紙の本
自分の頭で考えることの重要性を述べる、生きるために読む書
2003/03/23 01:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミホ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「イデオロギーとは宗教のようなもの」と橋本は言う。そしてすべての宗教/イデオロギーが危険なのではなく、危険な宗教/イデオロギーは危険だ、ただそれだけのことえある。橋本治は、この当たり前のことが理解されていないと嘆く。
日本人は宗教が苦手である理由も、橋本は明快に説明してくれる。
日本で初めて宗教(仏教)を弾圧した織田信長の登場以来、日本では宗教が力を失った。儒教は人間関係の道徳を説く現実に即したismだ。かたや仏教は、江戸時代、寺と檀家という、町の役場と住民の関係と重なる現実の支配制度として使われた。つまり宗教としての超現実性を失ってしまったのだ。明治以降戦中までの神道についてはどうか。徳川時代に体制に組み込まれた仏教を敵とみて、「廃仏毀釈」して、支配的になったのは天皇家の信仰、神道だった。仏教を、日常・土俗的なものとしてしか捉えていなかった国民に、神道が広がったのは「免疫のない人間にエボラ出血熱が広がるようなものだった」という喩えは言い得て妙すぎる。
橋本曰く、宗教には2種類あって、社会を維持するための宗教と、個人の内面に働きかける宗教がある。上は前者の宗教についてのことだ。
じゃあ、個人の内面に働きかける方はどうかというと、日本ではこちらがすっぽり抜け落ちたまま、近代を迎えてしまった。個人の内面に働きかけるとは、私とは、世界とは何かと自分の頭で考えるようし向けることなのだが、日本人はこれがとっても苦手。孤独に耐えて自分で結論を出すまで至らない。手近なismを信じてしまう。多くの大人にとっては会社教であり、ある若者たちにとってはオウムである。この“宗教”においては教えの定めにただ身を委ねればいい。社会安定維持型の宗教だ。不幸にも、日本ではこちらばかりがはびこった。
内面に働きかける宗教とは何か。仏教とキリスト教だ、と橋本は言う。キリスト教を切り捨てて成立したのが西欧の近代であり、欧米で信仰をもつということは、自分で考えて信仰を選び取った、ということである。仏教は、そのように日本では受け取られていないが、その起こりは「自らがみずからであることを獲得していくための思想」だったというのが橋本の見解だ。
「自分の頭で分かったことが確かな真実であるということを決定するのは、自分自身以外にはない」というのがブッダの悟りだった。だから、誰が決めたのか分からない「輪廻転生」などという宇宙の法則を無条件に肯定している限り、自分の人生は自分自身のものだ、という事実は訪れない。仏教はだから神よりも、真を得た人間=ブッダを上に置く。仏教は、個人崇拝ではなく、生きるための思想なのである。
仏教を信じろ、と橋本治は言うわけではない。自分の頭で考えろ、と言うために、宗教なりオウムなりを持ち出して、私たちに考えさせようとしているわけだ。自分の頭で考えるには、孤独に耐えなければならない。自分の頭で考える子供は、学校になんか馴染めないだろう。会社からも排除されてしまうだろう。それでも、家に引きこもっていてはその孤独な作業は続けられない、というのが橋本治の考えだ。
家族がいかに居心地が良くても、家族は閉鎖された集団の一つにすぎない。家族の外にノーマルな人間関係がなければ、人間は家の外へ出て行けない。ありふれた、ノーマルな人間関係を作りやすいのは労働の場所だ。会社ismにどっぷりつかるのでない、労働の場所に自分の居場所を作ること。それがないと、自分の頭で考える作業を続けることは出来ない。
パラドキシカルだけども、極めて現実的な、生きるための方法論だ。この本を必要としているのは、教養としての宗教を学びたい大人ではない。世界に違和感を覚えている若い人ではないか。
紙の本
まさか泣くとは思わなかった
2002/06/11 16:20
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投稿者:ひめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやー、ものすごい情報量です。ちょっとずつ時間をかけて読んでも、いいんじゃないでしょうか。それだけの価値はあると思いますもの。
特に、今なんか悩んでいる人に、オススメ。
「なかなか答を出せない自分には、なにか“欠陥”があるのかもしれない」
はい。これに対するはっきりとした回答があります。
わたしゃ泣きました。自分でもバカだと思いましたが。でもどうしようもありませんでしたよ。
他にも、仏教やキリスト教に関する、外側からの乱暴なくらい大まかで、でもわかりやすい概要があります。
この本をはじめの一歩にして、いろんな書籍の度をするのもおもしろいでしょう。
そーゆー気にさせてくれる一冊です。
