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「学びからの逃走」の章では、まず子どもが消費者の立場で教師と向き合うようになったとして、学びというのはそもそも何を教わろうとしているのかわからない状態から始まるというパラドックスがあり、出費・投資と同時に目に見えた形で商品を受け取ることが原理的に不可能な教育という場で、そうしたビジネスライクなスタンスを持ち込むようになったという切り口から現状をすっきりと解説している。続く「労働からの逃走」の章でも労働者の消費者スタンスがポイントになる。さらに特にそんな人たちに欠けているリスク・ヘッジ(損失を避けることを重点に置いたアクション)という感覚の重要性を、自分の所属する共同体・生活範囲内で足場を固めることを安易に放棄してしまう危険性を説くことで強調する。
本書は苅谷剛ほか専門家の考察に啓発された内田樹がエッセンスを引っ張り出して、内田樹流の論述で料理し直したような感じ。
相変わらずうまいこと説得するなぁと思う。
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■概要
内田樹(たつる)さんは、wikiによれば「思想家、エッセイスト、元フランス文学研究者、元翻訳家、大学教員」。
フランスの哲学者レヴィナス「先生」の論をはじめとした哲学的考察をベースに、わかりやすい語り口で世間の物事を論評するエッセイを書かれています。
つい最近とあるお客様からその名前を聞いて、著作を読むのはこれが2冊目。素晴らしい出会い。
『下流志向』は、なぜ日本の子どもたちは勉強をしなくなったのか/若者は仕事をしなくなったのか、という問題意識から入って、
人間関係のあり方(「迷惑をかける/かけられる」関係性が機能している社会ではホームレスは発生しない)への提言(「おせっかいをすべきだ」)につながる
腹落ちまくりの大変面白い本でした。
■仕事に活かせる点
「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いは、大人の学びにはあてはまらないかもしれません。
でも、6・3・3・4 16年間も受身の学びに慣れた身には、研修も授業も同一視してしまうのが自然なのかもと思います。
「ゆとり社員」の次、これから社会にやってくる今の「子ども」たちを新入社員として迎えるとき、どんなメッセージがヒットするのかな。
CPMにつなげたいです。(さわ)
■仕事に役立つ点
さわさん5つ星!ということで、気になっていた本。
借りて読みました。紹介ありがとうございます。(これこそがこの取組みの良いところですね。実感。)
内田さんは、非常にロジカルで頭が良いなぁ、と思いましたが、参考文献の情報を元に、論理を展開していくストーリーが非常にスリリングでした。論理の流れに乗って、最後までスラスラ読んでしまいました。
なぜ勉強しないのか、働かないのか、といったテーマは、普段あまりちゃんと考えたことがないテーマなのですが、新しい視点を提供されて、視野が広がったような(考え方の新しい窓が開いたような)感覚がありました。
新しい視点や知的好奇心が満たされた、という点で、非常に面白い読書体験となりました。
ハウツー本ではないので、仕事に直接役立つということは無いのですが、教育を生業にしている以上、こういった教育論や教育環境について書かれた本について、社内でもっと読まれて、研究されて良いと思いました。
(こういった内容や分野って、社内であまり議論されていませんが、非常に大事なテーマだと思いますね)
おススメなので、皆さんも一読を!
(はっせー)
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タイトルに違和感があって新書版には手を出さなかったが、文庫化されたので読んでみた。
既出の若者論に著者独自の解釈を付加して展開。その解釈に説得力があり、なるほどなと思わされた。もやっとしたテーマを形あるものにして提示する「解説力」は抜群だ。
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ひきこもりとかニートとかって、正直、今の日本じゃ勝ち組だよなぁって思っていたのですが、その裏付けのような本。
自分自身も、どちらかと言えば下流志向。
下流志向が蔓延してきたのは、すべてのことを経済的尺度で考えるようになったからと著者は指摘しています。
なぜそうなったのかについて、かつてのこどもたちは、労働することから社会との関わりを始めたのに対し、今のこどもたちは、消費することで社会の一員としての生活をスタートする、ということが挙げられていて、すごく納得しました。
確かに、今の日本では、消費者が神様、消費者>労働者。どちらも同じ人であるはずなのに、この歪みが、長時間労働だったり、少子化だったり、格差社会だったり、なんだか息苦しい、生きづらい世の中をつくってると思います。
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日本人はとにかく「お客様」になりたがろうとしますよね。サービスはただで当然だと思ってるんですね。でも働く側からすると、顧客第一主義ほど辛いものはないはずなんです。つまりお客様としてふるまおうとすればするほど、自分で自分の首を絞めることになるんじゃないかと。勘違いのクレーマーも顧客第一主義から生まれているんでしょう。
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けっこう、この本の中でかかれている考え方の流れというのは、正確に世相を反映している気がします。
ときどき、こういう自己責任論には、私自身荷担していたり、共感していたりすることもあるものなぁ。
たしかに、等価交換では、いけないことは多いです。それを取り戻すためにできることを考えていかなければ。
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下流志向の文庫本。
内容は別に「下流を志向」しているわけではなくて、
あるべき自分とか、自分を絶対的に正しい(あるいは正しくない)存在として見るとか、そういうのをもうやめませんか、みたいな感じ。
大変に共感できます。
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・不快貨幣:
