若干26歳で渡米し、裸一貫でゼロから起業!
子供服ミキハウス・アメリカ社長、世界への挑戦
若干26歳にて単身でアメリカに渡り、ゼロからビジネスを立ち上げたミキハウス・アメリカ代表の竹田欣克さん。2010年には念願だった、ニューヨークの一等地にある高級老舗百貨店ブルーミングデールズに1号店を出店し、現在は全米各都市にて店舗展開をされています。
人脈もアメリカでの起業ノウハウも全くない中、米国市場において無名だったミキハウスブランドをどのように確立されていったのか、その軌跡を伺いました。
週7日休みなく働いていた新人時代にチャンスが!
―― 竹田さんは学生時代から、海外でビジネスをしたいと考えていたんですか?
実は大学4年の就職活動の際、ミキハウスの最終面接で「未開拓であるアメリカ市場を開拓したい」と社長に宣言していました。無事内定をいただき入社してからは様々な部署を経験し、ひたすら倉庫の搬入をするような部署も経験しました。
周りからは「あんな大変な部署にいたら、竹田は会社を辞めてしまうんじゃないか」と心配されていたみたいですが、商品がどういう風に動いているのかビジネスの流れが学べたので、すごく楽しかったんですよね。
次第に店頭ではどのように販売されているのか興味を持ち、当時の部長に相談したところ、土日だったら店頭で働いてもいいと言われまして。半年ぐらい平日は倉庫での仕事、土日は店舗で週7日働いていました(笑)
―― 自らの希望で、休日返上で働いていたって驚きですね!!
当時は若かったですし、それだけ楽しかったんですよ。すると、頑張って働いていたことが上層部の耳に入ったようで、最終面接で僕がアメリカでビジネスをやりたいと話したことを覚えていた社長から、「チャンスをやるからまずはMBAを取得し、アメリカ市場を開拓するように」とご提案いただきました。それから1年間必死に勉強し、入社3年目の時にボストン大学経営大学院に留学しました。
「お客様を間違えなければ、売れる!」という確信
いざアメリカに行ったら、ここで子供服ビジネスをするのは正直厳しいなと思いました。というのも、アメリカはヨーロッパに比べてお洒落に気を遣わない人が多い国なんですよ。ましてや、成長の早い子供の服にお金をかける人は少ないんです。でも娘にミキハウスの服を着せて街を歩いていると、色んな人から「その服はどこで買ったの?」と聞かれるので、ファッションデザイン的にはうけるのだと分かりました。
また当時はボストンで一番学費が高いプライベートスクールに、頑張って娘を通わせていたのですが、そこに通う子供達はバーバリーなどのハイブランド服を着ていて、身なりがちゃんとしていたんですよね。それを見て、日本のようにほとんどの方にミキハウスを認知してもらうことは難しいかもしれないけれど、ある一定層の人にアプローチすればいけるんじゃないかと思いました。
ビジネスで一番大切なのは、人の繋がり
ボストン大学に留学していた時は、大学教授に交渉してミキハウスのビジネス戦略をプレゼンする機会をいただき、教授や生徒達からフィードバックを沢山もらいました。それを続けていった所、それまではいちアジア人の学生だった私に、みんな声をかけてくれるようになりました。「英語はヘタクソだけれど、何かアツいモノを持っている奴だ」と思ってもらえたのかもしれません。徐々にネットワークが広がっていき、「そんなにアメリカでビジネスがしたいなら」と、ある教授が学部長を紹介してくれました。
学部長にはお孫さんがいるという事前情報を得たので、お会いする際にミキハウスの子供服をお土産に持って行った所とても喜んでくださり、起業家としてアメリカで成功しているレニーさんを紹介してもらいました。彼は一代でゼロから富を築きあげたユダヤ人。彼からは、ビジネスで一番大切なのは、人との繋がりだということ、その繋がりを作るためには、正直であること(to be honest)、約束を守ること(to keep promise)が大切だと学びました。
MBA取得後は、社長から「まずは一人で立ち上げてみろ」とご提案いただき、その言葉の重みも分からないまま、アメリカでのビジネスをスタートしました。この頃、藤巻幸夫さんの『自分ブランドで勝負しろ!』という本を読んで大変鼓舞されました。先年急逝されてしまいましたが、晩年は個人的なつながりもでき、 いろいろ勉強させていただきました。
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ユダヤ人は、約束を守る人としかビジネスをしない
―― アメリカでビジネスを始めるにあたり、何から着手されましたか?
