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案外すきです、こういう無意味な中にあるやるせなさ。そうそう書けない。
こういうやり取りって十代はじめにしかできないんじゃないのかな。
今やれって言われてもできないかも。
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これは読みにくいし、よくわからない。
高校生のクラスでの立ち位置。
いろいろな考えがありますね。
話がよくわからないところが多くて、自分にはちょっと合わなかったですね。
(2008.09.05)
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<「青春。青く未熟な春と書く。しかし現実は冬そのものだ」―明と純一は幼なじみの落ちこぼれ男子高校生。何もできないがゆえに人気者の純一に明はやがて、聖痕を見出すようになるが…。“聖なる愚か者”を描き衝撃を与えた三島賞作家によるデビュー作&抱腹絶倒の第35回文藝賞受賞作。>帰省し書籍整理(マイホビー)をしていたら出てきたので再読。前回より随分楽しめた。「二匹」が出版されたのは1999年のことである。しかし読んでみると、「すごく新しいかんじ」がする小説である。当時「ジャンクな日本語」と言われた表現がまさに今現在のコトバとなっているのだろうか。「狂犬病」(明は「狂犬病」にかかっているのだ)の部分が私にはきれいに理解できない。それでもこの作品はいいなあと思う。主に鹿島田真希の言語センスのよさによる。うすた京介的な稀有な言語センスの持ち主である。そしてそれらの表現を楽しんでいるとふいに訪れる「切なさ」。これぞ読書の醍醐味。
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フランス文学に影響を受けてるという鹿島田さん。私自身もともとフランス文学が好きでないから、どうかなぁと思いましたがやはり駄目でした。
まぁデビュー作ってこともあり駄目だったのかもしれないので他の作品も読んでみます
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なんとなくこの感じに騙される。意図していることがなんであるかとか、書かれていることを追っても無駄だったと思う。すごく曖昧なところでおもしろいと言わされる、なかなか抵抗しがたい本だと思った。わからないのが怖いという弱点をもちながら、時々なんとなくこの感じわかるという少しの安ど感があって、そこにあるのは著者の想像だけという気がしてそこが好きだった。ほかの作品を読んで何かを確かめたくなる、挑戦を買いたくなるようなことを『二匹』を読んで思った。
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今まで読んだことのないような内容でなかなかついて行けなかったというのが本音だけど、気づいたら読み切っていた…
もう一回落ち着いて読んだら、何か見えるのかなぁ。。
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「抱腹絶倒!」とか「衝撃のデビュー作!」とかの宣伝帯に惹かれて買ったわけだけども,どのあたりで笑って衝撃を受けたらいいのか一つもわからなかった。頑張って最後まで読んだけど,やっぱり意味がわからなかった。
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初鹿島田さんにて胸かきむしられるような名前の付けられない痛くて苦しくて、その合間に一瞬だけ訪れる極上の救済体験をして、目がチカチカした。
独特な文章センス、彼女の独自の言語感覚に初めは振り回されて、自分が何を手にし、何を読んでいるのかさえ分からなくなるような気がした。
語られている二人ではない「二匹」となった少年が身体に受けた痛みや衝撃を共に感じ、彼らが走り続けて向かっていった場所へと同じように追っていったはずが、気付くと振り落とされて迷子になってしまったような感覚だった。
けれど何とか食らいついて鹿島田さんがぶん投げてくる文字に触れ続けていると、突然眼前に、私に干渉もしないが、私を当然のように受け入れてくれる優しい場所が広がっていた。
そこで「二匹」の狂犬たちは、自由に走り回っている。
決して安全そうではなく、頻繁に目を覆いたくなるような危うさが、そこには常に蔓延している。
そうしてこれからも優しくない世界と彼らの未熟な心そのものが、彼らが狂犬になって作った楽園をぶち壊してしまうかもしれないという予感が氾濫している。
しかしもう大人になった私は、そんな彼らを羨ましいと思ってやまない。
もうこれ以上は近づけることはないが、ヒトの座標空間から外れた彼らだけの言語を使い、ヒトには出来ない新しい接近から生まれた二匹の距離で、どこまでも純粋で無垢な心で命を護ることに貪欲な彼らを、出来ることならもっと強く感じて、共にこの危うい世界を狂って走り回りたいと願ってしまうのだ。
ここまで暴力的な小説に出会ったのは久々で、読み終えたのは一ヶ月も前なのに、こうしてまた手に取るとぞくぞくが止まらなくなる。
そして、これは新しい文学だ! なんて思った感動が再び蘇ってまたぞくぞく。
二匹の動物の姿は、私の中にまだ痣のようになって残っている。
そこに触れると痛くて、少し気持ちよくて、なにこれ、ほんとたまらない! 状態になってしまうのだ。
「聖なるバカに福音を!」
ああ、鹿島田さんが大好きになってしまった。
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鹿島田真希さんのデビュー作。クラスの出来損ないの男子高校生二人が、現実逃避を繰り返し、仮の狂犬病と化していく姿。諸所に色んな意味が込められてるのだろうけれど、今の私には解せなかった。
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ドストエフスキーを並行して読んでいる。鹿島田作品の中の「聖なる愚か者」とは一体どんな状態・どんな人を指すのだろう。今回もその人物を探しながら読んだ。人としていながら犬のように、動物のような関係を築くという幼馴染の高校生男子・・・。
わたしはもう少しじっくりこの本を読みたい。鹿島田真希という著者がいまとても気になる。
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このような異常な紐帯なんて、私達は想像する術すら知らないのがほとんどだろう。
将来的にカノン化される可能性を秘めているとは感じた。
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「二人」ではなく「二匹」であることにより築かれる二人だけの濃密な世界。閉鎖的で誰も介入できない世界。ある意味、青春。
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鹿島田作品は二作目となる。
以前読んだ「一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する」よりは大分とっつきやすいくらいスラスラ読めた。最初は孤独な高校生を描きつつ、物語としてはそこから逸脱していく非現実。つまり幻想世界に導かれた内容になるのだけれど。
大体自分の感じたことは解説を読んで納得するに至った。
そのまま読んだら、意味が分からない寓話に終わったと感じる。本作を、J文学の一つとして、解説者はその様なニュアンスとしては記している。文藝賞の当時の選考はまさにそういう内容を描く作者が集結している印象を感じた。
個人的に思った感想を書けば、孤独な主人公の明、周囲から見れば異常だが無害で可笑しい行動を取る純一。この位置の違いには殆ど変わりが無く、ポジションの配分に他ならない。一緒と感じられる物事の存在だとしても、見方によっては全く異なる対応・態度を取られるという風に感じた。本書の物語の仕組みとして、一層深い観点から、その人物の周囲、もしくは似た環境にある中心が変化を遂げたとき、その広い周りにいる人物は頼り(宛て)にしていた分、その方向性に迷いが生じる。その不安定さがより顕著に出ているな、と。何かを頼りにしている。その頼りが移り変わるのか、それとも無くなるのか、これは落ち着かない事象だな、と、それだけ思った。
ただ、内容としては抽象的で、具体性が無く、高校生にしては幼さを感じる。もしくは醜いとも思う残酷さを感じた。面白みは無かった。笑える要素も、ツボの違いのせいか、全く引っかからなかった。