現金で給料を持ち帰れないサラリーマン、存在を示すために「疲れたぁ」という不快度を表す。主婦は、家事が肉体労働から解放された今も、夫を受け入れている苦労を不快で表す。学校で学ぶ子供たちもしかり。家族内でも、等価交換を求め、「不快である」とアピールすることで、対価を得ようとする
・自分探しイデオロギー:
橋本内閣時代の中教審答申(『二十一世紀を展望したわが国の教育のあり方について』)以降、自分は何者か、本当は何をしたいのかを問う風潮が生まれた。こういった問いを持つ人には人間的成長は期待しにくいと指摘。自分探しは「自己評価」と「他者評価」のずれに耐えられない人が行うものだから。本来は、そのような場合に、自分自身でも納得がいく威信や敬意を集められるよう、外部評価の向上に向けて努力すべきである。
・自己決定・自己責任論;
同時期に官民一体となって言い出されたもの(by 内閣の諮問機関「二十位世紀日本の構想懇談会)。「自分にとって、なんの役に立つのか」、自分自身の価値観で有用性を判断することが尊ばれたが、その裏には、未来の自分が採用・不採用の結果を引き受けるという、自己責任論があった。
・内発動機の偏重
人々がなにかを行うとき、「内発的に動機付けられているかどうか」によって、私たちの社会はその行為を価値づけることに慣れ親しんできた。打算や利害によるよりも自発性が尊ばれる。金儲けや権力・名声の獲得といった自己の外在的な目標をめざして行動するよりも、自分の興味・関心に従った行為を望ましいと見る。個性を尊重sうる社会では、自己の内側の奥底にある「何か」のほうが、外側にある基準よりも、行動の指針として尊ばれる(苅谷剛彦『階層化に本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ』)
「自己に外在的な目標をめざして行動するよりも、自分の興味・関心にしたがった行為のほうを望ましいとみる」・・・、社会的に有用で認知されているものがあっても、「オレ的に見て」有用性が確証されなければ、棄却されるということ。
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内田樹の本は相変わらず読みやすいし面白い。著者の教育に対する考えを語った講演内容をまとめたものでありますが、得意のエッセイ・ブログを読んでいるようで心地いいですね。
「どうして教育を受けなければいけないのか?」と問う小学生は、「自分が学びの機会を構造的に奪われた人になる可能性」を勘定に入れていない。自分が享受している特権に気づいていない人間だけが、そのような「想定外」の問いを口にする。
「等価交換する子供たち」
子供たちは就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している。
昔の子供たちとの大きな違いは、社会関係に入っていくときに、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだと思われる。
子供が家族という最小の社会関係の中で最初に有用なメンバーとして認知されるのは家事労働を担うことによってだけであった。
しかし、消費することから社会的活動をスタートさせた子供はその人生のごく初期に「金の全能性」の経験を持ってしまう。消費主体として立ち現れる限り、買う主体の属人的性質については誰からも問われないということ。
「勉強しなくても自身たっぷり」
階層降下することが、「自己決定したことについての自己責任の引き受け」である以上、この子供たちがそのことからそれなりの満足感と高い自己評価を引き出すならば、階層降下がいっそう加速されてしまう。
相対的に出身階層の低い生徒たちにとってのみ、「将来のことを考えるより今を楽しみたい」と思うほど、「自分には人より優れたところがある」という<自信>が強まる。
「労働はオーバーアチーブ」
人間は常に自分が必要とするより多くのものを作り出してしまう。(動物はそうでない)労働に対して賃金が安いというのは当たり前のこと。なぜならば、創でなければ企業は利潤を上げることができないではないか。
繰り返すが、労働は等価交換ではない。
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なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか? 「格差」の正体とは何か?
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【内容】
なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか?「格差」の正体とは何か?目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。
【感想】
このまま日本は衰退するのかと不安になります。
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教育から受ける利益は、教育がある程度進行するまで、または教育が終了するまで自覚することができない。
資本主義がもたらした等価交換の概念と教育や労働を上手く関連付けて説明している点など、切り口が新鮮で、かつ、現代の若者を的確に表現していると感じました。
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これ読んで、視界が広がった気がします。
痛くてたまらなかったけれども。
消費主体としての自分が根強いって気付くことができただけでも大きいかなぁと。
正しさを求めてしまったり、平均を求めてしまったりしがちな自分を顧みたいと思います。
けどさ、なかなか根付いたしまっている思考を解きほぐすことはできないよね・・・・・・。
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不快貨幣か... 思いもよらなかった考え方。でも確かにいろいろ説明がつく気もする。身近なところでは当てはまる事例が見当たらない感じもするのだけれど、観察のポイントがずれてるのかもしれないし。読み終わったらまた考えよう。
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小学校や中学校、高校、大学。
今まで出会った先生方を思い出しながら読んだ。
印象に残っている先生も、残っていない先生も、感謝しなきゃね。
と、これは『先生はエライ』の影響かしら。