紙の本
記述の仕方が著者自身の主張を裏切っている
2004/05/12 18:48
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポストモダニズムが文系学問の世界に浸透して以来、歴史学の王道と見られた史料に基づく実証主義も、その大波をまともにかぶらないではいなかった。
例えばA・カーナン(編)『人文科学に何が起きたか——アメリカの体験』(玉川大学出版部)は、「ポストモダニストにとって過去から導き出される真実などは何もない。過去は歴史学者がつくりだす〈社会的構築物〉にすぎない」(150ページ)とする見解にどれほどアメリカの大学が揺さぶられたかを伝えている。
著者はそうした傾向を批判し、あくまで実証主義的な立場から歴史学を擁護しようとする。そうした基本的な姿勢自体は悪くないと思う。しかし、この本の著述の仕方自体が、著者の主張を裏切っているとしたらどうか?
著者は本書の第2章で従軍慰安婦論争を例として持ち出し、ポストモダニズム的な論客として一方にフェミニストの上野千鶴子を、他方に「新しい歴史教科書をつくる会」の坂本多加雄を挙げ、双方を批判する。そしてそれと対蹠的な歴史学者として吉見義明を挙げ、称揚するのだが、ここの議論の進め方にはいささか疑問がある。
第一に、著者が引用している坂本多加雄の本は、『歴史教育を考える』(PHP新書)である。歴史研究や歴史学のあり方自体が主題になった本ではないのだ。事実、坂本はこの本の中で「歴史教育について論じる際、まず指摘しなければならないのは、政治の世界、歴史研究の世界、さらに歴史教育の世界は、それぞれあくまで別の原理に立つべきだということである」(36ページ)と断っている。
こうした坂本の言い分は分かりやすかろう。教育と学問が同じ原理に立脚しないことは、例えば学校で教えられる数学を見れば明らかだ。正解が出るような領域や問題に限定して学校教育がなされるのであり、それ故に中学・高校で数学が得意だった生徒が学問としての数学に有能であるとは限らないのである。
著者がこの点を無視して坂本の本を引用し批判しているのは、したがってアンフェアだと言うしかない。
第二に、従軍慰安婦問題については、吉見の本だけでなく他にも文献が多い。その中で秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社)は、「強制連行」という概念を吉見が拡大解釈したことに対する明瞭な批判を打ち出している。そもそも秦はかつて、従軍慰安婦を強制連行したと「告白」した日本人がペテン師であることを証明し、この「告白」を鵜呑みにした吉見も自分のうかつさを認めざるを得なかったという経緯がある。
著者は何故その吉見の本だけを頼りに、慰安婦の強制連行があったとする彼の説を「模範的な歴史家の営み」(89ページ)と評することができるのだろうか。少なくとも秦などの従軍慰安婦強制連行否定説を学問的に吟味し批判した上でなければ吉見の本を評価することは不可能なはずだが、そうした「学問的手続き」を著者はまるでとろうとはしないのである。
こうした著者の、自分自身の主張を裏切るような姿勢こそが、この本の価値を大きく損なう要因になっている。一見学問的なようでありながら、実はイデオロギーが透けて見えるのでは、著者が批判するポストモダニズム的な歴史学の方法と大同小異ではなかろうか。その意味で、芳しからざる出来の本であると評さざるを得ないのである。
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歴史学の概説書として最適。内容もそれほど難しいことが書いてあるわけではないのでサクサク読み進めることが出来ます。世間の評判も高い一冊です。
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歴史学という学問のあり方を考察。歴史教科書問題や戦争認識問題に対するスタンスの参考になりますね。もちろん批判は大事だけれど、その土台作りには最適な本だと思う。
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○歴史学ってなんだ?
