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すべての路線は政治的につくられる。
原敬、佐藤栄作、田中角栄、大野伴睦、大物政治家たちが介入してきた「鉄道史」
第一章 鉄道は国家百年の大計
第二章 日本の鉄道を創った政治家たち
第三章 「我田引鉄」で生まれた鉄道
第四章 政治が生み出す停車場
第五章 鉄路存亡を左右する政治の力
第六章 海外への日本鉄道進出
どこかで読んだと思ったら、ちくま新書の「鉄道と日本軍」(竹内正浩著)も参考文献に入っていました。本書は、バランス良く纏められていますが、新発見があるという訳ではありません。
以下、気になった点を、備忘録的に
東海道新幹線の功労者として、佐藤栄作をあげているのは面白いです。
(功労者としては、十河信二や島秀雄があげられますが、政治家として佐藤栄作をあげているのは、さすがです。)
東京の地下鉄抗争(早川徳次と五島慶太)の際に、佐藤栄作が経営権を召し上げ、営団地下鉄に引き継がせた話は、猪瀬直樹の著書を読んで知っていましたが、五島が「佐藤という課長の首を切れ」と言っていたのは知りませんでした。(なんとなく佐藤と五島が共謀していたというイメージがあった)
大野伴睦の力により岐阜羽島駅が出来たという話は有名ですが、政治的圧力により出来たというよりは、大野が岐阜県内の意見を集約したことにより、岐阜羽島に駅が出来たという事が正しいようです。マスコミ報道に基づき、面白おかしく作られたお話のようです。(この事実は、新幹線に関係する書籍では既出ですが、もっともらしい誤った話はなかなか消えないものです。)
鉄建公団が、新幹線だけでなく在来線も、建設を行ってきたというのは知りませんでした。(もっとも私が社会人になった頃は、在来線の新線計画なんて現実的ではなかった訳ですが)
鉄道史の概略を簡潔に知るには、なかなか良い本だと思います。
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イギリスから帰って最初の読書。
もともと鉄道に興味があるので、タイトルで購入。
後藤新平が、日本の狭軌ではなく、広軌を主張しているところにでてきて、このおっさん、あちこちで大胆なこと言っているなと思う。しかし、政治的な詰めが甘い。
個人的には、鉄道は好きだが、やはり、この経済衰退の中で見直す点もあるはず。
(1)著者は、何カ所かで廃線になったら、バスでもその地方は必ず衰退するように言っているが本当か?むしろ路線とか増えるし、地方公共団体の財政負担も軽減できるのではないか。
(2)この本には、一切でていないが、鉄道と、バスの間で、LRTがはやっているが、中途半端で経営が成り立つか疑問。ロンドンでも、ケンブリッジまで、短距離のBLTが走っていたが、土曜日の昼なにのみがらがら。入改札もコスト縮減のために電子チャージ機に自分でタッチする方式だが、それできちんと収益が確保できるのか。
(3)現在の鉄道政策は平時前提で、東日本大震災でその考え方がかわるべきというが、それはもっと税金をつきごんでも、複線的なネットワークを維持するということか。仮にそうだとしても、復旧のルピドからいれば、道路が最低限啓開できればいいのではないか。震災から鉄道の複数のネットワークというのはわるのではないか。
いずれにしても、てっちゃんには楽しいが、てちゃんんでないと、あれっと思う点あり。
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かなり面白かった。高い公共性をもつ鉄道と、国や政治との微妙な絡みは、開通当初から昔も今もこれからも、いろんな意味で社会を巻き込んで日本を転がしていくんだろうと思う。
今後の社会が日本の鉄道に何を求めるのかを正確に理解せずにただ安定に甘んじていては、業界自体がいきなり根底から揺らぐことにもあるいは繋がるのかもしれない。
単に年号を暗記する歴史の授業にはあまり関心を持てずに生きてきたけれど、あるひとつの視点を軸に歴史を紐解いていくと、あんなに覚えられなかった事件や出来事があら不思議、頭の中でひとつの物語として繋がる。
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面白かった。今まで鉄道について、どうやって線を決めていったかなんて考えなかったけど、凄くわかり易かった。
国鉄時代の赤字でも作られた路線と、現在のような民営による赤字路線の廃線が対極が理解できた。
資本面から見た路線と生活必要度で見る鉄道の重要性の違いは全く違うけど、今は民営鉄道による赤字・黒字の面だけで廃線の声が挙がる。そのため災害で路線復旧に莫大な予算が必要となった場合、どこが負担するのか微妙な通過点が現状。その民営と国有の微妙なバランスがすごくもどかしく感じる。
他にも海外の新幹線輸出の点は、読んでいて腹の立つ部分が多くて、「新幹線は車両や線路と部分的に提供するのではなく、安全性を備えたシステムとして売るべきである」という筆者の言葉に肯けた。
改めて鉄道・新幹線事業などの大規模公共システムには資本主義は次にして、国家が統制できるようにして欲しいと思った。(特に海外を相手にしている場合)一会社の意思で日本の技術が安売りされたり、悪いイメージがつくなら、ちゃんとした国家プロジェクトとして管理して欲しいと思った。