まずはニューヨークにて、初めての展示会を開催しました。すると展示会に来てくださったフィラデルフィアで有名な高級子供服専門店のバイヤーであるリンダから、ある日電話がかかってきたのです。「商品のサンプルを見せてほしい」と言われたので、「明日持って行きますよ」と答えた所、「じゃあ明日の朝6時に届けてほしい」と言われました。その電話があったのが夜の8時。それから睡眠時間を削って急いでサンプルを用意し、約3時間かけてニューヨークからフィラデルフィアまで車で移動し、朝の6時にサンプルを届けました。その甲斐あって、無事取引を開始いただくことができました。
彼女は僕が約束を守る人か、どれだけ自分のビジネスに真剣なのかを試したんですね。アメリカ人、特にユダヤ人には、日本のように「そこをなんとか」という情は通じないんです。どんなに付き合いが長くても、約束を守らない人とは一切仕事をしない。一度でも約束を破ったらアウトという世界なので、常に緊張感がありますね。
そのフィラデルフィアのお店は、高級子供服といえばココ!と言われるぐらいの有名店ですし、リンダは厳しいけれど目は確かなバイヤーと業界内でも知られていたので、「あそこで取り扱っているブランドなら、うちの店でも!」と他の小売店からもご提案をもいただき、ニューヨーク、テキサス、カルフォルニア、ワシントンDC、ボストンと他の都市でも取り扱い店が増えていきました。
▲米国で売り上げの3割以上を占める、人気商品のシューズ。機能性とデザインに優れ、リピーターのお客様が多いのだそう。
「ここは勝負時だ!」とピンときたらすぐに行動!
それから徐々に取り扱っていただける小売店を増やしていったのですが、その中でも転機となったのが、フレッド・シーガルとのお取引が決まったこと。フレッド・シーガルは全米の小売業界だったら誰もが知っている、お洒落な商品しか売っていないような高級百貨店。そこに取り扱ってもらうということは、それだけでステータス。しかしそこのバイヤーは、いつもうちの展示会に来てくれたのですが、商品を購入することはありませんでした。
そこである日思い立って、フレッド・シーガルのバイヤーに電話をかけた所、「すぐに商品サンプルを持って来てくれるなら、打ち合わせしましょう」と言っていただけました。ちょうど出張中だったこともありサンプルを持っていたので、その足で向かい打ち合わせをした結果、お取引が決まりました。
このお取引が開始されたことは大きくて、その後、高級百貨店ブルーミングデールズに出店することが決まったのですが、「あのフレッド・シーガルが取り扱っているなら」と後押しになりましたね。
―― ブルーミングデールズとのお取引は、どのように始まったのですか?
これも不思議なご縁でした。娘のバイオリンの先生の旦那さんが、某高級化粧品メーカーの会長さんだったんです。その繋がりで、ブルーミングデールズの会長さんを紹介してもらい、念願だったブルーミングデールズNY本店への出店が実現しました。
この頃、全世界で展開している天下のラルフローレンも、ブルーミングデールズのネクタイ売りからスタートしたという話を聞きました。「彼はどのような足跡を辿ったのか」と興味を覚えたため、『ラルフローレン物語』という本を読み大変刺激を受けました。
ラルフ・ローレン物語 (集英社文庫)
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税込796円(7pt) 発送可能日:購入できません
- J・トラクテンバーグ (著)
- 出版社:集英社
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また洋書ではありますが、ユニオン・スクエア・カフェやイレブン・マディソンなど、ニューヨークの有名店の”Restaurateur”として活躍するMayer氏の著書も、業界は異なれど、創業マネジメントとして読む価値のある本だと思いましたね。
Setting the Table: The Transforming Power of Hospitality in Business
ミキハウスというアメリカで無名のブランドを取り扱うことは、小売店にとってはリスク。だって売れるか分からないですからね。そんな中リスクをとって僕を信用してくれたブルーミングデールズにはちゃんと恩を返したかったので、必死に働きました。結果的に売り上げも上がっていき、ニューヨーク店だけでなくサンフランシスコ、マイアミ、オーランド、ニュージャージー店でも取り扱っていただけるようになりました。
―― これまでのエピソードもそうですが、竹田さんはキーマンと言われるような人とのご縁を掴むのが非常に上手ですね。突然来たチャンスを絶対逃さない。「チャンスは前髪しかない」という言葉をまさに体現されているという印象を受けます。
その時々で「これは!」と思った時に一歩歩みを進めるというのは、すごく重要なことだと思いますね。チャンスってそんなに転がっていないんですよ。労力に比例して、仕事の成果って上がらないんです。だからどんなに頑張っても結果が出ないことも多くて苦しいですが、努力を続けているとたまにチャンスが来る。その時にパッと掴めば、そこでグッと上昇するんです。この繰り返しなんですよ。だからあの時「ここは勝負時だ!」と思って、遠慮をしなかった自分には感謝したいなと思いますね。
またボストン大学院に留学していた時に、ビジネスには「正直であること(to be honest)」が大切だと学んだ話をしましたが、これは相手に対してだけでなく、自分自身に対しても言えると思います。決断をする時って、周りに反対されることもありますが、自分の直感にも正直でいるように意識していますね。
チャンスをいただいたら、裏切っちゃいけない!
