投稿元:
レビューを見る
坂本竜馬、吉田松陰、西郷隆盛などの幕末の英傑も愛読した人生指南書。これからの先の見えない時代での燈台になりますよ。他の言志四録の書籍より、薄く、分かり易く解説されています。お勧めですね。
投稿元:
レビューを見る
人生指南の本です。
日本人が忘れた精神を再度呼び起こしてくれます。
姿勢が正される本です。by こゆき
投稿元:
レビューを見る
以前読んだ藤巻幸夫氏の著書に、影響を受けた本の1つとして言及されていたので読んでみることにした。原文(漢文の書き下し文)に、現代語の訳や解説がついた構成で理解しやすい。最近欧米や、現代の人の著作ばっかり読んでたので、こういう日本の歴史ある考え方(道)を垣間見れたのはいい勉強になったと思う。
[読書録]====================================================
少にして学べば、即ち荘にして為すこと有り。
荘にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
人は環境によって作られるが、その良い環境を良い方へと変えていくのは、志を持った人間である。志のある人は、自らを切り開き、良き師、良き友に恵まれ、そして学び、励まされ、一度しかない人生を有意義に創造していく。人生を良くするのも悪くするのも、この志次第。
■言志録
◇第七条「立志の功は、恥を知るを以って要と為す」志を立てて成功するには、恥を描くことが肝心である。
学問とは「教わる」ものではなく、学ぼうとする意志である。
無為自然「上善は水の如し。水は万物を利して争わず、囚人の悪む所に居る」上善とは老子の言う理想的な生き方のこと。
いまどきの人は、口を開けば忙しいという。しかし、実際に必要なことをしているのは、十のうちの一か二である。やらなくていい仕事が十のうち八か九、しかも、やらなくて良い仕事を必要な仕事と思っているのだから、これでは忙しいのも当然である。本当の大事を志す人は、このような無駄な考えに陥ってはならない。
立派な人になろうとの強い志を立てて、それを達成しようとするなら、薪を運び、水を運んでも学びに通じる。ましてや、書物を読み、事の道理を知ろうと、それに集中するなら、目的を達成しないほうがおかしい。だが、志が立っていなければ、終日読書しても無駄に終わることになる。だから、立派な人になるには、何よりも志を確立することが大切である。
人を諌めようとするときは、言葉に誠意が溢れていなければ効き目がない。仮にも、いかりや憎しみの心が少しでもあれば、忠告は決して相手の心に通じるものではない。
読書の方法は、孟子の言う次の三言を師とすべきである。
一、自分の心を持って、作者の精神を受け止める
二、書物に対しては批判的であって、その一部を信用しても、全部を信用しない
三、作者の人柄や業績を知り、又当時の社会的背景を考えながら、読んでいくべきである
「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」毎日毎日、進歩しているとの意味
■言志後録
人はだれも若いころから体験してきたことを思い出してみるべきだ。その年にしたことは正当だったか、なかったか。その年計画したことの中で、どちらが穏当であったか、なかったか。こうした反省を将来の戒めとすることが望ましい。それをしないで、ただ先のことだけ考えて、あくせくした所で何の利益もない。
◇第三三条「春風を以って人に接し、秋霜を以って自ら粛む」春風の暖かさをもって人に接し、秋霜��厳しさをもって自らを慎む。
人は皆自分の健康については心配するが、心の状態が健康であるかどうかは問わない。時々は、次のように心に問うてみるが良い。「独りでいるとき、心を欺くようなことはしていないか。独りで行く時、自分の影に恥じるようなことはしていないか。独りで寝るとき、自分の夜具に恥じるようなことはしなかったかどうか。そして自分の心が、安らかで愉快に楽しんでいるかどうか」と。このように反省する心を持っていれば、心は決して放漫にはならない。
