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産後 金原氏の作品。
試着室(?)とかの短編はよんだことあったけども、今回は母という肩書きで母を題材にしているので、随所にとても説得力がある。
子どもという逃げられない存在から必死に足掻く女でいたい母たちのお話、かなと自己解釈。泣けます。
3タイプの母を自分自身とダブらせながら読むのが好き。
「わたしもこうなってしまうのではないか?」
という疑問と
「女の思考回路がばれてしまう!」
という不確定な杞憂を抱きながら読みました。女性なら一読の価値アリ。
金原作品には珍しく、男性にも読んでいただきたい作品です。
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自分がいないと生きて行けない者の圧倒的存在感から受ける、大きなプレッシャーと責任感と自己肯定感と。共感する箇所多々あり。
ドラッグや不倫や虐待に向かう者と向かわない者を分かつのは一体何か。夫の理解、協力なのか、実家の助けなのか、本人の資質(母性と称されるもの)なのか。
深いテーマの作品。ある程度自分の子供に手がかからなくなったから最後まで読めたけど、妊娠中とか子供が乳児だったら脱落したかも。この作品を読んで男性はどう感じるのか興味がある。
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私はモデルでもないし作家でもないし、
クスリもやらなければ不倫もしなかった。
そして虐待も。
だけど子供を2人育ててきた上で
悩みにぶつかったり「なぜ私ばっかり」と思ったことも
多々あった。
ちっとも何も悩まずに苦しまずに子育てできる人って
いるのかな。
よく雑誌で素敵な奥さんライフを紹介している
女優やモデルや素人さんがいるが
あれはきっとうわべだけなのだ。
みんな何かしらぶち当たっているはずなのだ、あの時期は。
金原さんは残酷なことをズバズバと書く。
もうここら辺で…と言うことをしない。
たたみかけるような叩きつけるような長台詞が続く。
読んだ後は疲れと重いため息。
そして判らないでもない若い母親の苦しみ。
これは是非「男性」に読んで欲しい。
結婚を考えている男性とか、子供が出来る前の旦那さん。
怖いけど読んで欲しいな。
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子を身籠ったこともない私の胸を締めつけるこの痛みは何だろう。母性とは何か。愛とは何か/追:マザーズを読み終えて男の育児感に触れる機会が増えた。女が背負う子がいれば男はそれを見守るしかできないこともある。「性」は平等ではない。
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子供を出産した時からは母にならなければいけない女性は大変なものなのです。
子供をお腹に宿している時の幸福感ももちろん味わえましたし、母になる為の準備の過程から出産と同時に母という役割は永遠に続くのです。そう一生。
でもその子には自分しかいません。自分の血と肉で生み出したからには。だから肉親なんです。共に成長しましょう!自分も大切です。でも掛替えのないものの存在がこれ程に迄愛おしいと思わせてもらった時きっと母子共に成長しています。
三人が三様で、子供と向き合う姿が同じ感情だったなあと懐かしくもあった。
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筆者も母親になったそうで。前半は割りと普通の展開だと思ったけど、途中からやっぱり怖かった。でも金原ひとみの本にしては普通に寄った作品なんじゃないかな?
