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新しい評価を取り入れたことは画期的だと思うが、あまりにも選手を商品として扱うことに疑問を感じる。ガラクタの選手を・・・という表現にはゲンナリした。
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野球好きも、そうでない人も、とても楽しめる本。業界の常識が常に正しいとは限らず、そのことに気づき本気で実践するものが勝利を得られるというのは、起業の世界でも通じるものだと思う。
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科学的考え方で球団運営を行い、弱小チームを強化した GM の話。
あと、大リーグ界隈の統計データを理解せず、事実を事実としてとらえられない人達の愚かさもよくわかります。
(特に出版後日談に出てくる人物たちの愚かしいことよ。)
日本の球団なんかも、ちゃんとこの本を読んで参考にすべきだと思いますね。できれば、高校野球の指導者あたりにも読ませたい感じ。
それはそれとして、選手のエピソード 2 つがとても良かったですね。
フィールド・オブ・ドリームスとか、川原の野球ものでみることのできるような幸福感が最高。(^^
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メジャーリーグではセイバーメトリクス理論はコモディティ化し、その先いかに他チームと差別化を図れるかが課題になっている。
対して日本の野球は相変わらずの勘と経験頼り。どこか1チームでも実践してほしいよ。
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はーりんさんから頂いた本
明治大学文学部の斉藤孝教授もオススメしていた
データをどう取り、どう生かすか。
データだけあってもダメ。適切な物の見方で的確に活用することで、初めてデータが活きてくる。
周りと違う基準を持っていれば、少ないコストで欲しい商品(選手)が手に入る
アスレチックスが成功していても、
周りの人間がなかなか評価しないので読んでいてとてももどかしかった。
打者において最も必要なのは打率ではなくて出塁率
OPS(出塁率+長打率)という打者を評価する指標がある
確かに打点はランナーがいて、という打者以外の得点に関係する要因が入っている。
前々から、阪神タイガースの鳥谷敬選手は「四球が多いな~」と思っていたが、2014年度では出塁率はリーグ3位、OPSはリーグ11位だった(本塁打が9なので仕方ないか...)
パリーグでは中村剛也のOPSが.963でトップ
気になったのは打率が.257に対して出塁率が.384ということ。それだけ多くの四球を選んでいた。
四球で気になったには楽天のアンドリュー・ジョーンズ
打率が.221ととても低いが四球が112個とリーグ1位で出塁率がリーグ3位だった。
なぜ解雇されたのだろうか、高齢で高年俸、主軸なのに打率が低くて、チャンスでも打てないからだろうか。出塁率が高くても足が遅いからだろうか。
こういう風に好きな野球を今までと違って視点で見たり、考えたりすることができて嬉しい。
「ホームラン以外のフェアボールを安打にしない能力は、どのメジャーリーグ投手も大差ない」という考え方は斬新だった。
選手のことを「身長が低い」「太っている」「内反足」「奇妙な投げ方だ」などの見た目で判断せずにしっかりと成績から選んでいた。
投手の能力は「奪三振・四球」で判断すると書いてあったが、今の時代の「打たせて取るピッチング」をする投手は評価されにくいのではないか、と思った。
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日本とロシアが戦争をしたときに、日本海軍の秋山真之さんという人が。
「お金が無いから、戦艦の差は埋められない。ならば、どうやったらチームとしての戦術理解、スピードがあげられるか。あと、どうやったら砲弾の命中率を上げられるか」ということを考えて、実践しました。
そのときに、いちばん参考にしたのが、当時最強と言われたイギリス海軍の方式ではなかった。
その頃には新興勢力でしかなかった、アメリカの海軍の方式を一部導入した。
