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もっと書かれてることそのままにやってるのかと思いきや、意外と丁寧に意図を考えて実践していた。でも何かに感謝する気持ちって晴れやかな心持になると思う
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自慢じゃないが私は義務教育以外は全てカソリック系で学び、聖書も「フェニキア人からの手紙」「放蕩息子の章」という言葉だけを記憶し、未だに正式なアーメンの祈り方を知らない典型的なナンチャッテ仏教徒だ。
本書の著者もまた現代のニューヨークに住む聖書にもキリスト教にも特に興味の無かった一応ユダヤ人の雑誌編集者にしてライターである。
「聖書男」は著者が、本のネタとして聖書の教えを学び実践してみた一年間の奇妙でちょっと笑える日記形式の体験記であると共に聖書のトリビア紹介と現代米国において聖書の教義を信じて(著者の如く実験ではなくて)それに生活を捧げる人々の観察記だ。
例えば、そもそも聖書を読むに当りどの訳の聖書を使うのかが問題で、聖書専門店に行くと約三千もの英語訳があることを知り驚き、勧められたのは雑誌「セブンティーン」みたいな表紙のもの。「地下鉄なんかで聖書を読んでいると恥ずかしいでしょ」だと。中年男にとり聖書と少女向け雑誌のどちらを読むのが恥ずかしいか悩むところだ。
聖書の中には数多くの解せないきまりがあるが、そのうちの一つで笑えるのは「殴り合いの最中、相手の妻に大事なところをつかまれたら、その手を切り落とさなければならない」。一体全体どういう経緯でこの教えが生まれたのだろうか。
仕事でDVDを見る必要があるがセクシーシーンが多いので、姦淫の罪を犯さないようにモルモン教徒が経営するレンタル・サービスに加入した。そこでは全ての映画から暴力・セックスシーンがカットされているし、F,S, H, Bワード(H?B?)などの汚い言葉もカットされているので安心。だけどカットだらけで内容が判らなかった。
色々なエピソードが満載で全600ページに及ぶ分厚い本書なので手に取るとちょっと引いてしまうが、気楽に前後の脈絡に関係なく読め、聖書(特に旧約聖書)の教えが笑いとともに身に付く、はずはない。
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文藝春秋でみつけて、この本を購入。
A・Jは、世俗的なユダヤ教徒で、奥さんと一人の子持ち。ジャーナリストで本をだすネタとして、旧約新約聖書の教えてをまもって生活して、その日記で一冊の本を書いた。
聖書のどっかにひげを切ってはいけないとかいてあるらしく、その顔がひげに覆われていく写真が一こまずつのっている。
それだけでもおかしい。しかし著者はしごくまじめに悩みながら旧約、新約聖書のきまりをまもろうと努める。
でも、だんだん著者が敬虔な思想の持ち主にかわっていくプロセスがみえておもしろい。また、著者が納得していく聖書の言葉は、よんでいて自分も納得できる。
①コヘレトの言葉の第六章第二節「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのか教えてくれるものは、太陽の下にはいない。」(p412)
②個人主義をやみくもに崇拝するのはやめて、むかしに戻るべきかもしれない。いいことじゃないかな。なんだかんだいって徹底的な個人主義の時代は終わりに近づいている。(p391)
③神意は測りがたく、望んでも無駄。善い人間にも悪いことは起こる。愚か者も賢者も、聖人も罪人も人は皆死ぬ。ぼくたににできるのはせいぜい神に与えられた恵み、食べ物、飲み物、誠実に働く喜びを大切にすることぐらい。(p217)
だんだん、普通の世俗的なユダヤ人が聖書的になっていきます。
キリスト教国であるアメリカでこういう本がうれるというのは、やはり、戒律への疑問とか、宗教への回帰とかいろいろな要素があるのかと思う。
あまりにも厚い本で手でもって読みにくいのが玉に瑕だが、表紙をながめるだけでも楽しい本。
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これは、ユダヤ人だけどほとんどユダヤ人らしく育たなかったリベラルなニューヨーカーのライターが、聖書に書いてあることを実践していく体験本である。
本書にあるように、聖書とか宗教って知りたいけど近づきすぎたら怖い感じだ。
宗教に異常にはまっちゃって、誰でも彼でも勧誘するようになっちゃったらちょっといやだと考える著者の感覚はよくわかる。
その聖書を言葉通りに実践しようとするのだが、現代のニューヨークという最も進んだ都市では困難がいっぱいだ。聖書に書かれる無理難題をゲームのようにクリアしている様子はとても面白い。