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傷つき、絶望し、もがき苦しみながらも我が子を愛さずにはいられない母達の大いなる愛に圧倒された。
間違いなく金原ひとみの最高傑作。
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1段落が長いのにぐいぐい引き込まれる
小説??エッセイ??ノンフィクション??て思うほど生々しく
めちゃ色んなことを考えさせられた。
またこの本の書評(色んな人が今年の本で選ぶのも納得!!)も読みたいし
自分が母親になったとき読み直したい。
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読んでいて苦しかった。
自分の子育て時期を振り返り、共感できる部分があったからだ。
ぎゅっと抱きしめたくなる愛おしさとイラつき、憎しみは紙一重なのである。
誰にも頼れぬまま、24時間、常に赤ん坊の我が子と向き合い、睡眠不足、疲労、焦燥と闘いながら育児に明け暮れる。
お母さんになった金原さんだからこそ描けたリアルさは、現代の閉ざされた育児環境の象徴でもある。
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初めて我が子を抱いたとき、世界は自分と、この子のためにあるのだとさえ思ったはずなのに。世界中の祝福が二人にそそがれているとさえ思えたはずなのに。
どうしてこんなにも追い詰められていくのだろうか…
先に読んだ『なずな』の絶対的な幸福感とのギャップにしばらく心のざわつきが収まらなかった。
この世のすべての閉じた母たちに伝えたい。あと、3年がんばれば世界は開ける、だからがんばれ。と
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自分は母親になれないと思った。母親はすごい。
結婚したら、旦那に読ませるといいかもしれない。
金原さんの本は文章が自分にフィットしてするする読めてしまう、夢中で読みました。
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内容(「BOOK」データベースより)
同じ保育園に子どもを預ける三人の若い母親たち―。家を出た夫と週末婚をつづけ、クスリに手を出しながらあやういバランスを保っている“作家のユカ”。密室育児に疲れ果て、乳児を虐待するようになる“主婦の涼子”。夫に心を残しながら、恋人の子を妊娠する“モデルの五月”。現代の母親が抱える孤独と焦燥、母であることの幸福を、作家がそのすべてを注いで描きだす、最高傑作長篇。
→こどもを産むことが、とても怖いと思った。
どんなメッセージがこめられているのか、わからず。子供をうんでみないと理解できないんだろうか、、
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@tooorisugariさん
以下、ブログよりレビュー
黒夜行
http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-2143.html
内容に入ろうと思います。
本書は、三人の母親が、それぞれの人生の中で、子育てというとてつもないものと向き合い戦う物語です。
小説家であるユカは、高校時代からずっと自堕落な生活を送っていた。クラブに顔を出し、クスリをやり、男を漁る日々。ギリギリ10代で結婚し、作家になったユカは、何故か家を出ていった夫と、週末婚という形で結婚生活を維持している。
娘の輪は、そんな母親の元で、きちんと育っている。ユカも、子どもが生まれた当初は相当に苦労した。今では、それなりに適当でいいこと、家事の手伝いやシッターさんを雇っていることなどで、輪の子育てに以前ほどは強いストレスを感じないでいられている。
とはいえ、まだクスリとは縁を切れていないし、旦那と週末婚という歪な状況であることには変わりない。
涼子は、ごく普通の専業主婦だ。母親がちょっと面倒だったり、旦那が子育てに協力的ではないなど、それは色んなことはあるが、涼子を取り巻く状況は極々一般的だろう。
涼子は、子育てに追い詰められている。
子育てを取り巻く環境が、これほどまでに厳しいとは、予想もしていなかった。まともな睡眠は取れないし、抱っこのしすぎで腕が腱鞘炎になるほど。一弥は言うことを聞かないし、まだ喋れる年齢でもないから、意思の疎通もまるで出来ない。旦那は、自分では子育てに協力的だと思っているが、実際は口を出すだけで何もしてくれない。私がこれほど大変な目にあっているという現実をまるで知らないで、ただ聞こえのいいことばかり言って私のことを責めるばかり。
このままでは体力・気力的にもしんどく、自分の時間もまるでないと感じた涼子は、保育園に預けることを決めるが、自分に話をしないで勝手に決められたことに憤慨する旦那から、保育園なんかに預ける必要はない、などと言われてしまう。あなたには、私がどれだけ大変な目にあってるかわからないのよ。
