、人類最古の職業なんだとか。

スパイ。日本語で表現するなら、「隠密」が近いのだろうか。


古来より「隠密」とは自軍の勝利のために暗躍する存在だと思っていたが、結城率いる「D機関」の男達の行動理念はかなり違うようだ。少なくとも、本作に収録された掌編に出てくる男達は、属する軍に勝利をもたらすために極限を生き抜いているわけではない。

殺さず、死なずの条件下の元、困難極める任務を遂行するのは、それが彼らにとって最高のゲームだからである。
祖なる国への忠誠も、平和実現の理想も、愛する人を守るという最も純粋な覚悟さえ全く感じさせない彼らは、自分自身を相手にゲームの勝敗を競っているだけだ。己の敵は己=勝負すべきは自分自身という彼らにとっては悲惨な戦争でさえ魚を活かす海、持った才能を最高に活かせるゲームフィールドなのだろう。
優れた才能と英知を持ってはいても、自分を含めた人の命をゲームの興とするのだから、この男達は人として歪つとしか思えない。

…思えないはずなのに、彼らはたまらなくカッコよく、正しく、そして不思議と温かい。
愛を持って真摯に彼らを描かなければ、こんな風には受け取れない。



彼らが勝負に勝利する度、戦争は終わりに近付いていく。
それはすなわちゲームが終わりに近づくということでもあると、私たちには分かる。無論彼らにも分かる。そしてその時がそう遠くないことも。
では祖国が「その時」を迎えた後、彼らは一体どうするのだろうか。



そんな事を考えながら、すこぶる面白い本書を読み進める。

ワクワクする。

切なくなる。



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紙の本

紙の本ダブルミンツ

2009/08/29 12:09

妖しく滴る刀の露。遂に到達した作者の完成形。

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

やっと、来た。
私の考えていた「中村明日美子」が。


マンガファンの間では「絵」が個性的なマンガ家の作品はいわゆるマニア受け、この作品の良さが分かるからマニアだという言わば読者側の「マンガ通」のレベル判定のような扱いを受ける事がある。
全作読んでいない私が非難覚悟で恐れず言えば、今までの中村作品は典型的なレベル判定本、「絵」以外の個性を感じる事が私にはできなかった。
しかし、本当に「面白いマンガ」とは、初めてマンガを読む人もマンガマニアもどちらも引き込んでしまう得体のしれぬ吸引力をもった作品の事ではないのだろうか。(感動でも怖さでも理由は何でもいい)


そして今作。
やっと、来た。
アートとしてもコミックとしても素晴らしい、「見ても読んでも楽しいマンガ」家「中村明日美子」が。
ジャンルとしては昨今流行りのボーイズラブになるのだろうが、そんな枠に収めておくのは惜しい。

かの有名な山岸涼子「日出処天子」や萩尾望都「残酷な神が支配する」を、男色を扱うマンガだからいう理由だけで敬遠する少女マンガファンはまずいないだろう。もちろん好みはあるけれども。(ちなみに私は萩尾さんの大ファンだが「残酷な~」だけはダメだった。「好み」とはそういう意味だと考えていただきたい)
この作品もできればジャンルでなく、「好み」で判断して欲しい。
但しかなり暴力的な性描写シーンがあるので、そこはご覚悟いただきたい。


ミツオとみつお、同音異字の名を持つ2人が初めて出会う「学生時代」とは、人生で最も名前を酷使する時代ではないだろうか。
持ち物に記名し、毎時間名を呼ばれて存在を確認される。
社会に出てハンコや名刺で物質化する名前と違って学生時代の名前は生きて力を持っているように思える。いわば言霊だ。多感な学生時代に「同性同名」の同級生に何らかの運命じみたものを感じるのも無理からぬことだろう。

その「何らか」の1つの答えを作者らしい解釈で表現したのが本作品だ。
性も姓も同じ2人が互いを追い続けて閉じた輪=円となっていく過程が、作者らしいエグリ方で残酷なまでに美しく鋭利に切り取られる。

車のトランクに「女」の死体。冒頭からこれだ。
度肝を抜かれる。
妖しい魅力の絵がその驚きに拍車をかける。すべてがぴたりとハマっている。
絵、マンガ力共に「中村明日美子」がしっかり確立され、迷いのない個性の主張が気持ちいい。削ぐものを削ぎ、研ぐものを研ぐ。匠の手になる日本刀のような美しさだ。
そしてそれに伴うレベルのストーリー展開。
価値観の逆転とでもいおうか、「善悪」の概念を覆す自己破壊と自己保存の共存。
「半身」を捉える名作マンガ・萩尾望都「半神」と真逆なアプローチながら、目指す高みも達した高みも肩を並べる。

