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第二次世界大戦で枢軸国側が勝利し、ドイツと日本が二分支配している世界。日本が支配しているアメリカ西側では、枢軸国側が破れた逆転の歴史世界を描いた小説が密かに流行していた。ドイツと日本の間にも覇権争いの不穏な空気が流れる中、小説の作者に会うため旅を始める女、歴史的民芸品の偽物を作って生計を立てているその元夫、盟主たる日本人相手にその偽物を売る古美術商などが、それぞれの思惑を抱えながら歴史の渦中に飲み込まれて行く・・・
いわゆる「歴史改変」をネタとしている、という点では明らかにSFなわけですが、この作品において、SFとしてのバックグラウンドはあまり重要ではありません。むしろ、この風変わりな世界の中で右往左往する登場人物たちが繰り広げる様々な人間ドラマをじっくり堪能するタイプの作品。話の途中にいくつかの事件が発生しますが、世界を揺るがすような「実にSFらしい」大仕掛けは全く登場しません。ラストを締めるオチもありません。登場人物たちにも、スーパーマンはひとりも居ません。誰もが脛に傷もつ卑屈な小市民に過ぎません。かーなり地味ですヽ( ´ー`)ノ
割と歴史改変ものSFには派手な演出の作品が多いような気がするんですが、敢えてソチラ方向に持って行かずに、歴史の中の個々人を丁寧に描き出すことに腐心した、ディックの狙い目は何だったんだろうなぁ。鴨的には感情移入できるような登場人物がひとりも居なくて、結局最後まで入り込めずに読了してしまったのですが、いつかあの世でディックに聞いてみたいです。
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ディック作品の魅力は人物の活写、それも市井の小人物の描出の妙にある。【高い城の男】はディック作品でも屈指の登場人物の多さを誇るが、それぞれの生き様がリアルに彫り込まれていて、権力者も権力に翻弄される側も魅力に溢れていて飽きさせない。その立場の違う登場人物達が「易」をツールとして世界の真理に触れようとするダイナミズムは、この作家のヒューマニティを強く感じさせる。
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PK dickなら、僕はradio free europeとか、そこらへんのほうが好き。途中に出てくるアメリカの民芸否定みたいなエピソードは、ひょうげものっぽくってとてもよい。すごい論理。
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SF作家といえば、まずはPKディックの名が頭に浮かぶ。
それは、初めて読んだSF小説がPKディック著『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』(なんとズバ抜けたタイトルか)だっただけではない。
Science Fictionに抱くイメージは(その定義が変遷し、膨大なジャンルを抱えるからこそ)、自分自身の中でも多種多様であるが、SF小説が帯する独特の幻想性について言及した場合、PKディックのそれが最も波長が合う。
そして、SF小説に魅了される理由は、この独特の幻想性によるところが強い。だからこそ、SF小説といえば彼の名前がまっ先に思い浮かぶのだ。
個人のモノローグはさておいて、
ニューウェーブSFの鬼才フィリップ・K・ディックが放つ1963年ヒューゴー最優秀長篇賞受賞の当著は、ドイツと日本が第二次世界大戦を勝ち抜いた世界を舞台に、鬱積した憤懣、蠢く陰謀…不安定な社会で息苦しくも生きる人々をただ”単調”に記している。
これまで読んだ彼の作品の中でも、本書がとりわけ特徴的なのが、とにかく物語の大半を登場人物のモノローグが占めることであり、上に挙げたPKディック特有の幻想性が抑えられていることである。
そういう意味で、少し物足りなさを感じたのだが、日本人ならばきっと興味を持つであろうIFストーリーに興味をそそられずにはいられませんでした。
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再読。
あーやっぱりオモシロい。