五月は、一流シェフと結婚し、子どもが生まれてからもモデルの仕事を続けている。表向き、ママモデルとして幸せな感じを演出しているが、実際は夫と家庭内別居に近い状況になっている。五月には、夫のことがまるで理解出来ない。子育てに関する考え方の違いから、それ以上言うと離婚するぞと夫に言われ、それ以来夫とはほとんど会話もない。一人娘の弥生は、両親の不仲を察知して、自分が明るく振る舞うことで場を和ませようとしてしまうところがあって、五月には何故だかそういうところが癪に障ることがある。とはいえ五月は弥生のことを愛しているし、あまり手が掛からなくなってからは負担も減った。
五月は、高校時代の友人である待澤と浮気をしている。
夫はもう自分に関心がないものだと判断した五月は、いけないと思いつつ、心の安定や平穏のために待澤を必要とした。待澤といる時は、弥生や夫のことを考えないで済む。
そんな三人は、ユカと涼子が高校時代からの知り合い、ユカと五月がとあるパーティで顔見知りとなり、また三人全員が同じ保育園を使っているということから、次第に互いにやり取りが生まれることになる。それぞれまるで環境の違う三人は、それでも子育てという難事業を共通項として、お互いと深く関わっていくことになる…。
というような話です。
この作品は、評価に困るなぁ。
とにかく、凄い作品でした。子育てという現実を、こんな形でくっきりと描き出した小説というのは、なかなかないのではないかと思います。
子育てというのは、ただ子育ての苦労、というものだけではない難しさがある。それは、女性としての生き方の話とは切っても切れない話で、本書では、子育てというモチーフを徹底的に深く抉ることで、女性として生きるという現実を切り取っていく。
その部分は本当に凄いと感じた。詳しいことは後でまた書くけど、とにかく凄い小説であることは間違いない。
しかしその一方で、この作品はどうしても僕には遠い。それは、僕が男である、という事実とはまた別の理由がある。
結局のところ、今の僕にとって子育てというのは、ブラジルで行われているサッカーの試合ぐらい遠い存在なのだ。
本書は、『子育てをした経験がある人』『子育てをしている人が周りにいる人』『子育てというものについて、自分の問題であるという意識で真剣に想像をしたことがある人』にとっては、物凄く抉られ、物凄く響く作品なのだと思う。とにかく、『子育てという現実や想像と、真剣に向き合ったことがある人』には本当に読んで欲しいし、そういう人にこそこの物語は届くだろうと思う。
でも、僕はそういう人間ではない。子育てをしたこともないし、子育てをしている人が周りにいるわけでもないし(ただ、これは少しずつ増えてくるだろうけど)、子育てというものについて想像してみたこともない。それは、少なくとも今の僕にとって、エスキモーの日常とか、深海に住む生物みたいに、あまりにも遠い対象でしかない。
だからこそ、僕は本書の凄さを体感することは出来るのだけど、この作品を理解できるとか僕の心の奥底に届いた、という風なことは言えない。この作品は本当に、どういう立場から読むかによって感じ方がまるで変わる作品だろうと思う。
『子育てという現実や想像と、真剣に向き合ったことがある人』であれば、男女ともこの作品に打ちのめされるだろう。とはいえやはり本書は、圧倒的に女性にとって強いインパクトを与える作品だろうと思う。
以前僕は知り合いの女性二人と、今の日本で子どもを産んで育てることについて、という話をしたことがある。その時のことを思い返すと、やはり女性二人と僕の間の温度差は相当なものだったと思う。女性にとって、子どもを産み育てる、ということは、『子育て』という単語で簡単に括られるような対象ではない。それは、女性としてどう生きるかという大きな命題であって、それは子供を生むことに興味があるとかないとか、自分がどういう環境にいるかに関わらず、ありとあらゆる女性を等しく包みこむ深さを持っている。
本書には、非常に惹かれる文章が多々あって、後でそれぞれ抜き出すつもりだけど、今ここで一つだけ抜き出してみます。
『男は、女性が陥ったら欝になるような状態で生きているのだ。女にあって男にないものは、自分自身の胎内にありながら自分自身を大きく左右し、人生をも大きく���えてしまう抗う事のできない絶対的な存在だ。女は成長過程で思いのままにならない体や現実を受け入れ、その条件下で生きていく術を身につけていくのに比べて、男は絶対的なものが自分の胎内ではなく外にあると思い込むから、幻想を追い続けながら生きていく事ができるんじゃないだろうか。でも私もいつか、自分の中にある絶対的な存在を、失うかもしれないのだ。』
この文章は、まさにそうしたことを書いていると思いました。男にも、自分の内部にはないにせよ、外部にはそういう絶対的な存在というものを見つけることは出来るだろうと思う。出世、なんかはそういうものになるのかな。でも男の場合、そういう絶対的な存在から逃れられないわけではない。それは、社会の中で形成されているある種の合意でしかなくて、男が絶対的だと思い込んでいるだけのものに過ぎない。