ただ、このテーマを描ききるためには、正直「女」の事件の結末は軽い。
あそこで救ってしまうのは良くも悪くも少女マンガだ。
今作では「重すぎる秘密」に対するそれぞれの受け止め方の違いがそのまま2人の愛の象徴になっている。秘密が、犠牲が重いほど互いの半身を求める力が強くなり、そうして完全に1となって閉じる世界を「是」としてしまう。閉じられる幸せをかみしめろ、というように。
この極論こそが作家の伝えたいところのはず。

本編ラストでもそれは伝わるが、わざわざヤクザを絡めて大事にしなくても、初めの「女」の事件(1~2話)だけでそこまで辿りつけた様に思う。(佐伯さんは好きなんだけども、笑)
結果、後半(3~5話)はエピソードは違えどまるっと前半の繰り返しだ。
穿った見方をすれば単行本の原稿枚数にするために、いずれ続編が描けるよう「女」の結末をあのようにしたともとれる。

こういった、出版事情に絡んだ蛇足的な書下ろしは小説でも泣かされることが多い。
もっともこの作品の場合は主題繰り返し後半部分の方がエグリ方が冴えているので、前後どちらが蛇足か判断できかねるが。

その辺りの若干のぜい肉が惜しいが、テーマの深さ・具現性は変わらない。
作者の完成された表現力とともにこの作品は、禍々しい魅力を持つ「妖刀」となった。



これを待ってた。

黒というには澄みがあり、白というには汚濁にまみれた、目をそらせない妖しい魅力。



この世に二つとない存在を徹底的に求めて、閉じて、消えていく。
それが彼らの望むところ、墜ちれども楽園なのだろう。

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紙の本

紙の本秋月記

2009/06/09 15:47

人生の白秋を照らす月。凛然たる生き様が胸を打つ。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なんと愛しい小説だろう。
この物語を描くには今の世は汚れすぎている。
この情熱を描くには今の人は疲れ過ぎている。
時代小説でなければこの高みを描けない。そして時代小説というものが廃れず支持される日本に、一片の救いを見る。
この作品に感じ入る人がいる限り、この国はまだ腐りきっていない。

戻らぬ時代を嘆くのではなく、今の世でこの作品を読める幸運に感謝しよう。



本作は秋月という美しい地名の小さな藩で、国のために人のために何より自分のために、最後まで信じる道を歩きとおした、まさに秋の月のごとく闇に朗々と冴える1人の男の静かな情熱の物語だ。
しかもこの物語を彩る魅力的な人物たち、余楽斎こと小四郎から男装の麗人・采蘋まで実在の人物というから恐れ入る。


お役御免を突き付けられた初老の家老・余楽斎が、過去を振り返り歩んだ道を反芻する。
今でいえば犯罪者であるはずの流島扱いを静かに了承する男の胸の内には誇りと安堵はありこそすれ、怒りや無念は一片もない。
多くの人の思惑と想いに支えられ、震えながらも戦ってきた己の人生。
己を尽くして国が成る。今の世でこれが出来る人は別世界の人物だ。時代小説だからこそ受け入れられる身近な共感なのである。
時を超えても共感出来る、この普遍性こそが日本の救い。時代を超えて追い続ける男のよすがだ。

もう1つ、清しい男の生き様を描きながらここに浮き彫りになるのは「女性」である。
作者が男性なのか女性なのか、お名前だけでは判断できかねたが本書を読んだ今断言する。

作者はきっと男性です。

でなければこうまで気高い女性は描けない。ここにある女性は男に取っての願望。女にとっての理想。描かれる女性はすべてが聖母。慈悲と献身の塊だ。

生活を支えるもよ、精神を支える采蘋、国を支えるいと。

男が道を歩み続けられるのは支える女あってこそ、と静かに女性讃歌をして下さるのだが現代女性のはしくれとしてはなかなか痛いものがある。
この物語が時代小説でなければならないもう一つの理由はここだろう。残念ながら。


悲しいほど現代に生きてる女性である私にできる事は、この作品に感じ入ることのできる次世代を育てる事だろうか。それもまた名を残さずの偉業ではある。

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紙の本

紙の本喋々喃々

2009/11/29 03:42

思い出もお酒も、ゆっくり味わい楽しめるのは、大人になってから、ですね。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

激務の合い間に食べたおにぎり、まだほんのりあったかい。 ちょっと、嬉しい。
遠回りになった道で見つけた雑貨屋さん、品ぞろえがとても好み。 かなり、ご機嫌。

ついてないな…と思う時に出会う、小さな喜び。
こんな風に感じた愛しさを、分けてほしいと思う人は今、私にいるだろうか。 
こんな風に見つけた優しさを、分かち合いたい人は今、貴方にいるだろうか。