個人的には、まったく関係のない人たちがある一点において交わる。その一瞬にだけ誕生する奇跡や悲劇、というのがこの作品の主題だと思っている。まぁ違うのかも知れないけど。その主題は、ある意味では、僕らの生きている人生にも通じる重大なテーマだと思う。
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それぞれ全く違う生活を営む登場人物たちが、後半に行くにしたがって少しずつ関わりを持っていく過程が上手い。ほんの些細な関わりでも、大きなズレを生んでいく。
歴史改変ものの話の中で、歴史改変ものの小説が流行っている、というところが面白いなぁと思った。
登場人物が多く、把握に少し手こずった。また再読して整理したい。
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1962年発表。第二次世界大戦の勝者が枢軸国となっている世界の話。舞台はアメリカだが、東海岸はナチスが支配し、西海岸と南米は日本の「太平洋共栄圏」になっている。片田舎のロッキー山脈連邦は日本よりである。アフリカはナチの地中海干拓にともないドイツ人が入植し、ロシアも同様にドイツが入植している。また、ナチスは火星入植も計画中。そんな「時代」を生きる人々の心理が緻密に描写されていく。主人公は、フランク、田上、ヴェゲナー、チルダン、ジュリアナと複数おり、彼らの物語が交互に積み上がっていく構成である。ユダヤ人であることを偽って生活しているもの、日本人の収集癖に寄生して生きているアメリカ人、ナチスの日本殲滅計画を防ごうとする情報部員などの物語である。日本のアメリカ進出にともなって『易経』の占いが普及しており、フランク・ジュリアナ・田上といった人々が占う卦によって物語の行方が暗示されていく。また、こうした倒錯世界のなかで史実どおり「ドイツと日本が負けた」世界を描いた小説がベストセラーになっており、物語のなかの物語として登場し、そして最後にこの「物語のなかの物語」が「物語」にはみ出してくるという筋立てである。アメリカ人が「身分」を気にしたり、美意識や交渉術に劣等感をいだき、自分たちを「野蛮人」と見なしているなど、占領国民の心理を克明に描き、この点はリアリズムである。ディックの作品はよく途中で主人公が自ら幻覚をみて、「信頼できない語り手」になってしまうため、読むのが難しい。『易』や俳句、『チベットの死者の書』など、いわゆる「ニューエイジ」的な要素も多くある。歴史イフものと言えば、それまでだが、戦勝国のアメリカ人作家が書いており、日本のもののような一種の恨みがましさとか国粋的な感情は比較的弱い。ディックの他の作品のように映像化することは困難だし、むずかしいだろう。時間SFのなかでも「別の現在」を扱うタイプのSFである。
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歴史改変SFの古典でさらに捻ってある設定の妙に今さらながら唸らされる。群像劇として多数の人物からの視点を通じて、彼らの心情や世界への思いを語られることで読者に自然に世界観を伝えるテクニックは素晴らしい。神秘体験のあたりが昔はよくわからなかったが今でもわからない。ただディックの幻視の描写に圧倒されるばかりだ。小説内小説がまた真実であっても、登場人物たちは彼らの世界でのみしか生きるしかないという運命を甘受しなくてはいけないし、それを読む我々も自分たちの世界にから逃れられないという運命に気づかされ慄然とする。
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設定と装丁に惹かれて読んだら、思ってた感じとはだいぶ違ってびっくりしました。
結局ちんぷんかんぷんだったけど、一気に読んでしまった。
また読み返したいです。
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構造的に面白いし、中盤のワクワク感もいい
だけど、ちょっと作り込み過ぎな気もした
世界をでかく見せるためには必要なのかもしれないけど、物語上そこまで書く必要なくね?っていうエピソードもチラホラ
この本のテーマは運命はある程度決まってるけど、偶然と努力で変えられるよって事かな
宿命論の否定?
そのために現実の並行世界的な世界観が描かれてるけど、その中で現実世界を描いた小説が出てくる
そして、それは真実が書いてあるという描写
やっぱり宿命論の否定の否定?
