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江國香織さんの「赤い靴」に通じるところがあった気がする。主人公の内面を描いた作品。個人的にはこちらのほうが心情の変化をより感じられて好き。
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夫のうつ病を契機に梨々子は、彼の故郷である田舎に移り住むことになる。妻として、母として、田舎に馴染めず、葛藤しながら暮らしていく。
わたしはひとりだ。という梨々子の気づきは深い。田舎に暮らし、地図と人々と全てが身体に染み込んでくるとき、当たり前に、普通の私に、じわじわと幸せを感じるようになる。
なんか良くわかるなぁ。
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今、波が来ている作家らしいので、今までまったく知らなかったのだが、書店にて既刊をいくつかパラパラめくってみて、一番、宮下という作家の雰囲気がよく出ていそうな作品を読んでみた。
細やかでクールで理知的だけど、誰にでも共感できそうな等身大の女性の視点で、生きることの綾と感動が、落ち着いた絵のように、それがさざ波となって流れていくような感じ。
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都会から田舎へ引っ越すことになった妻が、形のないもやもやに悩まされ、田舎の距離感に動揺し、好きだった芸能人に振り回されながら日々をなるべく怠けずに過ごし、場所に馴染むまでのどこにでもいそうな人の話。
何かが解決するわけではないけど彼女の中で何となく方向がわかったような部分が最後に見えてよかったです。
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ビジネス文書を書く際にやってはいけないこと、「の」を3回以上連続で使わない。
を、タイトルでやっているからには、絶対何かの仕掛けがあるに違いない、と思って読み進めたら、なるほど、このタイトルは上手いなぁと感じ入った。
主人公について、こういう風に表現できるわけか、やっぱ宮下さんはスゲー。
主人公の梨々子は、「イヤな奴」である。
色々苦手なとこがあるが、一例をあげると、自分のことを「ちょっと可愛いくらいしか取り柄がない」と自分に言い切ってしまえるタイプ。もうそれだけで「ウワーアカン」である。
そんなアカン主人公の10年を追いかける小説だから、描写にいちいち引っかかりがあって、前半はページ繰る手も滞りがちで進まなかった。
このまま「イヤ」気分を味わう系小説なのかもなぁ、と思っていたら、とある失恋をきっかけに、梨々子の中で何かが変わる。「わたしは一人だ」という覚醒。この覚醒で梨々子がどんどん強くなっていくのである。その変貌の描写がよい。
自分は一人、自分だけじゃなくみんな一人。いわゆる「かまってチャン」が言うのではなく、自分の中でこの意識を一つ持っておくだけで人間は強くなれると思う。それを梨々子は体現してみせる。
とはいえ、結局最後まで梨々子は「イヤな奴」から抜け出せなかったが、それでいいのである。エエ奴に変わるよりよほどハッピーエンドなのだ、この小説に関しては。
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東京から夫の故郷に移り住むことになった梨々子。田舎行きに戸惑い、夫とすれ違い、恋に胸を騒がせ、変わってゆく子供たちの成長に驚きー三十歳から四十歳、「何者でもない」等身大の女性の十年間を二年刻みの定点観測のように丁寧に描き出す。
「豆のスープ」と同じく、カタルシスからの自分探しかと思いきや、探すことさえしない。
仕事をするわけでもなく、趣味に没頭するわけでもない。
不倫になりそうになるけど思い止まるし、ボランティアも続けてはいるけど、すごくやりがいを感じている風でもない。
なのに、最後には、そこに馴染んで、しあわせだと感じている。それはむしろ羨ましいような気さえした。
共感は…できないけど。
表面をなぞるような表現をしていて、見ないようにしてる部分がたくさんあるように見えた。そこ!もっと書いて!って思ったけど、それは私自身もフタをして横においてあるモノなのかも。
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日本中によくありがちな田舎で、特にこれと言ったこともなく普通に暮らしていくとは?の話。
普通ってなんだろう、私ってなんだろうと考えてしまう。
誰にでも、ああここ当てはまるかなと思うところがありそう。
でも主人公がいちいち考えすぎてしまうのが、大して毎日何も考えてない私には辛くて星三つ。
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羊と鋼で文章に感銘を受けて読んだけど、正直かなり辛かった。性差もあるのかもしれないけど、こういうことは20歳以前に自分の中で決着してることだし、周りの人にそれを感じることはあっても、題材としてそれを拗らせて悩む母というのは痛ましく、ほとんど感じるものはなかった。読んで鬱陶しいだけだった。