小田中 直樹 著 PHP新書
タイトルを見て想像していたものよりずっと奥が深かった。(例えば構造主義だとか)
そうか、そう単純な問題ではないのか。
かなり考えさせられる本であった。
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歴史学は「史実を明らかにできるか」「社会の役に立つか」という二つの疑問に迫る。前者の問いの答えには結構納得させられる。歴史書と歴史小説の違いなども興味深い話題だ。
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とっても読みやすい入門書☆
Q史実を明らかにできるか
Q歴史学は社会の役に立つか
を軸に綴られている。
結論も納得w。
でも、歴史学ってより全ての学問に通じる結論だと思う。
社会科学、人文科学、自然科学…
曖昧さを肯定するには??的な。
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現・東北大学大学院経済学研究科教授(社会経済史・フランス)の小田中直樹による「歴史学」の解説書。
【構成】
序 章 悩める歴史学
第1章 史実を明らかにできるか
Ⅰ 歴史書と歴史小説
Ⅱ 「大きな物語」は消滅したか
Ⅲ 「正しい」認識は可能なのか
第2章 歴史学は社会の役に立つか
Ⅰ 従軍慰安婦論争と歴史学
Ⅱ 歴史学の社会的な有用性
第3章 歴史家は何をしているか
Ⅰ 高校世界史の教科書を読みなおす
Ⅱ 日本の歴史学の戦後史
Ⅲ 歴史家の営み
終 章 歴史学の枠組みを考える
「歴史は何のために学ばなければならないのか?そもそも社会や個人の役に立つのだろうか?年号ばかり羅列する歴史教科書への疑念。一方で相対主義や構造主義は”歴史学の使命は終わった”とばかりに批判を浴びせる。しかし歴史学には、コミュニケーション改善のツールや常識を覆る魅力的な「知の技法」が隠されていたのだ!」(表紙裏書きの内容紹介より)
本書の内容は上記内容紹介の通りであると思っていただいて、まず間違いがない。そもそも一般の人間には存在すらほとんど認識されない「歴史学」という学問。社会学、経済学、政治学、法律学といった所謂社会科学分野の学問は、多少の規模をもつ書店ならば1コーナーが設置されている。しかしながら、「歴史学」というジャンルが設置されている書店はほとんど無い。かのAmazonですら、「地理・歴史」のカテゴリーにおいて、歴史学者が書いた書物が上位100位のうち1冊あればいい方である。
「歴史学」は唯一無二の史実を明らかにする学問でもなければ、社会に決定的に有用な学問ではない。しかし、そうであっても妥当な「事実」を提示することとその時代に対する問題意識に対する「解釈」を与えることに際しては、「歴史学」的手法を採る以外にまっとうな科学的方法は存在しない。その一端を知る上で、極めて単純明快に解説をほどこしているのが本書である。無論、著者の意見に全て賛成であるということではないが、自分自身が「歴史学」を知らない人に伝えたいと思っていたことが、「かゆいところに手が届く」ように述べられている。
「歴史学」に触れたことの無い人にこそ、本書を手にとって欲しい。
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[ 内容 ]
歴史は何のために学ばなければならないのか?そもそも、社会や個人の役に立つのだろうか?年号ばかり羅列する歴史教科書への疑念。
一方で相対主義や構造主義は、“歴史学の使命は終わった”とばかりに批判を浴びせる。
しかし歴史学には、コミュニケーション改善のツールや、常識を覆す魅力的な「知の技法」が隠されていたのだ!
歴史小説と歴史書のちがいや従軍慰安婦論争などを例に、日常に根ざした存在意義を模索する。
歴史家たちの仕事場を覗き「使える教養」の可能性を探る、素人のための歴史学入門講座。
[ 目次 ]
序章 悩める歴史学(「パパ、歴史は何の役に立つの」;シーン1・ある高校の教室で ほか)
第1章 史実を明らかにできるか(歴史書と歴史小説;「大きな物語」は消滅したか ほか)
第2章 歴史学は社会の役に立つか(従軍慰安婦論争と歴史学;歴史学の社会的な有用性)
第3章 歴史家は何をしているか(高校世界史の教科書を読みなおす;日本の歴史学の戦後史 ほか)
終章 歴史学の枠組みを考える(「物語と記憶」という枠組み;「通常科学」とは何か ほか)
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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最近、あちこちで話題となっている歴史認識問題を易しく解説した本です。歴史学は暗記の学問だという思い込みをくつ返してくれるはずです。史学科に進学するまたは進学中の方は、ぜひ手に取ってみてください。
(九州大学 大学院生)
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歴史は決まりきった事実の単なる暗記ではなく、日々変わりつづける現在進行形の解釈である。
このことに新鮮な喜びを感じた人はしかし、まもなく別のモヤモヤした疑問に包まれる。「それってけっきょく学者の思い込みじゃないの? 時がたつと変わってしまうような解釈の意味って?」…まっとうな疑問です。
そんな疑問を考えるときに教えられる本。
第1章は「歴史書と歴史小説」の違いから始まる。第2章では「じれったくてもがまん」してコンセンサスをつくることの意味(=社会的有用性)を、第3章では「歴史家は何をしているのか」というテーマで、高校までの歴史教科書がどうしてあんなにも退屈なのかを説明してくれる。
著者は現役のフランス近代史学者。フランスのアナール学派が20世紀歴史学を洗い直したという経緯もあって、フランス史家には歴史学の理論に強い人が多い。
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せっかくあまりにも素晴らしいテーマ設定なのに、話が冗長でよくわかんなかった。
結局、「結論はよくわかんないよ」ってことが言いたかったのかな。実際の結論もそうなんだろうけど。
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この本では三つの問題を考えています。
①史実はわかるか?