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対新興宗教の本です。宗教について橋本治が熱く語っているので、ムカつくか心酔するかどちらかになるような気がします。ちなみに私は、結構ムカつきました(笑)だってタイトルからして「いや、宗教はコワイよ」と突っ込んでしまったので。でも生産を奨励する宗教と、奨励しない宗教って考え方は、なかなか面白かったです。
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結局この本が言いたいのは、宗教なんてもう要らない、自分の頭できちんと考えれば宗教なんてなしでやっていけるはずだ、ってことですね。
しかし橋本治おそるべし・・・オウム事件真っ只中で「麻原しょーこーはどこに隠れているか」に対して、富士山麓の地下で巨大化して卵を産んでいる。卵の大きさは90cmぐらいで一つ一つがみんな”あの顔”で、毛が生えてて・・・ってどんな想像やねん(−−;気持ち悪すぎる(w。それ以上にキモチワルイ想像が「あさはらしょーこーってね、人に近づくとき、あの顔を寄せてクンクン匂いをかぐんだよ」って(−−;めちゃくちゃやー。気持ち悪すぎるー
ちゅーそんな感じの本です。実家へ
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「オウム真理教事件を契機に、日本人が本当の「近代」を獲得するために橋本治が宗教について真っ正面から取り組んだ話題の本、ついに文庫化!新潮学芸賞受賞作。 」書評より
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私もよくジャケ買いをしますが、この買い方って多いと思うんです。それを考えると、この著者がどれだけ捻くれているか、よくわかりました。宗教なんかこわくない!
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橋本さんが宗教について語っています。
自分も自己啓発本という名の宗教に嵌っているかもしれないので
それを客観的に自己分析するための道具として読んでいます。
宗教は自分で頭を使う事が出来ない人のお守りみたいな、
また自分で色んなこと考えるために宗教に入るという文章には
なるほどな〜と思いました。
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オウム信者は麻原に田中角栄をみた。孤独な官僚たちは田中に人間関係の心地よさをみた。
日本人は、宗教は信じるものだから難しいものではない、哲学は考えて勉強するものだから、難しいと信じている。
日本人に一番必要なのは、宗教ではなく、自分の頭でものを考えるという習性。
自分の頭でものを考えられるようになること。日本人は真面目になろうとすると、無意識に自分の内に宗教を求める。
宗教は生産をしない。
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橋本氏の書かれた本。例のオウム事件について書かれたものですが、
彼の仏教への理解の仕方は私は好きです。
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宗教と経済の関係性を独特の視点で教えてくれる。生産を奨励しない宗教と、生産を奨励する宗教。人間関係の基本はやっぱり労働の場所にしかないのダと納得の一冊。
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橋本治の宗教なんかこわくない!を読みました。オウム真理教の批判をベースにはしていますが、一般的な宗教論です。友人に勧められたのですが、結構面白く、一気に読んでしまいました。宗教には「内面に語りかける宗教」と「社会を維持する宗教」の2種類がある、とか、オウム真理教の犯罪は「子供のしでかした犯罪」である、などの面白い主張が展開されています。
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宗教とは、現代に生き残っている過去である。宗教が難しいのではなく、宗教を論じるために必要とされる「歴史に関する知識の量」が膨大だから、宗教を論ずるのは大変なのである。――本文より
『宗教なんかこわくない!』なんて、まさに「いったい自分は、どんな因果で宗教がテーマのゼミに入ったんだろう・・・?」と思っていた私にぴったりのタイトルではないか! と、借りて読みました。読みました。一字一句残さず読みました。
・・・が。あまり読んでいて楽しい本ではありませんでした(だから、敬語でこれを書いているのである)。というか、言わせてもらうとですね、私はとてもこの本が気に食わなかったのです。むっとしたのです。
この気持ちをどう表現したらいいものか・・・。