どっちとも言えないなー
運命って概念は厄介だ
そんなこと考えてみるとちょっと面白い
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「歴史にイフ(もしも、~だったら)はない」というのは、よく聞くセリフだ。とはいえ、架空戦記物に限らず、この種の話は巷に溢れている。「もしも、あの時こうなっていたら」や、「ああいうことをしなかったら」という思いは、日々誰もが経験していることだからだろう。そして、そうした願望や後悔は、白昼夢に似て儚く虚しい。好むと好まざるにかかわらず、「いま、ここ」にあるという現実に拠るしかないのが、我々に与えられた唯一の選択肢であるからだ。
思考実験というものがある。科学的な実験のように薬品や装置を使わず、論理的な推論を積み重ね、その結果を見てみるという方法だ。結果がどうあれ、爆発も大気汚染も引き起こさない。至極安全な実験と言えるだろう。しかし、それを言葉や文章にすれば、読んだ人の心理や思考経路に秘かに浸み入り、現実の世界を見る時にいくばくかの影響を与えずにはいない。
もともと、我々が日々生活しているこの世界自体が、白紙のように真っさらという訳にはいかない。意識的であるか無意識の裡にであるかは問わず、支配的なイデオロギーによって染め上げられ、我々は首までそれに浸かって暮らしているのである。自分では、日々の暮らしの中で行う選択は、自分が行っていると考えているが、そういう自分を構成しているものが何であるかを問いながら日々を生きている人はまずいない。そんなことをしていたら、早晩精神がまいってしまうだろう。
つまり、自分は自分で思っているほど自分ではないのだ。世界も同じである。大昔の人々が考えた世界は、亀や象の背中に支えられていたそうだが、それは今も変わらない。亀や象の替わりに、皮膚の色もちがえば、言語も信仰も異なる無数の人間が支えているのだ。グローバリズムというのは、みんなが支えている世界を一つのものにしようという考え方である。実際の世界はそんなに堅固なものでも、はっきりした輪郭を持ったものではない。不定形で可塑性の高いものである。
第二次世界大戦は、枢軸国の敗北という結果に終わったが、ナチスの行った、ユダヤ人をはじめ、彼らが劣等と見なす人々に対する弾圧や大量虐殺は、人は果たして信じるに値する存在なのかという、人間存在についての根本的な疑義を生じさせた。たまたま、ドイツや日本が敗れたから、世界は今のような形で存在しているが、もし、ドイツ軍が勝利を続けていたら、アメリカが日本に敗れていたら、世界はどうなっていたのだろうという疑問が浮かぶのは避けようがない。
フィリップ・K・ディックの『高い城の男』は、小説という形式で、その疑問を思考実験したものである。第二次世界大戦で日本とドイツが勝利した結果、世界は二分割され、ヨーロッパではドイツが第三帝国として君臨し、日本は太平洋共栄圏の理想を実現しているという、まあ、喩えが悪いのを承知しつつ言えば、世界は『猿の惑星』状態にある。
宇宙にまで進出したドイツの次の狙いは地球の完全な支配である。日本に核攻撃を仕掛けるタンポポ計画なる陰謀をめぐってドイツの指導部内での覇権争いが起きる。最悪のシナリオを阻止するために動くドイツ人と日本人、彼らと何らかの関係を持つア���リカ人の数人を中心に、短い場面ごとに視点人物が交代する映画的なストーリー展開。
興味深いのは、小説の中に日本とドイツが負けるという筋書きの小説が登場し、ベストセラーになっていることである。その小説家は「易経」をもとにそれを書き上げたらしい。そして、日本人に限らずユダヤ系アメリカ人も、その元妻もみな筮竹代わりにコインで卦を立てる。つまり、日々の行動原理はどうやら、あの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の八卦任せなのらしい。日本が実権を握った地域で、道教ゆかりの「易経」が流行るというのが、可笑しいが、ヒッピー・ムーブメント隆盛の頃、タオイズムに人気があったのは事実だ。作者はその洗礼を受けていたのだろう。かなり本格的な言及である。
人智では及びがたい原理というものが世界にはあり、それに従うことで世界は安定するという思想。一部の権力を握った人間の暴走がホロコーストを引き起こしたという苦い反省が、行動の決定を「八卦」という中国古来の思想に委ねるという解決法を見出させたのかもしれない。二項対立の思考法が西欧の原理で、それが災いの根源だとするなら、三項目を立てるジャンケンや三すくみの思考法も有効性を持つかもしれない。ならば、「八」卦なら、よりよいというものでもないだろうが、作家は煮詰まった西欧的思考に限界を見ていたのかも知れない。そして、それは9.11以降、ますます現実味を帯びてきているのではないだろうか。
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枢軸国が第二次大戦に勝利した世界を描いた、歴史改変SFの古典。
アメリカ人の目から見たアジア的混沌の情景が面白かった。
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ディック祭り第3弾!