偶成「少年老いやすく 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず 未だ覚めず 地塘春草の夢 階前の悟葉 既に秋声」
■言志晩録
時々刻々と時間は移るが、常に現在の時点に心を集中しておかねばならない。未だ気もしない将来を迎えることはできないし、過ぎ去った過去を追いかけても追いつかない。過去にこだわったり、来もしない未来に心を乱すのは、本心を忘れている状態である。
一年三百六十五日、一日として吉日でない日はない。一念発起して善を行えば、これ全て吉日となる。一年三百六十五日、一日として凶日でない日はない。一念発起して悪を行えば、これ全て凶日となる。
■言志耋録
上杉鷹山「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
人間は心に楽しむ所がなくてはならない。楽しみは自分の心の持ち方で合って、自分の外にあるものではない。
身に降りかかることは、何事も善きことと思って、それを楽しむ。これがわかると人生で怖いものはなくなる。
投稿元:
レビューを見る
佐藤一斎という人物ですら知らなかったが、この「言志四録」が西郷隆盛をはじめとする明治維新の立役者たちや小泉元首相などに影響を与え、指導者のバイブルとして広く読まれている本であることもとても興味深かった。編訳者まえがきの小泉元首相と当時外務大臣であった田中真紀子氏とのくだりはとても面白かった。
やはりリーダーになりうる資質というものはあるのだろう。
投稿元:
レビューを見る
座右の書というのに憧れがあって、折に触れて読み返し、その度になにか得られるような本。
この本は、前半は私には耳触りが良くなくて、後半に行くとそれなりにいい言葉もある。一度読み終ってから青空文庫で「西郷南洲遺訓」を読んでみたが、これでも十分かな、とか思った。
人須忙裏占間、苦中存樂工夫。
心静、方能知白日。眼明、始會識青天。青天白日、常在於我。
の二つを当面の座右の句としてみる。
次は菜根譚の予定
投稿元:
レビューを見る
1800年前後の思想家、儒家である佐藤一斎の著書4冊をまとめたもの。西郷隆盛が座右の書にしたり、弟子には吉田松陰の師である佐久間象山を輩出したりと、明治維新の原動力になったと言っても過言ではない書。
中心思想となるのは本の題名からも分かるように「志」。
学問をするにも、自分を修めるにも、国を治めるにも、職を全うするにも、手段手法云々よりもまず「志」があって初めて反省し、練磨できるというもの。
時々本を閉じ、沈思しながら読むに値する。
ちなみに、背表紙に日本刀が描かれているのが個人的にはツボだった。日本男児たるもの、心に常に真剣を持てというメッセージだろうか。
投稿元:
レビューを見る
多くの人に強くお勧めしたい本。
学問は、知だけではなく徳を身に付けるものでもあると思うが、後者を身につけるための本は限られていると思う。
その数少ない書物の中でも、珠玉の一冊といえる。
一回だけ読んでしまえば読む必要もない本が多いが、この本は1000回でも1万回でも読むべきスルメ本だと思う。
投稿元:
レビューを見る
分を知り、然る後に足るを知る、足るを知るものは富む
読書の方法、1、作者の精神を受け止める
2、批判的であって、一部を信用しても、全部を信用しない
3、作者の人柄や業績を知り、当時の社会的背景を考える
知行合一、知りて行わざるは、これいまだ知らざるなり
人はみな安否を問うことを知れども、心の安否を問うことを知らず。
富人を羨むことなかれ。貧人を侮ることなかれ。ひっきょう天定なれば、おのおのその分に安んじて可成り。
石重し。ゆえに動かず。根深し、ゆえに抜けず。人は当に自重を知るべし。深沈厚重
山中鹿之介「七難八苦を我に与えよ」
熊沢蕃山「憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の 力ためさん」
人心の霊なるは太陽の如くしかり。ただ克伐怨欲、雲霧のごとく四塞すれば、この霊いずくにか存る。
克、人に勝つこと
伐、功を誇ること
怨、怒り怨むこと
欲、どん欲
安岡正篤の六中観
死中活有り
苦中楽有り
忙中閑有り
壺中天有り
意中人有り
腹中書有り
