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山伏としての修行を積んだ大鷲坊が、故郷の村に帰ってくるところから物語は始まる。村の様々なやっかいごと、もめ事、事件を解決していく連作短編。
読みどころは東北(山形県と思われる)の村人たちの日常や風習、訛りをそのまま活かした会話だ。はじめ取っつきにくいが、村人の発する言葉が不思議と心に残る。
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091128(s 091230)
100309(n 100524)
100512(n 100629)
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2回目の読了。
山形県庄内地方の山伏を題材にした小説。
昔のガキ大将だった鷲蔵が数々の修行を経て大鷲坊として帰った来た。村人との様々な触れ合いを通じて次第に欠かせない“山伏ど”になっていく。
藤沢さんか「ほとんど恣意的なまでにこだわって書いている」と言うように、会話はほとんど荘内弁で、これも魅力の一つとなっている。
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日本で暮らしていたときも、藤沢周平についてはあまり知っていなかった。偶然、書店でこの本を見て、これだ!と思って、買って一気に読み済ました。作品の背景も好みだが、この主人公は本当に優しく、ヒューマニストだと思った。
韓国に紹介されたらいいな。。。
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庄内地方の村に現れた怪しげな、しかし親しみのある山伏、大鷲坊。実は子供の頃もその村に。一寸エッチで愛嬌のあるその姿は健康的な日本の農村(江戸後期?)の微笑ましさを楽しく語ってくれます。足萎えの娘を心から癒す、不倫の発見から恐喝になった村の事件の円満解決、冴えない独身怪力男の嫁取り助けと狐憑き娘の解放、人穫いの幼児を追っての羽黒三山中の追尾行、そして幼なじみの若い後家とのロマン、楽しい本です。著者の作品は庄内弁を忠実に言葉で書き表し、読んでいるうちに自然と東北弁の世界にはまっていくのも楽しいものです。
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鶴岡近郊の農村を描いた作品。物語の舞台は北国だが、明るくあたたかい。主人公の大鷲坊がなかなかに魅力的だ。エンディングも微笑ましい。
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あとがきでも触れている通り、全編庄内弁で綴られているのがとても印象深い。
東北出身ならわりとすんなりと、訛りがゆえに生き生きと人々の暮らしや考えが入ってくる。
Kindleにて
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とっても良かった。
村人たちの暮らしと、山伏の登場。
分かりやすい善悪の中で、みんな生活のために決して怠けたりしない。
昔の話は武士とかよりも村人の話の方が好きだなあ、と改めて思う。
読んだ後に、胸が洗われた気持ちになる、素敵な短編集。
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2021年の今、読み進むうちに以前読んだような記憶が浮かんできた。
このブクログで探ってみると確かにかつて読んでいた。2016ねんに。
感想も今と同様で
「石坂洋次郎さんの
「石中先生行状記」が思い出された。」
となっている。
石中先生〜は津軽の人々を描いて
「春秋山伏記」は山形。
どちらも東北の厳しい冬の中で育まれる人々の生活を描いていて、そしてどちらもほんのりエロチックである
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ついつい読み進んでしまうリズミカルな会話文と、強い訛りが印象的。世俗と聖の中間をいく山伏のあり方が、とても身近に感じられた。
貧しい農村を舞台に、男女の仲や親子関係、金の話など、人間臭い生活が生き生きと描き出されている。
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藤沢周平さんには珍しい土俗的小説です。
庄内藩の山里を舞台に、里山伏を主人公にした5つの連作短編集です。
