投稿元:
レビューを見る
鹿野に会って人生が変わったという一人、斉藤大介の「フツウ」というキーワードが離れない。
彼へのインタビューを受けての著者の文章より。
“本当に、フツウの障害者を、フツウの健常者が、フツウに介助し、それがまったく「特別なこと」ではない、という時代が来れば、どんなにいいだろうと思う。
しかし、言葉で言うのは簡単だが、それこそが難しいことではないのか。”p.461
フツウってなんだろう?私はフツウに生きているの?鹿野にとってフツウとは?私と違うのか?
本当に、1ページごとにいろいろ考えてうなってしまう。
今の時代、障害あるなしに関わらず、フツウに生きることが難しかったりする。私は私の生き方を、一日一日を生きていく。
著者の障害という(障がいと書かない)表記の仕方の注記を読んで、彼の考え方に深く共感した。
丁寧に、地道に練り上げられた文章。
投稿元:
レビューを見る
シカノさんはとても強くて弱い。
筋ジストロフィーのシカノさんにとって1日の生活が「生きる事」そのもの。
命がけで今を生きるシカノさんと共に過ごしたボランティアさん達から、教わる事がとても多かった。
印象的なタイトル。
おしゃべりで、なんだかんだ不死身のように思えるシカノさん。
厳しいテーマを扱いながら、なんとなくユーモラスなのはシカノさんのお人柄なのか。
一生懸命伝えてくれた事を、少しでも活かせていけたらと思う。
投稿元:
レビューを見る
おもしろい。筋ジスを患う著者の、日常から死までを本人主観の独特な文体で書かれたもの。外野から見る障害者のイメージをことごとく破壊してくれる頼もしい内容。日々の奮闘ぶり、それもかなり攻撃的な言葉遣いながらも人間らしく不思議と愛着がわく。身近にいるような錯覚にとらわれる。読後感がすがすがしい。元気のないときに た読みたいなぁと思う。
投稿元:
レビューを見る
タイトルの雰囲気にひかれて読み始め、かなりの大著ながら、3日ほどで読み通すことになった(kindle版)。ケアをし、ケアをされることの、抜き差しならぬ状況に胸がつまる。しかし、つまりながらも、これが日常なのだ、生きるということなのだ、という声も聞こえる。平和ぼけならぬ、健常ぼけの私も、遠からずケアされる側に回る確率が高く、同じように生きる覚悟はあるのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA61649911
投稿元:
レビューを見る
こんな夜更けにバナナかよ。
読後、この一文にすべてが集約されているんだなと感じました。
こんな強い人ばかりではないと思いますが、主張し合って築かれる関係性っていいなと思いました。食わず嫌いはもったいない。
投稿元:
レビューを見る
2016.2.24
ボランティアが弱者である障害者に献身的に手を差し伸べ、障害者はその介助に感謝する。ボランティアは人のために役立つことが出来て充実感が得られる。その関係性に感動。とか、障害があってもそれを乗り越え精一杯生きる姿に感動というような日テレの24時間テレビ的なものでは全くない。
何なんでしょう?結局は障害とか関係なく、ただ人間と人間、鹿野さんと周りの人の関係性が面白いんだと思う。それにしても鹿野さんのしぶとさ、生への執着が半端ない。エネルギーそのもの。
投稿元:
レビューを見る
(2018/12/21読了)
実際読んだのは単行本。ずっと以前の王様のブランチの「王様のブランチが恋した本」で「衝撃本・ノンフィクション」として紹介されチェックした本で、いつか読もうと後回しにしていた。しかし偶然映画化されることを知り、慌てて借りた。(「大家さんと僕」は借りるタイミングを逃し、まだ読めてない)
重度障害者を追うノンフィクションなのだけと、読み始めてから、この本の主旨は?行き着く先は?読者にどう思って欲しいのかを考えた頃に、ちょうど作中に、作者が当初は「カリスマ障害者と迷える若者たち」と期待していたのだと書かれていて(第2章)、この先読み進めるか迷った。
主人公シカノがカリスマかどうかは別として、読み終えて今思うに、やっぱり迷える若者たちを救っていった神聖な本として書かれているように感じる。
第6章には「障害者の聖化」の問題点も書かれている。お互い対等になるためには、双方が受け入れ合うことが前提。それは同感だけど、障害者と関わっている私の現状を置いて考えると、まずは意思疎通出来る障害者かどうか。理解することが出来ない障害を持つ場合は厳しい。公の本で「障害者」と一括りにして欲しくないと、もやもやしてしまった。
この本に高評価をつけない自分は薄情だとも思う。
この本は、日本の福祉に影響を与えられるのだろうか?