―― ここまで聞くと、とても順調にビジネスを展開されているような印象を受けるのですが、頭打ちになった時期などはありますか?
もちろんあります。一番メインで取り扱っていただいていたブルーミングデールズでは、彼らに販売委託をしていたのですが、次第に売り上げの伸びも停滞した時期がありました。
なぜなら、ミキハウスはアメリカではまだ知名度が低いのにも関わらず、他のハイエンドブランドと同等の価格帯。これは、ミキハウスのブランド価値を店頭で伝える人が必要だと思い、販売委託から直営店という形態に変えてもらえるよう交渉しました。しかしブルーミングデールズはバーバリーやグッチなどの大人向けブランドの直営店はありましたが、子供服ブランドの直営店はこれまでなかったため却下されてしまいました。
しかし今以上に売り上げを伸ばすためには、直営店にすることは必須だと考えていたので諦めずに交渉を続けた結果、1年半後にやっと許可をいただけました。ブルーミングデールズ創業100年の歴史の中で初だったので、業界内では驚かれたみたいです。この交渉は大変でしたが、実際に直営店にしてから売り上げがほぼ倍に上がりました。
―― 熱意を持って想いを伝え続けた結果、念願の直営店化が実現されたのも凄いですが、さらには売り上げもほぼ倍になったなんて驚きですね!
やっぱりリスクをとって信用してくれた人を裏切っちゃいけない。きちんと成果で返したいですし、それを続けていけば「ミキハウスに任せておけば安心」だと信頼してもらえる。仕事って、その積み重ねなんですよね。だから、とにかくチャンスをいただいたらモノにすることの繰り返しだと思います。
仕事は下りのエスカレーターを必死に登っているようなモノ
―― 海外でゼロからビジネスを始められ、大変だったことはありますか?
毎日大変ですし、毎日勉強ですね(笑)。ある時、ブルーミングデールズの取引開始のきっかけを作ってくれた恩人であり経営者の大先輩に、仕事の悩みを相談したことがあるのですが、彼はこう言いました。「仕事とは、下りのエスカレーターを登り続けるようなものだ。上を向いて動き続けていないと、いつの間にか下がってしまう。そして一度自分が下がってしまったら、すぐに他の人にそのポジションを奪われてしまう。だから、常に登り続けないといけない。」と。もう彼のような世界的に成功されている方に言われたら、仕事が大変だなんて言えないですよね。
―― 最後に今後の目標を教えてください。
海外でのビジネスは、国際情勢や為替変動の影響をとても受けるので、常に状況が変化しています。来年どうなるか分からないという状況の中で、誰がお客様なのかということを常に考えながら日々精進し、アメリカのハイエンド子供服市場でNo.1ブランドを目指していきたいです。
プロフィール
竹田欣克
MIKI HOUSE Americas 代表
1998年東京大学法学部卒業後、ミキハウス入社。入社3年目にボストン大学経営大学院へ留学し、MBAとMS取得後アメリカ市場開拓を開始。2010年には、念願だった高級百貨店ブルーミングデールズNY本店への出店を実現。現在は全米各都市にて店舗展開している。
ライタープロフィール
鮫川佳那子(さめこ)
NY在住ライター/ニューヨーク女子部♡主催。青山学院大学フランス文学科卒業後、サイバーエージェントに入社し広告制作・メディア編集・イベント企画運営に携わる。2015年より夫の海外転勤で渡米し、現在はニューヨークの新聞をはじめ様々な媒体でコラムや、海外で活躍する日本人のインタビュー記事を執筆。またNY在住の20~30代女性が約400名所属するコミュニティ「ニューヨーク女子部♡」を主催し、イベント企画運営も行っている。