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アローの不完全性定理をろくに説明しない一方、スマリヤン先生の「抜き打ちのパラドックス」関連だけやたらと詳細な議論になってしまってる。
いいのかなぁ。新書だからまぁいいか。これをハードカバーでやられたら怒るかも。そんな本も多い昨今だけど。
内容的には3章だけ読めばいいかと思われます。逆に言うと3章だけで適当な新書一冊分くらいの価値はある。
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副題にある不確定性は、ハイゼンベルクの不確定性原理を表し、不完全性は、ゲーデルの不完全性定理を表す。この二つは、他でも知っていたが、アロウの不可能性定理は、本書を読むまで知らなかった。
私なりに要約すると、どんな選挙方式で選挙しても完全な民主主義は実現しない、という社会学の定理だ。考えられる全ての選挙方式をモデル化して、その全てに民主的な結果にならない場合(独裁者の存在を許してしまったり、ある候補者を意図的に当選させてしまう可能性があったり)があることを証明した。現在の人類が最良だと信じている民主主義の根幹を揺るがすようなこの定理が、あまり知られていないことが、これまた驚いてしまう。
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この本は、タイトルの通り「理性の限界」を説明しようと
している本です。また、それらを説明する際に、
「不可能性・不確定性・不完全性」それぞれの理論を使用しています。
総評としては、非常におもしろく「この辺りに詳しくないが、興味はある」方なら、
買って損は決してしないと思いますね。
本書の流としては、「選択の限界」から始まります。
つまり、人々は合理的かつ論理的な選択が可能か?という事ですね。
結果的には、アロウの不可能性定理によって、「不可能である」と証明されるわけです。
よって、民主主義の代表でもある「多数決≒投票方式」は結果的に合理的であるとは言えず、
完全な民主主義は現在のところあり得ない。という事になります。
(ちなみに選挙の仕方も問題ありです。)
また、この話の流れから「ナッシュ均衡」の話まで出てきます。
次に、「科学の限界」です。ここでは、科学とは何か?から始まり、
ハイゼンベルクの不確定性原理(量子論)で幕を閉じます。
つまり、量子論とは、量子とは「粒子」でもあり「波」でもある。という有名な話です。
(ちょっと物理をかじった事のある人、理系の人は馴染みがりますよね?)
まぁ、詳しい話は本書を読んでいただいて、要約するとつまり「不確定」なんです(笑)
そして、この章で重要なのは「多世界解釈」です。要は、たくさん世界がありますよって事。
最後に、「知識の限界」ここでは、ある一つのパラドクスから始まり、
最終的に、ゲーテルの不完全性定理でしめます。
あるシステム上では、必ずシステムを越える又はそのシステムでは解けない問題が
ある。よって、あらゆるシステムが完全ではない。という事です。
これを証明したのが、上記の不完全性定理です。
っと、かなり長くなってしまいましたが、最後は自身の哲学的な思想によって
理論や科学は発展していくのかなって思いました。
また、そもそもそれらに意味があるのか?という事を改めて自身で問う事も
重要であると思いましたね。
ぜひ一読をお勧めします。
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理性的、合理的、科学的に考えることはとっても大事。
ただし有限な世界であって、その先には理性と合理では到達できない領域があるというお話。
根本的理解は困難だったが、読んでる最中には文章がとても平易なので理解できる。
ホントの理解は困難ですが教養として読むには良本。
アロウの不可能性定理:多数決にも限界
ハイゼンベルクの不確定性原理:科学も限界
ゲーデルの不完全性定理:数学も限界
ナッシュ均衡:囚人のジレンマのような状態(合理的に意思決定すると全体利得が低い)
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アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性定理、ゲーデルの不完全性定理を学べる本。面白かったです。第三章のパラドックス関連の話がおもしろい。あと、ちょっとうざいカント主義者とその人の話を制する司会者のやり取りも滑稽です。
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うげっ!なんと近寄りがたいタイトル!
「不可能性・不確定性・不完全性」?なにそれ?おいしいの?