こんなこと考えてしまう私はやっぱり冷たいな。
(内容)
人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、そこは確かに「戦場」だった―。札幌在住の大型新人が放つ渾身の長編ノンフィクション。
(目次)
プロローグ 今夜もシカノは眠れない
第1章 ワガママなのも私の生き方 この家は、確かに「戦場」だった
第2章 介助する学生たち ボランティアには何があるのか①
第3章 私の障害、私の利害 「自立生活」と「障害者運動」
第4章 鎖につながれた犬じゃない 呼吸器をつけた自立生活はの挑戦
第5章 人工呼吸器はわれなり 筋ジス医療と人工呼吸法の最前線
第6章 介助する女性たち ボランティアには何があるのか②
第7章 夜明け前の介助 人が人と生きることの喜びと悲しみ
エピローグ 燃え尽きたあとに残るもの
あとがき
投稿元:
レビューを見る
筋ジストロフィーの鹿野靖明氏と彼を支えるボランティアの日常を描いた内容です
が、一般的な障害者と介助者とのイメージとは大きくことなり、介助される側の
鹿野氏に一切の遠慮はなく、介助する側を教育までするというこれまでの概念が
覆される内容でした。
自分で何もできない鹿野氏にはそうせざるをない状況なわけですが、一般的な施設
には入らず、親の家での介護も選択せずに自分の力でボランティアを募って生きて
いくと決めて実践したのは本当にすごいなと感じました。
各ボランティアの面々も個性的でユニークなエピソードが満載でした。
それぞれが鹿野という人を通じて自分の人生や生き方を見直し、影響を受けている
様子をみて鹿野氏が誰に対しても全力で向かい合っている結果なのだろうなと感じ
ました。
印象に残ったコメントとしては、「”あつかましさ”っていうのが人にとっていかに
大事か。~、最初は嫌がられても、追い返されても、はねつけられてもね、情熱
さえあれば、結局人って動いてくれるし、最終的にはわかってくれるんだよね。」
ズバリこれです。
今の自分には足りないなぁ~と読んでいてつくづく実感しました。
投稿元:
レビューを見る
障害者ノンフィクションとして読むと、乙武洋匡が『五体不満足』で(その後、著者自身も後悔する)明るく元気な障害者像を打ち出してから 5年後の 2003年、障害者の聖化に真っ向から NO を叩き付けた快作だが、しかし、それはあまりにも浅い読み方だろう。この本は、障害者と介助ボランティアの話ではなく、人間達と人間達の話なのだ。「生きるとは何か」「人と関わるとか何か」を異常に濃密な人間関係の中で考え続けた著者の苦悩録なのだ。筋ジストロフィー患者シカノの圧倒的な存在感を背景に一気に読ませる。タイトルも秀逸。
投稿元:
レビューを見る
著者の渡辺一史(1968年~)は、札幌市在住のノンフィクション作家。本作品は処女作で、講談社ノンフィクション賞(2003年)、大宅壮一ノンフィクション賞(2004年)をダブル受賞している。2013年文庫化。
本書は、札幌で自立生活を送る進行性重度身体障害者・鹿野靖明氏と、鹿野氏が42歳で亡くなるまでに関わった多くのボランティアの人たちを描いた物語であるが、脚本家の山田太一が解説で、「ああよくあるやつね、と内容の見当がついてしまうような気がする人もいるかもしれない。それは間違いです。これはまったく、よくある本ではない。凄い本です。めったにない本。多くの通念をゆさぶり、人が人と生きることの可能性に、思いがけない切り口で深入りして行く見事な本です。」と書いている通り、非常に複雑なテーマを我々に突きつける作品である。
本書に500頁に亘って描かれているのは、一般的な「重度の障害、そして、死と向かい合って生きる人間の、清らかで崇高なイメージ」とは異なり、「どこまでも「自分、自分」を強烈に押し出してきて、自らの“欲求充足”と“生命維持”のためにまわりの人間を動かし、世界がまるで鹿野中心に回っているかのような」鹿野氏と、鹿野氏のまわりに集まるボランティアたちも含めて、「決してやさしかったり、純粋なだけの人間集団なのではなく、ときには危ういドロドロとした、ひどく微妙な人間関係の力学の上に成り立つ世界」である。
また、それを書き綴った著者は、「私の筆の進みは遅々としていた。現実を、ただ現実として書き記すことの難しさに、身もだえする思いだったのだ。いや、本当に大切なのは、そこから先なのではないか、という気もしていた。・・・何を悩んでいるのか。私は何を悩んでいるのか。」、「さまざまなボランティアから、さまざまな話を訊いてきた。・・・しかし、私自身、ときには鹿野に対するどす黒い感情を持て余し、この本を書き進んでいくことの意味を、ほとんど見いだせなくなることがあった。いったい、この話をどこに収束させればいいというのか。」と、複雑な心境を随所で吐露してもいる。