投稿元:
レビューを見る
佐藤一斎の『四録』をほぼ網羅したのはよいのだが、いかんせん編者の訳がおおざっぱ。やさぐれた解説文の毒っぽさで、原文の重みが殺がれているように感じる。先に他の訳書を読んだせいもあるだろうが。
一斎自身はさほど世間を斜に構えてこき下ろす姿勢はなく、そもそも儒学自体がそうだったと思いたいのだが。
初心者には読みやすい本。
訳文をやたら目立たしく太字にしてくれなければよかったのだが。原文の文字が小さいのが残念。
ただし、編者が読んだ関連古典の引用などは有用。
巻末に索引もあるので便利。
投稿元:
レビューを見る
「少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り・・・」の三学戒で知られる斎藤一斎の語録。「現世で誹られても褒められても気にすることはない。死んでから批評されることが怖い。子孫に迷惑をかけてはいけない」「やむにやまれなくなって花は蕾を破って咲くのである」「言葉ではなく行動、行動よりも心の在り方」「魚は水があることに気づいていない」「戦いにおいては武器に依存するな。軍律が保たれているかどうかが重要である」「朝ごはんを食べていないとお昼にお腹が空くように、若いころ勉強していないと、壮年になって物事の判断がつかない」などなど。
投稿元:
レビューを見る
言志四録諸読者にとってはとても読みやすく、
内容も十分読む価値はあったと思う。
原文が小さく、ほとんど読まなくても良いのは、
読みやすくもあるが、賛否が分かれそう。
年をとっても常に学び続ける姿勢や心の持ち方についての言葉には、
はっとさせられることも多い。
その一方で、「足るを知る」のように、
生き物の真理を言っているものの、
捉えによっては年長者や権力者が良いように利用しやすい言葉だな、
と思うことも多い。
すべてを鵜呑みにするのではなく、この中でも言及されているように、
まずは受け入れて、そして言葉の意味をじっくりと考え、
受け入れるものは積極的に受け入れる、
というのが良い気がする。
投稿元:
レビューを見る
1772年~1859年を生きた佐藤一斎さん。博多の歴女、白駒妃登美さんの講演で「死刑に次ぐ重罪人を流す場所、沖永良部島に送られた西郷隆盛が持っていった本の一つが言志四録」とおっしゃっていたのがきっかけで読んだ本。
人間として大事な教えが、たくさん詰まっていて語り尽くせないです。
志:心の立派な人になろうとする意志
青春とは、心の持ち方
世の中、色々な災難、ネガティブな事がふりかかるけれど、払いのければ人生は晴天のように明るい
降りかかる何事も「楽しい」に変換
心が爽やかであれば何事も処理できる
常に死と隣り合わせだった西郷隆盛さんと重ねるなんておこがましいけれど、遠方の地で正直しんどいっていうのを乗り越えるための絶大な本に出会えたのは何の運命だろうか。
毎日持ち歩こうっと。
投稿元:
レビューを見る
全体を通しての感想
いつの時代も普遍的なことがある。と感じた。時代毎の環境の違いや文化の違いはあれど、人との接し方、自分との向き合い方は変わらないんだと思う。「古臭いカビた本」かもしれないが、変わらないこともある。
古文が苦手な人でも「現代語抄訳」されているのでとても読み易い。
考えていること。
迷っていること。
壁にぶち当たっている人。
人との接し方で悩んでいる人。
は一度読んでみることをおススメします。
リーダー指南書と紹介されているが、仕事や対する心構え、志の持ち方、日常の気付き、人との接し方など
大事なことを言語化できると思う。
“心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫、竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易汎濫す。”
内面的な心の修養は竪の工夫であり、外面的に博く書物を見てゆくのは、横の工夫である。
竪の工夫は深く入って自得するに至るが、横の工夫は浅く安易でこぼれ出てしまうものである。
浅く薄っぺらいものにならないよう気をつけていきたい。
投稿元:
レビューを見る
素晴らしいです!