興味深かったのは、かなり保守的な人たちへのインタビューだ。
たとえば、進化論を信じず、聖書の創世記をそのまま信じ、博物館を作っている人たちが、一方では、人種差別をしないというのは意外だった。神は人間を作っただけだから人種の優劣などはないのだというのだ。
そういえば、進化論って確かに優性劣性という考え方も持ち込んだといえることに気づかされる。
また、過激な発言でしられる宗教家の教会に行ってみても、その日は特に過激な発言はなく、ありきたりな説教を聞かされるだけだったりして拍子抜けしたりしている。
著者は、自分と相容れないだれかを聖書や宗教を理由に否定する考えに、嫌悪を示しながら、一方で、先入観で保守的な人々をとらえていた自分の考えと、議論が巻き起こっていること(同性愛とか)以外のところでは、同じような考えをもっていることを知って驚きをみせ、読者(多分著者と同じようなリベラルな人が多い)もその驚きを同じようにうけるようにしている。
好きなシーンは、ユダヤ教のお祭りをやってみて、そこに招いた親戚が、自分の子供の頃のそのお祭りのことを書いてきて、朗読するシーンだ。お母さんが大きな魚を買ってきて、浴槽に入れ、お祭りのときに調理して、一族みんなで食べるのだ。
その祭りには宗教心はもちろんあるが、基盤には、家族であったり母親であったり人と人との結びつきが描かれている。ユダヤ教徒でない私も懐かしい気持ちをもつし、暖かい心になる。
宗教がクローズアップされるが、現代社会では、本当は、著者のように宗教から遠ざかっている人のほうが増加しているのではないだろうか。
だから宗教に基づいて何か言われると、違和感をもったり怖かったり、狂信的だと思ってしまうのだろう。昔はもっと宗教は身近で、よく信じている人もそうでない人も、自分はどう信じるのかを考えていた。
今は、前よりも、先入観をもって判断するだけになってしまい、信じる人の言い分と自分たちとは相容れないものとしてすましてしまうのではないだろうか。
信じない側の人も、まずは、著者のように訪れてみる、聞いてみることをしてみると、本当の危険や相容れないものとをつかむきっかけになるのではないだろうか。
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前作で百科事典を読破したNY 在住ライターが、今度は「聖書の教え通りに生活する事」に挑戦する話。
よくここまでやるよなあ、と思う。個人的には筆者の隣人の話が興味深かった。
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≪県立図書館≫
P374、P570~Last
途中で飽きた。
わかったことは、いくつもある。
思いのほか、キリスト教も面倒くさい宗教なんだな、と。
意味不明なキマリとか、そりゃ無理でしょというキマリもいっぱいなんだな、と。
自由の国の宗教、というイメージが強かったけれど、そうでもないのだな。
不可知論者、というよりは、消極的無神論者である私。
聖書の教えを忠実に守ることに、どれほどの意味があるのか
半分以上読んだ後も、疑問が残る。
よりよく生きること、幸せに生きることが宗教の目的ではないのだろうか。
信じることによって、強く生きることができる。
それも、行き過ぎると客観性を欠くのだろうけれど。
食べて生きていくことに精一杯で、字も読めず、それほど考える訓練もなされていない人たちに宗教を広めていくためには、規則や見た目といった、わかりやすい制度が必要だったんだろうな。
と、私は思った。
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新聞の書評欄から興味を持って。不可知論者なNYに住む著者が、一年間【聖書の教え】を忠実に守って生活した記録。普通にどん引くと思うものも素晴らしく思えていく結果とか「何故?!」と思わず何度か突っ込みいれてしまいました。神を感じるとかも「トランス状態…?」と思う自分には到底理解不能の世界です。でもひとつ思ったことは「聖書が記さなければそんなこともしないの?」空気読む日本人には普通にしていることを、聖書で法にし、それによって守るって…え?となりました。あ、でも文章は面白いです。忍耐強い奥さんがホント素晴らしい。
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これも、体験もの。
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』
に続いて、似たような傾向のものを手に取ってみたり。
最近は、こういうちょっと極端な体験型ルポがはやっているのだろうか?
