サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

新規会員70%OFFクーポン

hontoレビュー

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー1件

みんなの評価5.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
1 件中 1 件~ 1 件を表示

紙の本

家族の状景からひとりの深みへ

2011/05/25 23:54

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 とりあえずの読後感は、一冊の短編集を読んだよう。たっぷりの重量感と濃密さに満足する。なにより端的におもしろいのだ。それぞれの物語に通じるモチーフは表題通り家族――妻とふたりの小さい娘、それに両親と近所の人だ。その人たちがくり返し、少しずつ重なり、時間をずらしつつ登場する。
 でも当然のことに、これは私小説ではなく、1編ごとにひとつの世界を構築した27編の詩からなる一つらなりの詩集だ。
 ではなぜひとつの物語を読んだような気持ちになったのか、考えてみた。ひとつには、わたしが詩的な人間でないからなのだが、それより思い当たるのは、著者がたしかどこかで言っていた「詩で書けないことはなにひとつない」ということだ。「このテーマは小説でなければ表現できない、詩では書ききれない、というものはない」という著者の言葉を覚えている(まちがっていたらごめんなさい)。著者は自分の生活と家族を題材にして、自分の表したいことを詩のかたちで書いたのだ、詩人だから。わたしはそれを、わたしなりにだが、受けとった、そういうことだと思う。

 それにしても、本の帯に「子育て詩集」とあるのはどうしたことだろうか(もちろん著者の責任ではない)。わたしはそうは読まなかった。

 「カントを読んでいると
  三歳になった娘がやって来て
  「あそぼう」と言う」
 「パパはお仕事――
  と言って本に目をもどすと
  「どうして?」と問う」
 (略) 
 この箇所だけ読めば「子育て詩集」と言えるかも知れないが、この詩の題は「他者」というのだ。
 娘たちを書く「平易な言葉」(これも帯にある)は、平易で平和なまま深層に達する。人が生きていれば必ず見る、闇と言ってしまってはまちがいだろうが、深み。家族を愛することのすぐ隣に確実にある、一人の思い、孤独。この本にある全ての家族の詩は、1編ずつ、平易と平和の世界から深淵まで降りていく。

 たとえば「罪と罰」という詩。
 「朝ごとに
  わが家のまえに
  黒い塊が落ちている
ぷよぷよとした豚のレバーのようなその塊を
夜明けまえに捨てにゆく
  細い橋を渡って
  王地山のふもとまで」
 (略)
 塊は日ごとに大きくなり、やがて妻とふたりで捨てにゆくようになる。
 「まもなく私たちは
  リヤカーを必要とするだろう
  やがて子どもたちもそれを押すだろう
  細い橋を渡って
  王地山のふもとまで
  黒い染みが点々と
  私たちの軌跡を刻むだろう」

 またたとえば表題作「家族の午後」では、公園で上の娘と右左をあてる遊びをしていて、
 (略)
 「「パパ、うしろを向いてて……さあ、どっち?」
  右の木を覗いても、左の木を覗いても娘はいない
  うえの娘がいなくなった!」
 「すると川に小舟がやって来て
  したの娘と妻を載せて
  そのまま河口へと旅立った」
 「優しい陽が照りつける
  さびしい午後
  やがて私もいなくなる」 

 はじめに読後感の満足と書いたが、怖ろしさを含んだ満足と言い直したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

1 件中 1 件~ 1 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。