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時代や言葉が古いので読んでいて情緒的に思えたけれど、これが現代のお話だったら「なんてだらしない男なんだ」と感じたと思います。多分。でもその雰囲気がすごくいい。宇野千代さんの名前はハンカチなどでも見るね。98歳まで生きた方らしい。すごい。
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良く考えれば両方破綻した夫婦関係の話なのだが、情感がせまってくる。
…なんというか、一言では言い表せない、人間。…厚いんだなぁ。と、感じた。
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私には主人公のようなおくゆかしさは無いので、旦那の浮気相手と一緒に住むなんて無理。
目の当たりになんてしていたくないし、自分を置いて浮気相手と逃亡生活を始めた時点で離婚すると思う。
勿論時代が違うので、そんな簡単にもいかないのは分かっているのですが…。
主人公は別に平気だった、回りが色々言うけれど、本当に大丈夫だった、というのなら、
まあ、「あなたがそういうのならいいんじゃないですか」という意味合いで納得はするものの、
正直共感するところはなにもなく。
ファンの方の評判をネットで読んでいた分には面白そうかもと思っていたのですが、
どうも私の好みには合わなかったようです。
女ってやっぱり耐えるしかないんですか?という疑問の残るような…。
振り回されて耐えて家を守るのが役目なんですか?という。
そういう時代と今は違うし、今は今で、主人公が馬主になっているシーンがあったけれど
そうやってむしろ旦那のためではなくて自分の趣味を謳歌することが許される時代なわけだし。女も。
私はきっとそうやって生きていくだろうと思うので。
主人公の素直さ、可愛さは良かったけれども。
本人は幸せだったようだけれど、報われないお話だなぁというのが正直な感想でした。
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「色気婆さん」と思ってなめてはいけない。小説家は「人形遣い」型と「イタコ」型に分けられるが、この著者は専ら後者。完全に憑いていて、なにか天然の恐ろしさがある。
例えば『風の音』のおせんはまさに天然で、自らの「悋気」(夫の妾に対する嫉妬)に罪責を感じながらも、無意識にそれを肯定しているふしがある。本人が意識しないからこそこの「悋気」はおぞましく、最後、夫の葬式で妾に白無垢の着物を着させるところで、それは炸裂する。女は怖い。
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「失恋するたびに号泣しながら近所を徘徊する恋愛上級者」「オリーブオイルが美容液のキュートなおばあちゃま」というイメージだった宇野千代。エッセイしか読んだことがなかった私にとっては初の小説作品となった。「おはん」も「風の音」も、どちらも登場する男は女房から離れて妾か正妻かよくわからない女と関係を保ち、いずれその三角関係(時に子どもを含んだ四角関係)は脆く崩れていく。女房の立場にある女の積極的なまでの受身さ(語弊ではない)が現代の感覚からすると異常に見えるけれど、「何も感じないでいること」とは、何も感じないでいようという強靭な意志がなければ出来ないことではないのだろうか。
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二人の女性を往き来する男、その先に待つ悲しい結果。およそ現代では想像し難いが、花柳界という背景のうえで成り立つ、他者の視線に翻弄されない人の自然な営みと思える。創作方言が異世界に誘ってくれる。
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宇野千代さん、の小説というのは読んだことが無かったんです。