現代版のロビンソン・クルーソーが増えるのは
個人的にも面白いし、頼もしい。
さて、これも『ぼくは…』にたがわず面白かった。
タイトル通り、聖書の掟に従って一年間生きる、というそこだけ抜き出すと
めっちゃファンダメンタリストな感じがするが、さにあらず。
ちなみに著者はユダヤ教なので、ここで言う聖書とは専ら旧約聖書(著者が言うところのヘブライ語聖書)のことだ。
新約の掟についての体験は後半の四カ月ほど。
600ページ以上ある本なので、手にとって読み始めるまでには非常にハードルが高いと思うけど、決して読んで損はしない。
考えさせられること大。
クリスチャンが言うのだから、間違いない。
p.317
「パイ生地にラードを使っているかどうかわかる?」
「使っていないと思いますが、確認します」
「ありがとう。ラードはだめなんだ」
「アレルギーですか」
「いや、レビ記にあるから」
そこで会話がぷつんと切れる。
p.381
聖書を自己啓発の書としてみるのはやめるようにといわれた。たしかに、そういう見方をすることが多い。宗教はいかにより多くの喜びをぼくに与えてくれるのか。ぼくの人生をより意義深いものにしてくれるのか。いかにぼくの子育てに役立ち、息子が将来、横領やゆすりたかりをしないように導いてくれるのか。
でも、宗教はそれ以上のもの。神に仕えることだ。
p.416
けれど、イスラエルは危険もはらんでいる。ぼくたちの中に眠っているファンダメンタリストが目を覚ます恐れがある。だれもが内に秘めているグル・ギルが表に出てきて、独善的な面が増す。ニューアーク空港でタクシーに乗ってすぐ、それを実感した。携帯電話で声高に話している歩行者を見て思った。どうせひとの悪口か自慢話だろう。うう、やだ。ぼくはああいう連中とは違う。聖書に従って生きている。あんな不信心なやつらよりずっとまし……。
そう、わかっている。こんな風に考えるのは全然聖書的じゃない。
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やっと読み終わった。主にアメリカ人と話してると、ノンフィクションが好きなのが分かると、「何がいい?」って聞かれるんだけど、当面はこれでしのげそう。イスラム圏の配慮もまあまああるし、悪くはないと思う。アメリカの宗教構造が思ったより複雑なことがよくわかったのも意外な成果。
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ニューヨークに住む、ごく一般的な感性を持った人間が、率直に思ったことを(しかもちょっと面白く)書いているので、面白く読めました。
現代社会の仕組みに宗教がどのように関与しているのか、宗教がどのように対応しているのか、その一端が分かったような気がします。
著者自身が変化していく様子が時を追ってリアルに描かれていて、興味深かったです。
周囲の人間の意見が多様なので、面白かったし、きっとそれは普通の生活の仕方だと分からない部分だと思いました。
宗教にも本当に色々あるのだなあと、そして宗教の教えだけでなく信者の性質にもいろいろあるのだなあと感心しました。
そんなにいろいろの考え方の人がいる世界…広くて、深いです。難しくて、おもしろいです。
著者の人が、自分の頭で考えて日々を送っているのがよかったです。面白半分でない感じがして。
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ニューヨークに住んでいる筆者が、1年の間、聖書に書いてあることをほとんど文字どおりに忠実に実践していくノンフィクション。
この筆者は、一応ユダヤ人だが、不可知論者(神がいるかどうかはわかりようがないと思っている人)で、いわゆる敬虔な人々を見るとちょっと引いてしまう、という感性の持ち主で、日本人には感情移入しやすいと思う。
簡単に聖書の教えを守る、といっても並大抵ではない。有名な「汝の隣人を愛せ」のようなものもあれば、「十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ」「二種の糸で織った衣服を身に着けてはならない」など、なんで?と聞きたくなるような教えも、筆者は忠実に守ろうとする。
ところで、アメリカではこのような教えを守ろうとする人のために、通販やらなんやらが充実していて驚いた。
そんな日々が過ぎ、1年間の最後の月、二つの事件が起こる。
筆者はその時、聖書から何を得るのか?