どの言葉も、しみます。
いつか、全文を読みたいと思います。
再読のたびに、新しい発見、気づく言葉があるのでしょうね。
すごい本でした。
第二四三条 血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずるには、当に益志気を励して、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋富む。仮令今日学ばずとも、猶お来日の償う可き有る容し。老人には則ち真に来日無し。尤も当に今日まなばずして来日有りと謂うこと勿るべし。 ー 127ページ
体力からほとばしる血気には青年と老年との違いはあるが、精神から発する志気には違いはない。だから老人が勉学に取り組むには、ますます志気を励まして、青年や壮年の人に負けてはならない。少壮の人たちの前途は春秋に富んでいる。たとえ今日学ばなくとも、取り返せるだけの歳月がある。だが、老人にはもう取り返すだけの明日はないのだ。今日学ばずして明日があるといってはいけない。 ー 127ページ
投稿元:
レビューを見る
”佐藤一斎さんが42歳以降に執筆した四つの言志録*。本書は、この四書に登場する全1133条から271条を抜き出し、岬龍一郎さんが現代語訳&解説を付与したもの。
*…言志四録は、『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録(てつろく)』の四書を総称した名称。
生き方全般についての様々な箴言が載っているが、特に力を入れて語られているのが「志」であり、なかでも「どんな志をたてるべきか」「どうやって志の立て方を学ぶべきか」について多くが語られているように感じた。
なお、西郷隆盛さんは、『言志四録』を座右の書として愛読・愛誦し、101条を選んで『南州手抄言志録』としても残しているのだとか。
<読書メモ>
◎編訳者まえがき
・『言志四録』という呼び名だが、これは『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録(てつろく)』の四書を総称した名称である。それぞれの執筆年齢、期間は次のとおり。
(略)
以上、総数 1133条。一斎先生の円熟した後半生、四十年間に及ぶ箴言録である。(p.6-7:編訳者まえがき より)
★人は環境によってつくられるが、その環境をよいほうへと変えていくのは、志を持った人間である。志のある人は、みずからを切り開き、よき師、よき友に恵まれ、そして学び、励まされ、一度しかない人生を有意義に創造していく。人生をよくするのも悪くするのも、この志次第であることを、この『言志四録』は十分に教えてくれるはずだ。(p.8:編訳者まえがき より)
◎『言志録』
・第七条 立志の功は、恥を知るを以て要と為す。
(志を立てて成功するには、恥をかくことが肝心である) (p.15)
#屈辱も発奮の材料ということ。
・第十七条 静に造花の跡を観るに、皆な其の事無き所に行わる。
(心静かにして、自然が生み出す草花の様子を見ていると、少しの無理もなく、強いてやってやろうという気構えがまったくない。) (p.21)
#無為自然。無為にして化す(何もしないで感化する)。 なるほど。
★第二十条 人の精神尽く面に在れば、物を逐いて妄動することを免れず。須らく精神を収斂して、諸れを背に棲ましむべし。方に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。
(人の心がすべて顔に集中していると、外部のものに心を奪われて、間違った行動をしがちになる。だから、心を引き締め、これを背中に住まわせて、判断を誤らないようにすべきである。私欲を忘れた自分になれば、外のものに惑わされない真実の自分となる) (p.22-23)
・第三一条 今人率ね(おおむね)口に多忙を説く。其の為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一ニ。閑事を料理するもの十に八九、又閑事を認めて以て実事と為す。宜(うべ)なり其の多忙なるや、志有る者誤って此?(このか)を踏むこと勿れ。
(いまどきの人は、口を開けば忙しいという。しかし、実際に必要なことをしているのは、十の中の一かニである。やらなくていい仕事が十のうち八か九、しかも、やらなくてよい仕事を必要な仕事と思っているのだから、これでは忙しいのも当然である。本当の大事を志す人は、このよ���な無駄な考えに陥ってはならない) (p.27)
#むむむ…。やらなくてよい仕事、やってそう。
★第四十三条 昨の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過ちを改むる者は鮮なし。
(過去の過ちを後悔する人はいるが、現在していることの過ちを改める者は少ない) (p.33)
#「現在していることの過ち」を改める。第三十一条とあわせて考えるべし。
★第百ニ十五条 已む可からざるの勢(いきおい)に動けば、則ち動いて括られず。枉(ま)ぐ可からざるの途を履めば、則ち履んで危うからず。