戦術勉強をするのに、書物や講義ではなく、ジオラマみたいな巨大地図と、玩具の戦艦を使って、見えるように演習していく。
「いちばん明快で判りやすかったから」。
そして、砲弾については、ひたすらそれだけを訓練すると同時に、「破壊度」を捨てて「燃え広がる力」だけに特化した砲弾を使用した。
「沈まなくても戦闘能力を奪えば良いから」。
…というお話が、半ば講談的に「坂の上の雲」などに書かれています。
「ある目的に向けて合理的な強度をひたすら高める。そして強者に打ち勝つ」
という、恐らくは
「乗り物操作的な触覚的な支配感と、ストレス発散的快感」
で言うと、男子的な相当に人気の高い方向のオハナシな訳です。
この「マネー・ボール」もその系譜ですね。
実に少年的にわくわくしつつ、大人な納得感を得られる本でした。
中学生から、高校生くらいまでは、プロ野球をテレビやラジオで観戦するのが、大好きで。
1986年~1990年くらいのことで、当時ドラゴンズに在籍した落合博満選手が好きでした。
実を言うとそれ以降はあまり野球に情熱をもったことがないんです。
はしかみたいなものだったのかも知れません。
この本を読んだのも、野球への情熱でもなければ、マイケル・ルイスさんへの関心でもまったくなくって。
親しい友人が「大変にこの本が面白かった」と言ったからなんですね。
もうちょっと補足すると、その友人は、野球好きなタイプではまったくなくて、また、マイケル・ルイスさんの他の本のジャンルである、金融に関心がある訳でもないんです。
更に言うと、ブラッド・ピッド主演の映画を観たから、という訳でもなく。
それなのに、この本が大変に面白かったという。
へえ、ちょっと読んでみようか、と。
アメリカの、プロ野球のお話なんです。
「予算の無い弱小球団が、金持ち球団と互角以上に戦っている。それはなぜか?」
という話なんです。
そしてこの本は、ノンフィクションなんですね。小説ではないんです。
(細かいところとか気分的なところはともかく、大まかな事実で言うと)実際に起こったことなんですね。
時代は2000年前後です。(本が出たのが2003年のようですね)
アメリカのプロ野球の仕組みは、僕は良く判っていませんが、まあつまり
「4チームだか6チームだかで、1つのリーグ」。
その中で、一年かけて順位を競うようですね。
そして、そういう
「4チームだか6チームだかで、1つのリーグ」
が、いっぱいあるみたいですね。
そして、それぞれのリーグの1位(なのか、1位と2位なのか、判りませんが)が、決勝戦みたいに、また戦いあう。これがプレーオフというようですね。
最後に勝ったのが全米チャンピオンになる、ということですね。どうやら。
(アメリカの持ってる文化特色の一つは、「おらが国が最高に決まってるぜ根拠ないけど」的な、笑っちゃうくらい華麗な田舎者主義なので、この全米ナンバーワンを決める戦いのことを「ワールド・シリーズ」と呼称しているようです)。
で、その中でオークランド・アスレチックスという貧乏球団が、何年も、好成績を残しているんですね(2000年前後のお話です)。
通常シーズンを勝ち抜いて、何度もプレーオフに出る。
これはけっこう凄いことなんです。
例えて言えば、2013-14シーズンのスペインのサッカー1部リーグで、レアル・マドリーとバルセロナを交わしてアトレチコ・マドリーが年間優勝を果たした、というくらい凄いことなんです。
全く例えとして判りやすいものではないかもしれませんが。
もうちょっとジャンルをずらして例えると…。
●通常の競争受験でしか生徒を入れない高校の野球部が、4年くらい連続で甲子園でベスト4入りをする、みたいな。
(それがレアなことである時点で、もはやアマチュアスポーツではない無いんだけどな、と。
野球好きな人が高校野球を楽しむのは当たり前なんだけど、そこに無垢な汗と純情と言った、アマチュア的美学の調味料をかけて報道するのは、いい加減にやめないと恥ずかしいよなあ…。
この情報化時代に、誰もそんなこと信じていないんだから)
●資本の全くない企業が、知恵と工夫だけで新商品と新販売方式で売り上げと利益を出す。
それを毎年、大手にパクられる。真似られる。トップ・プレイヤーを引き抜きされる。毎年毎年。それでも、毎年、売り上げと利益で大手と互角以上の結果を出す。