第2次大戦でドイツと日本が勝利した世界。その世界の人々をリアルに描いているところまでがかろうじてSFと呼べるか。でも、ディックが描きたいのはそんなことではない。現実ですら苦しいことも多い世の中、じゃぁ全く逆だったらどうなのかという設定にはなっていいるけれども、明るい世界が広がっているわけでもなく、やっぱり描かれるのは「不安」。
相手の気に入らなかったら・・・偽物と見破られたら・・・そもそも本物って何・・・もう不安だらけ。その不安だらけの日々の道筋を示すために卦が用いられる。こういう小説に惹かれるってことは、自分の「今」が不安だらけだからなのだろうか。
ディックの小説を読んでも何も解決しないし、すっきり爽快感もない。でも、共感する不安な部分に気づく。それで、また読んでしまう。凄い!
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第二次大戦で日本、ドイツが勝利し、世界を分割統治している世の中。大東亜共栄圏として日本の支配下にあるアメリカ西海岸で繰り広げられる、アメリカアンティーク商、その顧客である日本の通商団代表、その通商団と取引を目的に西海岸に降り立った、と詐称するプラスチック会社セールスマン、ユダヤ人であることを隠した工芸職人、法外地区に住むその元妻、元妻のもとに迷い混んだイタリア兵士、などなど様々な登場人物が編み込むSFサスペンス。
いっぱい登場人物がいると散漫な状態でなに読んでいるかわからなくなるのが自分の常ではありますが、こちらの小説はどのエピソードもかっこよくまとまってて素敵でした。
アメリカアンティークと工芸品における日本とアメリカの愛憎入り混じる感情の描写、その部分の確かさに感嘆です。価値がないことの湾曲表現とか、日本人ほんとにこういいそう。
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もし第二次世界大戦で日本が勝利していたら―。
何かワクワクしませんか?
いやね、別に私は戦争を賛美する者ではありません。
本書は第二次世界大戦で枢軸国側が勝利し、日本とドイツがアメリカを分割統治している世界を描いたSF小説。
1962年に発表された小説ですから、私の生まれる10年以上も前。
ちなみに著者は本書でヒューゴー賞を受賞しています。
今だとフィリップ・K・ディック賞という自身の名を冠した文学賞がありますね。
有名なSF作家です。
なんて偉そうに書いていますが、実は「作家の読書道」というお気に入りサイトで、作家の星野智幸さんが勧めていたので買いました。
そしたら、面白いのなんのって。
アメリカ人が日本人の顔色を見ながら手もみしたりしているんですよ。
痛快だと感じて、ふと考えてしまいました。
敗戦国民として自分の中にも抑圧された心情があるのだと。
ドイツ人はかなり悪しざまに描かれている一方、日本人の描き方は好意的です。
著者の戦争に対する透徹した眼差しにも敬服しました。
正直に言うと登場人物が多過ぎて、アタマの悪い自分は途中、話の筋を見失ったりしました。
あと帯状疱疹で終盤は身体が痛くて集中を欠いてしまいました。
でも、面白いですよ。
ただ、主たる登場人物が易経を行動指針にしているというのが、やっぱりどうしても最後まで馴染めませんでした。
感じ方は読む人それぞれでしょうが。