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結婚することで環境が変わり、思ってもみなかった方向に人生が進む点については共感できた。
ただ、なぜこの主人公は流されてしまうのだろう、と思った。夫とぶつかって自分の意見を伝えるより、穏やかにやり過ごすことの方が心地よかったんだろう。
でもその結果、思っていたのは違う人生に転がって不本意な時間を過ごしてる。誰かのせいにして。とはいえ最終的にその中で幸せを見つけているのだから、主人公にとっては幸せなのかもしれない。
楽な方に流されるより、主張して自分の行きたい方向にいくタイプのわたしには歯がゆかったけど、こういう幸せもあるのだ、というひとつの物語として読んだ。
自分の意見を抑えて周りにあわせるって、こんなに苦しいのだとも思いました。しんどかった。
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鬱の夫の出身の地方都市に引っ込んだ二人の子の母である主人公のくすんだ10年間の定点観測。
これで食ってけるなら、まあ、と言うしかない人生。
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30歳から40歳、何者でもない等身大の女性の10年間を2年刻みの定点観測のように丁寧に描き出す。じんわりと胸にしみてゆく、いとおしい「普通の私」の物語。
この作者の文章は素敵だと思う。さりげなく主人公の思いを描き出し、読者に差し出す。その時々揺れる思いの中で、精いっぱい生きていく主人公に感情移入してしまいそうだ。
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田舎に引っ越して不倫に走りそうになったけど留まった妻と紳士服のモデルになった旦那。これからもやっていこうと思った話
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普通の定義は色々あるが、まあ普通じゃない。でも、この世界観は好きだなぁ...。夫や子の視点でのモノローグがもう少しあっても良かったか? 無いものねだりでしょうか...。加藤木麻莉さんのイラストも素敵です! 辻村さんの解説は、うん、流石だ!
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さて、いきなりですが、あなたに問題を出します。
クリックしていただいたこのレビューの書名からこの本の主人公の職業はなんだと思いますか?
えっ?あんまりよく見なかったけど、確か『モデル』かなぁ?と思ったあなたに、ブッブーとハズレのブザーが鳴ります。
この作品のタイトルは、
「田舎『の』紳士服店『の』モデル『の』妻」
なのです。一見、『モデルが主人公の小説』と誤解してしまうこの作品。実は私も妻の『職業=モデル』という先入観で読みはじめてしまったため、途中まで、いつ彼女がモデルにスカウトされるのだろうと、かなり混乱してしまいました。
宮下さんは、どうして、こんなにくどくてピンとこない書名をつけたのか、と疑問に思わざるをえない分かりづらい書名のこの作品。宮下さんの作品の中でもかなり独特な立ち位置を占めていると感じました。宮下さんって、こんな攻めた書き方をする人なんだ、と驚くその展開。敢えて誤解を恐れずに書けば、宮下奈都が湊かなえになった、というくらいに人の心の闇をジワジワと描いていくのには驚きました。間違いなくこの作品は、異端の宮下作品ここにあり、的作品。『私の書いたものの中で最も好き嫌いの分かれる小説だ』と宮下さんも認識されているこの作品。でも不思議と他の作品のやさしい筆致に慣れ親しんだ私がハマってしまった、とても不思議な魅力を持ったそんな作品でした。
『竜胆(りんどう)達郎は結婚して四年になる、梨々子の夫だ。名前も顔も中身も四年前と同じはずなのに、何かがすっかり変わってしまった』と転出証明書を見ながら過去を振り返るのは主人公・竜胆梨々子。『あの晩』に、達郎が急に言い出した一言『会社、辞めてもいいかな』。『辞めてどうするの?』と問う梨々子に『帰ろうと思ってる。いなか』と答える達郎。『田舎に帰るという夫の言葉はとりあえず放置した』という梨々子。でも翌週『達郎がうつだと診断されて帰ってきた』という展開。『一緒に暮らしているのに気づいてあげられなかった負い目』に狼狽する梨々子。『田舎はどこかね』、梨々子が新卒で勤めた会社でたまたま販売担当の役員に聞かれた一言。『君の顔がなんだか懐かしいんだがね。きっとご両親のどちらかの出自が僕の田舎とつながってるんじゃないか』という役員から『後日、「田舎つながり」というタイトルの社内メールを受け取った』梨々子。『同郷の後輩を紹介したい』と紹介されたのが『海外営業部のホープ、竜胆達郎だった』、そして、『つきあいはじめて二年半で結婚の挨拶に出向いた』という『達郎の田舎は、北陸の一番目立たない県の県庁所在地だった』。