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ルックスも含め、いろんな意味で興味深い人。広く浅い内容なので、この中で興味ある分野をほりさげていきたいキモチになった。グリーンベレーの洗脳テクの話とか。
※このレビューを書くとき「みんなのタグ」というのが出てくるのだけど、『所々に自慢あり』というタグ笑える!それも否めない。。。でも、知識が広がるし勉強になるのはホントだと思う.....挿絵がダサイくて「なんで?」「コレは計算?」とか、気になったが。
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現代の番組制作の悪循環や、次世代映像媒体(KeyHoleTV)の宣伝。
後半はお得意のコンフォートゾーンのお話でした。
そういえば、最近ダイエットCD聴くの忘れてるー。
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メディア論としては比較的言い古されたことが多く並んでいるが、現代的なケースが多く出ているので面白く読み進めることができた。
メディアは洗脳という論法は古くからあるが、日本人の価値観形成にもなるほどと頷ける説明がいくつかある。
空気を読めなくてはいけないのか、スケジュールが埋まっているのはいいことなのか、友達がたくさんいるのはいいことなのか、誰かが麻薬をやれば一斉に叩く、確かにこれらの価値観はメディアによってもたらされている。
しかし以前よりは多様化したのではないかとも考えている。一昔前であれば車を持たない男は男じゃない、家はいつかは必ず買うものだ、子供は必ずつくるもの、という価値観は現代では崩れている。しかしこの本の指摘するように時代の風がなびく方向はあり、メディアがそれを決めているように思える。筆者はそこにテレビを挙げたが、テレビの形成した価値観は一昔前のもので、今ではどれほどの影響力を持っているのだろう?「日本は」とひとくくりに書かれているところを少し時間軸でも掘り下げてみて欲しいと感じた。
まあ、研究本では無いのでさらっと読むには十分な内容だと思う。
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テレビがもたらす様々な弊害。
意識すること無く自分で考えることを止める怖さ。
いろいろ考えさせられます。
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TVの話は少しだけだったが、後半部分も含めて面白かった。
私はここ数年TVはほとんど観なくなったが、たまに昼間など暇に任せて情報番組などつけてみる事があるが、本当につまらない…と一主婦が呆れるほどのレベルの低さ。
個人的には、つまらなければ観なけれはいいで済むものの、視聴率などを考えると、このような駄番組でも観てる人は何百万人と居るんだ。
他のメディアに比べて影響力は甚大だという事に改めて気付いた。
教育熱心なママの話、こんなメディアに踊らされて子供に英才教育させてる人って、限られた人だけなんじゃないないの⁉って思ってたけど、意外とそうじゃない事も最近わかって来たし。
洗脳されてる人って、多いのね。
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テレビという「洗脳装置」、CMを早送りで飛ばすので「プロダクト・プレイスメント」による番組内でさりげなくスポンサーの商品を映し出すアピール、政治家はテレビに出るな、安直なお笑い番組、英語力がなく日本のテレビは日本人に向けたコンテンツしか放映していない。・・・全て想定内の
内容だった。2章からは違う視点で今ひとつでした。
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テレビの功罪はもちろん知っているが、それでもつい見てしまうもの。そこには構造的に人を購買に駆り立てる洗脳的な要素が組み込まれている。だが本書はそこにはとどまらず、むしろ副題の「脱・奴隷の生き方」の方にページを割いている。ベースにあるのは「コンフォートゾーン」という概念。自分の「コンフォートゾーン」を外れると、人は実力を発揮できず苛立ちを覚え、IQまで下がるという。自己評価を高く保ち、そこに至る上で自らに足りないものを常に意識することが大切。設定するゴールは暫定的なものでよく、そのうちに本当に自分が欲しているものが分かるようになる。「have to」から「want to」へ。日本人はもっと常識や押しつけられた価値感を疑い、自分が真に欲することをやるべきだという主張にはまったく同感である。
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テレビは見てはいけない 苫米地 英人
脳科学者、プログラマー、経営者など超人的な活躍をする著者の「本業」である、「脱洗脳」をテーマに著作した新書。
1章 テレビは見てはいけない
2章 脱・奴隷の生き方
3章 日本人はなぜお金にだまされやすいのか
テレビ(地上波)の矛盾や怖さ等を説得力のある解説で「見てはいけない」を主張します。(洗脳される)
人間の本来持っている機能「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」がテレビを見ることで書き換わり、それが洗脳と同等の効果であることを論理的に説明しています。
人間には「コンフォートゾーン(快適な空間)」と呼ばれる環境変化に適応するための幅を持っており、暑ければ汗をかき寒ければ毛穴を閉じるといった機能を「ホメオスタシス」が担っています。
「コンフォートゾーン」は物理的な側面だけでなく、心理的な側面ももっておりこちらも「ホメオスタシス」が制御します。
心理的「コンフォートゾーン」が帯域から外れると「ホメオスタシス」が戻そうとします。