一見してどんなにバカバカしく思える掟や信条、信徒たちに対しても、この筆者は誠実に向き合おうとし、何かを得ようとする。そこにとても好感が持てる。
全編ユーモア(アメリカンジョーク?)にあふれているので、とても読みやすい。くどいと思う人もいるかも?
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聖書に慣れ親しんだ無宗教の私にとっては、彼の根性と気づきにはかなり笑わされた。電車でたまに思いだし笑いが出て、毎日がラッキーに感じるよ
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実際の聖書並みの分厚さを誇る『聖書男』。あまり信心深くないことを自認する筆者がなんと、現代のNYで1年間、出来るだけ新旧約聖書の教えを実践していくというなんともハチャメチャな企画を記録したものです。
筆者は雑誌『エスクァイア』の編集者兼ライターです。前作でブリタニカの百科事典を全巻読破したあとの次の挑戦はなんと、現代のニュー・ヨークで新旧約聖書の教えを出来るだけ『文字通りに』1年間実践してみるというなんともブッ飛びの企画でした。
しかし、筆者自身はあまり信心深い人間ではなく、そういったところが、読者の共感を呼んだのかもしれません。僕はちなみのこの本を入手したとき本物の聖書並みの分厚さに『マジかよ…』と思ってしまったことをここに記しておきます。まずは聖書の中から700あまりを書き出してリストアップし、守るべきことを列挙していきます。
はじめの8ヶ月は旧約聖書の戒律にのっとって暮らし、あとの4ヶ月は新約聖書のそれでくらすという設定で行ったのだそうです。僕はこれを見るまで知りませんが、聖書が現在に至るまで多種多様な解釈があり、筆者が様々な方に教えを乞い、生活をする中で軌道修正をしていく過程が筆者独自のユーモア溢れる筆致で綴られており、『長い旅路』も面白く歩んでいくことが出来ました。
『二種類以上の糸で編まれた服を着ない』
『生理中の妻との接触を避ける』
『神を知らぬものと対峙する』
等のことを1日ごとにクロニクルとして記され、その章ごとには詳細な注釈が添付されており、その辺もとても参考になりました。彼自身が聖書の教えを実行に移すのは彼の妻をはじめとする様々な『隣人』にも少なからず影響を与えるわけで…。宗教生活を実践していない彼の妻や、彼の住んでいるアパートの住人との関係性も非常に面白く、見所のひとつになっていると思います。
最後の日に、筆者は伸びに伸びた自らのひげをそり、昔の恋人から借りっぱなしにしていた聖書を郵便局を経由して帰すところで終わっているのですが、これがなんとも鮮やかなラストでした。彼の挑戦をバカバカしいと捉えるのか?それとも別な捉え方をするかで、本書の価値はくっきりと分かれてしまいますが、少なくとも僕は本書を通して聖書というものの新しい『見方』を教わったような気がしてならないので、読んでよかったと心から言えるのでございます。
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面白いだけじゃなくて、ためになる。宗教(キリスト教とユダヤ教)を通してアメリカという国を垣間見ることが出来る。
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ユダヤ教、キリスト教を始め様々な信条の人々が登場し、アメリカの宗教模様が垣間見れる本。500以上もある注釈が面白く、現地の文化や生活感が伝わってくる。
制約があればこそ、感謝の気持ちが生まれるものか。