蝶々喃々、それは男女がうちとけて、小声で楽しげに語り合う様子。



春の七草を刻む、包丁のトントンという音から静かに本作は幕をあげる。
ヒロインは縁もゆかりもない土地で、1人店を構える30前の未婚女性。アンティークの着物を扱うヒロインのお店は、彼女の人柄と土地の人の情に支えられ、盛況とはいかないまでも生活を支えるぐらいの商いが出来ている。
日めくりのカレンダーを繰るように、「毎日」を噛みしめながら柔らかに過ぎていく日常。
心に色あせぬ思い出を住まわせながら、静かに、それなりの充実感で暮らす彼女の前に1人の男性が現れる。彼は「春一番」を思わせるその名の如く、ヒロインの心を揺り動かし温かさと切なさを運んで来る。
でも、彼には「家庭」があった。


不倫や浮気、親子・姉妹間の遠慮や確執など決して軽くないドロ沼人間模様を描いているにもかかわらず、出てくる人物は誰もかれもが無色透明だ。
まるでドロ水の上澄みだけをすくい取るかのように、作者は生々しい「感情のぶつかり合い」を徹底して封印する。作者の想いの結晶であるヒロインはその傾向が特に顕著だ。

夢のような生き方。憧れの仕事。ほろ苦くて特別な「運命」の恋。
甘い時。犠牲になる人。でも誰からも憎まれない。
流行語にもなったいわゆる「アラサー」女性の理想が詰まった、現実味のないオトメ本。
そう言われても仕方ない。


なのにこの作品を笑い飛ばしてしまえないのは、理想に託して問うてくる作者の想いがとてもとても真摯だからだ。

かつての苦しみをしっかりと見つめ直し、もう「思い出」となった事を確かめる、その勇気がありますか?
誰かと心を分かちあうのは楽しいことばかりではない、と自覚して、なお求めますか?
問題から逃げる事を、分別がある、と意訳してはいませんか?

改めて問われると言葉に窮する、まっすぐな問い。
これらの問いに胸を張って答えられる人だけが、この作品を笑っていい。



声を聴くだけで涙が出る。
そんな気持ちが、確かにあった。

思い出す時に胸に手を添える。
そんな人が、確かにいた。

今夜はぬるめの燗でもいただきながら、まっすぐな問いにきちんと向きあって、思い出の一つも聞いてもらおうか。
聞いてくれる「人」と、語れる「思い出」に感謝しながら。


人生は短いようで、過ごしてみれば意外と長い。
一晩ぐらい、こんな風に過ごす夜があったっていいだろう。

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紙の本

名作が放つ強い力の前では、「ジャンル」の境界線も長い空白時間も無力だと実感する。 また会えて嬉しい。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

食事をすること。
共に眠ること。
となりにいること。
とりたてて言うほどでもないことが、これほど沁み入るマンガもない。

直感脳で生きて、それを芸術という形に昇華させることが出来る勇気と、理性で生きて、それを企画や文章などの言葉で表現できる昇。
このマンガは、自己表現軸が正反対の2人が、互いを補完、時に反発しながら寄り添い続けていく姿を描くラブコメBL(ボーイズラブ)、4年ぶりに発刊された3巻めである。
…が、私はこれを(ただの)BLと思って読んでいない。

「ラブコメ」なのだから、恋愛を絡めた事件や痴話げんかでお話が転がっていくのはセオリー通りだが、このマンガで描かれる2人の「事件」や「痴話げんか」は、思いついて描ける類のものではなかったりするからだ。
温かみのある絵柄と甘いやりとりにオブラートされてはいるが、一見平凡な切り口の事件でも、切り取った後の形(葛藤と克服と導く結論)が、実は尋常ではないのである。

例えば、今巻「美しく燃える森」だと「昇の開かなくなった右目」が事件に当たるが、『萌』というサブキャラクターにまで反映させた心身問題や同性愛が抱えるリアル、言い換えれば恋愛の「闇」の部分を描く手段としてこの事件をスタート地点に起き、そして勇気の個性(直感の真心と芸術魂)を最大限に活かして、「美しく燃える森」で闇を浄化させてしまうあの一連の流れ、これを考えつくまでの思考回路がまず普通とは言い難い。

仮に自分が物語を書けるとして、勇気と昇というキャラから恋愛の闇の部分を描こうと考えた時、この作品のような形に辿りつくまでの思考過程が、ほとんど浮かばないのだ。解釈・考察に必要な「書き手の思考の後追い」が非常に難儀な、複雑で入り組んだ構築が成されている、とでも言えばいいのか。←「構成」ではなく思考的な積み重ねという意味の構築  

「闇」と「浄化」を描くなら、もっとシンプルで分かりやすいアプローチがいくらでもあるのに、このルートを良しとする作者の思考回路、読むには「上手いな~♪」ぐらいの仕上がりにしてしまう謙虚な姿勢の後ろに隠れた、作者の左脳(理論分野)に毎度驚愕してしまうのである。

