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読んでいる最中、何度も目頭が熱くなって、本を閉じました。
それだけ、迫るものが書かれていたのだと思います。
命という誰もが持っていて尊いとわかっているモノについて改めて考えさせられ、
死という誰もに訪れる瞬間について向き合う必要性を教えてもらいました。
ずっと胸に残っていたものの正体が、この本を読んでわかりました。
僕も弔い残しているんだと思います。
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2012年、第10回開高健ノンフィクション賞受賞。
副題に「国際霊柩送還士」とある。
これは、海外で日本人が亡くなったとき、また日本に滞在中の外国人が亡くなったとき、その遺体を遺族の元まで送り届ける仕事である。
本書で取り上げられている会社はエアハース・インターナショナル株式会社。事実上、この会社がこの業界でのパイオニアであり、第一人者のようである。
日本人の場合であれば、現地からの飛行機の手配をし、空港で遺体を受け入れて、遺族の元に運ぶ。あるいは、外国人の場合であれば、遺体を預かり、空港から送り出して現地に届ける。搬送にあたって、遺体の状態が悪くならないようにエンバーミングの処置も行う。
葬儀社というわけではなく、遺族が望む場所に遺体を運び、弔いが行えるようにする。いわば「つなぐ」仕事といってよいだろう。
近年、日本人が海外で亡くなる事件・事故を耳にすることが増えている。
人の行き来が増えるということはまた、行った先で亡くなる人も出てくるということである。
そうはいっても、まだ、海外で亡くなるというのは、仕事や観光の途中、いわば不慮の死であることが多い。遺族は往々にして、心の準備ができていない状態である。
物理的に距離も遠く、また国によって必要な手続きもさまざまである。日本式の火葬は世界標準なわけではなく、日本の常識からは「考えられない」状態で遺体が帰ってくることも稀ではない。
そうした遺体をスムーズに遺族の元に戻す。
時間が不規則であり、かなりの体力を要する激務である。状態の悪い遺体を目にすることも多い。
法的な知識も必要だし、もちろん海外とのコネクションも大きくものを言う。
過酷な仕事だが、彼らはまるで宗教者のように、遺族に、そして遺体に向かう。
依頼が次第に増えている中で、信じられないほどの少人数で業務を回していることも驚きである。
これは誰でもできる仕事ではない。
本書は、エアハースに密着しながら、国際送還が必要になってしまった故人、そして遺族の人間ドラマを綴っている。
エンバーミングで穏やかになった遺体を前にした家族の反応、本国式で葬礼を行うことによる安堵感。
送還士として働く人々の背景、また著者自身の経験談も織り交ぜながら、丁寧な描写がされていく。
きちんと「弔う」ことの意味とはなにか。
そんなことも考えさせる1冊である。
*日本で亡くなった外国人の事例については、石井光太『ニッポン異国紀行』でも取り上げられていた。
*人間ドラマの部分で、ずいぶんと泣いてしまったのだが。
読み終わってみると、実際の書類としてどんなものが必要とされるのか、とか、各国の現場でどのような処置がなされ、その違いが何なのか、とか、本文中にちらっと出てくる国際フューネラルシンポジウムの具体的な内容、とか、事務的・実務的な話ももう少し知りたかったような気もしてくる。
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国外で命を落とした人々のため、また日本で命を落とした外国の人のため、この職業があったのですね。
まさに、プロの仕事。
同じ著者の本(某製紙工場のヤツですね)から比べると、思い入れの強さを感じますね。
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国際霊柩送還士。
遺体に必要な処置を施し、遺族のもとへ送り届ける仕事。「国際」とつくのは、海外で亡くなった日本人だけでなく、日本で亡くなった外国人を母国へ送り届けるから。
エンバーミング(防腐処理)だけでなく、どんなに損傷が酷い遺体でも修復・処置を行い「【本書抜粋】生前の姿に比べ、血色をよくするわけでもなく、生前より華美な化粧をすることもない。生前そのままの姿」で遺族のもとへ送りと届ける仕事。遺されたものがきちんとお別れができるように。
国際霊柩送還を事業とする「エアハース・インターナショナル」への取材を通して、国際霊柩送還士の仕事を描いたノンフィクション。
正確には著者が本書で記している通り、国際霊柩送還士という職を通して、「【本書抜粋】人が亡くなることの普遍的な悲しみと、我々の心の奥深くに根づいている、日本人としての「死」の捉え方」が描かれています。