●「ウチの生徒の親はみんな年収500万円以下」「ウチの生徒の親はみんな高卒です」という公立高校が、東大京大の合格者ベスト10に毎年入る。
(これがいちばん夢物語かも知れませんね。今、ほぼ完全にこの国は固定身分制度ですからね。)
まあ、とにかくすごいことなんです。で、ちょっと夢があることなんですね。
蓄積された資本のある人が、挑戦をして苦難を乗り越えて何か成し遂げる、みたいなことは、掃いて捨てるほどのストーリーがありますけれど。
「資本主義の原理に反している」
というのが夢があるんですよね。
資本主義である以上、資本が大事なんです。
実は、資本主義の中の勝ち組になると、別段「競争主義」や「実力主義」は望んでいないんですね。
大事なのは、資本が多い方が勝つ、という仕組みを維持することなんです。
この場合の「資本」はもちろんお金だけではなくて。「人脈」「情報」「血縁」なども含まれますね。
トランプゲームの「大富豪・大貧民」で言うと、大富豪が大貧民からカードを奪って始まりますよね?アレです。
アレを維持して、できればその��制交換枚数を増やしたいんです。
もちろん、表向きは「実力主義」「競争主義」と言います。
そりゃそういわないと恰好悪いですから。
でも、本音はそうじゃありません。
その証拠に、政治も財界も、2世3世花盛りですから。議論するまでもなく、それを観れば分かることです。
この資本主義の原理が、圧倒的に支配しています。
何しろ、世界のヤクザの最大の親分、資本主義の守り神であるアメリカの、退役した軍人さんが、
「自分は現役時代、振り返れば、アメリカの大資本企業がぼろ儲けを続けられるように、世界中の反対勢力をひたすら暴力で脅し続けたようなものだ」
と言っているくらいですから(笑)
こういう、「弱肉強食の原理」には、歴史を通して多くの人がストレスを抱えながら暮らしています。
だから、それに逆らう者は、ヒーローになることが多いですね。
スティーブ・ジョブスさんだってそうだし、大まか言えば真田幸村だってそうです。
「プロジェクトX」という番組は、改めて平成の時代に、昭和の高度成長という時期を「世界的な強者の論理に抵抗した日本人」という視点で再編集したヒーロー物語だった訳です。
(どの例えも、「本当に彼らはヒーローだったのか?」という検証はまた別の問題ですが。そういう商品として大多数の人々に「買われた」、ということですね。)
閑話休題…
で、マイケル・ルイスさんという物書きさんが、オークランド・アスレチックスに密着取材?する訳です。
するとそこには、選手と監督の上に「ゼネラル・マネージャー」として、ビリー・ビーンという元選手が君臨していたわけです。
そして、ビリー・ビーンとその仲間たちは、数十年前から細々と提唱されていた、「分析・確率を素にして選手を評価・獲得する」という手法を取っていたんですね。
これはケッコウ、凄いことなわけです。
どうして凄いことなのか?というと。
アメリカでは野球という娯楽産業は、随分老舗でかつ人気産業です。
であるからには、当然そこの利権をめぐってもう、既得権益者サロンというものが出来ている訳です。
(これはまあ、認めるか認めざるかはともかく、どんな産業でもありますね。ただ、どこまでそのサロンが硬直化しているか、という度合いはありますけど)
野球の既得権益者サロンと言うのは、
●名選手たち、元名選手たち
●野球ビジネスを運営する実権を握る者たち
●大手資本を持つ、老舗の報道機関
●その流れを汲んだ各球団の経営者、指導者、スカウトたち
というコトな訳です。
そこでは、「野球を運営する」という利権に、他者を参入させないために、
「野球は奥深い。経験者にしか分からない。経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論する奴らは皆、検証する必要もなく間違っている」
と、いうような、神秘主義や精神主義が横行している訳です。
もっというと、これは「負ける軍隊」と同じ構造なんですが、「他者を参入させない言い訳」である、ということにもう盲目になっている。
宗教と同じですね。「日本軍は負けない」と��うヤツです。
「オレたち経験者にしか分からない。オレたち経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論するシロウトたちは皆、検証する必要もなく間違っている」