しかし、読み終えてみると、全編には、「自分と他者」、「人が人を支えるとは何か」、「人が人と生きることの喜びと悲しみ」という、介護や福祉の問題に留まらない、人間・社会・人生に関する基本的な問題が通底していることに気付くのだ。。。
そして、著者も、「私がたどり着いたのは、とてもシンプルな一つのメッセージだったようにも思うのだ。生きるのをあきらめないこと。そして、人との関わりをあきらめないこと。人が生きるとは、死ぬとは、おそらくはそういうことなのだろう、と私は思い始めている。」と結んでいる。
“人間は社会的動物である”というが、“人が人と生きること”について深く考えさせる力作と思う。
(2017年12月了)
投稿元:
レビューを見る
私は、以前からこの本を知っていたが、重いテーマとタイトルから、障碍者のわがままをそれとなく、非難する本と思っていたが、そうではなかった。ボランティアを無償で行う人たちも、すごい善意があふれる人たちばかりで、人間性も素晴らしい人たちだと思っていたが、そうでなかった。ボランティアたちも問題を抱えていて、それとの結びつきで、ボランティアを行っている部分もあった。と気づかされた。読むまでは、実は、ボランティアをする人たちが分からなかったです。また、24時間全面介助をボランティアに受ける身でありながら、ずうずうしく細かい要求をする鹿野さんもすごいものだと思った。ちと、恐縮して、できない部分もあると思うが、私の考えでは、また、鹿野さんの生に対する執念深さは、素晴らしいものがあり、つらい状況をユーモアを交えながら、暮らしていく鹿野さんの勇気、背負ったものの大きさを感じさせないすごさを感じ取り、人間性とはなんであるかを考えさせられました。しかし、このルポライターは、北の無人駅から で、好きになりましたが、国立八雲病院を訪問した時は、スタッフ、医師に現在の状況を聞いたみたいだが、入院中の患者の素直な意見も読みたかったです。障碍者の見方が変わりました。いろいろの性格の人がいると思いますが、しかし、この本が出版されなければ、鹿野さんとボランティアたちの生活も知ることがなかったと思うと素晴らしい本だと思います。
投稿元:
レビューを見る
多くの人のココロを動かし、人生までも影響を与えてしまう。こんな人身近になかなかいないし、それだけでもすごいことだけど…。
シカノさんの場合、カラダが自由に動かないのに、そんな影響力があるのだから、いったいどれだけ人間的に魅力がある人なんだろう。
投稿元:
レビューを見る
次第に全身の筋力が失われて、最後には人工呼吸器を装着しなければ呼吸すらもできなくなってしまう難病、筋ジストロフィーに羅患した鹿野靖明氏と、彼を支える学生・主婦ら多数のボランティアの不思議な関係を描いた傑作ノンフィクション。
2011年に発表された「北の無人駅から」で、無人駅という表象から現在の北海道が抱える課題を浮かび上がらせたノンフィクション作家である渡辺一史のデビュー作が本書となる(本書から2作目の「北の無人駅」発表までは18年の歳月を要しており、極めて寡作であるが、ノンフィクション作家として彼を超える作家は日本にはいないのではないか、と思うくらいに彼の才能は突出している)。
さて、本書では、自らはほとんどの生活を自力でこなすことができない鹿野氏が、ただシンプルに「生きたい」という一念でいかに周囲のボランティアを困惑させつつも惹き付けるのかをユーモラスに描かれる。極めて秀逸なタイトルは深夜、急にバナナが食べたくなった鹿野氏に無理やり起こされた学生ボランティアが発した言葉であるが、それが普通に感じられてくるくらい、鹿野氏が生きるためにとにかく周囲の人をエゴイスティックなくらいに動かしていく様は突き抜けている。
一見、”ワガママ”に見える行動であるが、著者はいかに障害者が”ワガママ”を獲得できるか、それが障害者の自立に不可欠だということを明らかにする点に、本書の面白さや社会的な意義が表れている。障害者の多くは、「ああしたい、こうしたい」という思いがあっても、それを実際に表明すれば、自分を介護してくれている周りの健常者から、”ワガママ”だ、という誹りを受けてしまうのではという恐れから、自らの思いを表現することができない。しかしながら、鹿野氏の行動は一見”ワガママ”に見えることがあっても、それはかれ特有のユーモアや愛嬌によって、そうは見えないという点に、彼の稀有の才能がある。
鹿野氏は2002年、42歳の夏に急逝するが、彼との別れや残された家族、ボランティアの様子をまとめたエピローグ、あとがきは涙なくしては読めない。2018年にはなんと大泉洋の主演で映画化されるとのこと。出版されてから15年が経つが、本書の素晴らしさは微塵も薄れていないことを実感する。
投稿元:
レビューを見る
大泉洋の主演で映画化されるという事で気軽に読み始めた。気軽に読めるような内容じゃあないはずなのに『シカノ』さんの魅力に引き寄せられグイグイ読んでしまいました。映画も楽しみです。