しかし女性の場合は、子供を産む産まないに関わらず、その絶対的な存在から逃れることは出来ない。逃れようとすれば、男以上に激烈な状況を進まなければならないだろう。そういう、女性にとっては逃れようのない絶対的な存在というものを、本書は本当にグリグリと抉り出していく。子供を育てる、という小説は、きっと世の中には多く存在するだろう。子供を育てることが、女性の生き様に関わってくる、という展開の物語だってたくさんあるはずだ。でも本書は、そういう作品とは比べ物にならないほどの強さを持つ。
その理由の一つが、本書のさらけ出しっぷりではないかと僕は感じています。
この作品では、子供を育てる三人の母親が、自分の心情を恐ろしいまでにさらけ出す。恐らく、近しい人間でさえその本音を聞くことはほとんどないのではないか、と感じさせるほど、子育てというものにまつわるかなり濃密な本音がどんどんとさらけ出されていく。
本書は、そこかしこにそういう本音がちりばめられているのだけど、とりあえず僕がこれはと思った文章を抜き出してみます。
『言葉を獲得していく事によって、輪が人間的な人間へと去勢されていく姿を見ていると、自分を肯定されているような気になるのかもしれない。』
『今自分が感じている育児の苦しみや喜びを共有できない人と、私はもう有益な関係を築けないような気がするのだ。』
『あの、壁をぶち破って土足で踏み込んでくるような赤ん坊の乱暴なコミュニケーションに慣れてしまうと、大人同士の関係が如実に快適で楽で虚しいものかが分かる。』
『女は女を見るとまず自分よりブスか美人かを気にする生き物だ。そしてどこか一つでも外見に自分より劣った点を見出せなければ、その相手とは決して仲良くなれない。』
『待澤は、女が母になる事の意味を分かっていない。』
『ここまで苦労をしてあれほど労力をかけて、ここまで育ててきたのにすべてが水の泡になってしまうという、そいういう思いだった。』
ちょっと最後の文章は、ネタバレも絡むんでぼかしてみました。
どうでしょう?特に世の中の結婚している男は、奥さんのこういう本音をたぶんまるで知らないだろうし、耳から聞いたってきっと理解出来ないだろうと思うんですね。
本書で描かれる、そういうブレーキなしで描き出さ��るさらけ出しっぷりが、ちょっと他の作品にはない強さを兼ね備える理由なのではないか、という気が僕はします。
本書は、子供のいる男が読んだら、またそれはそれでかなりしんどいんだろうなぁ。本書は女性の生き様を抉る作品だけども、同時に男にとっては、男の寄って立つ場所からはなかなか見えない(あるいはただ見ようとしていない)暗い現実みたいなものを突きつけられるわけで、相当しんどいだろうと思います。こういうことを知らないでいたからこそ、男は無神経でアホみたいなことを安全地帯から言うことが出来るわけで、こういう現実の一端でも知ってしまったら、もうそういう態度ではいられないのだろうなぁ、という感じがします。
なんか、凄く色々書きたい気がするんですけど、さすがにこの作品については、深いところまで触れると色んな意味で火傷しそうな気がするんで止めておこうと思います。個人的には、作中で最も普通の環境にいる母親である涼子の物語が、子育てをする家庭のどこにでも起こりそうな感じがして恐ろしかったです。あと本書を読んで強く感じたのは、本書で描かれているのは、何百万分の三、あるいは何千万分の三なんだろうな、ということです。みな一人一人、違う現実と闘っているんだろうなぁ、と考えさせられました。
僕個人は、さっきも書いたような理由でちょっと打ちのめされるほどまではいかなかったのですけど、でも凄い作品だということは理解できます。『子育てという現実や想像と、真剣に向き合ったことがある人』には、男女問わず読んで欲しい作品だと感じました。
金原ひとみ「マザーズ」
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久々の金原ひとみ。
読み始めてから、「あぁ、この人、こんな感じだったなー」と独特の世界観を思い出しました。
最初、作品を手に取ったときは「金原ひとみが母子もの?」と不思議でしたが、読んでみると、まぁ普通の親子ものではまったくなかったですね。
クスリを常用する小説家、結婚の理想と現実に悩む主婦、不倫相手の子を身ごもる有名モデル。
彼女たちに共通するのは、皆それぞれのかたちをとりながら子育てをしているということ。子どもたちがたまたま同じ保育園に通っていたことが縁で一見交流を深めていくように見えますが、嫉妬、裏切り、羨望、妬み、虐待、過去・・・と、3者の想いがそれぞれの視点で代わる代わる語られます。
読んでいて、誰に一番なりたいか。でも実際は誰に一番なりやすいか。
いろいろ考えてしまいました。
特異な女性たちばかりに思えてしまいますが、
こんなことってきっと世の中にはたくさん転がっているんだろうなーとも思いました。
平日、1人部屋でこれを読んでいたら、ものすごく鬱屈した気分になりましたが、最後それぞれの道を見出せたのがよかったと思います。
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自分にもこんなふうに思い詰めていた時があったな、と思い出した。
ユカや涼子や五月のように徹底的に壊れはしなかったけど、
普通に育児していく人と色んな意味で一線を越えてしまう人の違いって
ほんの少しなんじゃないかなと思った。