以下要約すると、
「コンフォートゾーン」はずらす事ができる。
「コンフォートゾーン」を上にずらすと生き方を良い方向へ導くことができる。
「コンフォートゾーン」をずらすとそれまで見えなかった「スコトーマ(心理的盲点)」が見えるようになる。
「コンフォートゾーン」から外れるとIQが下がり、物理的にも心理的にもストレス状態になる。
「コンフォートゾーン」をずらさずに成功を目指すとモチベーションが下がったり、他人に与えられた目標の奴隷になる。
やりたいことを自由にやることで自然とコンフォートゾーンが上昇し、スコトーマが外れ見えなかったことが見えてくる。すると自分が知りたい知識が何なのか解り、知りたいという欲求からどんどん新しい知識が吸収できるようになる。知りたい知識があるのに知りえる状況が無い事は不快なのでそれを埋めるために、本を買ったり図書館へ行ったりして知識を取得し、満足する。
即ち、知識を習得するという行為も「ホメオスタシス」の一種である。
これは「禁煙セラピー」や「モチベーション3.0」「調べる技術・書く技術」と表現は違いますが、同じ事を示しています。
複数の本を読むことで別々の書籍の理解が深まることをはじめて実感しました。
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have toでなく、want toで生きる重要性をといている。今の日本は好きなことやっても、食いっばぐれることはない。
この世には、人殺し以外に、読まないといけない空気なんてない。ただし、自己責任で、、、
一番の投資は、教育。また、もの作りは、実体のあるものだけでなく、デジタルコンテンツやサービス業など仮想空間に対するものづくりも強化することが、これからの日本の生きる道には賛成。
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昨年9月に初版発行されたphp新書の1冊である。タイトルに興味をそそられ立ち読みしているうちに、そのまま購入してしまった。
著者・苫米地英人と云えば、オウム真理教事件とのからみで何度かTVメディアにも登場していた人物である。「オウム信者に対する脱洗脳を手掛ける脳機能学者」という触れ込みで、ヒーロー扱いだったことを記憶している。当時から関心は深かったのだが、以来彼の著作に向き合う機会などなくここまで来たのだが、つい先日、偶然にもこの新書を手にしていたという訳である。
一読した印象で云えば、「これは自己PRの書なのだな」との一言。表題に掲げている大仰なテーマとは裏腹に、本文中には「サイゾー」「キーホールTV」といった著者が関係しているメディアの固有名詞がちりばめられている。おいらがここでそのような固有名詞を記すことこそ、PRに加担することになるので甚だ心痛いのである。最小限度の記述にとどめたつもりだ。
高邁なテーマを表題に掲げながら、卑近なPR活動に落とし込むといった姑息な目的が透けて見えている。
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常識に洗脳されるな、というのが一貫した彼の主張。
その常識の多くを作っているのはテレビであるため、そんなもの、見てはいけない、という旨。
終始共感。
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テレビによって無意識に洗脳されている、という点は納得いくが、中盤以降テレビの話から飛躍し過ぎている。結局この本が言いたいのは「洗脳は身近な所で無意識に行われている」という事。なのに、題名と本文が合っていない。
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結局メディアに操られているから自分で正しい情報を得る手段を構築しておく必要があるしテレビに有益な情報を求めること自体効率の悪い事なのかもしれない。様々なパラダイムを持つ事は不可欠だなあ。
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ほんだらけで買った。テレビの功罪は前半のみ。「コンフォートゾーン」の話は面白かった。なんとなく思っていた事だったから。苫米地さんの本そのものを読むのは初めてだったから結構面白く読んだかな。
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"コンフォートゾーン"という捉え方は一つの真理。
その意「安全地帯」とか「快適空間」とか。
私が2年前と同じ生活サイクルであったら、『マラソン』とか『ジョギング』という世界とは無縁だったはずだ。皇居ラン云々やらジョギングシューズやら歩き方・走り方やら、近場のシャワー施設やら、多摩川沿い土手のことやら、は気にも留めない人生であったと思う。
10年以上お世話になった携帯キャリアを変えて、iPhoneにした理由も、「東京マラソンでTweetして走りたい!」という自己満足のため、であった。
全ては、自分の知っている世界を少しズラした結果だった。
自分の「安全地帯」即ち"庭"とズラすことで、今まで見えなかった世界が見えてくる、自分を変える最も楽な方法は、これだ。
苫米地なる人物は、なるほど、おもしろい話をする。彼の本を一つ読めばすぐわかる。みてくれは怪しい人なんだが、不思議と説得力があるのだ。
彼がうまいのは、"コンフォート"と"ゾーン"をくっつけて、「コンフォートゾーン」という言葉を編み出して、その言葉を著書に書きまくって結果的に口コミとかで独り歩きさせたり、「スコトーマ」とか言う謎めいた言葉を語ったりして、社会に定着させつつあるところだ。試しに、Google先生に「コンフォートゾーン」と入れると、苫米地しか出てこない。
「カリスマ美容師」ブームの火付け役とか、オウム真理教信者の脱洗脳の手伝いとか、キャッチーな肩書きも多用する。苫米地マーケティング、恐るべし。