「経験者」というところを「白人」とか「高学歴者」とか「ゲルマン民族」とか「正社員」とか「男」とか「日本人」に入れ替えると怖いですね。
で、この「宗教」に基づいて野球で飯を食っている人たちにとって、ビリー・ビーンとその仲間たちは、とても腹立たしい訳です。
自分たちの主張と全く逆のやり方で、結果を出してしまう。
(このビリー・ビーンさんたちの「確率論的に野球を分析する方法」のことを「セイバーマトリクス」と呼ぶそうです。でも別にこの本の中で「セイバーマトリクス」と言う言葉は出てこなかったと思います)
つまり、この本は。ビリー・ビーンとその仲間たちが、
「オレたち経験者にしか分からない。オレたち経験者が経験と勘と洞察の末に見極めて勝利を掴む。反論するシロウトたちは皆、検証する必要もなく間違っている」
というマッチョな既得権益者たちと、知恵と勇気だけを資本に、正々堂々の全面戦争を挑む、という戦いの記録な訳です。
(ベースボール、というゲームの場で、ですが)。
それはホントに、
「地平線まで埋め尽くす十万を超す徳川軍の中に、たった数百の手勢で錐を揉むように突撃し、蹴散らし、家康の首まで迫っていく真田幸村」
という娯楽的快感なんですね。
「誰もが、もう無理だ、とあきらめた。だがたった独り、〇〇だけはあきらめなかった」
という、田口トモロウさんナレーション的な、「プロジェクトX」快感曲線な訳ですね
そしてそれが、実に疑問なく痛快なのは、どこにも「神秘主義」「ご都合主義」が無いことですね(少なくともこの本を読む上では)。
前記の真田幸村の例や、プロジェクトXの例は、講談的な、敗北の美学的な、あるいはご先祖崇拝的なご都合要素が入っていることは先刻承知なんですけど。
何しろ、ベースボールですから。
勝った負けたが大公開でさらされるわけですよ。
そこで「だって、勝ったんだもん」というこの痛快さ。
しかも一発勝負ではなくて、通年の実力を試されるリーグ戦で。
そして、その手法が「人徳」とか「勇気」とか「日本兵は世界一」みたいなワケの判らん理由ではなくて。どこまで行っても「合理主義」。
この痛快さですね。
これが、歴史的に言っても「良きアメリカ的明朗さ」だと思います。
ヨーロッパと比較して、圧倒的に既得権と伝統と格式が無かったからこそ、神秘主義や権威主義から自由な立場で思考できた。
それこそが、アメリカの素敵な部分だと思います。
そして、本としての「マネー・ボール」の面白さも、単純明快痛快さ、と合理主義ですね。
マイケル・ルイスさんの書き方はとてもうまくて、これだったら何のジャンルの本を書いても面白いだろうな、と思います。
具体的に言うと。
●業界的な薀蓄を匂わせつつも、溺れない。
●同時に、いちば���単純明快な、神話的な、娯楽的な物語の背骨を見失わない。
●その娯楽度合いを、ノンフィクションのモラルのギリギリまで(あるいはギリギリを超えて)大げさに描く。
というコトだと思いました。
結局はノンフィクションですから、「例えばこういう例があって」という細部が全てです。
この本の場合は、「こんな誰も見向きもしなかった三流プレイヤーが、ビリー・ビーンの目に止まって一流になった」みたいな物語ですね。
その例が、列伝人間ドラマとして充実しています。
でも、野球オタクのための本じゃない。むしろ、野球オタクに野球シロウトが打ち勝つ話なんですね。
そして、どれだけ細部が賑やかでも、本線を忘れない。
本線は「傲慢な既得権益者に、一度は落伍者に落ちた弱者が敢然と戦う物語である」ということです。
本書の中であるとおり、「ダビデとゴリアテ」の物語なんです。
そして、その本戦を太く強く面白くするために、物語としては
「ビリー・ビーンという孤高の騎士、球界のルーク・スカイウォーカーが、ハン・ソロやチューバッカとともに、取り巻く銀河帝国の既得権益者たちに、ご意見無用の殴り込みをかけていくぜ」
という英雄物語的ニュアンスに、できるだけ娯楽的に書いていくんですね。
(無論、実際にはビリー・ビーンの思考的先駆者、ヨーダにあたる人物とか、色んな人がいます。そういう要素も、触れていますけど)。
この手腕は、なかなか凄いなあ、と思いました。
※この特色については、池井戸潤さんの小説に似ているんです。
どれだけ経済問題を扱っても、半沢シリーズなんて基本は水戸黄門だったりしますから。だから素敵なんです。