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サブタイトル「我田引鉄」の近現代史とあるが、鉄道に限らず日本の社会資本整備はすべからく政治に利用されてきたと思う。残念なのは、地元への利益誘導優先で、国家レベルで俯瞰した発想が希薄だったことだ。これは今でも変わらないのではないか。
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当初の軌間決定にまつわる話から、震災後の鉄道網復旧に関わる話題まで幅広く、とても楽しめた。
ただ、図表が少なかった。資料を多く盛り込んでくれたらもっと楽しめたのにな…と思うと残念。
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『「世界に誇れるシンカンセン」は、日本に似た地理的、気候的環境の中で、日本式の徹底した安全確保策を関係者並びに一般乗客が日常的に遵守できる国民性が認められる限りにおいて、初めて「世界のシンカンセン」たり得るのである。』
日本の新幹線が何故外国に輸出できないのか、様々な要因が考えられるが、本書を読んでその根本的な要因を知れた気がした。新幹線のシステムを考える時、それはハードのみならずソフトが重要であること。輸出する際には、地理的条件や気候条件はもちろんのこと、その土地に住む人々の国民性や文化等に適合させる必要があるということ。そういった意味で新幹線という総合システムを輸出することが如何に難しいことかがよく分かった。
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鉄道網発達に目がない私としては、政治家の我田引鉄ぶりを色々知ることができ大変面白かった。想いを強くする人が居ないと何事も実現し得ないのは事実。わがままとだけ断じるのも筋違いと感じる。道路についても類書があるのなら読んでみたい。
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明治政府の鉄道敷設からはじまり、妙な経由地をもつ路線の謎、赤字路線の奮闘、記憶に新しい被災路線のゆくえ等、鉄道の歴史が綴られています。
鉄道の海外輸出に対する考え方も面白かったです。”日本の”鉄道システムは世界に誇れるものだと思うので、鉄道という分野で日本の地位を確立し、本当に良いものを世界に提供できる機会が増えれば、と期待しています。
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鉄道と国家との関わりを、明治時代からの史実に基づき解説。
最初は、日本の鉄道が軌間となった経緯について記載。狭軌から標準軌に変更しようとした後藤新平。また、それを阻んだ原敬。それぞれの国家に対するアプローチの違いが鉄道の軌間に対する考え方にも及ぶ。また、それが現代にも依然として大きな影響を与えている。
中盤には田中角栄との関わりも記載。これも田中角栄の国家像が鉄道建設の方針に大きな影響を及ぼしていることが分かる。
最後は、鉄道の海外輸出について。新幹線技術の海外輸出について、技術流出の危険性が懸念されるが、一方で、世界での技術標準を握ることによるメリットも大きい。
鉄道をどのように敷設・運営していくか、ということは、この国のかたちをどうしていくかということと、密接に絡み合う。まさに、国家百年の計。対極的な観点が必要である。
本書は、コンパクトにまとめられている一方、内容的にも充実しており、興味深く読むことができる。
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日本の鉄道草創期から、政治家の「我田引鉄」によるルート決定や赤字路線の撤退、さらには近年の新幹線輸出まで、鉄道と国家、政治の関係がさまざまな具体的エピソードで解説されています。創設当初から政治的要素の強かった日本の鉄道について、政治との関係は往々にして批判的な視点から語られることが多いように思いますが、この本は単に一元的に鉄道と国家の関係を否定しているわけではありません。商業的な面だけでなく、公共事業としての側面が強い鉄道の、複雑かつ人々の生活との結びつきの強い立場の難しさを感じます。個々のエピソードも興味深い。
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64点。鉄道の線路の幅について。健全な男子は小さい頃に、この話題について話したことがあるんじゃあないか。
ない?いや、ゼッタイある。
新幹線は国際標準軌であるのに対して、JRの在来線はそれより狭い。軌間が広ければ、その分車両も大きくなり、一度に輸送できる貨物や旅客数が増えるだけでなく安定度は高まり、よりスピードをだすことができる、、云々。
そんなポピュラーな(!)狭軌選択の背景から本書ははじまる。掴みはおっけー。