②昔のことを知って社会の役に立つか?
③そもそも歴史学とは何か?
みんなで検討し、より正しいものを選び取っていく。現在の段階で最善を尽くし、史実をより正しく認識し、解釈し、よりよい歴史像を構築するべきことを考える。しかし将来どう評価されるかはわからない。
直接に社会の役に立とうとするのではなく、真実性を経由したうえで社会の役に立とうとすること。集団的な愛エンティティや記憶に介入しようとするのではなく、個人の日常生活に役立つ知識を提供しようとすること。役に立つはずだ。
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大学1年時の授業で勧められた本。「史実を明らかにできるか」、「歴史学は社会の役に立つのか」、「歴史家は何をしているか」という3つのテーマでページが割かれている。
突き詰めると
・史料批判でコミュニケーショナルに正しい認識をすることでより正しい解釈に至る
・真実性を経由することで、「コミュニケーションの改善」、「教訓を得る」という形で個人の役に立つ
・歴史家の仕事は「テーマを設定する」→「史料を探して読み解く」→「そこから得た知識を文章化する」の三段階にわけられる
ということになります。従軍慰安婦をめぐる論争の根底に「歴史は物語(フィクション)であるか否か」という問いがあったこと、「倹約」、「謙譲」、「孝行」といった美徳が規範になったのは江戸時代で、その結果「日本人は勤勉」という共通認識が生まれたということは、当時としては印象的だった。
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「歴史学」とは、一言でいえば「史実」を明らかにする学問、ということになるんだろうけど、ちょっと考えれば、本当にそんなことが可能なのか?(そもそも、その言い方はwell-definedなのか?)という疑問にぶつかることになる。本書は、歴史学の存立にかかわる本質的な問題に正面から取り組み、一般人向けに分かりやすく説明しようとする良書である。歴史学者と歴史小説作家は違うのか?正しい「史実」は存在するか?など、興味深い議論が満載で面白かった。ちなみに筆者の主張をまとめると、「解釈が一意に定まる史実はない。解釈を固定した場合も、史実を100%正しく認識することはできない。歴史学とは、より正しい解釈に基づいて、史実をより正しく認識し、よりよい歴史像を構築することである。ある時代の歴史学者の活動が正しかったかどうかは、歴史によって評価されるべき。」といった感じであろうか。私は、自己矛盾に陥りかねない、この身も蓋もない結論を基本的に支持する。(20世紀は、あらゆる学問がこのように総括された時代であった)
本書で言及されなかったテーマの1つに、「事象の発生から何年たったら、歴史学の考察の対象になりうるか?」ということがある。本書では、議論の具体例として従軍慰安婦の問題を大きく取り上げている。私は、従軍慰安婦の問題を、現時点(本書は2004年に出版された)における「歴史学」の対象に入れていいのかどうか、という基本的なところで躓いてしまった。当事者が生きている状況で「史実」を明らかにしようとしても、利害関係(賠償問題とか)が生々しく絡み合うため、「よりよい解釈」に基づく議論が成り立つとは思えない。中国における「正史」は、前王朝が滅びてから100年程度経過してから書かれるそうである[1]。利害関係や感情論を排して客観的な「史実」を探求することと、「史実」に根拠を与える膨大な史料(公文書)の整理に時間がかかることを鑑みると、事象発生から「3世代」が過ぎたあたりから歴史学の出番になるのかな、と個人的には考えている。
[1] 加藤徹「西太后―大清帝国最後の光芒」中公新書(2005)
http://booklog.jp/users/asaitatsuya/archives/4121018125
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歴史学のところを中国古典文学と変えて読めば、そのままわれわれの専門分野のこととして理解できます。ぜひ読んで下さい。