(深く考え、これが最善であると決意したときは、やむにやまれぬ勢力が出てくるので、決して妨げられることなく自由に行動できる。また、曲げることのできない正義の途を踏んでいれば、危険なことはない) (p.56)
#本当の勇気、気概。
・第百四十八条 信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
(人から信用されることは難しい。いくらうまいことをいっても、人はその言葉を信用しないで、その人の行動を信じるからだ。いや、行動を信じるのではなく、その人の心のあり方を信じるのである) (p.66)
◎『言志後録』
・第十三条 小吏有り。苟(いやしく)も能く心を職掌に尽くさば、長官たる者、宜しく勧奨して誘掖すべし。時に不当の見有りといえども、而れども亦宜しく姑(しばら)く之を容れて、徐徐に諭説すべし。決して之を抑あつせば則ち意阻み気たゆみて、後来遂に其の心を尽くさじ。
(部下が、一生懸命仕事に務めていたら、上の者はよく励まし、誉めてやることだ。ときには妥当を欠く場合があっても、しばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。決して頭ごなしに押さえつけてはならない。押さえつけると、意欲を失って、萎縮し、それ以後は真心を尽くさなくなってしまう) (p.90-91)
★第十八条 閑想各感は、志の立たざるに由る。一志既に立ちなば、百邪退聴せん。之を清泉湧出すれば、旁水(ぼうすい)の渾入するを得ざるに譬(たと)う。
(つまらないことを考えたり、他のことに心を動かされたりするのは、志がしっかり立っていないからだ。志が確立していれば、邪悪な考えなどすべて退散してしまう。これは清らかな水が湧き出ると、外からの水は混入できないのと同じである) (p.93)
#ドキッとした。ということは、まだまだ志が立っていないってこと。
★第四十九条 余常に宋明人の語録を読むに、肯(うけが)う可き有り。肯う可からざるあり。信ず可きに似て信ず可からざる有り。疑う可きに似て疑う可からざる有り。反覆して之を読むに、殆ど諸賢と堂を同じゅうして親しく相討論するが如し。真に是れ尚友にして益有り。
(宋や明の時代の語録を読むと、私には納得のいくところと、いかないところがある。また信じることができるところと、できないところがある。疑ってよいところと、いけないところがある。だが、繰り返しこれらを読んでいると、これらの賢人と一堂に会して、親しく討論し合っているような感じがする。これは古人を友とすることで、まことに有益なことである) (p.102-103)
#これぞ人間塾の目指すもの。一日も早くこの境地に達したいもの。 そのためには、もっと繰り返して読むことだな。
・第八十四条 学は諸れを古訓に稽(かんが)え、問は諸れを師友に質すことは、人皆之を知る。学は必ず諸れを躬に学び、問は必ず諸れを心に問うものは、其れ幾人有るか。
(学問の「学」は、先賢の教えを現在に照らし合わせ、「問」は先生や友人にその疑問を質すことだということは、誰でも知っている。だが、学というのは自分で実行し、問とは自分の心に問うて反省するということを、はたして何人の者が知っているだろうか) (p.113)
#知らんかった…。しかも、前者から…。
★第百条 為す無くして為す有る、之を誠と謂い、為す有りて為す無き、之を敬と謂う。
(ことさら何かをしてやろうという考えがあるわけでもないのに、その人が登場するといつのまにか問題が解決しているというのが「誠」である。また、やった仕事が、あたかも何もなかったようにやるのが「敬」である) (p.116)
#岬さん解説「黙って解決」「つねに縁の下の力持ち」。 あー、こんな人でありたいなぁ。
★第百三十八条 学は自得するを貴ぶ。人徒(いたず)らに目を以て字有るの書を読む。故に字に局して、通透するを得ず。当に心を以て字無きの書を読むべし。乃(すなわ)ち洞(とう)して自得する有らん。
(学問をするからには、本を読むにしても納得するまで読むことである。ところが普通の人はいたずらに目で文字を追うだけだから、字面にとらわれて背後の意味を読み通すことができない。本を前にしたら心眼を開いて、行間を読むように心がければ、字面だけではわからないことも納得できるものだ) (p.122-123)
#この言志四録もただ読むだけでなく、納得するまで読んでみよう。
★第百四十四条 読書も亦心学なり。必ず寧静を以てして、躁心を以てする勿れ。必ず沈実を以てして、浮心を以てする勿れ。必ず清深を以てして、粗心を以てする勿れ。必ず荘敬を以てして、慢心を以てする勿れ。孟子は読書を以て尚友と為せり。故に経籍を読むは、即ち是れ厳師父兄の訓(おしえ)を聴くなり。史子を読むも、亦即ち明君、賢相、英雄、豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て之と対越せざる可けんや。