フラッシュバックする記憶の断片。
漠然ながら確かにある不安。
はっきりさせることへの恐怖。
衝動を抑えきれずに触れてしまう「傷口」

我知らずの心の悲鳴で、身体に異常をきたしてしまう昇や萌の苦しみは、種類・程度は違えど、ある程度の人生を歩んできたものなら誰にも多少は覚えのある痛みで、正直、そこをエグられるのはしんどい。だからこそ、勇気がどれほどの救いなのかがよく分かる。勇気の存在は、「傷」を自然治癒させてきたほとんどの読者にとっても、あの時欲しかった救いの手、これを与えたかった作者の優しい狙いが沁みてくる。


とはいっても、ここまでなら「普通ではないが、上手い作家なら辿りつける高み」の範疇、この作者の非凡な形(感性)はこの先にある。

この話では、昇は結局、最愛の人に生涯話さない秘密を抱える事を選ぶ。
結果オーライなのだから、この後なにもかも勇気に話してしまったとしても、多分勇気は許すだろう。そして大概の作家は、そうするはずだ。
だって「マンガ」だから。懺悔して、許して、一点の曇りもなく信じあって大団円で普通は終わらせる。
が、この作者はそれを選ばない。秘密を打ち明けることで得られる、呵責からの開放と、打ち明けられた相手が許すまでに抱える葛藤、または許されないかもしれないという恐怖。
すべてを天秤にかけた上で「話さない。」

これが作者の伝えたい真のリアルだ。でも「ラブコメ」だから、僅か1,2ページでアマアマに締めてしまうのである。
なんとも潔く、複雑な形…。

この形にエグるには、思った、感じた、などという柔らかな心の動きではなく、傷になるほど深く心と記憶に刻まれてしまった感情を、晒して洗い直し、もう一度癒す作業が必要になる。
作者ご本人の経験の投影は、どんな作品でも少なからずあるが、この作品は、(おそらくは創作上の)ご自身の経験から派生した葛藤を拡大投影して作話しているように思える。(なんと自虐的な…「マンガ」が好きでなければやってられないだろう)
その苦しさを、この世の不条理から切り離した「マンガ=ラブコメ」という明るい形で救ってくれる強靭さが、この作品の魅力のひとつなんだと思う。



さらに、「懐かしい夜」で2人が見上げる月の逸話。
口絵にもなっている、あの春の夜のたった1ページ。あの1ページは、これまでのすべての「事件」と「痴話げんか」を収斂させた究極のエピソードになっている。

個展を開く事を決心した勇気が、「最初に話したかった」と昇に告げた夜に2人で見上げた月。
昇が言った「上手い事」、彼は想いを言葉にする業の人。だから、その想いを口にする。
勇気は感性を形にする業を持つ人。なので、あの懐かしい「夜」を再現する。

あの時の月だから、昇は一目で夜空だとわかる。
あの時の月だから、一度壊れても作者は元に戻す。いや、戻るために一度壊す。

修復可能な美しい月、それが彼らの育んできた愛だと作者はいう。
綺麗で沁み入るエピソードである。読者は、この美しさをただ受け取ればいい。
が、作者は、この美しいものをわざわざ壊して、一度丸裸にしなければならないのだ。ちょうどあの「月」のように。

2人で泣きそうになった、あの夜。
月を見て一緒に泣ける2人を描くには、泣きたくて、月を見る気持ちを見つめなければならない。月を見ようと空を振り仰いだその時に、できれば自分1人ではなく、共に泣いてくれる人がいればいいと、胸の奥の奥でこっそり願っていた。そんな想いまで気づかなくてはいけない。
作者は既に達観している。だから、この2人を描ける。

本当は暴かれたくない、が、かなえてほしい願い。
この作者は、読者の期待に応えるというプロ意識を、こんなところに持ってくるのである。
こんなエグリ方されたら堪らない。


これだけのことを「痴話げんか」に収め、しっかりラブコメでオチをつけてしまう、作者の揺るがない姿勢。1話、2話ならこんな話も描けるかもしれない。でも3巻分ともなれば…。
まったく、この作品での作者は神がかりだ。


私がこのマンガに魅かれるのは、自分でも知らなかった願いや目をそらしてきた痛みを緩く示して、晒して、優しくハグ、時に笑い飛ばしちゃってほしいからと思う。
この作者が、今度はどんな深淵を覗いてくれるのか、どんな救いを与えてくれるのか、このマンガにはいつもそんなことを期待する。

他にも、勇気を通じて教えられる本物の「絵描き魂」(私の知人の画家さんとそっくりだ、笑)、昇の敏腕ライターぶりなど、恋愛云々を抜きにしても読み応えは十分、ジャンルを超えておすすめしたいマンガである。



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