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バルトークと云う人自身について知りたかったのですが、民謡収集についての本だったので内容がかなり専門的…分からない所が多々ありました;
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コダーイの研究をしていた時期があって、じゃあついでに同時代を生きたハンガリーの出身バルトークも、と思って購入しました。しかし、読解には結構時間がかかりました。
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大好きな作曲家バルトークの新書。
バルトークにとっての民謡がよくわかります。
世の中のハンガリー風がいかに違うか、ラヴェルとの対比もよくわかりますね。
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いささか学術的で素人にはよくわからないが、リストの「ハンガリアン狂詩曲」がどこがどう「ハンガリー的」でないかという分析はおもしろかった。
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[ 内容 ]
二十世紀最大の作曲家の一人、バルトーク・ベーラ(1881‐1945)は、ハンガリーをはじめとする各地の民俗音楽の収集でも名高い。
しかしその活動は、ともすれば作曲の余技や下準備のように思われてきた。
本書は、ハンガリーが戦後の政治的混乱を脱して、ようやく明らかになり始めたバルトークの思索と行動を辿りながら、ヨーロッパの周縁文化の中で、彼がもうひとつのライフワークとして心血を注いだ民俗音楽研究を再評価する。
[ 目次 ]
第1章 民謡の「発見」
第2章 民俗音楽収集旅行の時代―1906‐18年
第3章 民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む―1919‐23年
第4章 「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念をめぐって―1920年代
第5章 ―1934‐45年
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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作曲家の「人と作品」のようなものでなく、民俗音楽の研究者としてのバルトークに焦点をあてた本。
一種のコレクターとして、口承の民謡を採譜して歩いたバルトークの奇妙な情熱が伝わってきて、興味深い。
学者としては、大時代的な博物学的分類に没頭したというだけで、そこから何らかの学説へと跳躍しなかったわけだから、大学者とは言えないが、フィールドワークを重ね蒐集に明け暮れる姿は、ナボコフの蝶やケージのキノコを連想させる。
ただしこのような性癖と、バルトーク自身の作曲の内容とがどのようにリンクしてくるのか、この本では追い切れない。
都会で通俗的にデフォルメされた「ジプシー音楽」をハンガリーの民族音楽の代表と捉えたリストに対するバルトークの批判(ジプシーは辺縁的なものだし、そのジプシーの民俗音楽にしても、本来はもっと素朴な民謡であるという)、バルトークのスタンスをさかなでるようなラヴェル「ツィガーヌ」の微妙なポジションなど、おもしろいエピソードも書かれていた。
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高名なドイツの現代音楽の作曲家は、近代の東欧の作曲家について、下記のような評価をしています。東欧の作曲家は、ドイツ主流の音楽と比較すると、個性あふれる曲を提供している。ただし、ドイツ主流の音楽の枠内の変化球にすぎません。では、直球ではなく、変化球の作品をつくらなければならなかったのは、何故でしょう。ハプスブルグ帝国から独立した東欧の国は、国の独自性を文化に求めました。東欧の作曲家たちは、その願いに応えるべく努力しました。ただし、彼らは、ドイツ主流の音楽の優等生でした。その影響から逃れることはできませんでした。そのため、変化球ではあるが、ドイツ主流の音楽の枠内に留まりました。ある音楽学者は、それらの作品を観光地の土産物と評価しています。観光地の土産物は、全国区の商品と比較すると、素朴な味わいがあります。と同時に、観光地の土産物同士を比較すると、それぞれの土産物は無個性だと指摘しています。
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バルトークの、民謡収集がどのようなものだったのかを明らかにした本。
作曲よりも、民謡の分類に相当の力を注いでいたとのことで、検索性を求めつつ、ヴァリアントが近くに配置されるような配列を構想していたという。
つまり、辞書のように単一の原理で配列することと、複雑な要素を持っている民謡同士の近親関係を表示するという、相反することをやろうとしていた、ということらしい。
何曲かは聞いたことがあるけれど、どんな顔をした人かさえわからない私には、初めて知ることだらけ。
ハンガリーの作曲家で、ハンガリーの民謡を収集したと思われがちだけれど、実はルーマニア、ブルガリア、ウクライナ、アルジェリアなど、いろいろなところでやっている。
それも、ブルガリアがかなり多いそうだ。
二十世紀初頭の不安定な東欧情勢の中で、愛国心の発露として民族音楽に向かったのかというと、単純にそうとも言えないようだ。
若いころの一時期こそ、愛国主義的な主張もみられたが、コダーイらから音楽学的な方法を学んでいくにつれ、学術的な興味に移っていったとか。
リストが広めた「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」というイメージの問題も興味深い。
リストにとって、ハンガリーの農民の音楽は魅力的ではなく、ジプシー音楽をハンガリー音楽として取り入れた事情があるらしい。
バルトークはこれを批判し、彼らが収集した農民音楽を「オリジナル」と主張する。
しかし、筆者伊東さんは、それもまた単純すぎる批判ではないか、と考える。
また、仮にジプシーが農民音楽を利用していたことが確認できたとしても、ジプシーが伝えたものはオリジナルを歪曲したものかどうか、とも問いかける。
ロマ音楽を取り入れ、イミテーションの美を追求したラヴェルとの違いもわかりやすい。
ハンガリーの当時の状況なども解説しながらと、知らないことが多い私のような読者には、負荷が多い書物だけれど、単純な構図に納めず論じているので、信頼できる。
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この本の著者が書いている「東欧音楽綺譚」がきっかけで読むこととなった。
バルトークの民俗音楽にかける偏執的までの取組の様子がわかる。バルトークの死後数十年を経てそのコレクションが刊行されるが、国の政情の影響もあり、その道程が必ずしも盤石ではなかった。バルトークがコダーイをはじめ周囲に受け入れがたい偏執的なものを持っていたのだと察する。ファリャが「本物ではない真実」を容認していたのに対し、バルトークは本物を追究することに専念した。つまり、ファリャやラヴェル、リストがまがいもののイミテーションを創っていたとのこと。
ただ、ほぼ一人で総数2万曲におよぶ民謡を収集するにはそのくらい偏執的な情熱が必要であるのだろう。
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取りあえず評伝かなと思って読み始めてみると、「はじめに」にいきなりドキっとする(というかワクっとする)ことが書いてある。
曰く、
「ここで目指しているのは、バルトークという音楽家の六十四年にわたる生涯を、民俗音楽の研究活動という側面から見直すことである。」
というのである。
なるほど、やはり作曲家、または演奏家ではなく、研究者として一冊の本になるくらいの関心は呼び起こしているわけなんだな。
話はめっぽう面白い。
生涯や作品については必要最小限くらいしか出て来ない一方、祖国ハンガリーの、その時代やヨーロッパにおける複雑な(音楽的)位置づけ、それにも増して複雑っぽいバルトークの性格や研究に対する取り組み、そしてその業績の中身(評価されるべき点と限界点)がキチンと書かれている。
この本は15年ほど前のものだけど、バルトークのライフワークであった書物はいろいろな紆余曲折があってようやく刊行され始めたばかり、とある。バルトークの研究者としての評価は、まだ現在進行形ということのようである。