里山伏とは、村里に住み着いた修験者のことで、村々の鎮守社や勧請社などの司祭者となり、拝み屋となって妻子を養い、田畑を耕し、あるいは細工師となり、鉱山の開発に携わる者もいたそうです。
かつては村の鼻つまみのガキ大将だった鷲蔵が、羽黒での修業を終え、立派な里山伏・大鷲坊として村に帰って来ます。その大鷲坊の元には村で起こる様々な問題が持ち込まれます。足萎えになった娘、乱暴者の嬶の浮気、村に恨みを持つ若者の帰村、力持ちだがどこか女々しい寡(やもめ)の嫁探し、狐憑き。大鷲坊は噂を集めてその原因を探ったり、祈祷などで問題を解決して行きます。
ちょっとミステリー風の仕立てで、土俗的な軽いエロティシズムもあり、おおらかで柔らかく、温かなユーモアのある物語です。
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青年山伏が主人公の、そこはかとないユーモアが漂う時代小説。
こういうのを成功させるのは難しいんだろうなあ。
そして成功させているのは藤沢周平ならでは。
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藤沢周平は私にとって身近な作家ではなかった。
ドラマや舞台、映画でいい作品だなあと思ったらそれが「藤沢周平」の作品だった。
どこか山本周五郎に似た感覚が感じられ
そして、庄内出身の作家と知り、さらに肌に近くなっていった。
庄内は羽黒に代表される修験の地域だが、修験そのものは明治の神仏分離により江戸時代以前の姿とは同じものではない。
ただ人々の生活の中にいたであろうもっと身近な山伏の姿を、この『春秋山伏記』の中で藤沢は描こうとしている事に、私はものすごく親しみを感じる。
観光だとか、文化とか、そんなものではなく、生きていくための中に存在した山伏の姿は、綺麗事でない人々の生活の中で必要なものであったと確信している。
山の民はどこから来たか、西日本に平家の落人があるように、東北にも、、、。
そんな謎めいた存在も又この作品の魅力を増しているのではないか。
もちろん、庄内弁はなお心地良いです。
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この小説は山伏が主人公のようでありながら、実は江戸後期の村人の誰かれが主人公に物語になっている
私には、方言は急速に衰弱に向かっていると言う考えがあるので、あまりいい加減な言葉も書きたくなかったのである
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1978年に刊行された同名書の文庫化
米沢の里修験の歴史資料を調査中なので、身近に感じるために久しぶりに藤沢周平を読んだ。
江戸時代、出羽の羽黒山で修行した大鷲坊という山伏が、かつて父親も務めた庄内の野平村の薬師神社の別当に任じられてやってくるが、そこには勝手に住み着いて村人に受け入れられている別の山伏がいた。当時村に住む山伏(里修験ともいう)は修行によって得た神通力でいろいろな問題を解決する立場だった。
大鷲坊は歩けなくなって閉じこもった娘を診て、足の機能が失われておらず、恋人を亡くしたことが原因だ考え、背負子で背負って何日も連れ歩き、自然の生命力の豊かさに触れさせ、若者たちと交流させ、歩かせることに成功して村に受け入れられる。
乱暴者の夫が出稼ぎに行っている留守宅に密かに通う若者が、娘を女郎屋に売った金も飲んでしまった男から脅迫され、大鷲坊が相談を受けて狐の足跡を細工して穏便に解決し、大酒飲みも更生させる。
昔、村中から嫌われ放火されて親が死に、生き残った子供が成人して村に帰ってきて空き家に住み着いたので、仕返しを恐れた村人に頼まれ大鷲坊は説得に行くが、折から起こった山火事のなか唯一優しくしてくれた娘を助け出して若者は去る。
力持ちだが女っぽくて嫁の来手がない男の嫁探しを頼まれ、刀を持った盗人が隠れてた小屋を揺らして追い出させ、大鷲坊が金剛杖で打ち据えて解決し、男を見直させる。また、狐が憑いたとされる娘の狐を追い払うのには失敗するが、娘が大木に下敷きになって村人が助けられないときに男が救って、狐も出て行ったことになり、娘を嫁にできる。
最後の「人さらい」は、命がけのサスペンス。大鷲坊の幼なじみの後家の幼女が祭りの夜に行方不明になり、山奥の里から仕事に来ていた夫婦ものに連れ去られた疑いがあって、何人かで探しに山へ入り、怪我人や谷底へ落ちた者も出しながら大鷲坊と母親だけになって山奥の村にたどり着いて娘を救出し、大鷲坊も娘の父親になりそうで、読み手も安堵する。