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海外ミステリに挑戦。昔はカタカナの名前が覚えられなくて断念したが今回はいけた。
さすが名作といわれるだけある。あそこまで誰でも実行可能という状況を見せた上で、全く違う方向の真実を出してきた。入れ替わりなのでリアリティはさておき、やられた感がすごい。
ポアロってこんな探偵なのか、初めてポアロの推理劇をみた。卵形。
しかしやはり古典だな、時代を感じる。
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ポワロ作品
【ストーリー】
一家の長の葬儀の後、長の妹は家族の前で唐突に「兄は殺されたのでは」と言葉を発する。翌日、その妹が惨殺された。長の遺言書を預かる弁護士は二つの死の真実を明らかにするため、ポワロに協力を要請する。
【感想】
登場人物がみんな怪しくて、犯人探しに頭を悩ませられる。その内、違和感を感じる場面がちらほら出てきて、この人犯人じゃね?と思う人がいるのだが、話の展開に上手く注意を逸らされてしまう。最後まで読んだらやっぱりお前だったかと悔しい気分になる。
つまり、推理小説の醍醐味が味わえる面白い作品だと思う。
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ポワロシリーズ25作品目(32作品中・・・ただし、サイト参照につき定かではないし、短編集除く)。引退しているポワロがどのようにして登場するのか、ワクワクしながら読み進んだ。友人が多いポワロは、またもや友人からの依頼である。財閥主人が亡くなった原因が不明なまま、次の事件が起こる展開で、最後まで犯人がわからない。ポワロは、飽きのこないミステリーだ。
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アバネシー家の主人リチャードが心臓発作で急死する。葬儀を終えたのち、遺言執行人エントウィッスルは集まった親戚たちに故人の遺言を発表する。するとその時、リチャードの末妹コーラが「リチャードは殺されたんでしょ」と言い放ち、そこにいる全員を凍りつかせる。実は親戚の者たちはすべて、ひどく金に困っていたのだ。そして葬儀の次の日、コーラが殺される。
クリスティが生んだ名探偵エルキュール・ポワロものの、知る人ぞ知る傑作。ミステリーの真相とは、作者が仕掛けたミスリードを作者自身がひっくり返すことだ。そこでひっくり返る事実が大きければ大きいほど、意外であれば意外なほど、そのミステリーは成功したと言えるだろう。本書では、そんなことがあっていいのか!というひっくり返しが起こる。
「事実がそこにあるんです。はっきりね。誰が見てもわかるように(ポワロ)」。ところが、人の目は節穴だ。クリスティを読むと、そのことを痛感する。
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ミステリにはパターンだとかテンプレだとかが山のように存在していて「口の軽い人間が不用意な発言をした、又はしそうになって殺される」なんてそれこそ数多のミステリで用いられてきた要素
本作はその口の軽い人間の死が全てを掻き回していく様が非常に面白く描かれているね
また、舞台設定の特殊性も言及したくなるかも
出版されたのは1953年、まだ戦争の残り香がそこかしこに有る頃であり、同時に大英帝国の終焉期。それもあってか登場人物の二極化が見られるね
発端となったリチャード・アバネシーの大邸宅は時代を間違えたとしか思えない代物。そんな人物が死んで遺産目当ての遺族が睨み合いを始めるなんてやはり時代錯誤
けれど、登場人物全てが貴族時代の名残があるわけではなく、借金漬けや配給頼りの生活をしていたり、新時代に向けて準備する女性が居たりと様々
いわば時代の狭間が本作には横たわっていて、それが作品の深みに一味加えているね
本作で発生する事件はどれも特別なトリックは何も見当たらない。ちょっと人の目を盗めば誰だって犯行可能なタイプ
だからこそ、事件現場から証拠を見つける方法なんて無いし、むしろ現場を見る意味すら薄い
そのような事件なら尚更にポアロの出番となるわけだね
事件に対するポアロの調査方法は現場に赴いて証拠を探し回る遣り方ではなく、ひたすらに関係者の話に耳を傾けるというもの
その中で発せられる容疑者達の発言が読者を煙に巻きつつ、事件に対し更に奥深さを持たせるものになっているね
本作を語る際、事件の発端となる「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」という発言はどうしたって取り上げたくなるが、もう一つ取り上げようとするならば、犯人の動機だろうか
上述したような舞台設定が整った作品であのような理由で殺人に及ぶ人間が居るとは!と衝撃を受けてしまう
とてもしっかりしたボリュームの本作だけど、推理パートは軽めに。それは真相が簡単なものだったというわけではなく、推理ショーの際にポアロは犯人逮捕に関する部分しか語らなかったと言うだけ
あの推理ショーでポアロが語らなかった部分を想像しつつ隅々を読み直すとまた違った色が見えてくるかもね
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「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」
してやられたなーという印象。意外な犯人。
性格の悪すぎる登場人物も、使用人は立ち聞きをするものだし手紙を盗み見るもの、っていう決めつけも、定番ですごく楽しい。
本筋にはあまり関係ないけど、ポアロの「受け取ることができない人間に与えることは不可能ですよ。」って台詞が好き。
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『五匹の子豚』や『ホロー荘の殺人』より人間ドラマが控えめですしトリックも無理がある気がしますが、「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」という冒頭の名ゼリフ、頻繁に登場する不審な尼僧、終盤のヘレン・アバネシー殺しが未遂に終わるなど、ミスディレクションの仕掛け方が非常に巧妙で翻弄されました。円熟の域に達した中期の傑作だと思います。