取材先であるエアハース・インターナショナル社長 木村利惠は著者にこう語ったといいます。
【本書抜粋】
映画「おくりびと」などはただのファンタジーだと利惠は言う。あれを見て現場がああいうものなのか、と考えてもらっても困ると思っていた。
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いろいろな意味で、現代日本では「死」がきれいに日常から切り離されてしまっているのかもしれません。
私は、学生の頃から「死は常に生のそばにある日常的なもの。生と死は対局にあるものではなく、境界なく身近に存在しているもの。生きるために死に、死ぬために生きる。」という考えを持っています。
いや、正確にいうと、考えを持っているのではなく、そういう感覚が身体に染み付いていると感じています。
理由は自分でも分かりません。
偶然かとは思いますが、ここ数ヶ月で私が出会った書籍の半分以上は、テーマは異なっていながらも、直接的に死を扱っていました。
それらの書籍と本書に共通するもの。
それは、喪の作業の大切さ。
誰にも救いようがない絶望と悲嘆(グリーフ)。悲嘆はくぐり抜けることでしか癒されることがない。そして、その気持は誰にも分からない。これらの悲嘆をくぐり抜けたことで始まる死者とのつながり。
喪の作業とは何か。
【本書抜粋 著者】
(略)我々は経験的に知っている。もう悲しみ尽くしたといえるまでは、悲嘆は我々を解放してはくれない。(中略)彼らは心の中に戻ってくる。悲しみぬいたあとの生きる力となる。もっと親しく、もっと強くそばにいてくれる。だから一度、「さよなら」を言う必要があるのだ。(中略)亡くなった人でも救うことができる。私たちが悲しみぬいて、きちんと生きぬくことができるなら。それを手助けしてくれるのが彼らの仕事なのだ。
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喪の作業に必要なご遺体を、遺族に送り届ける霊柩送還士。
【本書抜粋 著者】
たとえ遺体の処置をしても、医療的な手術のように命を救うわけでもないし、蘇生するわけでもない。腐りやすい遺体を遠い国から家族のところへ戻し、生きている時と同じ顔に修復してお別れをするのだ。なぜ次の日には骨にしてしまうというのにわざわざ合理的とは思えない行為をするのだろう。
科学の発達した世の中だ。生命の失われた体をただのたんぱく質のかたまりだと済ませてしまうこともできるだろう。しかし我々はいくら科学が進歩しようとも、遺体に執着し続け、亡き人に対する想いを手放すことはない。
その説明のつかない想いが、人間を人間たらしめる感情なのだと思う。私には、亡くなった人に愛着を抱く人間という生き物が悲しくも愛おしい。亡くなったのだからもうどこにもいない、と簡単に割り切れるほど、人は人をあきらめきれないのだ。
(中略)いくら処置をしたところで、死者が蘇ることはないと遺族も知っている。知っていても、なかなか愛する人の死をあきらめられない。
日本に魂を呼び寄せ、その人は帰らないことを知ってはじめて、遺族はその人をあきらめることができるのではないだろうか。
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死生観は、もしかしたら自分でも気がついていない、その人の生き様を反映する。と私は思います。
著者の書籍に初めて触れさせて頂きました。また一人、信頼できるライターと出会えたことに感謝します。
【本書抜粋 著者】
(遺族への取材に際して)エアハースはこの遺族のために必死になって遺体の処置をした。なのに、その彼らを描くために私は遺族の癒えかけた心の傷を再び開けようとしている。
果たしてそれでいいのだろうか。彼らが修復したのは体の傷だけではなかったはずだ。
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そう簡単には出会えない、貴重な一冊だと思います。
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うーん、出だしは良かったんだけど…。まとめが凡庸というか、、、着眼点が良かっただけに、残念さが目立つ。でも、今年下半期に出版されて、読んだ本のなかではベスト1になりそうかなあ。
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「社会を本当に支えているのは誰か教えよう」海外で亡くなった日本人の送還を専門とする人々の仕事を描くドキュメンタリー。「弔い」について改めて考えさせられる。