帯には「ゲーデル、ハイゼンベルク、アロウ、知的刺激にあふれる論理学ディベート
囚人のジレンマから神の非存在論まで」
誰だよそいつら!俺の理性が限界だ!と思ったが気になった単語、
「ディベート」
ほう。小さい頃から議論やディベートを好いてきた。
こういう高尚な話題でディベートした本いうたらガリレオの「天文対話」
みたいなもんかなとペロリぺろりとめくってみたらガッツン。
「コンドルセのパラドックス」や「ラプラスの悪魔」、「アルゴリズム的情報理論」
など頭が痛くなるようなトピックスの中に「アメリカ大統領選挙の矛盾」
「シュレディンガーの猫」、「チキンレース」など、興味をそそるトピック。
そこで繰り広げられているのは政治学者や論理学者、数理経済学者や科学史家
なんて現実にいたらとっても敬遠してしまいそうな方々の中に会社員や大学生、運動選手や急進的フェミニスト
を加えて進められる、進歩的なシンポジウム!
架空のシンポジウムで架空の人々が行う議論のはずなのに、一般生活にはなんら意味を成しそうに無いトピック
なのに、なぜか自分達にもあてはまるように感じ始め、そして人間の「選択」「科学」「知識」の限界を知る。
学問の専門化が進み、知らない分野への興味が失せていく。
そんな中、この本を通じて本来なら自分から絶対に知ろうとはしない量子論や論理学、政治についても
「マジか」と驚き、おもしろウィと感じることが出来た。
少々専門的で読みづらいところはあったが、専門家の優しい解説、司会者の公正さ、クスリと笑わせてくれる
カント主義者の発言など、ただのおカタい本として読まずに済んだ。
あー楽しい本だった。★5!
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タイトルの通り、理性の限界を示す定理を紹介した本。選択の限界、科学の限界、知識の限界という3つの章立てから成る。
アロウの不可能性定理(数理経済学)、ハイゼンベルクの不確定性原理(物理学)、ゲーデルの不完全性定理(論理学)という3つの中心的なテーマを軸に話が展開されている。
とくに内容に目新しさはないが、難解な概念が非常にわかりやすく説明されている。内容が(架空の)専門家たちのシンポジウム形式になっているところが面白い。
それぞれの学問による立場の違いがはっきりとわかるように設定されている。(もちろん現実はこんなにはっきりと意見が分かれてはいないけど。)
意思決定や科学哲学などに興味がある人の入門書としては良い。
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あまりの面白さに感動。新しいことを知るって楽しい、馬鹿でよかった。
高校時代にこの本に出会っていたなら、進路が変わっていたかもしれないと思いました。
法律勉強してる場合じゃない!
内容は、タイトルの通り、人間の理性の限界について考察している本。
選択の限界、科学の限界、知識の限界という3つの章立てになっていて、それぞれアロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理という3つのテーマを中心に扱っています。
異なる主義主張を持つ架空の人々によるディベート形式になっていて、読みやすい書き口ながら内容はかなり充実。
それゆえ理解しきれない部分も多々あったけど、それでも素人がそれなりにイメージできるように書かれてるところがすごい。
3つのテーマは最終的には独立のものではなくて、相補的に人間理性の限界点に存在する?
カント主義者がいい。
★
相補性とは、相反する二つの概念が互いに補い合うことによって、一つの新たな概念を形成するという考え方です。
たとえば、電子は「波」であると同時に「粒子」であり、古典物理学のように一方の概念に還元できるものではありません。不確定性原理が示している粒子の「位置」と「運動量」も、相補性の関係にあります。ボーアは、相補性を表すシンボルとして、「陰」と「陽」という対立の相互作用によって、世界を解釈する中国の陰陽思想を取り入れました。
私は、人間と自然の関係や、物質と精神の関係も、相補的に結びついていると考えています。一方が他方を定めるのではなく、双方が互いに補い合わなければ、すべてを理解することはできないのです。
多世界解釈 平等で民主的
宇宙はそんな無駄な世界を量産しているのでしょうか?
