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読み始め、中ごろまで・・・。
「つまらないエッセイだなぁ」と思う。
「アノミー」などのキーワードがイマイチわからない。
東北震災の被災者がこんな本など読まないだろう・・・と思う。
しかし、読み進むにつれ、おもしろくなってきた。
つじつまが合わない・・・と思っていた文脈も、みごとに統一されてきた。
何が言いたかったのかは、読みとおさなければわからない・・・という著書としては、久しぶりの含みのある本です。
とにかく読破してこそ、味わえる本ですね。
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「家族」とは、「自分のいのちの受けとめ手が一緒にいること」。自分は子どもの親として、子どもにとっての家族という立場からこの本を手に取りました。でも、著者のご両親のお話などに関する老いてからの「家族」とは何か、その「家族」が老いた者の最期にどう関っていくか、という内容のほうが印象に残りました。自分の両親、そして自分の「いのちの受けとめ手」は果たして自分の今の家族になるのかどうか?
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震災で家や家族を失った人、孤独死を迎える人、老人ホームで命を終える老人等、そして自殺や中絶の多さからかいま見る「よるべなき時代」を嘆く本。著者独自の家族論の歴史から現代の問題を語ってはいるが、解決するための策は見えてこない。自分を心から受け止められる人がいることが重要、とのことなのだが、それが母親なのか、家族なのか、地域なのか。結局、よるべなく残された人はどうしたらいいのか、解決の糸口がつかめないまま、読了。
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芹沢俊介『家族という意志 よるべなき時代を生きる』岩波新書、読了。「家族の本質は対幻想である」(吉本隆明)を主軸に置き、居場所としての新しい可能性を考察する。
筆者によれば、家族とは「自分の命の受けとめ手」がいることではないかということ。そして「家族という対幻想(家族という一体意識、相互の思いいれ)は自然には成立しなくなっている。家族を維持するには思想(意思)が不可欠」と指摘する。
単なる現状批判でも、古びた規範を再興させるのでもなく、個々人がそれを絶えず意識的に選び直すほかない。全体として、機能不全に陥った現代家族を再考する一冊だが、全体として、躊躇いながら模索する筆致に好感を抱く。
「よるべなさ」は共同存在の人間にとって、昔から現実的な問題であったが、先の大震災はその蓋を開けてしまった。だから筆者は「命」に注目している(ウィニコットのいう「絶滅の脅威」)。この観点は印象的である。
メディアの軽佻浮薄な報道でかき消されるのが家族のあり方であろう。本書は、そうした喧噪を乗り越え、丁寧に新しい家族論を構築し、読者に示唆を与える一冊となっている。
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私的な内容であり、それ故にリアルであった。
後半の老いた両親との関係についての辺りがリアルであり、大いに考えさせられるものがあった。
吉本隆明の「対幻想」という概念を用いて、家族のあり方を論じていて、本来は性を介した男女間の関係性をもって対幻想と呼んでいるものを、親子の関係性にまで拡張して用いている。
夫婦や親子の間にある「対幻想」という名の結びつきがほころんでいった時、家族という結びつきが崩壊していくわけで、それを繋いでいくというのはどういうことなのか考えさせられる。
前半、哲学的文章でややとっつきにくいかなと思ったが、後半はのめって読んだ。よかった。
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自分と他者のなかでつくる特殊世界、対幻想。
よるべなさ。いのちの受けとめ手。
自己本位主義的志向、そしてアノミー化。
誰かに「いる」と受け止められてはじめて自分は「ある」ことができる。