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「知らない」という空白にさえ気づかずにいた仕事だった。
海外で亡くなった方々、日本国内で亡くなり海外に帰っていく方々、そういった場面に立ち会い、遺族を支える仕事。
ただ単に必要な処置を施すだけではなく、真の意味で遺族の心を支える。
この本を読めば、「忘れ去られるべき」人びとの仕事は、この先ずっと忘れられないだろう。
世の中の見え方が変わってしまう、すごい本を読んだ。
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国際霊柩送還士という職業を初めて知った。確かに人はいつかは死に直面する。海外で死に至った場合、遺体の損傷が激しい事が多い。それを家族の気持ちを考え、エバーミングを施し
出来るだけ、綺麗な姿で返してあげる
仕事は、誰にでも出来るものではないでしょう。とても凄い仕事だと思います。
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空港職員が深々と頭を下げて迎える。航空機の貨物室から
現れるのは木枠でがっちりと梱包された荷物だ。中には
海外で亡くなった 方の遺体が収められている。
ニュースで何度か見た光景だ。だが、海外から日本に返って来る
遺体がどのような状態なのかは知らなかった。
気圧の影響で体液が漏れている。亡くなった現地での検死解剖の
傷跡が生々しく残る。ドライ・アイスを詰めただけでエバーミングが
なされていない。
良い状態とは言い難い遺体にエバーミングを施し、パスポートの
写真を元に生前と変わらぬ姿へと修正を施す。
そして、家族との最後の別れの為に無事に送り届けるのが国際
霊柩送還士の仕事だ。
火葬されるまでの僅かな時間の為に、彼ら・彼女らは精魂込めて
遺体に処置を施す。限られた時間のなかでの過酷な仕事に向き
合う姿には感動さえ覚える。
海外で亡くなった日本人ばかりではない。日本で亡くなった外国人
を祖国へ送り届けるのも彼らの仕事だ。故人が信仰していた宗教
により、遺体の処置も違うのだ。
映画「おくりびと」が話題になった頃、葬儀や遺品整理に関わる
人たちの本が注目された。本書も国際霊柩送還士を題材に
はしているが、突き詰めていくと「死とは何か」になるのだろう。
興味深い題材だったが、いかんせん、後半で著者が前面に出て
来てしまっていると、感傷的になり過ぎている部分が多いのが
残念だった。
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航空機から降ろされる棺の映像は見たことがあるが、国際霊柩送還士の存在は知らなかった。
最後にたった一言の「さよなら」が言えるかどうかで、如何に残された遺族にとって大きな心の癒しになるのかが伝わってくる。
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冒頭の数ページで、これは読まなくてはと強く感じた。
海外で亡くなった日本人、または日本で亡くなった外国人を家族の元に送り届ける仕事。
人の最も辛い現場に立ち会い、そしてまた裏方として人の目に触れない場所へと戻って行く。
人しれず、こんなにも過酷で悲惨な現場で、残された家族と故人を思っている人たちがいる。
感動した。
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新聞の広告に惹かれて買った本。結果は大正解。
海外で亡くなった方を家族のもとへ連れ帰る(逆に海外に送り出しもする)国際霊柩送還士についてのルポルタージュ。
どこで亡くなったとしても、遺族も(たぶん本人も)故郷へ戻りたい、ただ遺体の状態は千差万別。
生前の姿に戻した時の、本人・送還士・遺族との声なき会話が胸を打つ。
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この本を読み始めたのは、ちょうど2013年1月21日、アルジェリア人質拘束事件が起きたときだ。多くの日本人現地スタッフが犠牲となったが、そこで犠牲となられた方が本国に日本国政府専用機で移送されたことを記憶されている方もいるだろう。本著はそうした国際遺体搬送を請け負う、霊柩送還士たちの姿に迫ったノンフィクション作である。
日本国内でも出張や旅行中の事故などで、住んでいる場所から遠くで人が亡くなった場合の遺体搬送は正直大変だ。それが海外ともなると、距離という問題もそうだが、国の文化や風習による遺体の考え方、それに伴う処理の技術にも大きな差がある。それに(嫌らしい話ではあるが)ビジネスという側面であっても、葬儀社ごとのポリシーの差によって、取り扱われ方が大きく異なる。家族や故郷に遺体を還す。言葉で書くと単純だが、その裏側には大変な苦労があることがよく分かるのだ。