(読書は心を養うためにある。だから、必ず心と環境を整え、心を平静に保って読むべきである。浮かれた心や騒がしい心で読んではいけない。いったん本を前にしたら、尊敬の念を持ち、バカにしたり先入観を持ってはいけない。孟子によれば、読書することは古人を友人とするようなものなので、ひもといたならば厳しい教師や父兄の訓戒を聞くようにすべきだといった。歴史書や諸子百家の本に接することは、明君や英雄豪傑と交際するのと同じだからである。まず心を清らかにして、書中の人物より、むしろ凌駕するぐらいの気概を持って対面しなければならない) (p.124)
◎『言志晩録』
・第四十四条 論語を講ずるは、是れ慈父の子を教うる意思。孟子を講ずるは、是れ伯兄の季を誨うる意思、大学を講ずるは、網の綱に在るが如く、中庸を講ずるは、雲の岫(しゅう)出ずるが如し。
(『論語』を講義するときは、慈愛に満ちた父親が諄々と教え諭す気持ちであらねばならない。『孟子』を教えるときは、兄が弟にいい聞かせる気持ちになればよい。『大学』を教えるときは、理路整然と網を一本の綱で引き締める気持ちがよい。『中庸』を教えるときは、素直な気持ちで、雲が山のほら穴から出るような自然の態度が必要である) (p.139-140)
★第六十条 少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、即ち老いて衰えず。
老いて学べば、即ち死して朽ちず。
(少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。壮年のときに学んでおけば、老年になってからも気力が衰えることはない。老年になっても学んでおけば、ますます見識も高くなり、社会に役立つこととなり、死んでからもその名は残る) (p.143-144)
#有名な一節。かくありたい。やはり本書は「学びと実践」がテーマなのかな。
★第百五条 器械を頼むこと勿れ。当に人心を頼むべし。衆寡を問うこと勿れ。当に師律を問うべし。
(戦いにおいては武器に依存するな。人の和を頼りにすべきである。また、軍勢が多いか少ないかは問題ではない。軍律が保たれているかどうかに注意しなければならない) (p.153)
#相反するように見える 人の和 と 規律 が成果を出すためのキーポイント。
★★第二百十九条 人事百般、都(す)べて遜譲なるを要す。但だ志は即ち師に譲らずして可なり。又古人に譲らずして可なり。
(世間一般の事柄については、人より一歩下がって譲る心が大切である。だが、志だけは師や古人に対しても遠慮することはない) (p.175)
#これ、すごく重要なメッセージだと思うが、うまく言葉にできない…。
#「それぐらい頑固でいろ」ではなくて、「それぐらい志を深く掘って、自分独自の志を打ち立てろ」、ということか。
・第二百二十九条 父の道は当に厳中に慈を存ずべし。母の道は当に慈中に厳を存ずべし。
(父親たる者は、厳格の中に慈愛がなければならない。母たる者は、慈愛の中に厳格さがなければならない) (p.178)
・第二百五十一条 人才には、小大有り、敏鈍有り、敏大は固より用う可きなり。但だ日間の瑣事は、小鈍の者卻(かえ)って能く用を成す。敏大の如きは、即ち常故を軽蔑す。是れ知る。人才、各用所有り、概棄すべきに非ざるを。
(人間の才能には大あり、小あり、敏捷あり、鈍重などあって、人さまざまであるが、それらは全部用いることができる。日常の細かな仕事には、鈍重で実直な人が適しているし、敏捷で切れる人は、日常の些末なことを馬鹿にして、かえって役に立たないものだ。要するに、人にはいろいろ使いどころがあるものなので、どんな才能でも捨てるべきではない。この使い分けを適材適所という) (p.183)
★第二百八十三条 我より前なる者は、千古万古にして、我より後なる者は、千世万世なり。仮令(たとい)我れ寿を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間のみ。今幸いに生れて人たり。庶幾(こいねがわ)くは人たるを成して終らん。斯れのみ。本願此(ここ)に有り。
(これまで、この世は幾千万年を経てきたのだろうか。これから、この世は幾千万年続くのであろうか。誰もわからない。だから、たとえ自分が百年の寿命を保ったとしても、宇宙の生命からみれば、それはほんの一呼吸にすぎない。現在、幸いなことに人間に生まれた以上は、人間としての使命を全うして一生を終わりたい。自分の一生の本願はこれだけである) (p.189-190)
#人間としての使命。何のために生まれてきたのか。岬さんは「自分を含む多くの人と楽しみを共有し、共生するためではないか」と感じているそうだ。
#「人と人とのつながりで、ご機嫌で抜群な世の中にしたい」ってことかな。
◎『言志耋録』(てつろく)
★第二十四条 私欲の制し難きは、志の立たざるに由る。志立てば真に是れ紅炉に雪を点ずるなり。故に立志は徹上徹下(てつじょうてつげ)の工夫たり。
(自分の欲望を抑えきれないのは、志が固まっていないからだ。志が固まっていれば、欲望は赤々と燃える炉の上に置いた一片の雪のように、すぐに消えてしまう。だから、志を立てるということは、上は道理の解明から下は日常の些事まで、徹底するように工夫すべきだ) (p.197)
#ん?、2000?2002年の志はまさにそうだった。今はどうだ。まだまだ固まっていないじゃないか!
