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この本があることを知ったのは、「NHK知る楽」のテキストに掲載されていた広告を見てのことであったと、思う。
「江戸時代はリサイクル社会であった」と、キーコピーがあったようにおもうが、記憶が定かではない。最近、講談社文庫で読んだ。
太陽の恵みがエネルギーのすべて、それが植物に働き、≪数年で再生可能な循環型システムのなかで展開する時代と社会≫と、江戸時代を説明する。
数億年という気のとおくなる時間の蓄積のうえに確保された鉱物を、わずか百年余で消費する仕組みは不可逆性と既定する。
そのうえで、目先の短期的合理性とされる多くは、長期的不合理性と、再検討をせまる。
『原子力文化』という雑誌に、2年間連載していた原稿が基本となっているようだ。
原子力利用をすすめる啓発誌に、太陽と植物からなる時代が紹介されるのは、石炭・石油にかわる新エネルギー利用をすすめるための旗振り?。
それはともかく、諸商品の「廉価と便利さ」。その長所のみが喧伝されている。
負の部分、すなわち耐用性や廃棄のための負担が周知されにくい。
そうした流通哲学が蔓延しているかに見える社会に、≪視点の転換≫をすすめておるところは、評価できる、かも。
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前から気になっていた「大江戸シリーズ」をようやく読みました。期待よりも良かったです。「本当の循環型社会は、前年の太陽エネルギーのみで生活する」ということが、江戸時代の具体例とともに分かりやすく書いてあります。
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図書館 借
昔の日本はすごい!
江戸時代って、地球にも人間にも良いピークの時代だったのかも?
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今、稲わらについて読んでるのだが、馬に蹄鉄の代わりに草鞋!を履かせたんだってさ!4-5Kmで駄目になるらしく、街道の道端に使用済みが捨ててあるけど、ちゃんと回収されて、肥料にされたとのこと!すごい!。
・・・1年に草鞋・草履何足必要か?なんて書いてあって、なかなか興味深いです。
著者の実体験も織り交ぜてあって、面白いです。
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江戸時代のリサイクルの仕組みに驚嘆しました。
この生活は私にはとても勤まらにけど、
できることはしたいなと思いました。
手間をかけるって素敵だなと思いました。
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洗練の極致に達した、持続可能な文化だった。
何も増えず減らず、
廃棄物も、大気や水の汚染もほとんど発生しない。
筆者の文章が、すごくスパイス効いています。
おいしい、いや面白いです(笑)。
説明は細やかです。※
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あらゆる植物を利用していた江戸時代の生活が詳しくまとめられている。
那珂川沿いの乾燥した平野では、綿が栽培された。木綿が普及する前、庶民向けには大麻、藤、楮、葛、シナノキなどの丈夫な繊維が使われ、上等の衣服にはしなやかな苧麻が使われた。
武蔵野の原生林が消えて、ススキの原になったのは、古代から焼畑農業と牧経営のために火入れが繰り返されてきたため。
13世紀末か14世紀初め頃の絵に揚水水車があるが、動力として使われるようになったのは江戸時代中頃からで、大部分は精米用だった。19世紀になってから上掛け水車が記録されている。茨城の大子の粉こんにゃくの製造、日光の線香製造、高野山の豆乳製造に水車が使われた。
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人口100万人以上と推定され、当時世界有数の大都市だった江戸。
それほど大勢の人が集まりながら、同時代のパリやウィーンが屎尿タレ流し・汚臭たちこめまくりの汚都市だったのに比べ、ごみや糞便臭はほとんどなかったという。
なぜか?
それは、江戸人のリサイクル意識が発達していたから。
もちろん、彼らが「リサイクル意識」を持っていたわけではなく、手に入るものを徹底して使い切る生活をしていただけのことである。
例えば照明、燃料、服飾素材、肥料(糞便である。それも農民が我先に調達しに来る“売り手市場”だったという)…いずれも過去数億年蓄積された化石燃料を100年かそこらで燃やし尽くすような営みではなく、1年、長くても2年太陽の恵みを受けた植物から調達され、しかもほとんど棄てるところなく徹底して使われた。
経済成長はほとんどなかったが、自然破壊もなく資源枯渇の心配もなかった。
今と比べて不便で貧しかったかも知れないが、なんと豊かなことよ。そういう本である。
ただ、筆者も指摘することだが、そんな安静な生活を羨ましいと思ったとしても、今さら我々はその頃の生活に戻ることはできない。石油資源などが本当に枯渇しちゃったり、大災害や人間の生物学的限界(ここ100年余の環境変化に人間は適応できていないらしいですぜ)、経済の大変動などがあって、否応なくそうせざるを得なくならない限りは。
せいぜい、もっとムダを出さないようにしましょうよみなさん…という素朴な感想が残るのみである。
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江戸時代の社会が非常に上手く循環していたことを表す一冊。ただ、全ての章に筆者の意見が組み込まれていることがよくないと感じた。
江戸の社会において、多くの物は植物を元にしている。つまり太陽エネルギーから生まれたものである。そしてそれを利用する人間もまた太陽エネルギーから生まれた植物や動物を摂取する。この生活から生まれる生活ゴミは全て自然に帰るか再利用される。自然に帰ればまた植物に吸収される。このように全て循環しているのである。現在と比べれば効率的とは言えないが250年続いたという結果がこの生活スタイルの有用性を表している。今の生活は短期的な合理性ばかり求めており長期的には続かない。だからこそ江戸時代の生活を見直すべきである。
以上のようなことが様々な分野を通して伝えられていた。江戸時代の生活は長期的に続けられ、人という生き物に適していることはよく理解できた。しかし、だからといって今の技術全てを放棄するのは違うと思う。特に医療分野である。今でこそジェネリック等大量生産が整っているがこれを支えているのは本書で否定されている一方通行の技術である。どんなに健康的な生活を送っていたところで病は発生する。その時に対応できないと待っているのは死である。そのため、江戸時代の生活から取り入れることができることを考えることが大切なのではないかと考えさせられた。そんな一冊である。
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持続可能な社会のお手本は、日本である。もちろん、持続可能な社会を手放しで推奨できる体では、僕らはなくなってしまったけれど、世界が本気で持続可能な社会を目指すなら、江戸文化を輸出すべき。