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上流階級に憧れる中流階級の人々が、一族の中で唯一お金持ちのおじさんが死んでお金がもらえる、と喜んでいる。
その中で『だってリチャードは殺されたんでしょう?』の一言で、妙な疑心暗鬼状態に。
犯人探しよりも、登場人物のじんぶつびょが丁寧で、この時代のイギリス人の生活描写がわかって面白かった。ポアロの登場が遅いのと、そこまで物語に関与せず、ただ解決するためだけに出てきて、ストーリーの中で影がうすいくせに浮いていて少し違和感だった。
翻訳も、時代が時代だか仕方ないけれど、お寺さん趣味とか、お坊さん、尼さん、お経をあげる、など今なら違和感あるな、というところがちらちらあった。
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読み終わってすぐ冒頭から読みなおし。
初読では普通に読み流していた部分ががらりと姿を変え、背中がぞわぞわしました。
たった一言で全ての本質を変えてしまった犯人の頭の良さに戦慄。
私がアガサ・クリスティを読みあさるきっかけにもなった本です。
ところでささいなことですが、あちらのあの時代のお葬式って遺影使わないんでしょうか。
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アバネシー家の系図があり、登場人物が多いので読み進めていく上でとても助かった。
小説の最初から印象的で、最後までとてもおもしろかった。珍しく犯人は中盤あたりを読んだときに予想した人と同じだったけど、やっぱり動機は最後まで全然わからなかった。読み終わってからも余韻が残る一冊。
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著者:アガサ・クリスティ(Christie, Agatha, 1890-1976、イングランド、小説家)
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葬儀での爆弾発言。その人物が殺される。途中でわけがわからなくなってしまうのも、いつもと一緒。最後までよんでようやくこの部分はこういう伏線かとわかる。しかし、今回はポアロの謎解き部分が短くあっさりしている。
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ポワロがわかった直後のところで基本のところは
わかった、けど、動機はちとあやふややったな。
面白かった。
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この話はポワロ登場場面までが長いせいか、読みづらく感じ、なかなか進まなかった。途中、話の運びがクリスティらしくなく感じ、誰かがつなぎ合わせたのかとも感じた。
でもさすが、ポワロの引力は素晴らしい!
最後、ポワロが半ば賭けで待ったあずま屋に次々と人がやってくる場面が鮮やか!
正義(と思われた)の為にやってくる者、
“愛”から逃れるためにくる者、
その“愛”を守るためにくる者、
やましさを抱えた者、
ポワロは誰も犯人だと肯定も否定もしきらずに話を聴いていく。ポワロは何故こんなに人の心の機微を敏感に感じ取れるのか?外国人として明らかに侮蔑的な言動を受けても、それを逆手にとって推理を進める。本作で嫌疑をかけられた人が誰もポワロのことを知らないのも珍しい。
そして、
珍しく自信が揺らいだ箇所も印象的。「もし現れなかったら、人間の性質というものに対する彼の知識が不充分なのだ。彼の仮説が正しくないのだ。」
あー、そして今回もやっぱり犯人は全くわからなかった。どうしてこんなにクリスティを読んでるのに予測させてくれないのか、、天国でクリスティもほくそえんでるだろうな。
印象的だったセリフをまとめておく。
グレゴリーバンクス
「どうしてスーザンは僕をほっておいてくれないんだろう?」
ポワロ→スーザン
「〜お金のかかった簡素さ。しかしそれでも富は自らの聖堂を持つものですよ、マダム。」
「安全や幸福以上に彼を愛しているんですね。しかし、受け取ることができない人間に与えることは不可能ですよ。」
人が人を想う気持ちやそれを享受する人、複雑なものだな、、相手がそれ程自分のことを想っていないのがわかっても愛するのは、深い愛情と言えるのか、エゴになるのか、、
最後に、、ロザムンドがコーラのDNAを受け継いでいたのが面白かった。設定が細かい!
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魚の目軟膏剤で財を成したアバンシー家の当主リチャードが死んだ。1人息子は1年前に亡くなり、弟妹甥姪6組が葬儀に集まり、顧問弁護士によって遺産は6等分されると発表されると、末妹のコーラが「リチャードは殺されたんじゃないの?」と発し、一同疑心暗鬼に陥る。が当のコーラも次の日殺されてしまう。弁護士からの依頼を受けポアロが真相解明に乗り出す。
リチャードやコーラの死を悲しんでいるものはおらず、皆実は金に窮乏していて、ちょうどいいところに遺産が入りそれを目当てに新しい生活を描き始めていた。犯人は度胸あるね、う~ん、そのトリックありうるかな? という気もするが、遺産をめぐるそれぞれの思惑の描写が上回り、どんどん読み進む。
1953年の発表だが、財のあるアバンシー家の兄弟、甥姪も金があればあくせく働く必要などない、という考えに捉われている。一方労働者階級として、店員である姪の夫と、コーラの家政婦を登場させている。階級の底にある敵対心がベースになっているといえる。クリスティはどちらの心情も描写しているが、やはり中産階級だな、と思う。「杉の柩」と似ている。
1953発表
2003.11.15発行【2015.12.15第6刷 図書館