恐らくは版元も早川書房さんですから、そういう娯楽要素をなるたけ削がない翻訳をしているのだと思います。
この感じで、マーケットなどについての本を読めるのなら、それはそれで読書の快楽。
友人のお蔭で良い作家を知ることができました。愉しみ愉しみ。
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【速読】メジャーは今でこそ新指標が日本に先んじているイメージですが、社交クラブ的であり現場主義的であり慣習的であり、日本のそれよりずっと保守的な視点を持っていたんですね。大胆なのはフィールド上に飛ぶ打球がヒットになるのは全て偶然だぞ、という点で、これも細かく見ていけば必ずしもそうではないはずなんですが(ライナーと高く上がる打球はアウトになる確率が違うはずだし)、こうした意見は旧来の考え方とことごとくぶつかる。そして、1勝の価値と年俸との釣り合い、これも肥大化しすぎないために大事な考え方だと思います。
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スコアブックに埋め込まれた数々の小さな不公平や誤解が、効率の悪い戦術や、誤った選手評価につながった ジェイムスたちが作った新しい評価基準、OPS(出塁率プラス長打率)がとりわけ脚光を浴びた すぐれた投手とはアウトを取る投手をさし、どうやってアウトを取るかは問題ではない
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野球に興味がある人であれば読んで損はないです。それどころか、ぐいぐい引き込まれる本です。
セイバーメトリクスを先駆けて導入した球団であるオークランド・アスレチックスのGMとその周囲の人々、首脳陣や選手を中心に描かれています。
旧態依然?とした体制を打破するために球団が用いた統計学的手法ですが、この本の魅力はそこだけにとどまらない人間模様が描かれていること。
GMをはじめ、いい意味で人間くさいところがとても楽しく読めます。そしてアスレチックス強いね。。
セイバーメトリクスの本だからこそ、それ一辺倒にならないようなのがきっと見せ所なのだと思います。著者の取材力と文章力が素晴らしいからなんでしょうね(もちろん翻訳の方も)。野球以外にも知見が深いんだろうなと思う文章も埋め込まれてます。
自分はいつもやってる野球でもっと出塁率をあげないと。。反省しきりです。
ちなみにあとがきを見て、尾ひれがついた噂を信じていわれもない中傷騒ぎが起こるとか、お互いの意見に耳を傾けなくて議論が深まらないというのは、どこの世界でも起こるものなのだなと思いました(この本に対する反響)。
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【Summary】
球団の資金はないのに、クライマックスシリーズ常連となったアスレチックスとそのGMのビリー・ビーンの話。
データを正しく理解し、それによって球団としての行動を変えることで今まで埋もれていた選手を発掘できるという良い事例。要所要所でビリー・ビーンの過去の悔やまれる話が挿入されている点が個人的にはストーリーに引き込まれた。
【自分用メモ】
■出塁率がゲームを左右する
野球のゲームの構造上、攻撃時にアウトにならなければ永久に点が入る。よって四球含めた出塁率の高さが、チームの勝率に最も影響を及ぼす。
■誤った指標の解釈をしない
例えばエラーという指標は守備が頑張った末に取れなかったのか、注意不足で取れなかったかが把握できないため、この指標で守備力を測るのは間違った結果を導き出してしまう。常識とされる数値を鵜呑みにしないことがデータ分析には求められる。
■新しい手法が認められるまでの難しさ
野球のデータ分析は以前から行われていたが、それが受け入れられるまで相当な時間がかかったこと、そして本書が発売されてからも内容の詳細も把握しないまま、反射的に否定する意見があること等、古い体質の組織でいかに今までの慣例が無駄に尊重されるかがわかる。
■肉体の良いからといって大成するわけではない
ビリー・ビーンが若い頃はスターが約束されるだろう資質に恵まれている(ように見えた)が、周りの期待通りに大成しなかったことが要所要所で書かれている。
そして選球眼だけが良いといわれていて、体格的には微妙な選手がアスレチックスに入り、成績を残すという対比構造が印象的。