科学は「現時点で」最も「普遍的」で「客観的」で、「絶対的」な「真理」を表すものであるはずです。
科学も一種の物語なんだよ。
いいかね、科学は人類の導き出した一つの思考方法にすぎない。これを信じるもの信じないのも、君の自由なんだ。これこそが、思考の自由であり、信念の自由なんだよ。
「科学こそが、もっとも新しく、もっとも攻撃的で、もっとも教条的な宗教制度だから」(ファイヤアーベント)
自然界や自然数論の究極の中心を覗いてみると、そこに見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく、根源的な不確定性やランダム性が潜んでいたということなのです!
「理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあるということを認めること」(パスカル)
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対話形式でタイトル通り不可能性・不確定性・不完全性が理解できる。サクサク読めるのに内容はかなり本格的。コストパフォーマンスがとても高い1冊です。
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理性の限界、科学の限界、知識の限界をアロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理の3つを用いながらディベート形式で解説する本。
定理の説明も噛み砕いて説明してくれるので結構分かりやすい、再読したい本。
お気に入りはカント主義者、あんまりいる意味がないからwwwww
司会者が的確すぎて癪に障ります^^
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実に興味深い指摘だ。枠組みの数だけ異なる合理性が存在するってことだもんね。仕事で考えるともっとわかりやすい。自分→部署→会社全体のどこに依って立つかで文句も意見も変わってくる。日本の政治が機能していないのも、官僚の間に省益優先というパラメータが働いているためだ。自分さえよければいいのか? その通り。
https://sessendo.blogspot.com/2008/12/2.html
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名前の通り理性の限界について対話篇形式で説明してある
いろんなパラドックスの解説とか
そういうことに興味のある人にはお勧めできる
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非常に面白い。
シンポジウムの形式をとり、カント主義者や、数理経済学者、運動選手といった
架空の人物達がそれぞれの立場からディベートを繰り広げる。
合理的選択はどこまでもに可能なのか?
科学は全ての事象を証明しうるのか?
論理的な結論など存在しない?
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アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理の三つをとり上げ、それぞれをディベート形式で解説している。経済学者、科学者、論理学者がそれぞれの章の中心になって、その他門外漢であるディベート参加者の疑問や反論に答えていく形式になっているため読みやすい。
一章では選挙をとりあげ、真に民主的な選択は存在しないことを手品の種明かしをするかのごとく解説する。選挙方法によって必ず戦略がとれるようになっていること。組織やそのポストに求めることに応じた選挙方法がとられていること(例えばリーダーシップが要求される代表を選ぶ場合は単記投票)など。
二章の不確定性原理は科学・量子学の分野。ミクロの世界の曖昧さ、観測の限界を紹介している。このあたりはなかなか掴みづらい。最後は客観的事実を追求するはずの科学は実は主観に囚われたものであるというパラダイム論で締められ、まるでSFミステリを読んだあとのような感覚になる。
哲学の分野で語られる「理性の限界」を理系学問から論じた内容だが、すべてのディベートを終えたときには結局哲学的な余韻が残るというすごく不思議な体験ができた。
筆者はディベートの中でカント主義者、フェミニストを筆頭に、まさに理性的でない滑稽な存在を登場させているように思えたが、彼らが多角的なディベートの一役を担っているとはいえ、これがあえてレッテルを貼った筆者の毒を含んだユーモアなのかなんなのかはよくわからない。
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選択における理性の限界、科学における理性の限界、そして知識における理性の限界を探っていくということがテーマの本書で語られている、各々の事例については面白過ぎるので、書きたいことが山程あるのですが、書きだすときりがないので、それは実際に本書を読んでいただくことにして、本書が優れている点は、様々な分野の専門家達による架空のディベート形式によって語られているという点だと思います。
会社員、大学生、数理経済学者、哲学史家、運動選手、生理学者、科学社会学者、実験物理学者、カント主義者、論理実証主義者、論理学者、シェイクスピア学者、国際政治学者、心理学者、フランス国粋主義者、フランス社会主義者、情報科学者、ロマン主義者、相補主義者・・・etc
登場人物を見るだけでも、ワクワクしてきませんか!
ちなみに何故かカント主義者の発言はいつもないがしろにされてます(笑)
空気を読まない発言をする彼が悪いのだけど、これじゃカントまで誤解されちゃうんじゃないかな?