そんな達郎の田舎に幼い子供二人と旅立つことになった梨々子。『社宅でなければ到底住めないような街に住んで、住んでいるだけで何かに選ばれているような気分になれて、評判のいい幼稚園に子供を通わせている』生活に別れを告げることに戸惑う梨々子。そんな時『お餞別。日記帳なの』と幼稚園のママ友から十年分書ける日記帳をもらった梨々子。『嫌なことがあったときは、書くとすっきりするから。ぜんぶ吐き出しちゃうといい』という言葉にどこか引っかかりを感じる梨���子。そんな梨々子が初めて書いた日記『いまいましいこと、この上なし。かすり』。『それ以上の説明はつけなかった。今、自分が泣くに泣けない乾いた場所にいることを一年後の自分に思い出されたくない』という、そんな梨々子の新しい生活が始まりました。
竜胆一家が新しい生活を初める段を起点に2年おきに10年先まで6つの章に分けて、梨々子の内面に焦点を当てながら展開するこの作品。第一章で4歳と1歳だった二人の息子の成長が各章で垣間見れるのに比して、専業主婦として、マンションの一室に篭りきりの平凡で鬱屈した日々を送る梨々子の内面の描写がこれでもかというように登場します。全体を通して梨々子がずっと第一人称であるために、その辛さ、苦しさが読者にまるで自身のことであるかのように伝わってくるとても息苦しい読書が続きました。それは、例えば、
『考えないようにしよう。今は何も考えないようにしよう。寝室から歩人の泣き出す声が聞こえた。つまらないことを考えるより、今はただ授乳する動物になろう』という考えることを先延ばしにしたい、今は何も考えたくない気持ちを表す表現。
『誰にも頼れず感謝もされず、子供たちを育て上げなければならない。これからもまだこんなしんどい日々が続くのなら、がんばる自信なんかない。私なんてなんにもできない母親だ。』
という子育てにも自信をなくし、それがずっと続いていく絶望感を表す表現。
『生きるのに意味などない。さびしいわけでもむなしいわけでもなく。竜胆梨々子が生きるのは、ほんの何人かの、梨々子がいなくなったら悲しむ人のためだけだ。』という自分が生きている世界の狭さと世の中から隔絶されている孤独感を表す表現など。
圧倒的な閉塞感、圧倒的な孤独感、そして圧倒的な絶望感が章が変わっても繰り返し繰り返し続いていく展開。この作品の結末に光が見えなかったら読者である自分自身の気持ちがとてももたないと感じさせる、宮下さんの流石の内面描写は、圧巻だと思いました。
一見、勘違いを生みそうになる書名の一方で、この作品の主人公はあくまで田舎に暮らす二児の母親・梨々子です。そう、『モデル「の」妻・梨々子』『歩人「の」ママ・梨々子』、誰かの付属物のように呼ばれて初めて認識される人格、主役になれない人格である梨々子。そんな立ち位置を表してのこの書名。そんな主役でない人物が主人公のこの作品。宮下さんの作品では何も起こらない日常を描いたものが多いですが、この作品で描かれる世界は、『東京に住む四人家族が夫の田舎に引っ越した後の十年間の日常を描きました。以上』という何ら変哲のないどこにでもいそうな平凡な家族の物語です。怪獣に襲われない一方で、ヒーローが助けてくれるわけでもない、どこにでもある平凡な日常。でもそんな変わらない日常の中でも10年という年月の中で子供たちは少しずつ成長していきます。梨々子もそんな彼らを毎日学校に送り出し、迎えるという日常を繰り返します。そして、梨々子は、かつて夢見た理想とする人生を諦め、現実の人生を受け入れていきます。その時、その瞬間にはゆるやかな変化であっても10年という時間が変えていく環境、そして人の心。『結局は、人だ。人と交わることで変わっていく私は、顔のある人との間に生き���いく』と穏やかな気持ちになっていく梨々子。深く苦しい闇を彷徨った先、しあわせに続く未来が見える結末に、『がんばれよ』と声をかけてあげたくなりました。
宮下さんの作品はこの作品で12冊目ですが、他の作品のどれにも似ていない、とても異端な作品だと思いました。この作品が偶然にも初めての宮下さんという方の中には、自分とは合わないと判断される可能性があり、それが一番もったいない、と思います。逆にこの作品で宮下さんが好きになった方は、他の作品を読むとあまりの雰囲気感の違いに驚くとは思いますが、感情の揺れ、細やかな心の動きを丁寧に描いていく筆致は他の作品でも共通です。そんなこの作品を読まれた方の評価は恐らく中間の△が少なくて○か×のどちらかに割れるのではないかと思います。そんな読者の一人である私の評価は◎。宮下さんの作品の本流では決してないと思いますが、とても強いインパクトを受けた、読み応え十分の作品でした。
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狭い世界で生きるしかないという心象から、顔の見える人の中でかけがえのない私を生きるという静かな気づきへの心の声の物語。変わっていく小声の独り言を聞いているような、流れる淡い景色をただ見ているような不思議な読後感。