本テーマとは関係ないが、野球以外でも人の評価というのがかなり難しいものがあるんじゃないかなとか、じゃあ自分の今の評価って実際以上に高い/低いんじゃないかとか、どこでどうすれば自分は活躍できるんだろうとか、そんなことを考えたくなった。
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「常識を覆す」と一口に言ってもそのレベル感は対象領域によって様々である。その業界の慣習がどれほど根深いものなのか、そして当業者の既得権の捉え方がどれほどクローズドなのか、などによって大きく異なる。野球界というのは、まさに体育界の代名詞のような場所であり、subjectiveな一方通行の束であるところ、ビリーを形容する言葉が”奇跡”となることも頷ける。舞台は90年代末からであるが、現代においても、解説者のコメントや某野球ゲームにおける成績評価基準に鑑みるに、数歩先を行っている感が否めない。あくまでも野球はエンターテイメントであり、試合で勝つことだけがすべてではないという見方をするのであれば話は変わるのかもしれないが。とにかく、野球ファンはもちろん、野球の「や」の字も知らない人にとっても示唆に富むであろう良書。
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ブラッド・ピット主演で映画化されたノンフィクション。なかなか読みごたえがあって面白かった。打撃や守備を数値化する指標になるほどと感心させられる。一見、数値化できそうにもない事象も見方を変えることで数値化でき、明確な判断基準を設ける考え方は様々なところで使えそう。
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科学的に信頼できる指標を作り出してそれに従うという意味ではビジネスにも役立つ。
それ以上に単純に貧乏球団の快進撃が面白い。
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後半に進むにつれていささか内容が冗長的で読み進めるのが少し辛かった。
但し、冒頭の問題設定が極めてシンプルな分好奇心を大いに駆り立てる素晴らしいものだったと思う。
「メジャー球団のなかでもきわめて資金力の乏しいオークランド・アスレチックスが、なぜこんなに強いのか?(pp.5)」
後から振り返れば何ともありふれて素朴な着想だが、日常でどれだけ僕はこうした素朴な疑問をきちんとアイディアとして文字として掬い上げられているだろうか。
多分殆どできていない。だからこそこういうシンプルな着想から出発するロジカルな論理は読んでいて非常に痛快だった。
――――――pp.32
「父子は戦い、ビリーが勝った。すると、父親が言った。「腕相撲で父親を負かすほどになったんだから、もうおまえは人生の決断を自分で下せるな」
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それまでの慣習を打破することはどんな業界でも困難なことだ。メジャーリーグという特別な世界ではなおのこと、既得権益を守ろうとする層からの反発が激しい。
ビリー・ビーンがGMを務めるオークランド・アスレチックスは少ない予算で毎年ポストシーズンに進出するという快挙を成し遂げた。それは魔法のように思えるが(球界関係者に言わせれば運がいいだけ)、ビリーにとっては予想道理の結果だった。
勝利を目指すのはどのチームも同じだ。問題はどういうアプローチかだ。打率や防御率など従来の基準で評価されている選手は年棒が高すぎてアスレチックスは雇うことができない。そこでビリーは勝利に繋がる独自のデータを採用し、その基準で選手を獲得、トレードした。当然戦術も従来と異なり、盗塁をしない、四球を評価するなど奇妙に映る。球界が反発したのはもちろん、チーム内部でもビリーの考え方に異を唱えるものは常にいたようだ。しかし、ビリーは一切妥協せず自らの戦略を貫いた。定石通りにやっていれば、成功しづらいが、批判も起こりにくい。ビリーはあえて茨に道を選択し、メジャーリーグに衝撃を与えた。
これは野球だけでなくあらゆる分野で参考にできるエピソードだろう。失敗を覚悟の上で挑戦する者だけが新境地を切り開くことができる。