・第四十条 真の己れを以て仮の己れに克つは、天理なり。身の我れを以て心の我れを害するは、人欲なり。
(「かくあるべし」とする真の自我と、「こうありたい」という安易に流れる仮の自我とがわれわれにはある。真の自我をもって仮の自我に打ち克つのは天の道理である。これに対して、肉体的な欲望に動かされ、精神的に生きようとする心を阻害するのは我利私欲である) (p.201)
#精神的な欲望のこともあるが…。
★第九十九条 立誠は柱礎に似たり。是れ竪(たて)の工夫なり。居敬は棟梁に似たり。是れ横の工夫なり。
(自分を磨く場合、誠を立てるということは、ちょうど家を建築するときに土台をしっかりと据え置くのと同様、根本を確立することである。これは縦の努力である。一方、敬(他人を敬い、自分に慎み深い)であるということは、棟や梁を置くようなもので、これは横の努力である。このように「立誠」と「居敬」の縦と横があって立派な人間が形成される) (p.206)
#なるほど。
・第百十九条 我れ自ら感じて、而る後に人之れに感ず。
(何事も、まず自分が感動して、人を感動させることができる) (p.220)
・ローソクは身を削って灯火をともし、すりこぎは身を減らして味を出す。(p.223)
#岬さんの解説文より。
・第百四十九条 凡そ物満つれば即ち覆るは、天道なり。満を持するの工夫を忘るること勿れ。満を持すとは、其の分を守るを謂い、分を守るとは、身の出処と己れの才徳とを斥(さ)すなり。
(何事も一杯になると覆ることは自然の成り行きである。どうすれば、満ちた状態を持続できるかの工夫を忘れてはならない。満ちた状態を持続するとは、自分の本分を守るということであり、本分を守るとは自分の身の振り方と才能と徳を考えて、分を超えないようにすることである) (p.230)
#分度!年輪経営!
★第二百五条 名の干(もと)めずして来る者は、実なり。利の貪らずして至る者は、義なり。名利は厭う可きに非ず。但だ干むると貪るとを之れ病と為すのみ。
(自分が要求しないで得られる名誉は、その人の実績によるものである。がめつく要求しないで得られる利益は、正しく行った成果である。このような名誉と利益は遠慮すべきものではない。ただ、みずから名誉を求めたり、利益をむさぼるというのは、弊害をもたらすだけである) (p.235-236)
・第二百三十九条 真勇は怯(きょ)の如く、真智は愚の如く、真才は鈍の如く、真巧は拙の如し。
(真の勇者は慎み深いので臆病のようであり、真の知恵者はよく考えるので愚者のようであり、真の才人はその才能を隠しているので愚鈍のようであり、真の巧者は素人目にはわからないので、かえって下手のように見える)
◎あとがき
・組織の長として多くの部下を抱え、指導する立場ともなると、わがまま勝手は許されず、部下を納得させ指導するには、それなりの「リーダー学」が求められ、それ以前に「修己治人」が必要であった。すなわち、まずは自分の人間性を高め、そののち人を感化できるというもので、遅ればせながら、やっとこの年齢(四十代)になって人間学や指導力の必要性を痛感したのだった。(p.247-248)
★『言志四録』には「志」という言葉が何度も登場するが、では、改めて「志とは何か」(略)
多くの人は、この「志」を「立身出世すること」と思っているようだが、これは間違いである。たしかに志を持った結果として立身出世する場合もあるが、それは結果であって、本来の意味は「心の立派な人になろうとする意思」のことである。(p.251)
#この流れでクラーク博士の「少年よ、大志を抱け」の言葉の後半も紹介。
・じつは「大志を抱け」のあとには、「それは金銭や利己的誇示のためではなく、また世の人々が名声と呼ぶような虚しきものに対してでもない。すなわち人間が人間として当然身につけるべきことを達成せんがための大志を持つべきだる」と続くのである。(p.252)
<きっかけ>
人間塾2012年10月課題本。”