僕はこの本を読んで、日本人の亡くなった人に対する想いというのがとても素晴らしいものだと、改めて気づかされた。僕自身は人には魂というものはあると信じていて、魂が身体に宿って、はじめて人というものが成り立つと考えている。魂の抜けた遺体というものは、単純に見れば、”モノ”でしかない。それでも、日本ではほとんどが最終的に火葬にしてしまう遺体に対して、適切な防腐処置をし、死に化粧をし、葬式を上げて送り出す。「ツナグ」の書評でも書いたが、そこには残された人が、それぞれの想いの中で故人と真正面に向き合い、別れを惜しみ、悲しみ、整理する瞬間が必要ということを暗に文化として示している。これは改めて素晴らしいことではないかと思うのだ。人が亡くなった時点で、その人はいなくなるのかもしれないが、その魂は残された人たちの中で永遠に生き続けるものなのだ。
この本に登場する人たちは寝る間も惜しんで、海外で亡くなった日本人、そして日本で亡くなった外国人たちを遺族のもとに還す仕事をしている。それもどんなに傷ついた遺体であっても、できるだけ元の元気な姿に戻す努力もなされている。それはある意味、故人の魂を、遺族のもとに”還す”仕事ともいえるのだ。
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海外で亡くなった日本人、日本で亡くなった外国人の遺体を家族の元に返す「国際霊柩送還」専門会社エアハース・インターナショナルの人々に密着したドキュメンタリー。
その業務の性格上、どうしてもきつい表現が多いので、万人に勧められる本ではないと思う。
その点を除いても(海外で死亡してしまうかは別にして)「死」は誰もが必ず経験(?)することだけに、そう何度も読み返せるものではない、と感じた。
(内容が不快という訳でなく、誰にでも起こる事で痛すぎるから)
以前読んだ、上野顕太郎の「さよならもいわずに」(ビームコミックス)を思い出した。
(感想:http://randokukanso.blog79.fc2.com/blog-entry-301.html)
こちらも同じ理由で、未だに読み返す「勇気」が持てない。
エンバーミング(防腐処理)の是非や海外の遺体搬送ビジネスの「闇」にも触れているが、「死」とどう向き合うか、という話がメイン。
特に遺体搬送ビジネスの「闇」は、かなり深そうだ。
これだけでも、一冊の本になりそうだが、本書のメインテーマではない。
人は死んだ後、いつから「死者」になるのだろう?
客観的には「心臓が止まった時から」なのだろうが、残された側にとってはどうなのだろう?
心臓が止まったら、そこに「いる」ではなく「ある」になる、と簡単に割り切れるだろうか。
理屈では、もうその人はそこにいない、というのは分かるが、どうしてもまだ何かが残っているように思える。
と言うより思いたいのかもしれない。
だからこそ、国内・海外を問わず、事故や災害で亡くなった人でも、遺族はできる限り遺体を捜そうとする。
本書に出てくるエアハース社の人達も遺体と接する時は、生きている人と同様に接する。
前述の「さよならもいわずに」にも葬儀社の人に「何か形があった方が送り手の方が安心するものだ」と言われる件があったのを思い出した。
そのため、遺体や儀式という「形」が必要なのだろう。
そして、死者と向き合いやすくしたのが「エンバーミング」なのかもしれない。
人間の体を破壊する力を持つ技術が発達したという事と二人三脚ではあるだろうが・・・。
おそらく世界中に「葬式」という儀式があるのは、死んだ人のためであると同時に、残された側のためでもあるのだろう。
「死」を納得し、受け入れやすくするために。
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国際霊柩送還の会社のお話。海外から送られてきた、もしくは海外へ送り出す遺体の腐敗処理と送還手続をする会社。
「亡くなった人でも救うことができる。」比喩的に。
本当にそうだと思った。
本人にとって、遺族にとって、まさに地獄で仏のような存在。
「(ご遺体が)ひどい状態のまだとご家族は、現実を見ようとしなくなります。『これはあの子じゃない、違う人だ』と、そう思う。」
本人と遺族がお別れに臨めるようにしてくれる彼らの精神的負担は想像して余りあります。
なおかつ、国内には同業他者がほとんどいないようなので更に。
逆に言えば多くの海外での事件の影には彼らがいて、でも全然知られていない彼らの功績に光を当てた著者も素敵です。
久しぶりに価値のある本を読んだと思いました。