はじめに ―― 乗っ取られたシャープ 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第一回
シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。
だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。
今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。
はじめに ―― 乗っ取られたシャープ
怖い。しかし目が離せない。
彼が姿を現した瞬間、会場にいた全員がそう感じたはずだ。日本人記者団、台湾人記者団、銀行団にコンサルにアナリスト。そして会場準備をおこなっていたシャープの社員たち―ー。
2016年4月2日午後3時、日本語と中国語が交じり合った数百人のざわめきがピタリと静まり、全員の視線が一人の男に集中した。
鴻海科技集団総裁、テリー・ゴウ。中国名を郭台銘(かくたいめい)。郭はみずからの傍に、買収契約の調印相手であるシャープ社長の高橋興三と、鴻海の副総裁である腹心・戴正呉(たいせいご)(いずれも肩書は当時)を伴っていたが、場の中心は明らかにこの男だ。
パープルのネクタイにダークグレーのスーツ。65歳という年齢にもかかわらず、表情は豊かで身のこなしも敏捷だ。頬や肉体にほとんど贅肉がない。隣に並んだ高橋は郭の4歳年下であり、背丈も同じくらいのはずだが、郭は高橋よりもはるかに若々しくて巨大に見えた。
底知れぬ男の正体
私が出会った郭台銘は、底の知れぬ男だった。
わずかに言葉を交わしただけで、何度も睨み付けられた。「タフな質問」とちょっと褒められた(*)が、回答の中身は事実上ハッタリだった。(* 編集補足:会見時に著者が、買収後のシャープ経営陣や従業員の扱いについて質問を投げかけた際のできごと)
怖い。だが、やはり目が離せない相手だった。
――現代のチンギス・ハン。
台湾において、郭台銘はそんなあだ名で呼ばれている。
やがて本書のなかで登場する、郭に子会社を買収された奇美グループ創業者の許文龍(きょぶんりゅう)や、鴻海のかつての高級幹部だった戴豊樹(たいほうじゅ、ベン・ダイ)ら、仕事上での郭をよく知っている人々が口を揃えて同じことを言っているので、この評価には間違いがないのだろう。
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台北郊外のさして豊かでもない警官の家庭に生まれたこの男は、1974年に創業した小さな町工場を、超人的な働きぶりと大胆な経営判断を通じて世界的な巨大企業に育て上げた。人件費の安い中国大陸に大量の向上を展開し、もっぱらパソコンや携帯電話など電子製品の受託生産(第1章参照)をおこなうことで成功した。
2016年現在、彼が経営する鴻海グループは米経済紙『フォーチュン』のグローバル企業ランキングで世界第25位に入っている(同ランキングで鴻海を上回る日本企業は、第8位のトヨタのみだ)。同年の従業員数は106万人であり、アメリカのウォルマート、中国の中国石油に次ぐ世界第3位だった。
また、鴻海の株式の12.62%を保有する郭自身も、凄まじいまでの大富豪だ。2016年8月9日現在、彼は米経済紙『フォーブス』が発表するリアルタイムの世界長者番付で205位、保有資産は67億ドル(約6850億円)に達している。現時点では台湾でナンバーワンの数字だ。
一方、郭台銘と鴻海は、社会的批判の多さでも有名である。
郭は、「独裁為公(公の為に独裁す)」を公言し、100万人以上の鴻海グループの従業員たちを専制的に統治している。社風は「軍隊式管理」と呼ばれるほど厳格で、前出の『郭台銘語録』の学習のように、郭をあからさまに礼賛する個人崇拝的な風潮すらも容認している。
現場のワーカーや一般社員の給与自体はまずまずよいものの、厳しいノルマと膨大な仕事量をこなすことを余儀なくされるため、職場のストレスは高いとされる。また、支社長クラスの高級幹部にも年間売上高や純利益の毎年30%増という非常に高い達成目標を課すことから、プレッシャーを覚えた幹部たちが「家族との時間を持ちたい」といった理由で辞めていった例が過去に数多く見られた。
2010年上半期には、鴻海グループの中国深圳の工場で20歳前後の若いワーカー13人が連続して自殺(うち3人は未遂)している(第2章参照)。世界的な人気ITガジェットであるアップルのiPhoneシリーズを受託生産する工場での悲惨な事件は、日本でも大きく報じられるほどのスキャンダルとなった。
シャープとの関係においても、2012年の最初の出資提携交渉や2016年の買収劇では、郭が見せた変幻自在の交渉術があまりにもえげつなく見えたことで、日本の国内世論に反感が広がった。
ときに狡猾すぎる姦計や残酷な振る舞いをものともせず、勤勉な自分自身と同じくらい部下を徹底的に酷使して勢力の拡大にまい進する、大帝国の建設者。
――始皇帝、曹操、織田信長、そしてチンギス・ハン。
郭の足跡からは、そんな東アジア史上の覇王や征服者たちに通じるにおいが確かに漂う。
だが、私たちはそんな郭台銘について、驚くほど情報を持っていない。
日本の隣国にもかかわらず、中国や韓国と比較して関連報道が圧倒的に乏しい台湾の人であるだけに、これまで日本語のメディアで取り上げられた郭の姿はかなり断片的なものだ。
2016年8月までに国内で刊行された郭に関する書籍が、『郭台銘=テリー・ゴウの熱中経営塾』(ビジネス社)と『鴻海帝国の深層』(翔泳社)という2冊の翻訳書しかない点を見ても、情報の不足は明らかだろう。シャープ買収に伴う混乱のせいか、一部の報道やインターネット上の書き込みでは彼について偏った情報が独り歩きし、いっそう正体がよくわからなくなっている傾向もある。
しかし、私たちが正体をつかみかねている間に、恐るべき覇王は日本のビジネス界の固い扉を強引にこじ開け、騎馬民族さながらに一気呵成で侵入してきた。
――この男は果たして何者か?
――そして、いかなる未来を目指しているのか?
私は本書で、台湾での現地取材や現地メディアの報道、中華圏出身の識者の見解を踏まえながら、"シャープを買った男"郭台銘の人物像に迫っていくことにした。
覇王の素顔は、いったいどんなものなのか。
プロフィール
安田 峰俊
ルポライター
1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。
ライタープロフィール
hontoビジネス書分析チーム
本と電子書籍のハイブリッド書店「honto」による、注目の書籍を見つけるための分析チーム。
ビジネスパーソン向けの注目書籍を見つける本チームは、ビジネス書にとどまらず、社会課題、自然科学、人文科学、教養、スポーツ・芸術などの分野から、注目の書籍をご紹介します。
丸善・ジュンク堂も同グループであるため、この2書店の売れ筋(ランキング)から注目の書籍を見つけることも。小説などフィクションよりもノンフィクションを好むメンバーが揃っています。