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私の気持ちを全肯定してくれる優しい本でした。
幼い子に、読み聞かせてあげたい。
なにより、リカちゃん人形にもふわふわのドレスにも興味がなくて、周りの女の子たちとの違いに、不安を抱いていた小学生の頃の私に読ませてあげたい。
日高さんの他の著書も読んでみよう。
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「なぜ」を大切に。
動物行動学という、それまでの権威から否定されていた分野。科学とは何か。「なぜ」を問い続けることの大切さ。理屈で詰められると、本当はそうではないことを受け入れてしまう。それほどにすっきりわかることの危険性は大きい。ここらへんは戦中戦後を過ごしてきた人の感覚だな、と思う。なんだかんだ理屈をつけて、それを守らせていく社会だから。
世界は、生物は、そんなに単純なものではない。ひとつの法則だけで説明できるものではない。環世界という考え方。自分の周りの必要な要素だけが「環境」としてそこにある。
だから、見ていこう。「なぜ」と問いながら。
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子供に語りかけるような文章で、すんなり読むことができました。
「なぜ」を突き詰めることや、人間が作り出したイリュージョンに惑わされないこと、 大事だとはわかっていても、なかなかできない。
著者のように色々なことに興味を持ち、様々な視点からものが見られるようになりたい。
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優しく語りかけらる口調の題名にうっとり。
前知識なく読んだのでタイトルから哲学とか宗教、自己啓発系のお話かと思ってたら生物学者さんが語る生き物のお話だった。それでも生き物のお話だけじゃなく物事の考え方など多岐に渡るお話が優しい口調で語られてて、読んでいて楽しかった。
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良質な本という感じがぷんぷんするよ。ひと頃、「〇〇しなさい」調のタイトルをつけたビジネス・自己啓発書がたくさんあったけど、この本は「〇〇してごらん。ぼくはそういうふうにしてきたよ、こういうふうに考えているよ」と、動物行動学の第一人者でありながら独立独歩であった著者がやさしく示唆してくれる自己啓発書。「示唆」としたとおり答えがそのまま載っているわけじゃなくヒントをくれるような感じだけど、そのぶん広く適用できる知のヒントが書かれていると思う。
響いたのは「正しく見えることと、ほんとうに正しいかどうかは関係ない」(p.47)とか「自分の精神のよって立つところに、いっさい、これは絶対というところはないと思うと不安になるが、その不安の中で、もがきながら耐えることが、これから生きていくことになるのではないかとぼくは思う」(p.49)といったところに代表される、物事は相対化してとらえてごらんというところ。
絶対というものを廃し、もがきながら自分の精神を頼りに考える・行動するって大変だけど、それが生きるっていうことなのだ。
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・科学を志す人には、なぜということしかない。おおいに「なぜ」に取り組めばいい。自分の「なぜ」を大切にあたため続ければいいと思う。
・立つ地面はないということが、物理的な意味でも精神的な意味でもこれからの人間の最大のテーマなのだと思う。
2021.5.18
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物事の見方、考え方の習慣を一新してくれる可能性のある本です。気になったところを転記します。◆「宙(そら)に浮くすすめ」人間は理屈に従ってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。実は人間の信じているものの大部分はそういうことではないだろうか。いつもぼくが思っていたのは、科学的に物を見るということも、そういうたぐいのことで、そう信じているからそう思うだけなのではないかということだ。何が科学的かということとは別に、まず人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。そこをカバーするには、自分の中に複数の視点を持つこと、一つのことを違った目で見られることではないかと思う。自分の精神のよって立つところに、いっさい、これは絶対というところはないと思うと不安になるが、その不安の中で、もがきながら耐えることが、これから生きていくことになるのではないかと僕は思う。◆「コスタリカを旅して」人間は環境を破壊するものだ。そうはっきり認識しておくようが、よっぽど自然を守ることにつながる。守っているといいながら破壊している人間がたくさんいるのだから。◆「いろんな生き方があっていい」。人間には自然を破壊することはできてもコントロールすることはできない。ある時代から人間は、科学の力で自然を制御できると思い始め、いまもそう信じているが、それは根本的な間違いだ。自然には人間がわかっている以上のたくさんの変数があり、自然をいじってダメにすることはできるけれども操ることはできない。◆「行ってごらん、会ってごらん」◆「イリュージョンなしに世界は見えない」。ユクスキュルのダニの環世界を書いた本。人間は人間の環世界、すなわち人間が作り出した概念的世界に生きている。人間には、その概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか、ものが見えない。◆「じかに、じっと、見続ける」。僕は養生というものをしようと思ったことがない。
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再読。
何度も何度も読みたい一冊。
読む度に、見える景色が変わるような気がする。
これもイリュージョン?