私は橋本氏の本を読むのはこれが初めてなのだけど、なんというか・・・すごく、「馬鹿は馬鹿だから放っておけ」と作者が言っているような気がしたのかも、しれない。あるいは、「馬鹿は何を言っても無駄だ」という風に、私には受け取られたかも、しれない。
確かに、何をいくら説明しても、わからない人はわからないだろう。自分でものを考えようとしない人だって、人の話を聞こうとしない人だって、たぶんこの世には掃いて捨てるほどいると思う。
けれど、やっぱり、そんな人たちだって、苦しくないわけではないと思うのである。鈍感だからって、痛みを感じないわけではないし、誰とも関わらずにいられるからって、全然寂しくないわけでもないと思う。
私だって、そういう人たちのことを、時々許せなくなることはある。人の痛みをもっと知れ、人の気持ちを考えろと言いたくなることもある。けれど、だからって、そういう人たちのことを考えるだけ無駄だ、だから自分や社会はそういう人たちみたいにならないよう、賢くなればいい、とは思わなし、思えない。
なぜなら、賢いことも辛いけど、賢くないことだって、辛いからだ。私は数年前の自分を本当に幼かったな、考えが足りなかったな、と思っている。あんなこと考えてたなんて馬鹿だな、と思うこともいっぱいある。けれど、そのことを恥ずかしいとは、あまり思わない。むしろ、あのときの無知な自分を大いに慰めてあげたいな、と思うのである。無知は無知なりに、苦しいこともたくさんある。それゆえ、愚かなこともたくさんする。
だからって、誤った道に進んでいいと言っているのでは、もちろんない。私が言いたいのは、人は急に賢くなれない、ということ。賢くなるには時間がかかる。だからある程度まで「自分で考える」ことが身につかない限り、馬鹿なこともいっぱいする。そして、そういうときの「馬鹿なこと」をしている間というのは、本人にとって、真っ暗なトンネルにいるような気がしてしまうものだということ。いつが出口なのか、いつ抜け出ることができるのかも、わからないということ。たとえあと数十メートル先に出口があるとしても、本人にとっては、今この時が全てなのかもしれない、ということ。
つまり、私がこの作者に言いたかったのは、「あなたにはこういう暗闇で手探りする時期の、あの苦しさを忘れてしまったのか?」ということな��かもしれない。
でも、本文の中に、暗中模索することについて触れていると思われる部分だって、ちゃんと書いてあったはずだ。それでも私が読後にこう思ったということは、そのくだりの書き方に、やっぱりどこか引っかかるものを感じたのだろう。
うーん・・・。あまりに長くなりそうなので、感想を書くのは、ここらへんでやめておく。
それでも私がこの本を☆2つにしているのは、やっぱりなんだかんだ言っても優れた論も書かれているからで、読んで「なるほど」と思うこともいっぱいあったからなのである。
でも、やっぱりすっきりしない。やっぱり、今思い出しても、ちょっとむかっとする。
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誰にも真似できない、橋本治さんの宗教論。オウム事件から宗教をあぶり出して、安易に批判すると思いきや、仏教の知識はかなりのもの。彼の宗教の考え方がとても好きです。
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宗教だけでなく、思想についても全く染まらず、自ら考える癖をつける必要性を感じた。
ネトウヨのような権威主義的パーソナリティの持ち主や、左翼のように現実を無視した理想論などに注意して対応したい。
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橋本治が、オウム真理教事件について語った本。
オウム真理教事件について、著者はその「幼稚さ」を指摘しています。麻原彰晃のお面をつけた選挙運動から、彼は「権力者」になりたかったのではなく、「人気者」になりたかったのだ、と論じ、さらに彼の語尾の下がる話し方から、この人は「人と対等に話をする」ということをしてこなかった人だ、と喝破します。
ただし、麻原やオウム信者の「幼稚さ」を指摘するのは、それほど独創的な主張ではありません。著者の独創性は、そこから翻って、このような麻原やオウムについて私たちが「分からない……」とつぶやくしかなかったのはどうしてなのか、という方向へと問いを向け変えるところにあります。この問いに答えるために、著者は日本史をさかのぼり、日本人が「宗教」というものに対して及び腰になった理由をさぐっています。
著者の議論は、ときにオタク・バッシングと見まごうような様相を呈することがあり、宮崎勤事件からオウム事件に至るまでのオタク・バッシングの渦中にあった人たちにとっては、こうした語り口に対して心穏やかではいられないということもあるのかもしれません。ただ、著者が批判しているのは、オタクであれ非オタクであれ、他者に対して無際限に自分を承認してほしいと要求する厚かましさに向けられているのだと、個人的には理解しています。