「おはん」は市川崑さんの映画で知っていて。映画はとても面白かった。吉永小百合さんが主演している映画の中では、3本の指に入れていいのでは。
他は何かと言われると難しいですが。「キューポラのある街」…「細雪」…うーん。「戦争と人間」は主演とは言えないですしね。「愛と死をみつめて」…うーん。
吉永小百合さんって、ほんっとに傑作名作の少ない大女優さんですからね…。
閑話休題。
で、その原作です。「おはん」と「風の音」の2作が入っていますが、やっぱり「おはん」が圧巻でしたね。
ただ、「おはん」だけだと、薄すぎて一冊にならない(笑)。
宇野千代さんというのは、実人生が相当にとんでもない波乱万丈な人で。
もうコレは相当に凄い。ウィキペディアで見るだけでもすごい。
まあ、よかったらググってみてください。
と、いう訳で?小説でも、とにかく無茶苦茶な破綻した男女関係っていうか、そういうのが印象的でした。
物語の舞台は岩国。だそうですが、一人称の心理小説なんで、「西日本の地方都市なんだろうな」というのが印象。雑誌への連載開始が1947年だそうです。内容からすると、まあ、昭和初期か大正の設定だと思います。戦争の影は感じないので。
幸吉という男がいます。そこそこな商家の旦那さんだったようです。おはん、という女房がいて、悟、という息子がいました。なんだけど、息子が生まれる前にかな、この幸吉さんが、おかよ、という芸者と昵懇になって、出奔しちゃう。なんだけど、なんと狭い同じ町内に暮らしている。実家からは縁を切られている。今は芸者のおかみさんみたいになっている、おかよ。その、おかよの、ヒモのようにぶらぶら暮らしている。お金持ちじゃありません。まあ、落魄している訳です。暇だから知り合いの店の店番とかしている。
7年ぶりに、女房のおはんと再会します。で、男女の仲になっちゃう。息子の悟は、会わない間に小学生になっている。息子だ、父だ、と名乗れないけど、店番している駄菓子屋?にたまに息子がやってくる。息子は、このおっさんが父親だと知らない。息子が愛おしい。
という訳で、「捨てた女房と浮気している、しょーもないオトコ」ということになっている。お話はこの幸吉の一人称で語られます。
あらすじで言うと。幸吉は、おかよを捨てて、おはんと所帯を持ちなおそうと思う。密かに陰謀を進行させる。
密かに家を借り、密かに引っ越しをする。
なんだけど、その日に息子が崖から落ちて?事故死しちゃう。
もう人生、むちゃくちゃになる(もともとかなり、無茶苦茶なんだけど)。
おはんは、幸吉との人生を諦めて去っていく。おかよとぼんやり、元鞘で暮らす幸吉。おしまい。
おはんが、最後に幸吉に残す手紙で、「この月日が幸せでした」みたいなことが書いてある。
これがなかなか面白い。
幸吉というキャラクターが、どうにも、どうしようもなく優柔不断でくよくよして、いい加減で。そのくせ優しくて。気が弱くて。情に弱くて。そのくせ���怯で。責任感という言葉が辞書にない。
これが、どうしても映画を先に観ているので石坂浩二さんとしか思えないのですが(笑)、実にヒドイ人間。人間臭くて、気持ちが判る。
この辺の、弱くてずるくて情けなくて、というヒトの有様、見つめ方が、ちょっと谷崎潤一郎。
ここに、おかよ、という女の気持ち、生活感、強さと弱さが見え隠れ。
そこに、ちょっとSFなくらい、昭和な女で健気で儚い、おはんというキャラクターがかぶさります。
このおはんが、やっぱり、いちばん、自我が無い。なにがなんだかわからない。からっぽでただ、儚く流されて、世間と情のままに小さく生きている。
このなんていうか、意思の薄弱さというか、可憐さというか。この大いなる空白のような、受け身な女性が、受け身で空っぽな故に、運命を転がしちゃうんですね。
恐らく、宇野千代さんはゼッタイにおはんのような女性ではなかったんでしょうけど、この、近代文学の自律的意識というものがもっとも空白なキャラクターの創造が、この物語の「色気」「湿度」「はかなさ」みたいなものを産んでいると思います。だから、タイトルはとっても正しい気がしますね。
男女の、どろどろっていうか…たゆたうはかなさというか。なんかもうため息しか出ませんというしょうもないずるずるべったり感。