出逢えてよかった本。
また近いうちに読みたい。
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とても読みやすく、内容も共感できるところが多かった。自分の頭で考えること。なぜを大切にすること。自分の子供たちに読んで欲しい一冊。
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自分の中のなぜ?を大事にすること。世界はイリュージョン。宙に浮かんでみる。
まさに「世界をこんなふうに見てごらん」だった。自分で観察して考えてみること。なぜ?を自分の中で育てていくこと。もっともっと柔軟にいい加減でおもしろおかしく世界を見てみたらいいのかもしれないな。
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"人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証できなくても信じてしまう"という筆者の考えが印象に残った。
科学の世界において、上記のようなものの見方をすることが果たして可能かということについて、著者は『鼻行類』を例に説明をしてくれる。
科学の世界ではこの著者の意見に対してどのように考えるのかは僕にはわからないが、生活の中にある理屈や不安に対して、いろんな視点から物事をみることを後押ししてくれるやさしい本でした。
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モンシロチョウは紫外線の夢を見るか?
動物行動学者・日高敏隆先生による、動物行動学と自身の経験から得た「世界の見つめ方」を説いた本です。とても読みやすいエッセイ形式であり、最後には講演が収録されています。
著者の日高先生は動物行動学者ですが、著作にふれるたびに科学者的ではなくてエッセイスト的だなあとつくづく感じます。学術的でなく文芸的な表現です。
学会みたいな肩肘張った場所から離れた、軽やかで柔らかな日高さんの姿勢に憧れます。日高さんは科学的な理屈の世界に埋没せず、子どもの頃のシンプルな「なぜ?」を大事にし、そのせいで権威的で格式を重んじるような場所では異端だったことでしょう。しかし、だからこそ万人が気軽に読めるようなエッセイで自分の考えを人に届けることができるのだと思います。
人類学系の本によく登場するトピックに「宗教と科学」があります。今のように科学が進歩する前は、人間に分からないことは全部「神のお考え」であって、変に理屈をこねずに済ませていたのです。しかし科学の進歩と引き換えに宗教の力が弱くなった今、頼るべき道徳的規範となる神を失くした多くの人たちは、心の支えがないために悩みが多くなってしまいました。しかし悩み多けれど、神と科学、どちらにもしがみつかずに自らの知性を力にして生きていくことが今後の人間のテーマだと日高先生は語ります。胸にささる言葉です。
ほかの方の動物や虫の本を読んでも思うのですが、動物学は動物を通して「人間とはどんな生き物か、人間社会とはどんなものか」を探りたいという欲求が根本にあるのだなとつくづく感じます。
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生き方はひとつじゃない、自分にとって生きやすい生き方でいい。
そのために、色んな生物の生き方から学んでみる。
人間以外の生き物の視点を参考に、人生の選択肢を広げてみる。
〝こんなふうに見てごらん〟
生きるって大変なこと、だから、つい人間はなにかに頼ってしまう。
科学とか、神とか、宗教とか、時には他者への過大な期待とか…。
そんな不安定さを、支えてくれるのが、知性なのだ。
知性とは、何もにも縛られない、やわらかな、生き物の持つ本当の力なのだ。
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いきものとおしゃべりするには、観察するのがいちばんだ。引き込まれる冒頭の1文。
何故?という疑問と観察から対象を知る。
虫だけでなく、動物や植物を相手にする人、親、教育者、医療・介護職、様々な人が気づきを得ることのできる内容だと感じた。
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言葉が通じない生き物のことがわかりたい。ひたすら観察し考えてきた日高先生による、とぼけた味の鋭いエッセイ集。かつて『鼻行類』という、鼻で歩行する生物の生態をくわしく述べた真っ赤な嘘本を翻訳出版して、論理的首尾一貫性こそが科学であると信奉するひとたちをまんまと騙したこともあるのだった。
「人間は、論理が通れば正しいと考えるほどバカである」。くりかえし思い起こしたい名言である。