明治期の敷設以来、日本の鉄道は「我田引鉄」とも揶揄されるように、政治家が自らの選挙区に利益を誘導するがごとく鉄道を誘致する事例が明治、大正、昭和と途絶えることはなかった。「ここに、駅を作れい」みたいな。
政治と鉄道の関係について事例を挙げながらわかりやすく解説する。大船渡線の歪さは笑える。リニア中央新幹線の話題がスルーされてたのは何故だろう。まだ言えないのかな。
後半は新幹線の話になって、鉄道だけに、話は脱線して終わる。
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日経の記事で紹介されているのは省略するとして…。
日清・日露線間期の鉄道国有化依頼、政府は国策として鉄道に介入する方針を貫いてきた。
それ以来鉄道は重要な交通インフラとして軍や政争に翻弄されたが、国鉄民営化によってほぼ解放されると同時に利潤追求が求められた。
東日本大震災で被災した路線の復旧が進まない中、再度鉄道への政府の関与を求める声があがっている。
鉄道への国家介入が正しいのか、民営化による独立採算での利潤追求が正しいのか、それは歴史が決めるだろう。
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我田引鉄の歴史。
明治新政府の誕生後大隈重信は新政府に人心を向かわせるためと、封建制を中央政権に改めるための道具として、そして西洋列強との不平等条約改正の交渉の道具として文明開化の外見を作り出すために鉄道建設を推進した。このとき国際標準軌(=広軌、新幹線などのゲージ)にするか狭軌(JR在来線ゲージ)にするかにあまり注意が払われず決まったらしい。「日本国有鉄道百年史」には狭軌に決まった決定的な理由は明らかでないとされている。その後も鉄道路線を拡げる際には先に広軌に変更するか、先に路線を拡げるかという論争が有ったが常に地元に利便を与えると言う意向が鉄道路線建設に影響している。地元に線路を引いた政治家は英雄扱いされて来た歴史も有る。
有名な新幹線岐阜羽島駅の大野伴睦が無理矢理駅を作らせたと言う話は、少し事情が違うらしく東京ー大阪間の交通時間の短縮と言う本来の目的を守るには岐阜市は外さざるを得ず、地元に駅ができないと岐阜県の用地買収に困難が予想されたことから地元の県民感情に落としどころをつけるために大野が出たと言う部分が有るらしい。岐阜羽島駅には当然の様に大野の銅像が建っている。またこの新幹線は当初は東海道線の複線扱いだったんだと、新線建設には許可が必要だが複線化なら国鉄内部の決定で済むからだ。そのため、新幹線の営業キロ数は実際の距離よりも長くなっている。
未来の党でお騒がせの嘉田知事の当選が決まったのは南びわ湖駅反対の運動から。総工費240億のうち約半分の117億を滋賀県が95億を駅所在地の栗東市が負担し栗東市は草津線への接続も含めると負担総額は305億円になるが市の財政規模は230億。結局駅を作っても草津線からのアクセスとひかり、こだましか停まらないことを考えると利用者が見込めず費用が利便性に見合わないのでまともな判断だと思う。しかし去年の8月には中央リニアが開通すれば新駅が必要になると態度を変えている、なんだかなあ。
東日本大震災の後三陸鉄道の復興は第三セクターだけでは困難になっている、また利用者が少なかった山形空港や三陸縦貫自動車道がアクセスの代替手段として重要な役割を果たした。平時には無駄な公共事業が非常時にはネットワーク化、分散化していることの重要性を示した例だ。社会インフラについては短期の経済性だけでは判断するのが難しいがかといって利益誘導ばっかりでは話にならない。港湾、空港、利水等も併せて道州制くらいの規模でデザインするのが合ってるように思うのだが。そう言う意味では路線は政治的に決められると言うのは悪いことばかりではないのだが・・・
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本書は所謂鉄道雑学本ではない。鉄道の敷設や新駅の設置が、いかにして国家的な大局的観点や地元の要望、政治家の利益誘導など政治的要素が絡みつきながら判断・決定されてきたのかを、述べた本である。
国鉄時代まで、鉄道事業は国家の軍事戦略や国土の総合的な発展のため、大局的観点で敷設・計画されてきた。この計画も、当然ながら、政治家や官僚などの政治力学によって政策決定される。よって、政治家の利益誘導や地元の要望などにより、当初の鉄道事業計画とは違う形で反映されることになった(JR大船渡線、JR中央本線「大八回り」など)。
また、国鉄民営化後、日本には国有鉄道は存在せず、JR各社は鉄道会社として採算性を考慮し営業利益を求めることが至上命題となり、採算性と地元の公共交通機関としての社会的インフラ(公共性)とを比較考量することが当然のこととなった(東日本大震災によるJR気仙沼線・大船渡線のBRT)。特に東日本大震災は、民営化後の日本の鉄道路線網が、国鉄時代のように繋がっておらず、ところどころで細切れになってしまい、東北地方への輸送が難航したことを如実に示した。
国土や気候、地理的条件に合った鉄道敷設というものが、日本に限らずどの場所においても必要である。そこには、政治判断・政治力学というものが必ず付きまとう。本書はそのようなものの歴史をクリアに提示した良書である。