お話がぎゅっと来るのは、そこに親子のお話がかぶさるんですね。
幸吉もしょうもないし、おはんだっておかよだって、見方によっては、かなり、しょうもない。
なんだけど、そこに振り回される無垢の子供。その子供を抱きしめたい、幸吉の想い。
若くない、地位も名誉も財産もない。そんな男女のうごめきが、生々しくて、でも重苦しくなくてどこかふわっと…そう、色気がたっぷり。生きています。生きてるって、しょーがないよねー、と思わされます。でもそう思って読んでいるこちらは、コンなトンデモない愛憎男女家族劇な人生は、まっぴらごめんで、もっと秩序の中で生きてるんですけどね。ただ、どこかヒトの中にある、情と色気に流されるアナーキーさっていうか。そういう業が見事です。
一人称もふさわしいし、長さも切れ味も良い。
連載10年で本になったそうですから、相当な推敲と熟慮を感じますね。面白かったです。
ただ、もう一作の「風の音」。これはまあ、同工異曲で、「おはん」ほどじゃないんですよね。
簡単に備忘録にあらすじを書くと。
とある、地方都市。相当な田舎みたい。西日本。
隣街の金持ちのぼんぼんが、婿に来る。受け入れる嫁の側の一人称。
この婿が来たから、金に不自由しない。この婿がむちゃくちゃ。愛人を家に引き入れる。馬を飼って、馬に狂う。
この愛人が、お雪。主人公は、この、お雪と奇妙な同居生活。役回りは主人公=おはん、お雪=おかよ。
この愛人のせいで、夫は人を殺めて逃亡。留守を、息子と守る主人公。
15年経って、時効で夫が戻る。愛人お雪と一緒。また一緒に住む。10代になった息子が、今度はお雪に惑う。
夫が病気になる。病死する。なんだか息子がお雪と怪しい。おしまい。
と…いうお話。
なんだか、仕掛けが同じで、同じ文体。それは良いんですけど、女性一���称のせいなのか、構成のせいなのか。
ちょっとクドい。長い。心理的な展開が実は乏しい。
宇野千代さんは、ご自身で「おはんが最高傑作」と、他との差を認めているそうですね。
「おはん」は、男性幸吉の一人称小説なんです。なんですけど、これ、歌の「男唄」「女唄」とおんなしだと思うんですけど、宇野千代さんの心理だと思うんですよね。
「ふたりの異性の間で揺れ動く、しょーもない心理」。
これが、男女ひっくり返して、男目線で書いている。で、女の心理に入って行かない。ずーっと幸吉の一人称ですからね。
このおかげで、冗長になってないんじゃないかなあ、と。
自家中毒を起こしてないっていうか。のめり込みすぎてないというか。イイカンジに淡泊になっているというか。
あと、「風の音」に比べると、仕掛けがシンプルで判りやすい。ひたすら心理だけ楽しんで、余すところがない。
ちょこっとこう、神話。ギリシャ神話というか。そんな味わいまでします。
なんだけど、一方で、語り口というか、引っ張りというか、そういうのが、そんなに彩り豊かに豊穣な訳じゃないんですね。
それが、「おはん」くらいの分量だと、スキっとシンプルで、不満にならない。
なんだけど「風の音」になると、ちょっと長いから、ダルくなってきちゃう。
そんな微妙な印象です。「おはん」は、おすすめ。
…なんだけど、市川崑さんの映画で十分に世界としては表現しきれちゃってるのかも、ですね(笑)。
やっぱり市川崑さん凄いなあ…。
おはん=吉永小百合さん。幸吉=石坂浩二さん。おかよ=大原麗子さん。もう、このビジュアルで読んじゃいました。それは、逃れられないよなあ…。
だから「おはん」は読み易かった、と言われれば、否定できません(笑)。
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岩国に旅行に行くことになった。
宇野千代は桜のハンカチなどを持っていたが、読んだことはなかったので代表作を。
あの時代らしい、自分勝手な男とおとなしい妻と気が強い妾の話が2編。
妻はどちらも育ちが良く控えめだけれど、作者自身は恋愛に奔放というか自分の心に正直なのが面白い。
この時代の女流作家って、私生活はエネルギッシュな印象。
因みに宇野千代生家は苔の庭がとても美しかった。